表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
M属性 ~嗚呼、あなたに踏まれたい~  作者: 高谷正弘
第五章 プールヴァ帝国
152/177

百四十八夜 終幕と序幕

「勢いで話に乗っちまったけど、思えば厄介な仕事だねェ。なンだかやる前から、どっと疲れっちまったよぉ」

「欲に目が眩んだ末路やて、ドルミート様はいっつもそれで失敗しとるが」

「ロックさま~♡ 今晩おひま~あんたも好きね~♡」

「ボヌスーもっと優しくしてくれても、バチは当たンないよぉ! ほらトゥバーも決起まであっという間だよ、支度をすましちまわないと――っ!」

 帝都の天を轟かせた居室から、「三悪党」が大騒ぎで出てきた。

 両手を振るトゥバーを引きずったドルミートに、肩を落とすボヌスーが続く。

 手を振られた少年が振り返し、老人と娘も扉をくぐる。そこだけ見てればどんな集団の何を決める会議だったか、判断が難しかっただろう。

「ようなんてったかな、大道芸人のガキ――~!」

「エクスっほどほどになさい!」

「なんもしね――って! 母ちゃんより口うるせえなあ」

 追うように「四君子」のエクスが飛び出し、少年に声をかけた。

「……オルロック、相手にするな」

「大丈夫ですズキンの姉御、不文律はわきまえております」

「そうそうロックな――~っ! ハハハッそうかしこまんなよ!」

 派手な音すら立て、狼が少年と肩を組む。

 因果伯同士の争いはご法度である。さすがにこの場で無茶はすまいと、ルーシーはため息をつき先に歩いていく。

 その背に扉の前で待っていた、行商人も続いた。

「従者の分際で因果伯(オレら)の会議に紛れこみ、帝国を勝利へと導く提案ときた。横っ面叩いて蹴り出してもよかったが、筋の通った話は気に入ったぜ」

 軽口の混ざった煽りが少年の耳に届けられる。

 口元は笑っていたが、炎を帯びた眼光まで隠せない。

「お前……狂ってんなあ」

「それはどうも、ありがとうございます」

 少年の絶えない微笑み。

 表面上は礼儀正しくたぶん悪意もない。しかしその丁寧すぎる物腰に、狼の頬が歯ぎしりに重なってひくつく。

 余裕のある振る舞いが、慇懃無礼さを演出していた。

「ところでロック知ってるか。お前さんがご心中の小国に、『アラヤシキの少年』が現れたって噂があるそうだ」


「アラヤシキの少年、ですか」

「確か名がア―ユ……ル? だったかな、大層なガキだってよ」

 オルロックは首を傾げ、先をうながすように視線を合わせる。

 むしろ離れて行ったルーシーが、名の響きに気配を向けていた。

「そいつが街を見違えるほど繁栄させ、領民の笑顔が絶えないときた。さらに炎を吐く国家存亡危機の魔獣まで倒しちまった――ってんだから大笑い!

 ここまであからさまな流言飛語も珍しい、あるいは狙ってるフシまである。

 となれば裏があり放っとく訳にもいかねえ。だが密偵まで放って調べたところ、それらしいガキはどこにもいないとさ。

 魔獣を鎮める慰霊碑も探ったが、全部灰になって分からんってオチまでついた。

 なあロック、笑っちまうだろ?」

「話半分に聞いておいた方がいい噂ですね、とても事実だとは思えません」

「だっろう? あいつらもそう言ってた。そんな噂を広めなきゃ領民を守れない、情けない小国だってな」

 エクスが忍び笑いをしながら、肩を組んだ少年越しに後ろを覗く。2人分の影が物言いたげにたたずんでいた。

 その姿にさらに喉を震わせたが、ひと呼吸し口の端を上げる。

「デマに躍らされた訳だ、帝国も舐められたもんだよなあ。ヴィア~なんつったか王女も、大したタマだ――…」

「――プラーナ・ヴィーラ王女殿下、です」

「おっおうそうそう、さすがによく知ってんなあ」

「あっいえ、申し訳ありません……」

 食い気味の突っこみに、狼の方がたじろぐ。

 少年も瞬時に上がった意気ごみに、なぜ心に留まるのか口ごもった。

「けどオレはヴィーナ(・・・・)の知略は、伊達じゃねえと思うんだ。噂だけで敵を動かし、疑惑を持たせて行軍の脚を重くさせる手腕は見事だ。とすればもう一枚裏がある、本当に『アラヤシキの少年』はいるんじゃねえかってな」

