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M属性 ~嗚呼、あなたに踏まれたい~  作者: 高谷正弘
第五章 プールヴァ帝国
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百四十三夜 勝者と敗者

「おっお願いですっ! それを全部持っていかれては、冬越し……っぎゃあ!」

「母の形見なんです、これだけはっ……ああ!」

「いっいえ、いいえ文句などなにも! どっどうか命だけは……っ」

 ディスケ公爵領内は地獄と化していた。

 家屋に押し入り家財を運びだし、市民が少しでも抵抗すれば殺す。血のしたたる剣を抜き身のまま見せつけ、若い女性に縄をかけて奴隷に連行する。

 積み上げた戦利品を囲み、数人の兵が睨み合い殴り合う。

 数え切れぬ指輪を両指にはめ、宝石や金銀で飾られた婦人のベルトを首に巻き、ブローチや留め金を引き千切って袋に詰めた。

 背に腰に荷を垂らす兵が、まだ足りぬと叫んで走り回る。

 至る所で悲鳴と狂気の笑いが共鳴する騒然とした世界。何もかも諦めた市民が、ただ呆然と網膜に映していた。

 ――この時代戦争時の略奪は、兵士の正当な報酬である。

 敵対国での強奪や暴挙は、兵站に必要不可欠な補給とされていた。食料を奪って腹を満たし、追従する商人に家財や装身具を売って懐を満たす。

 兵の士気を上げる意味でも率先して行われたのだ。

 略奪される方にとっては、理不尽で不当な搾取でしかないが……。


 これはまだ私戦(フェーデ)の概念が、色濃く残っていたからだとされる。

 中世欧州では迫害され侵害された被害者が、生命と財産と名誉の回復を願う――「血の復讐」の権利が認められていた。

 大切な存在を守るためなら、剣を持って戦うのが当然とされたのだ。

 だが国家の援助が望めず、自力救済もかなわない者は泣き寝入りするしかない。

 なにより失った命は、もう戻りはしない。


「ぎゃああ――っ! ああっあああ――~…っ!!」

「こんな、なんて惨い……ひぃっ!」

 市門から荷を抱えた数人の市民が逃げ出し、2人の兵が追いすがって剣が閃く。

 堅牢な市壁は檻と化し、虜囚の脱獄を拒んでいた。

 防具を身につけていない女子供の背は易々と裂ける。噴き出る血がさらに興奮をもたらしたのか、兵は充血した眼で剣を振り続けた。

「一体何人殺せば気が済むんだ! まだっまだ殺し足りないってのか!!」

 血だらけの子供を抱きかかえた父親が、脳天を割られ崩れ落ちる。

 血に酔い狂気に呑み込まれている者に、哀願の叫びは届かない。

「くっお前は先に行け、森に身を隠すんだ! 子供を頼む!」

「あっあんた!」

「やっと授かったんだ、義母に祝福して貰わなきゃなあ……っ!」

 男性が1人立ち止まり、背負った荷を投げ捨て無理に笑う。

 嬰児を抱いた女性が振り返りつつも走り続ける。森までは畑を挟んでまだ遠い、起伏もあり女性の足でどこまで距離を稼げるのか。

「たっ助け……ぎゃ!」

「これで荷は全部だっ全部渡す! 他に金になる物なんか持っちゃいねえ!」

 後ろを走っていた商人が、背負いカゴごと潰され首に槍が落ちた。

 男性は迫る兵の前に荷を見せつけ、女性を隠すように仁王立ちになる。だが兵の目はどこを見ているのか、それだけで話が通じないと察せた。

