百四十九夜 初陣再び
「ダーマヤ――――っ!!」
少年が円筒形の筒を投げ上げ、町に昼なお眩しい閃光と爆音が鳴り響く。
衝撃と驚愕が折り重なる中を、漆黒のマントが疾走した。
目の端に追い詰められた女性数人を発見。その前で膝をつき槍を構える青年と、短剣を手に迫る盗賊が2人。
全員が一瞬我を忘れ、チリが舞う空を見上げている。
少年は懐から紐を取り出し、真ん中の輪に指をかけ回転させた。重りと遠心力で標的の脚や体に絡みつく狩猟用武器――「ボーラ」である。
「ぅおっ!? なん……っ」
盗賊にヒットし紐が体に巻きつく、なすがままバランスを崩して転倒。
もう1人が仲間の状態に気がつき、駆け寄る少年に短剣を向けた。
「何しやがるこのガ――ぐぁっ!? があっああっ!!?」
風を切り振るわれた短剣が、身を沈めて軽々と避けられる。即座に黒い警棒――スタンガンを当てられ、モーターが低く唸りあげた。
盗賊の体が弾け膝から崩れ落ち、短剣を放り出して体を震えさせる。
気絶には至らなかったがしばらく攻防は無理だろう。
「ふぅ加勢にきました、皆さん無事ですか?」
「たっ助かった、すまん! だが……無事とはとても」
青年は自警団だろうか、だが槍を持つ意外に防具は装備していない。
服が数ヵ所切られ血が滲み、腕にも切創がある。比べて盗賊は革鎧を着込み、その戦力差を如実に表していた。
しかしそれよりも青年は、町の惨劇に歯を食いしばる。
「こっこのガキ! 今すぐこれをほどけ、さもねえ――ぎゃあっああ!?」
ボーラで捕らえられた盗賊が暴れ、スタンガンで止めを刺す。
盗賊2人の行動を阻止した少年は、改めて周囲を見回し息を呑む。伏した住民が赤い血を滲ませ、子供が抱きつき泣いていたのだ。
ダーマヤにすら気がつかない姿は見るに忍びなく、少年はお腹をさすった。
「……町から避難した方に会い、襲われた状況を聴きました。盗賊の総数は――」
町には石組の立派な市壁があり、小都市と呼べる規模である。複雑に入り組んだ町中には、数百人が暮らしているだろう。
その中に潜んだ悪意の光。
「行商人に紛れて門を潜り、打ち破られた。自警団もバラバラに対応しちまって、どれほどの数が入り込んだかは……っ」
「――42人」
動揺し離れようと走る多くの光の中に、強い悪意を放ち周囲に意識を向ける光。
変なモノ越しに少年の瞳が淡い光を放ち、確信を持って言い切った。
「たっ助け……っ助けてくれ――~…っ!」
「ズキンの姉御はこのまま、私が様子をうかがってきます」
「ちっ……なんだか嫌な予感がするゾ」
ルーシーの故郷へ向かい旅をしていた一行の前方から、着の身着のままの青年がころげまろびつやってくる。
意識の光でひと足早くとらえたオルロックが、荷馬車を止めるよう指示。
徒歩の行商人には見えず、少年だけが青年の元へ歩いていく。看病につけ込んだ追いはぎを警戒するのは、旅の常識だった。
「助けて……っ! まっ町が襲われて、盗賊が……っ」
「あなたは町の住民なんですか?」
マントの下でスタンガンを構えたまま、左手でエールの入った革袋を渡す。
受け取った青年は咳き込みながら呷る。光の揺れ具合から視て虚偽とは思えず、短剣や武器等の所持も確認できない。
少年が振り向いて頷くと、ペールが再び馬に鞭を当てた。
「しょっ商店で買い物をしてたら……っ騒ぎが起こって、なっ何人も斬られてた。悲鳴があっちこっちからするし、逃げなきゃって……開いてた門からどうにかっ」
人に会ってひと息ついたのか、青年は汗と一緒に言葉を絞りだす。
話すたびに思い出したのか体の震えが大きくなり、肩を抱いてうずくまる。
「あっあんたらも町へ行かねえ方がいい、大きい街の領主様に兵隊を頼むんだ! 説明は俺がするから、そこまで乗っけてってくれ……ねえっか――…」
どうにか顔を上げた青年が、荷台に立ったルーシーに気がつく。
徐々に焦点が合って、何かに気がついた声がうわずり詰まっていく。突きつけた指が全ての震えを集めていた。
「魔……っルーシ――~ィっ!?」
「ようやく気がついたか、久しいなあポーテス」