 狼が虚空を睨み、瞳はかつてない強敵の姿を浮かべている。

 今度は妙に嬉しそうに聞いていた少年が、それでも一応反論を試みた。

「そんなとりとめのない噂を? いや噂を重ねるのは真実を隠す常套手段ですが、それほどまでにヴィーラ殿下(・・・・・・)を買っておられるのですか」

「その方が面白えだろ――~っ!」

 心底意外といった感じで、狼が少年をねめつける。

 ノリの悪い芸人を煽ったがどうも伝わってない。エクスはため息を隠しもせず、ルーシーが十分離れたのを確認してさらに声をひそめた。

「――東門出たとこで待ってる、ケリをつけようや」


「おめえも佩刀してんなら意味わかんだろ、逃げねえ(・・・・)よなあ」

 揉めた時に見せた黒い警棒(スタンガン)、エクスが左腰に気配を向けながら歯を剥く。

 騎士にとっては戦うことが名誉であり、逃げ出すのは最大の不名誉。騎士同士の戦いであれば特に顕著で、まずは戦い武勇をしめす。

「分かっています、騎士道ですね」

「おうっそういうこった、気に入ったぜロック!」

 破顔というにはあまりにも怖い狼の笑み。

 とても合わせたとは思えないが、少年も変なモノ(サングラス)を指で上げ下目使いに笑う。

「重臣の会議に紛れこんだのですから、ボコボコにされても文句は言えません――やれるのなら(・・・・・・)、の話ですが」

「……ますます気に入ったぜ、ロックちゃんよぉ」

 帝国の青く晴れ渡った空に、突然雷鳴が轟く。

 両者の唇は笑っていたが、その視線の交わる空間は帯電し歪みすら生じた。

「エクス行くわよ――」

「はいは~い本当ウチの母ちゃん(パール)は小言好きでな『エクス――』わかったって! 放任主義のルーちんが羨ましいぜ、んじゃまたな(・・・)!」

 エクスが少年の胸を軽く叩くと、仲間の下へ口笛すら吹きながら向かう。

 パルウロールムが眉を寄せ、眠たオーレを背負うウェリタースが皮肉気に笑う。

「また余計な話をしたんじゃないでしょうねえ?」

「おいエクス、揉め事なら俺もまぜろよ」

「オイオイ信用ねえんだな――! へへっ別になんも――いやあ割と、物分かりのいいガキだったぜ~!」

 あいつはオレの獲物だ、誰にも渡すかよ――居室で垣間見た少年の暗闇、ただの従者な訳がない。

 肌の下で筋肉が躍動し汗がにじむ、エクスは舌なめずりを隠せなかった。

「楽しく()ろうぜェ、ロック……っ」



「やれやれ名にし負うヴィーラ殿下も、帝国の因果伯にあってはカタなしじゃの。まあ後は若者に任せるとするか」

「……無責任極まれりだな」

 肩を組んでなにやらヒソヒソ話をする2人に、老人が目を細める。

 それは若い男どうしの、仲のいい姿に見えたのかもしれない。しかし実のところそう見えている者はこの場にいない。

 暗雲が立ちこめる気配を、「カルマ」を通して伝えていたのだから。

「それにしてもオルロック殿の提案を、受け入れるとは思わなんだが。少しばかり事情を知る儂でも、突飛に思えたがのう」

「余計な仕事が増えてしまった、オルロックにはきつく戒めねばならん。だが……短期決戦を計るのなら、理にはかなっている」

 筋道だけな、けれどおそらくは――。

 ルーシーが起こり得る事態を想像する。その姿をコンコルディアが眺めており、眉をひそめて横を向いた。

「ふんっオルロックの奇妙な思考を、今さら驚いても仕方ない。因果伯(あいつら)もせいぜい痛い目にあえばいい、その分状況を利用しやすくなる」

外郭十二門(みな)に妙にきついのは、同族嫌悪とやらかね」