 振りかぶられた剣を掻い潜るようにタックルする。

 鍔まで赤く濡れた剣は切れ味が落ち、肩を裂くだけで済んだ。しかし兵の勢いは止まらず重ねて倒れ、肋骨の折れる音が頭蓋で響く。

「ぐぅ……まっまだ言葉も話せない子供だ! あんたらがどこの誰かも知らねえ、後生だっ見逃してく……があっ」

 剣の柄頭が側頭部に叩きつけられ、男性は意識を失いかけた。

 邪魔だとばかり無造作に転がされる。霞む意識のなか熱い液体が胸を薙いだが、目の前の影に抱きつき指を喰い込ませた。

 背に腹に何度も衝撃が走り力が緩み、腕だけに集中して必死にしがみつく。

「あんた……っあんたぁ!」

「逃げろっ……逃げ……っ……」

 どうか――。

「ちっ……!」

 息を乱していた兵が一度吐き、走る女性に槍を投擲する。

 風を切った槍が数十メートルを飛び女性の足を突く。収穫後の畑に土煙が舞い、転倒した女性が赤く染まった足を呆然と見つめた。

 子供を抱いたまま肘で這うが、歩く兵より遅く森はまだ遠い。

 泣きだした子供の顔を見て一瞬微笑み、強く抱きしめて丸くなる。

「神様……っ私はどうなっても構いません、神様どうか」

 どうかこの子だけは――。

 地に刺さり口金まで赤く染まった槍が、砂利の音と一緒に引き抜かれた。

 低くなった太陽に、それでも鈍く輝く穂先。

 兵の影が女性に重なり、気配を察した女性の身体が極限まで固まる。掲げられた槍の穂先は狙いを外さず――。


「……っ!?」

 だが幾人もの命を刈った槍は、振るわれなかった。

 兵が顔を上げ違和感を凝視する。森の影に重なり見えにくいが、明らかにこちらへ疾走してくる影があり――。

「ぐげっ!」

 兵が人だと気がついて身構えるより早く、脳天に稲妻が走った。

 漆黒のマントがはためいたかと思うと、信じられない距離を跳躍してステッキの一撃を喰らわせたのだ。

 仲間がもんどり打って倒れたのを見て、残った兵がやっと我に返る。

「なんだてめえはっ! 敗残兵なら大人しく逃げてろ、クソ野郎――っっ!!」

 口汚く罵り振りかぶった剣を振るう間もなく、喉に突きを喰らい吹き飛ぶ。

 チェインメイルを着込み100キロを超えるであろう兵が、そのまま数メートルを転がって身動きもしなくなった。

 1メートルにも満たないステッキが、凶悪な武器をしめして光り輝く。

「――っはぁはっ……はっ……」

 2人の兵を軽々と倒した漆黒のマントが、汗を落とし息を乱して喘いだ。

 どこから走ってきたのか膝が揺れ、視界も定まってないのだろう。だが淡い光がうっすら立ち上り、それに合わせて身体が落ちつきを取り戻す。

 周囲を見回して状況をうかがうと、固く結んだ唇から歯ぎしりがする。

 倒した2人の兵と、折り重なって倒れる数人の市民。都市内では荒れ狂う狂乱の宴が収まりそうにない。

 しかしその市門付近だけは、静寂した空気が漂っていた。

 漆黒のマントは手元で倒れる商人に手を伸ばし息を呑む。次いで血だまりに伏す男性を確かめ、跳び越えた女性に歩み寄ってくる。

 様子から敵ではないと思いつつ、女性は少しだけ後ずさった。

 兵とはまた違った恐怖、漆黒のマントから発する気配が異様だったのだ。

「あっあの、夫……は?」

 漆黒のマントが視線で察し、表情を隠して静かに首を振る。

「あ……っああ……あああああ――――~…っ」