娘が皮肉な笑みを浮かべ、青年を煽って見下ろす。
「なっなんでここに! お前……っいや、貴女は貴族になったとか噂で……帝都に住んでるって……おられると、聞いてたっましたが」
「オイオイ里帰りくらいはするゾ。それともなにか~私はあんたの許可なくして、帰郷もしてはならんというのか?」
「っいや! いえ、そんな意味じゃ……ではっなく……」
揶揄と上げ足をくらい、青年――ポーテスは別の意味でうつむいた。
ルーシーを何度か盗み見して、ふいに気がつき蒼白となる。
「はっ……しっ仕返しに、帰ってきたのか? あっまさか! まさかあの盗賊は、おっお前がけしかけてっ!?」
「あまり下らんことをいうと、その舌を自分の手で引っこ抜かせるゾ」
ポーテスが即座に口を押さえ、それが面白かったのかルーシーが喉で笑う。
しかし嫌味をともなった笑みも長くは続かず、不機嫌に息を吐き出す。
「はぁタイミングが良いのか悪いのか……仕方がないオルロック、先行して盗賊を排除しておけ。放っておいても構わないが、町には教会があるからな」
「御立場的に黙認はできませんね。ですがズキンの姉御、まだ陽動である可能性も捨てきれません。周囲の様子に気をつけてお進みください」
チラリとペールを見ながら、少年が礼をとる。
離れた山間に森はあるが、岩肌が剥き出しの街道。とても盗賊団が潜伏している様子はない、だがルーシーは忠告として頷く。
「分かった行け! おっと念を押すが、教会だけは残しておけよ!」
「御意っ! では御先に」
少年がきびすを返すと、盗賊の掃討とは思えないほど軽く駆けていく。
大道芸人のガキを向かわせてどうするのかとポーテスが眉を寄せ。念を押された意味を理解したペールが、人知れず鞭を震わせた。
「オルロックの巻き添えを食ってはかなわん、ペール町が見えたら止まれ」
「へっへい……っ」
再びゆっくりと荷馬車が動き出し、ルーシーが荷台に寝転ぶ。
どうしていいのか分からないポーテスが、その後をついて歩きだす。
「あんたは街へ報告に行くのだろう? 急げよ――門が閉まっては狼の餌食だゾ」
「……っ!」
すでに笑いもせず興味を失った娘が、目を閉じたまま男に地獄を突きつける。
荷馬車は街道を進み、蹄の音が遠くなっていく。
独り残されたポーテスは、慌てて振り返り大急ぎで走りだした。
☆
「ヨンジュゥニ……人? あっああそれほど、多いって訳だな」
「そこの建物内は大丈夫です。子供を保護して扉を厳重に封鎖し、しばらくの間は立てこもっていてください。そうだ賊を縛るロープはありません? なければ布を巻いてロープ代わりにしましょう」
足元には千切れないのが不思議な、細い紐で括られた盗賊。もう1人も伏してはいるが、その目が憎々し気に睨む。
それなのに少年はテキパキと指示すると、近くの路地前に歩いて行ってしまう。
マントを外して壁に張りつき、唇に人差し指を当て微笑む。
声をかけられた女性たちは顔を見合わせ、慌てて子供に走り寄る。ロープを探し布を編み込んで、どうにか盗賊を縛り始めた。
自警団の青年も槍を杖に立ち上がり気合を入れる。
「よしっ俺もまだやれる! 見たところ坊主は大道芸人だろう、彼女たちと一緒に隠れていて――…」
「――あっ! てめえらやりやがった……なあっ!?」
突然路地から盗賊が飛び出し、倒れた仲間に気がつく。
青年を睨んで怒鳴り声も終わらぬ内に、その頭をマントが覆っていた。すかさず少年がスタンガンが突きつける。
倒れて呻き声が止むまで、聞き慣れぬ魔獣の咆哮が青年の耳に届く。
「これでもう近くにはいないな。ああ助かりますご苦労さま、ではこの賊も縛って監視をお願いします」
「うっ……あ、はい……」
女性が建物の前でロープを持ちたたずんでおり、少年が青年に目で諭す。
他の女性たちも呆然とするしかない。薄く微笑みながらこともなげに盗賊を排除していく姿は、それこそ芝居を観ている面持ちだろう。
まるで現れるのが分かっていたように行動する少年。
「さて後39人か、初陣の時より少しばかり多いな」
初……陣?