「黙れっジジイ!」

 娘の不満気な態度は、老人にどう映っているのか。

 反抗期の孫を愛でる微笑みを浮かべたまま、コンコルディアが髪をなでる。

「さて儂は皇帝陛下にゆるりとご報告するとして、ルーシーはどうするね?」

「お言葉に甘えてしばし帰郷させてもらうゾ、御者の伝手もできたし楽な旅だ――オイ馬車の用意は、すんでるんだろうな!」

「ヘっヘイ! こっ皇宮の厩に、繋いでもらってます!」

 行商人が慌てて身なりを整えた。

 自身に起こった理解不能な事態。いったいどうしてこうなったのか、訳も分からずただ後をついていくしかない。

 命令だけ淡々とこなす、それは見習いだったころのスタイル。

「はぁ……まったく面倒ごとばかりが増える、なぜあの行商人を連れてきたんだ。放っとけば樹海が始末してくれただろうに」

 奴隷に売ってもいい、運よく国へ帰れても誰も信じまい――。

 かつての「旅の仲間」に対して、下さねばならない仕打ち。胸を突くイラだちがどこからきているのか、ルーシーは気がついていなかった。

彼の方(・・・)への術が弱まったり解けた場合、人質にでもすれば儂らに手を出せまい。ペールは万一のために生かしておく、大切な保険じゃよ。

 長生きした老人は、先手を打つのが癖になっておってのう。

 ほれ手足の指を耳を死なないよう落とせば、長々と人質にできる。これは相手を選ぶ戦じゃが、仲間意識がめっぽう高い彼の方には効果があろう。

 剣を交えるばかりが戦いではないでな、はっはっはっ」

 老人特有の繰り返す相槌とともにされた、耳を疑う拷問。

「保険」とあっさり斬り捨てる老人に、娘の息がつまった。しかも細めた目の奥に何かを秘めて感じる。

 それは残らず、実際に行った記憶ではなかったか。

「ソッ……ソウデスネ」


「お待たせしました、ズキンの姉御」

 エクスと話がついたオルロックが小走りに駆けてきた。

 先ほどまでの悪事をおくびにも出さず、コンコルディアは微笑んで迎える。

「うんうんそれではルーシーよき旅を、護衛を頼みましたぞオルロック(・・・・・)殿」

(うけたまわ)りました、コンコルディア翁」

 両者が笑みを浮かべたまま軽く会釈し、通路を二手に分かれた。

 何か引っかかりを感じたのか単なる嫌味か、娘は老人の背に問答を突きつける。

「ふんっ保険ねえ……私はまた情でも移ったのかと思ったがな――村長(・・)!」

 しかし期待にそぐわず、コンコルディアの背はいっさいぶれない。今気がついたように振り返り、身を固くするペールを一瞥もせず小さく会釈。

 皇宮の影のなかへ、音もせず消えていった。

「ズキンの姉御?」

「……オルロックよ、あのジジイは信用しない方がいいゾ。私らが生まれる前から因果伯をやってるんだ、それだけ帝国や貴族の薄汚い裏側を見てるはず」

 それなのに精神を病むことなく、笑ってすらいる――。

 アユ……オルロックの件も意図して言葉を濁している。好々爺ぶって寝首をかくジジイが、何を企んでいるのか。

「……っ?」

 ふと誰にこんな内情を話しているのかと、ルーシーが困惑に揺れる。

 やや後ろにたたずむオルロックに、八つ当たりの視線を向けた。睨まれた少年は軽く小首をかしげ、ただ優しく微笑む。

「私が全幅の信頼を寄せているのは、ズキンの姉御だけです」

 命懸けの旅をした仲間、自分を守っていた少年、獣者(・・)と呼んだ危険な存在。

 ルーシーの頬が朱に染まり早鐘が鳴る。困惑が深まったのを悟られないように、顔をそらし石畳を蹴って歩きだす。