 半ば以上は分かっていたが、一縷の望みを断たれ女性が伏して泣きだす。

 悲歎に暮れる中、子供が不思議そうに漆黒のマントを見上げていた。苦笑を返しマントを外すと、女性の背をそっと包む。

「また兵に見つかるかもしれない、これを着て森に隠れていなさい。日が落ちたら闇に潜んで逃げるの、近くの町や村の場所は分かる?」

「はっ……母が、隣の……町に……」

 優しい声に誘われ頷いた女性が、驚いて口を開ける。

 命の恩人はピンクのプールポワンを着込んだ、一見すれば金色の髪の少年。

 だが長い紐を垂らす赤い帽子(キャロット)と光る瞳。凛と高く鳴る涼やかな声で、12歳ほどの少女だと分かった。

 返答に頷いた少女が、屈んで女性の足に手を当てる。

 血に濡れた患部が淡い光を放ち、それと共に痛みが引いていく。なにが起こっているのか分からず女性は瞬いた。

「あ……っあの、あなた様は……」

「これで歩けるでしょう、無理はしないでね。残念だけど完全には治せないの」

 命の光が消えた者も――その呟きは言葉にならず、口内で消える。

「さっ急いで……幸運をっ!」

 立ち上がった少女が現れた時と同じく、信じられない速度で走っていく。

 時間にすればほんの数分の救出劇。市門を潜り都市内へ消えていく少女の背に、女性は手を組み続けた。

「……ごめんなさい」

 少女は救ったはずの女性に、そこかしこで倒れる市民に謝罪する。

 それは見捨てる者への罪悪感か、見捨てた者への懺悔か、想い人への呵責か。

「ガウデーレ様、どうかご無事で……っ!」



 ☆



「兄上……っユースティティア、殿下!」

 街の狂騒だけが木霊に響く、閑散とした領主の館のホール。

 皇位継承第6位――金色の髪の皇子が、体格のいい男性を上目遣いで睨んだ。

「久しいなガウデーレ」

 兄上と呼ばれた男性が、なんの感傷も持たずに弟の名を呼ぶ。

「プールヴァ帝国」――皇太子。

 全名をユースティティア・フルクトゥアト・ネク・メルギトゥル。

 館まで多数の騎士を従えてきたが、敷居をまたいだのは皇太子だけ。閉ざされたホールはさながら、皇族の間と呼べた。

「兄上なぜですか! 俺は降伏を伝えました、なぜこのような暴挙をなさる!」

 弟の叫びに兄はひと言も返さず、そのまま歩を進める。

 ホールの最奥にある一段高くなったダイス。その上に設えた椅子に座る皇子に、無表情で向かってきた。

 無論佩刀しており、危険を察した弟が対応すべく椅子から立ち上がる。

 だが兄は袖がすれるほど近くを通り、当然のごとく椅子にふんぞり返った。

 その場を見る者がいれば、どちらが主で従か一目瞭然だったろう。

「兄上……っ」


「……兄上の名で宣戦布告された時には愕然としました。ですが情勢を受け入れ、降伏を決意したんです……っ」

 擁する騎士が抗戦を唱えても、決して出征せぬように通達しました。それなのに二度発した降伏の使者が不帰となり、アニ……重臣に使命を託すしかない。

 一切抵抗なく服従し門を開けておいたにもかかわらず、剣を掲げての挙兵。

 兵には守備せよとしか指示できず、被害報告にどれほど胸を痛めたか。どれほど伝令の到着を……待ち望んだかっ。

 なのに現れたのは父上の軍旗を掲げた騎士団、街に死をもたらす兄上の騎士団。

「こうまでして俺を亡き者にしたかったのですか!? 俺は知らぬうちに兄上の、逆鱗に触れたとでもおっしゃるのか……っ!!」