少年の意識が忘れられない記憶をフラッシュバックする。
同じ規模の町中にはねつるべを製作し、子供たちの笑顔が重なった。おじさんと鍛冶職人が荷馬車に揺れ、同年代の少年が不格好な姿で仁王立ちしている。
景色が多重露出し、それ以上に胸が詰まった。
『お前、にゃんか――大っ嫌いだっ!!』
青い瞳に涙があふれ、こぼれ落ちる。
「…――あのマントを、どうかしました?」
「あっ……ああすみません。そうだ縛られていても盗賊です、油断しないように」
女性がおずおずとマントを差し出しており、受け取って忠告をほどこす。
頭を振った少年が、盗賊の潜伏する町中へ軽やかに走りだした。その背を青年と女性たちは言葉を失ったまま見送る。
「さてのんびりもしていられないな、どうやって盗賊を排除するか!」
なんだ今の記憶は――。
気を緩めると重なろうとする意識を、無理矢理現状に固定。
「走り回り1人1人倒していては時間がかかり過ぎるし、それだけ被害も増える」
一ヵ所に固まっていればダーマヤで一掃できるけど……サールスピローも同様、町民も巻き添えにしかねない。
非致死性兵器とはいえ、これ以上被害者を苦しめるのは得策じゃない。
「ではどうするか――っと!」
「へへっ――…ぅがっ!?」
一番近い悪意の光に向かい、略奪中の背後からスタンガンを唸らせた。意識外の攻撃だったのか白目をむいて昏倒する。
もう一本の細い紐で縛りながら、愚痴に近い独り言に苦笑が返った。
「これでザイロンも使い切った、もう少し召喚しておくべきだったな」
ボーナハゥにも数の限界がある、「飛翔」が使えれば速いんだけど――。
見上げれば太陽はまだ高く、とても「啓く」ことはできそうにない。
夜間でなければ使えないの己の「力」……しかも多くが限定空間の能力であり、敵だけが集う平原でもなければ使用不可能。
どちらも山間の町には望むべくもない。
「各個撃破が難しいなら、パニックの演出か。閃光と爆音を連続して町に轟かせ、恐怖心を刷り込めば――」
あるだけのスタングレネードを使えば可能だろう。
仕切りのない外部だと、至近距離でなければ行動不能は見込めない。だが爆発音事態が珍しい、早期の退却を選択するのではないか。
「いや希望的観測に過ぎるな、建物に遮られてどれほど効果があるか分からない」
使い切ってしまえば、夜まで召喚はできない――。
ふと背を押す感覚に気がつき、マントが大きくはためいた。町の通りに強い風が吹き煽られたのだ。
見上げれば町に隣接する黒い森も揺れ、青空をバックに山が映えている。
「谷風……使えるか」
日中に山側の斜面が温められ、暖かい空気が谷側より上昇する現象。
逆に夜間になると山側の斜面が冷え、谷側へ下降する気流――「山風」が吹く。
少年が先ほどとは違う円筒形の筒を取り出し、石畳の上へ転がした。
レバーが弾け、勢いよく黒煙が噴き出す。
「うん、いけそうだ」
――スタングレネードと同じく、ピンを抜き投擲すると煙が発生。煙幕を展開し任意の場所をマーキングしたり、敵の視界を遮り妨害をもたらす人工的な煙。
「発煙弾」である。
風の強い通りに複数放っていくと、黒煙が道なりに昇っていく。
「ケホッ……タネを知らない者に、この煙が何に見えるか――あれ? 盗賊の数が減ってる、いや倒されたのか」
人や動植物のない場所は、光が灯らず視えにくい。