「わっ分かってるならいい! っていうかズキンの姉御はどうにかしろ!」

「それにズキンの姉御、里の第一人者と呼ばれる探究者であっても、老人の手腕は読めないものです」

「オイ! ん……そうなのか?」

 確信をもって言い切れるのはかつての記憶か。頷く少年の瞳に真偽は問えない、余計な刺激は記憶の修正をもたらす場合がある。

 娘は息を吐き、揺るがぬ一つの事実だけを続けた。

「ただハッキリしている件もある、皇帝陛下より私の(・・)処断が下されたなら――」



「シト卿、メンス卿、サーナ卿……魔獣部隊を組織するため『五賢帝』の3名は、悪名高きモルディブの樹海へ遠征した。主命を果たせず無念だったろうが、彼らの崇高な働きが無駄にならずにすんだな」

 居室に残った「双璧」に、会議では見られなかった気楽さが浮かんでいた。

 ワインを傾けて談笑する姿は、上流貴族の応接間(サロン)を思わせる。とても先ほどまでバカ騒ぎが起こっていたとは思えない。

「コンコルディア翁には、彼らに変わり感謝しなければなりませんね。黒い大理石にしても、まだ世に残されていると可能性が持てましたし……ええそうです」

 すでに死んでいた(・・・・・)と思えば、あきらめきれるというもの――。

 コルポレが黒い大理石への想いを捨てきれず、オーランドゥムが苦笑をこぼす。

「だがO属性を2名失ったのは正直痛い、最恐を冠する属性――それゆえ貴重度は我らの比ではないからな」

「西方への遠征は、彼の少年の提案に乗らざるを得ません。検証しても反論できるだけの確証は見当たらない……せいぜい我らの矜持ですが」

「うん……だがそれ以外にも、どこか不十分な気がするんだ」

 我らは何かを、見落としてはいないか――。

 エクスが少年をして吼えていた、狂っていると。

 彼らしく端的ではあるが的を射ている気がする。ルーシー嬢の従者と名乗った、彼の少年はいったい何者なのか。

「……偶然にも発見された魔獣の街、それがすべての幕開けとなった訳だ」

「乱世の時期に発見され、そして跡形もなく破壊される。偶然……いやこれこそ、因果(うんめい)ではないしょうか」

「因果か……」


 以後に「双璧」の不安は少年ではなく、集った因果伯らによって的中する――。


「オーランドゥム卿、コルポレ卿、少しお話をうかがってもよろしいでしょうか」

「ええどうぞ、フェスティーナ嬢」

 居室には物言いたげな「仁王」も残っていた。

 フェスティーナの背後に控えるレンテを見上げながら、オーランドゥムが頷く。

「私はコンコルディア翁に、初めてお会いしました」

「ここ数年は遠征に出ておられた、お会いしたことのない者も多いでしょう」

 コルポレの視線に、フェスティーナは静かに頷いて肯定する。

 少女はしばしレンテを見上げ、頷き返されると意をけっして言葉を紡ぐ。

「そのっ言いにくいのですが、『老雄』の噂と違い実に好々爺とした方でしたわ」

 確認するのは失礼に思え、しかしどうにも印象と一致しない。会議中も集中し、意識を捉えようとしていたのだ。

 口ごもるフェスティーナの困惑を、オーランドゥムが理解して笑う。

「ああなるほど、単なる気のいい老人に見えたと」

「そうです! 因果伯となってからも、数々の逸話を聞きました。常に前線に立ち押し寄せる騎士を蹴散らす、炎竜を駆る因果伯を叩き伏せ、手足のごとく操られた数百の死兵を殲滅したと! ですが発する気配を幾度視ても、この場にいる誰より希薄でしたわ! とても――~…っ」