 ホールに2人だけしか居ないせいか、弟は息を切らして胸の内を叫ぶ。

 それが兄の琴線に触れぬのも、また理解してはいた。

「などと……ふっどれほど事実無根と釈明しても、兄上にとって俺に犯意あるのは決定事項(・・・・)なのでしょうね」

 なにが事実かは勝者(あにうえ)が決める――深く息を吐き、それでも弟は笑った。

 それはある種の諦めと開き直りの笑み。今をもって弟の顔を見ようともしない、血だけが繋がりの兄弟。

『皇帝陛下を弑逆し、己が国主になり替わろうと謀反を画策せしは明白である!』

 反逆罪――戦の正当性をしめすため、宣戦布告の使者が吠えた根拠のない罪状。

 だが根拠がなくとも分かった、俺はここで死ぬ。

 兄上がなんの根回しもせず、ただ力攻めするはずがない。あえて情勢を伝え俺の心を折り、使者を行方不明(・・・・)にし、重臣を俺から遠ざけた。

 派兵を訴えた諸侯が、なにやら連絡を受けるたび1人減り2人減り……。

『皇太子殿下は……ユースティティア殿下は、地獄を創られるのです』

 騎士に逸話を聞き、戦場で兄上の背に事実を目の当たりにした。どれだけの国がその手によって属国と化したか。

 細心の注意を払い、守備を抵抗をじわじわと削っていく。

 敵が気がつくのは最後の一手、圧倒的な武力で完膚なきまで叩き潰す殲滅戦……その手が俺を、煉獄へ突き堕とそうとしている。

「ですが此度の強行はどれほど弁を立てようとも、皇族による不正な粛清です! 例え皇太子の身であっても、いや兄上だからこそ成せないはずだ!!」

 議会で批判と非難の目に晒されぬはずがない。諸侯の評判を下げるのは、帝位を望む兄上にとっても痛手をともなう。

 死は逃れられぬとも真相を得なければならない、残していく妹のために――。

 しかし兄は弟の訴えを軽く一蹴する。無言のままゴブレットと短剣を取り出し、弟の足元へ投げ捨てた。


 ――通常宣戦布告には、交渉の場を設ける。

 使者は自軍の正当性を説き、寝返っている者もいるとほのめかす。すでに勝敗は決しており、名誉ある降伏をすべきと迫ったのだ。

 剣を抜く前に行われる心の戦。

 場にしめされる宝石や貴金属の詰まった袋と、鎖や抜き身の短剣。賄賂を受け城を譲渡するか、投獄され死を待つか――暗に強要される飴と鞭。

 どちらを選択しようと、後悔は禁じ得なかっただろうが。


 弟の足元に転がるゴブレットと短剣――しかしこれが賄賂や投獄ではないのを、兄を知る弟には分かっていた。

 毒を呷って悶死するか、自刃して己の血に伏すか。

「父上も、耄碌(もうろく)された」

「……っ!?」

 ふた言目に落とされた兄の言葉に、弟は理解する――。

「――っ衛兵! 皇太子殿下が乱心された、即刻拘束せよ!!」

 謀反人となれば側仕えも同罪となり割を食う。すでに全員に暇を出し、衛兵らも降伏したか逃げただろう。

 小芝居だと分かっていながら、弟はあえて己の正当性を声高に吼える。

「皇帝陛下の弑逆を画策せし国家反逆罪だ! 陛下の騎士団を反徒に貶めるとは、兄上といえど許されざる大罪! 世を混沌に堕とす裏切り者の売国奴め!!」

 自分に掛けられた容疑を、嫌味と揶揄を込め叩き返す。

 兄上にとって俺は、取るに足らぬ存在かもしれん。だがそんな俺に罵倒されて、疑惑を晴らさずに矜持が許すか!?