だが町の中ほどにある建物内に多くの光が視えた。場所的にあれが教会だろう、手前の広い空間に複数の光が展開し盗賊を跳ね返している。
「自警団の主力か領主の雇っている兵士か、これは頼もしいな……さて」
黒煙は風に流され順調に通りを進み、件の空間まで到達する勢い。
少年はあるだけの発煙弾を点火しひと呼吸。
「火事だ――――っ!!」
「てめえら教会を襲うたあ何事だ! 神をも恐れぬ俗物めっ!」
「修道士風情が吠えるな! 神のそばへ送ってやらあっ!」
教会の扉前に荷馬車を横づけし、簡易のバリケードを構築。
フード付きのゆったりとした、くるぶし丈のローブ――トゥニカを着た修道士が盗賊を相手に奮闘していた。
両手に持った薪は武器として心許ないが、使い手の技量が不足を満たしている。
「おいアニ……嬢ちゃんはどうした!?」
「最初に飛び出してってから、オラは姿を見てねえ」
「くそっ! ちったあ大人しく……まあ神輿にはならねえ、宣言通りってかぁ」
だが教会から離れられないだけ、修道士が不利か。荷台には複数の矢が刺さり、騒ぎを聞きつけた盗賊が集まってきた。
そんな剣や手斧が鈍く輝く広場に、どこか説明口調の叫びが木霊する。
「火事だ――っこのままでは町が、火に呑まれるぞ――~っ!!」
修道士も盗賊も、耳を疑う内容に動きが止まった。見れば広場へいたる通りに、黒煙が浮かび上がっている。
そうしている間にも風に煽られ、周囲を煙が包んでいく。
「「ちっ……どこのバカだ、火を点けやがったのは!」」
奇しくも修道士と盗賊の非難が重なった。
「火事だ――っ! 逃げろ――おっと!」
「ぐっ……てってめえ――ぎゃっ!? ああがっああっ!」
少年が口に手を添え叫びながら、町の広場へ到達する。
薄く煙が覆う中を人影が突進してきた。直前で避け足を引っ掻け、倒れた盗賊にスタンガンを食らわせる。
「チラッと見えたけど、あのローブは修道士かな。それでこの戦果はすばらしい、武芸の心得があるんだろう」
広場には戦意を喪失した盗賊の光が、複数灯っていた。
教会を守備しながらの攻防で成し得たのなら、戦術の心得もありそうだ。
「逃げろ逃げろ――火事だ――っ!」
「――っおい! おいそこの坊主!」
続けて叫んでいると煙幕越しに、フードを被った修道士に呼び止められる。
両手の薪に痛々しくも血がこびりついていた。突然出会ったなら飛び上がるか、腰を抜かしても仕方がない迫力である。
だが少年は驚きもせず相対した。
「叫んで周っても仕方ねえだろ、火元はどこだ!? 盗賊も放っちゃおけねえが、火事が広がれば町が滅びる事態だ! どこで燃えてんだっ!?」
「どこにも火は出ていません」
修道士の問いに、少年は平然と反論する。
告げられた答えが脳に届かず、修道士は幾度か口を開け閉めした。
「……はぁ!?」
「でもほら、煙が立ち込めているでしょう? ですから、火事なんです」
少年がニヤリと笑い、再び叫びながら離れていく。
煙幕の中に影となり消え、修道士は遅まきながら意味に気がつき歯を剥く。
「っああなるほど、確かに火事だ! 煙が出てんだ……っ大火事だな!!」
「ひひ火元は分かったのかい? 水がなきゃ砂でもいいっす、けけ消さなきゃ!」
丸太を抱えた四角い修道士が、咳き込みながら現れる。
両手に薪を持った修道士が大笑いして胸を叩いた。教会に集う仲間の下へ走り、楽しそうに大声で盛り上げる。