 とても偉業を達成できる、英雄に思えません――言葉が表情に表れていた。

 レンテが少女の肩に手を回す、気がついているのか手を重ねて息を吐く。誰かに話したことで、一応は吹っ切れたのだろう。

「我らがみだりに、翁の『力』を語る訳にはいきませんが」

「……っそれは、分かっております! ですが――…」

「ですがフェスティーナ嬢はすでにご理解されている。そうです誰よりも希薄(・・・・・・)――それこそが、コンコルディア翁に相応しき本質」

「えっ……あ!」

 気配消し――自然に発生する「カルマ」さえも閉じてしまう術。

 気がついて胸を抱き、レンテと視線を合わす。気配が視えるO属性だからこそ、その存在は恐怖でしかない。

「翁は『解脱』とおっしゃっていました。私欲を捨てすべてを国へ捧げるのだと、私にはとてもマネできません」

「コンコルディア翁に狙われたら対処の術がない。自分が死んだことも気づかず、黄泉へ旅立っているだろうな」

「それ……ほどまで、なのですか」

「それすらも仮の姿かもしれない、なにより――」

 オーランドゥムがコルポレに視線を移す。

 話してもいいかとの問いに、眉をひそめども複雑な視線が返る。

「なにより我らは若き頃、コンコルディア翁に伏している」

「……っ!?」

 フェスティーナとレンテが、声をあげずに叫ぶ。

 皇太子殿下直属の家臣が負けを認める、それは驚愕に値する事態だった。

「双璧」の2人が、屈辱と苦笑の狭間で揺れている。「若き頃」とつけ足すのが、唯一残された矜持だったのかもしれない。

 今ならばあるいはと――。

『彼はルーシーの従者じゃ、外に放っておく訳にもいかんでのう』

 なればこそコンコルディア翁が、会議で発した説明に戦慄したのだ。

 あれは「老雄」をして目を離しては危険と、暗にしめしているのではないのか。

 考えすぎと思う反面、オルロックに言い知れぬ違和感を覚えたのも事実。忘れることのできない奇妙な気配が、少年の立っていた場所に漂っていた。

「……歳を重ねより円熟の境地に達しておられる、それゆえに恐ろしい」

「ただハッキリしている件もある、皇帝陛下より私の(・・)処断が下されたなら――」


「『老雄』はいっさい躊躇(ちゅうちょ)せず、この首を刈りにくるだろう」

 彼こそが帝国の要たる、真の因果伯――。



「詩聖」と「双璧」……得難き「力」を啓いた者たちが、コンコルディアに同一の見識を持っていた。

 ルーシーは情報を与えすぎたかと、思わずオルロックを盗み見る。

「そうなんですね、肝に銘じておきます」

「ん"ん"……? んっまあ分かればいい、おいペール馬車を中庭へ回しておけ!」

「へっへい!」

 告げられた凶事を、少年は理解しているのかいないのか。なんだか軽く流された気がして、それでいいはずなのに娘は口を尖らせた。

 八つ当たられて駆け出した、ペールの背を目で追う。

「……ところで東門だったか、行かなくていいのか」

「さあ? 私は従者ですので、騎士道に則った決闘はやれません(・・・・・)