「ふっ……」

 皇太子の瞳が微かに笑う。

 釣れた――皮肉にも皇子には、天使の微笑に見えたかもしれない。

「皇族に投獄暮らしは辛うございましょう、名誉ある死を賜りませ! 僭越ながら俺が介錯いたします、兄上御覚悟を――っ!!」

 弟は短剣を拾い上げ、椅子に座る兄に突進する。

 だが兄は脚を組んで身動きもせず、むしろ怪しんだ弟に衝撃が走った。

 2階のギャラリーから飛来した矢が数本、弟の体を貫いたのだ。兄弟しかいないと思っていたホールに、クロスボウを構えた兵が取り囲む。

「くっ……くっくっ」

「――っ!?」

 命令とはいえ皇族を討った兵が息を呑む中、小さな笑い声が木霊する。

「は――っはっはっはっ失敗、しましたなぁ! ユースティティア、殿下っ!!」

「うおっ!」

「なっなんだ!」

 血だまりの中をそれでも倒れず、弟は嘲りをこめて兄を嗤う。

 その瞬間淡い炎が皇子の身を染め覇気を轟かした。眼下のホールが炎に包まれ、クロスボウを構えた兵が思わずのけぞる。

 数歩の距離にいる皇太子だけが、別の意識で眉をひそめた。

「この俺が、失敗しただと?」

「兄上……始めて俺を、視界に入れましたね……っ!」

 そうだ兄上の狙いが分かった以上、俺はここで死ぬ。

 だがせめて一矢報いねば……援軍を待ち街を守ってくれた衛兵と、今までついて来てくれた領民に顔向けができん。

 炎の気配が弟の左腕に収束していく、それは命が燃え尽きる輝きを放ち――。

「待てっ……兄上は遠征してたはず。もしそうであっても(・・・・・・・)取るに足らぬ俺相手に、ここまで強行する必要があったか?」

 血が流れ意識が薄くなり、それでも皇子は考えるのを止めなかった。

「この一年情勢にさしたる変化はない、国是的には安定していた」

 そうでなければ兄上が、遠方への出陣を決断される訳がない。

 いや放浪し帰らぬノドゥス兄を、父上が気にかけておられた。西方にある小国、ヴィーラ王国の王配を望むと噂を……。

 それが事実なら版図が、世界のバランスが崩れる?

「事態の急激な変貌を、兄上がその目で確認(・・・・・・)するため――!?」

 ホールの扉が開け放たれ、兵が大挙してくる音がした。

「……っ」

 弟は左手の小指につけていた、三枚花弁のユリを模った印章(シグネット)リングを回す。

 霞む意識の中で外側に向けていた紋章を、内側に向けて強く握り込んだ。

「気がついてくれ、アニー……」

 妹に事の真相を伝えなければならない。

 いつの間にか座り込んでいた弟が、音を立て自らの血に沈んでいく。飛び散った血をマントで受けた兄が、視線を落とさず横を通り過ぎていく。

「逆鱗か……せめてS属性であったなら、辺境で長生きできたものを」

 皇の資質は俺だけでいい――。

 それはあるいは憐憫だったのか。兄は血だまりに伏した弟へ、初めて感情らしい言葉を落としていた。


 O属性「風舌(ふうぜつ)」――『カルマ』が人知を越えた「力」なら、どうかアニーへ……妹へこの言葉を届けて欲しい。

「俺の仇を、討とうとは思うな……」

 アニーは笑っているのが一番似合うんだ。そうだ気難しい兄上の助言に習って、辺境で暮らしてみないか?