「いいから叫べ――っ火事だ――! 逃げろ――~ってな!!」
「逃げろったって、どこへさあ!」
「冬がくるってのに焼け出されたら……ああちくしょうっ」
「消せ――っ! なんとしても消すんだ――っ!」
隠れていた町民にも声が届き動揺が走った。
逃げろと言われても逃げる訳にはいかないのだ。ここが生まれ育った町であり、ここ以外に仕事も住む場所もない。
盗賊の恐怖を打ち消し、水桶を抱えて煙の発生源――谷側へ向かう。
「そういやさっきでけえ音がしたな、おい煙が強えこのままじゃ巻き込まれる!」
「火事だあ!? まだ大して稼いじゃいねえってのに、誰だ焦りやがった奴は! これだけじゃあ冬は越せねえぞ!」
「首領ぁ命まで燃えちまったら、稼ぎもねえだろ……っ」
盗賊は煙に巻かれて散り散りになっていた。
武器と数の多さに鼓舞され暴挙に出たのだ。水桶を持った町民が脇を走っても、襲うか迷ってる間に見失う。
慣れていない町を右往左往し、煙から離れようと――山側へ向かう。
「くそっオイ退却だ! 退けぇ退け――っっ!!」
「ぎゃぁあっ!? あっあが! あ……っあ!」
建物に忍び込み、夢中で略奪していた盗賊へスタンガンが襲う。
何が起こったのか分からず、荷を落とし半泣きで倒れる。少年は一切耳を貸さず外へ引きずり出すと、石畳の上へ転がした。
「盗賊の大半が逃げ出したな、残っている者は……状況が分からず混乱している」
武器を持った者とのふいの邂逅は、むしろ危険だ――。
「おっと言ってるそばから」
発煙弾の煙は薄く散り灰色の霧となっている。そこへ軽く石畳蹴る音が木霊し、徐々に少年へ近づいてきた。
小さなロザリオが腰紐に揺れて瞬く。
フードを被った修道女と、漆黒のマントをはおる少年。町中で邂逅した2人は、共に漂う亡霊に見えただろう。
「――っ!」
修道女が袖からステッキを取り出し、少年へ躍りかかる。
少年も即座にスタンガンを構え、修道女へ突き込んだ。
「げぇあっ!」
「があっ!? がっがあ……あっあっ!」
互いに半身となった攻撃は、互いの背後にいた盗賊へ振るわれた。
ステッキを受けた盗賊は、白目をむき崩れ落ちる。スタンガンを受けた盗賊は、弾かれてなお食らい続け悶絶していた。
どちらがマシだったかは諸説あるだろう。
盗賊2人がほとんど一瞬で行動不能にされたのだ。同じように倒して回っていた修道女は、息も上がっていない。
しかし困惑が初めてその頬に汗を滲ませる。
「っあなた、その奇妙な剣は――…」
「お見事です」
振り返って疑問を呟く修道女は、影の中に消えていく少年の微笑みを見た。
夢なのか現実なのか、灰色の霧の中でしばしたたずむこととなる。
☆
「ア"ァア"ァァ……」
ズキンガラスがゆるやかに旋回していた。
見上げれば石組の立派な市壁があり、悪意への警戒心が影となって浮き立つ。
「高い石壁は防御に適しているけど、それは正面からの攻防に対してだ。けっして忍び込めない訳じゃないし、今回みたいな騙し討ちだってある」
盗賊の横暴を回避し、寄せつけなくするには手段を講じる必要がある。可能なら今夜の戦いを、町の抑止力としてしめせないだろうか。
力を見せつけ、「手を出したら損をするぞ」と示威に繋げれば――。
「……今夜? 私はなにを、いって……」
なにを、視ている?