 オルロックがニコリと笑う。

「なにより私の『力』は、ズキンの姉御のためだけに使うお約束ですので」



 ☆



 昂然とそびえる巨大な魔獣――グリフォン。

 立ち向かうもその爪で嘴で翼で跳ね返され、脚は空を蹴るばかり。己の無力さに絶望を覚え、その瞳に屈するしかないのか。

『……分かってる、これは夢』

 ガン兄ちゃんを守るため、恥を忍んで軍門に下った。膝を汚し矜持を捨て去り、伏してなお光を閉ざされる無念さ。

 ギシリと奥歯が鳴る。

 皇太子(やつ)の目の前まで達しておきながら、ついに一撃も入れれなかった。

『夢であって、欲しかったのに……』

 埃の匂いで目が覚め、喉の渇きで声にならず、開けたはずの瞳で暗闇に呟く。

 シーツの下は石畳だろう、底冷えする冷気が肌に刺さる。(わら)を詰めた敷布団も、ガン兄ちゃんと包まって遊んだ毛織の掛け布団もない。

 あるいはあの時こそ、幸せな夢だったのか。

「あっお気づきになられました?」

 低い位置で優しい声が聞こえ、霞む目に小さな光が瞬く。

 フード付きのゆったりとした、くるぶし丈のローブ――トゥニカを着た女性が、そばで微笑んでいる。

 腰紐には小さなロザリオが揺れ、修道女だとひと目で分かった。

「待ってくださいねワインがあります、まずは喉をうるおしましょう」

 背を抱かれ上半身だけ起こし、質素なコップを口につける。

 咽が詰まり幾度か咳きこみ、体の自由が効かないのを悟った。額は包帯で覆われ耳鳴りが止まず、脚はぶ厚く腫れあがって見る影もない。

 察したのか修道女が申し訳なさそうに視線を下げる。

「お体の方に深手がなくて幸いでしたが、脚はおそらく何ヵ所か骨折しています。ですが治療できる者に連絡が取れず……薬も使い切っておりまして」

 もう少しご辛抱を、できる限り早く手配しますから――。

「体は……ニコルじいのマントが、包んでいたからな……」

「? そうでしたか、なによりでしたね」

「フッ……」

 幸運だったと返され少女は思わず苦笑する。そのおかげと感謝すればいいのか、そのせいでと文句を叫べばよいのか。

 寝かされていたのは石壁に囲まれた倉庫。

 おそらくは教会の一階だと思われた。讃美歌こそ聴こえないが一歩外に出れば、患者のうめきと遺族の怨嗟がこだましているのだろう。

 陥落した街には今なお、勝者の剣が血を吸い続けているのだ。

「おっ気がついたかい嬢ちゃん、そいつはよかった!」

 灯っていた蝋燭(ろうそく)が小さく揺れる。

 場の雰囲気などいっさい取り合わず、明るい声に続き物影から顔が出た。オブリ――街で従者になると声をかけてきた男性。

「あまり長居はできねえが、教会なら騎士団もそうは手出しはできねえだろうよ。盗賊団でも神には逆らわねえっていうしな」

 例え戦争であっても、教会と修道院は教会法で守られていた。


「カノッサの屈辱」――11世紀に教皇による神聖ローマ皇帝の破門が決議され、司教や諸侯が皇帝位の退位を要求する。

 カノッサの城門で皇帝がひざを折り、破門の解除を乞う事態となったのだ。

 キリスト教において教会での洗礼が、公民の証であった。国王といえど公民権を喪失すれば、諸侯は貢納の義務を解除される。

 国の支配者だろうと地を耕す農民だろうと、等しく「信徒」なのだ。

 キリストの代理者である教皇と、騎士団を有する諸侯らの支持は、皇帝や国王であっても軽視できない絶大な力であった。

 小領主である騎士であれば、教会への関与をためらうのも当然だろう。


「俺らはガキの頃からこの街を走り回って遊んでたんだ。裏道や脇道に抜け道……昨日今日来た奴らにゃ、あとを追うことだってさせねえよ」

 追跡や監視はいない――。

 一見軽口にふくまれた明確な伝達に、ぶっきらぼうながら見識の深さが見える。

 少女が視線で理解をしめすと、オブリは嬉しそうに頷き返す。

「私が奉仕で街にくると、見かけるたびにケガをしてたわよねえ。立場ができてもガキ大将の頃と、ちっとも変わんないんだから」

「うへェ~かんべん」

 修道女に小突かれる仕草をされ、オブリが頭を引っこめた。

 その姿に笑いがもれ、石壁に複数の陰影が踊る。ゆらりと現れた7名の男性は、一見して兵士から職人と様々。

「ああ今ちょうど説明を終えたとこだ、こいつらも嬢ちゃんの従者に――まあ少々問題はあるが、戦いを手伝うのは了承した」

 オブリが頭をかきながら、苦笑を隠しもせず1人1人紹介していく。


「ペンナ、長生きしてる分色々と目利きだ」

「隊長が目えつけたんだ、オイラは信じるさ」

 痩せこけた老人だが俊敏さも合わせ持ち、ギョロリとした目がねめつけた。


「インベル、槍の腕前は騎士にも引けはとらんよ」

「どうも……」

 褐色の肌に傷が走り、寡黙な海賊といった面持ちで頭を下げる。


「ステッラとミラ兄弟、騒ぎのなかで騎兵の馬を射ってみせたっけな」

「お嬢の特攻にはしびれたぜ!」

「見事だったよなあ兄貴!」

 たくましい右腕にロングボウを抱えた兄と、クロスボウを背負い笑う弟。


「ヨークス、食いもんの調達は任せられる……てめえの腹に納まらなきゃな」

「オラでよかったら従者にしてくださいっす」

 1人で倉庫の空気を吸い尽くしそうな、巨漢が汗をかいていた。


「ポエッタ、肌が革鎧かってーくらい頑丈だ」

「よよよろしくです」

 五体を四角で構成した置物が、礼の形にぎこちなく傾く。


「グラウィス、ちいっとお堅い性格だが悪い奴じゃねえ」

「吾輩はこのような小娘を、断じて主君とはいたさん!」

「おいおい、混ぜっ返すなよもう――~」

 全身をチェインメイルで固め、きっちりとバシネットまでかぶった兵士。


「角笛を吹いたでっかいのがカーニス、外で張り番をしてる。あともう1人いて、なんとか荷馬車を用意できねえかと――おいっ無茶すんなよ!」

「……うっ」

 この状況でのんびりと行商人をするはずもない。

 荷馬車は少女の脚を気遣ってのことだろう、動かそうとして激痛にうめく。

「俺らの考えに賛同した衛兵仲間と、昔っからの知り合いだ。今はこんだけだが、息をひそめてる奴らがきっと追っかけてくる!」

「街の陥落後だったが、数百の兵が損害を負ったって報告もあったさ」

「おうっ敗残兵もやるね! 呼応すりゃあ鷲だって射落とせらあ――!」

 ペンナが目を剥いて笑い、ステッラが弓を持つ手を挙げる。

「まずは旗を掲げなきゃいけねえんだ、お前らに抵抗(レジスタンス)してやるってなっ!」

 頷いたオブリが両拳で石畳を打ち奮い立った。

 男たちもそれぞれの表情で決意し、暗い倉庫の隅で決起を挙げる。

「幸いにも新たな領主が名誉の負傷をしたとかで、敗残兵への対応が遅れている。身動きできなくなる前に、まずは街からの脱出だな!」


「嬢ちゃんは神輿に乗ってるつもりで休んでてくれや、おっとそんで俺が――」

「オブリ……」

「ああなんだい、覚えててくれてたのか――っておい、だから無茶すんなって!」

「気持ちは分かりますけど、落ちついて!」

 少女が脚を引きずり、無理矢理動かそうとしていた。

 脂汗が止まらず蒼白となってもその意思は変わらず、オブリの手を払い修道女の抑止を振り切って這いずる。

「オブリお前は外衛兵だろう。北門を馬車で通るさいに……いっ幾度か目にした、そうでもなければ誰が話など……っ聞くものか!」

馬車(・・)……で?」

 意外な指摘にオブリが聞き返し、違和感に眉根を寄せた。

 商人の荷馬車なら、こんな目立つ少女を忘れる訳がない。人が乗る屋根が付いた馬車は、高齢で乗馬できない貴族や富豪商人用。

 あとは姿を公にはできない、訳アリの――…上流貴族!?