冬麦用の種まきを終えた畑を分け、町へと繋がる街道に影が浮かぶ。己の主人が無事に到着された安堵と、なぜかつきまとう違和感。
「そうだ以前は2メートル近い石壁が、町との区切りと言った感じで建っていた。盗賊の危機を表す尺度が、この町とは全く違う……なのに」
少年の瞳に、再び町の風景が重なっていた。
M属性「闇癡」
忘れられない「力」を通したゆえだと、今の少年に気づけようはずもない。
相反する意識を内に秘め、ようやく傾きつつある太陽を望んだ。
「カァ――~」
「ふむ、盗賊は逃げ去ったか」
ズキンガラスが荷台のヘリに降り立ち、ルーシーは寝たまま返事をする。
手を伸ばしクチバシを撫でると、相棒は嬉しそうに目を閉じた。
荷馬車の後ろには町民が数人、おずおずとつき従っている。町から逃げ出したが行く当てもなく、釣られて追従してきたのだ。
その不安と緊張は盗賊より、荷台で寝る娘へ向けられていたが……。
「おおっアユ……オルロックが門の前で待ってる、ます! ってことはもう盗賊を討伐しちまったんだ、いやっやっぱり凄いなあ! お――~い!」
辿りついた町に目を凝らせば、薄い煙が立ち上って見えなくもない。だが火事と言えるほどでもないので、荷馬車を止めることなく進めた。
少年の姿を見止め、ペールが手を振って喜ぶ。
「なんだ教会だけ残して、全て吹き飛ばせばスッキリしたのに……つまらん」
「吹……っき」
眉をひそめた娘から、想像もしたくない暴言がもれた。行商人は息を呑んだが、それ以上は口を挟まず鞭を振る。
門前で微笑みながら出迎える少年に向かい、荷馬車が街道に揺れた。
「なんだオイ、帰ってきたのはこれだけか!?」
黒い森の中で盗賊の首領が声を荒げ、腹立ちまぎれに樹を殴る。
手筈通りことが進み、自警団しかいない町へ雪崩れ込んだ。洗いざらいは無理でも冬越しできるだけの収穫は見込めた襲撃。
しかし蓋を開ければ修道士に邪魔をされ、早すぎる焼き討ちに逃げ出す始末。
首領の勢いに首を引っ込める男たちが20数名。半数近くがあの町で、討ち取られてしまったのだ。
「騎士どころか兵士もいねえ町相手に、なにをやってんだてめえらは――っ!!」
しかも大半が逃げる際に重い荷を捨てていた。
首領の怒鳴り声にいまいち反論し辛く、矢面に立たないよう小さくなる。
「いやっでもなあ……あいつら本当に、修道士だったのか?」
「武器の扱いに手馴れてやがった。そも教会に逃げ込んだ奴らを相手にしなきゃ、もっと稼げたかもしんねえが」
「金目のモンより、食いもんを優先してりゃなあ」
神さんに剣を向けて、バチが当たったんじゃ――。
「てめえら俺が悪いってのかっ!!」
首領が愚痴をこぼす仲間の胸倉をつかみ上げた。
怒号と謝罪が繰り返され、ため息をついた1人が遠くに光を見る。町から離れて何もない山間に、炎が揺れていたのだ。
不審に思い目を凝らすと、木の柵と微かに立ち上がる炊飯の煙。
「クソ修道士どもが――っ!!」
「だっ誰も首領に文句をいってやしねえって! それよりこれからどうするんだ、ねぐらにした洞窟にゃメシも大して残ってねえぞ?」
「町の近くに潜んで、明日もう一度襲撃するか?」
周囲が取りなし、どうにか首領の怒りも収まる。
ボサボサの髪に無精ヒゲだらけの顔。戦に敗れ勝ち馬に乗れず、当座の金もなく盗賊に落ちぶれるしかなかった。
だが命令を受け剣を振っていた従士の頃とは、かかる労力が全く違う。
山賊をしていたが冬も間近になり旅人が少なくなる。町を襲撃して食料を確保しなければ、待っているのは凍死か餓死。
「ちっ……今頃近くの街に伝令が走ってるだろう、下手すりゃ軍隊が駆けつける。それならいっそ別の町を探して――…」
「なあなんであんなとこに、ポツンと家が建ってんだ?」
「ああん!? そんな命知らずいる訳ねえだろ、てめえなにを見間違えて……」
「――オイありゃあ、修道院だ」