「こっ皇太子直属のカエルレウス騎士団は、騎士をふくめた騎兵300に……従士4200! 四方に散っている帝国騎士団を集結すれば、数万を……下るまいっ」

 倉庫の荷物を支えに上半身を起こし、震える脚でついに立ち上がる。

 双方の瞳だけが、変わらず光を放っていた。

「1000程度の旅団に二の足を踏んだ奴らが、レジスタンスとは勇ましいな」

 告げられた揶揄に気づきもせず、男たちはただ見上げる。その場にいる誰よりも小さく若い少女が、一層巨大な影を映していたのだ。

 先んじて会っていたオブリだけが、どうにか言葉が咽を通った。

「へへっ皇太子だけでも4500かい、こっちは嬢ちゃんふくめて総勢11名……1人頭400ね、確かにちっとばかしきついわ」

「無謀というんだ……」

 インベルが褐色の肌に汗を落とし、額を押さえて突っこむ。

 正確な数は分からずともその圧倒的な兵力差に、集った誰もが息を呑んだ。

「さらに外郭十二門と呼ばれる私兵、11名の因果伯が神出鬼没に暗躍している。教会(ここ)は無事だと思っているようだが、奴らは神をも恐れぬぞ……っ」

 たった今この場に現れても不思議ではない――。

 全員が扉を、背後を、周囲を一斉に確認する。

 瞬時に心音が高まり汗が落ちるのを止められない。だがそれ以上の奇異が生じ、すでになんに驚けばよいのか分からなくなった。

 少女の脚から全身から、淡い光が瞬いていたのだ。

 痛みによる冷たい汗ではなく暖かな玉の汗が、少年を思わせる金色の髪に輝く。

魔獣(グリフォン)に挑むネズミ……まさしく、悪夢だな」

 笑うしかない敵の巨大さ、だかそれこそ罪深き私に相応しい――。

 苦痛がやわらぎ精神に覇気が戻ってくると、同時に遣り切れなさが満ちてくる。

 これは現実なのだと、身体の感覚が否応もなく突きつけた。

 額の包帯をとくさい頬を伝った光を、誰か気がついただろうか。長い紐を垂らす帽子(キャロット)をかぶり、赤い流星が光芒を引く。

 オブリは我知らず、片膝を立て(ひざまず)く。

「じょ嬢ちゃ……っいや貴女(あなた)はあの皇太子と、なにやら問答しておられましたね。失礼ですが名を……うかがっても、よろしいでしょうか」

「私はディスケ公ガウデーレが妹、アニムム・レゲ! 神輿に乗るつもりはない、先陣を切りたくばついてこいっ!!」

 少女が腫れあがっていた脚で石畳を蹴り、反響が男たちの魂に響く。

 アニムム皇女殿下――衛兵でもそのお顔を望める機会はそうない、皇族に連なる絶対的な存在。

 それは胸を打つ感激か、あるいは動揺だったのか。

「只者じゃねえとは思ったが……こいつは予想以上の、でっけえ御旗だ……っ!」




「そういやあすぐに勝負(やる)とは、言わなかったっけ……」

 しかしあの場のノリで、速攻おっぱじめるって分かんねえもんかな――。

 エクスが東門の前で、寒さに震えながら待ち人に焦れていた。

「ううっ寒! にしても遅えなロック……慣れない街だと東門が分かりにくかったかもしれねえ。一緒にくればよかった、悪いことしちまったなあ」

 屈伸運動で体を暖め、雲を見上げて気を紛らわせ、ついには座って愚痴を吐く。

「なああいつ、放っといていいもんなのか?」

「……言葉使いに気をつけろ、貴族なのは確認してる」

 関わるな――東門の門衛が見ぬ振りを選択した。

 帝都へ訪れる過客も帰り支度する農民も同様。怪しむが声をかけようとはせず、狼の周囲だけポカリと開く。

 漆黒のマントから発する気配が、常人とは思えなかったのだ。

「はぁ……エールでも持ってくりゃよかった」

 

 青い世界が赤く染まり遂に暗闇へと変わる。広大な歴史を持つ帝都であっても、何一つ変わらない世の理。

 背後で協会の鐘が鳴り東門が閉じられ、エクスは1人闇のなかに取り残された。

「ぬぅうううう……っ」

 待ちぼうけを食らわされた狼の気配が危険度を大きく超える。

 爆発できなかった休火山の震えに、例え猛獣でも即座に尻尾を巻いただろう。

「アレは世にいう、魔獣ではないのか?」

「観るなよ、ツキに見放されるぜ……っ」

 城壁上の外衛兵が、立ちのぼる気配に肩を震わせていた。

「……あんのガキャァアアッ! 次会ったら誰が何を言おうと、ふた目と見れねえツラにしてやるっっ!!」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