 畑を耕し山で狩りをして、収穫を祝って皆で騒ぐのも楽しそうだ。

 ほらアニーの歌声にうっとりした騎士が、声をかけようとしてる。いつか好きな奴が現れたら、俺が殴って根性を確かめてやるからな。

 どうか幸せになってくれ、それだけが兄の願いだ。

「……ごめんな、アニー」

 皇位継承第6位、ディスケ公ガウデーレは未だ13歳の少年。

 そして13歳のまま、その生涯を閉じた。



『――っなんだ、なんだ今の音は!?』

『かっ閣下門が……市門が、吹き飛んでおります! あれほど苦労した市門が!』

『ばかなっ! なっなぜ、なぜそのようなことができる……っ』

 派兵の要請に答え手勢を集めはしたが、壁と門に阻まれ進退せず。手を尽くしていている所へ因果伯が乗り込み、一瞬でケリをつけられてしまう。

 笑うしかないほどの戦力差。

 因果伯の尋常でないさまは幾度か目にしている。それが自身へ向けられた際の、理解不能な当惑と哀れさ。

 伯爵の騎士団はなんら軍事的成果をあげていないのだ。

 都市は陥落し戦は勝利したとはいえ、隠せぬ焦燥感に眩暈すら覚えていた。

「閣下どうやら「カヤク」と呼ばれる、燃える砂で石を発射する兵器のようです。大陸の技術だそうで、威力は見ての通りかと……っ」

「あっあのような武器が、大陸にはすでにあるのか? あれでは我らの甲冑など、着ていないのと同じではないか!!」

「騎士の時代が、終わりを告げるのでしょうか?」

「ばかなっ! 因果伯殿が使われただけだ、だっ誰もができることではない!」

「そうだその「カヤク」とやらを手に入れれば、我らとてまだ……っ」

 ルクルム伯爵に仕える形で、ひと回り若い騎士たちが憤る。だが末端の兵士までその威力を目の当たりにしたのだ。

 進みゆく時代と、取り残された存在。

 館の警護を任ぜられたルクルム伯爵は、一切納得できぬまま苦虫を噛み潰す。

「騎士が戦場の華と称えられたのも、遠い昔となろうて……」

「かっ閣下!? めったなことを申されますな――~…」


「貴公らよくぞやってくれた! 不敏にも皇帝陛下の弑逆を画策し不埒者は、無事ここに捕らえることができた!!」

 ユースティティア殿下がマントをひるがえし、領主の館から揚々と現れる。

 居並ぶ騎士の1人1人に声をかけ肩を叩き、活躍と無事を労った。

「フィーニス卿の奮闘には驚かされた! 卿の武勇は寝物語になりそうだな!」

「コローナト卿ケガは大事ないか? 壮健なればこその大役、無理はされるな!」

「オプス卿見せて貰ったぞ槍の名手の妙技! その噂は皇宮にまで轟いている!」

 騎士らは当初咎人が皇族と聞き、微妙な面持ちだった。しかし皇太子に称えられ間近で拝し、驚きに包まれて感激する。

「あっありがとうございます、皇太子殿下!」

「ユースティティア殿下の温かな温情、我らの胸に沁みます!」

 どちらが皇太子の本質であったのか。

 弟に接していた時とは雲泥の、公明正大な皇族がそこにいた。

「おお、如何したルクルム卿! 顔を上げられよ!」

 騎士の作る垣根の末端。親ほど歳の離れた伯爵が影を落とすのを見て、皇太子が足音高く寄って肩を叩く。

 ルクルム伯爵はしかし、頬の汗を止めれなかった。

「大変申し訳ございません、ユースティティア皇太子殿下。儂の拙劣な指揮の下、陛下の大切な兵をいたずらに失うてしまいました」

 どうか失態を挽回する、機会をお与えくださいますよう――。

 伯爵の地に伏すほどの謝罪に、皇太子は大仰に首を振る。

「うむ……遺族へは十分な補償を約束しよう。兵らの慰労(・・)が済み次第布告を発し、以後はディスケ領内の治安維持に努められよ――頼むぞ、ディスケ卿(・・・・・)!」

 皇太子の笑顔と告げられた爵位号に、ルクルム伯爵は目を見開く。

「おお――~っ! なんと寛大な!」

「おっお祝い申し上げます、ルクルム伯爵閣下!!」

 居並ぶ騎士からどよめきと驚愕が、若い騎士たちから賛辞の声が挙がる。

 伯爵位の爵位号は、領地に由来する場合があった。所領を複数拝領した際には、領地に付随する爵位号も複数保持する。

 告げられた爵位号は紛れもなく御恩――ディスケ領の、拝領を意味したのだ。

「皇帝陛下は功あるを重く用いられる、論功行賞で陞爵を待つまでもなかろう! さあ忙しくなるぞ、俺は人使いが荒い覚悟されよ!」

「でっ殿下、皇太子殿下! わっ儂はなんら御役にも立てず、殿下に無能と蔑まれるものとばかり……っ」

 烈火の怒りに焼かれると思っていた伯爵が、ただただ狼狽して喘ぐ。

 馬へ寄り騎馬した皇太子が、寛容さをしめして高らかに笑う。

「此度の戦は尖兵となり、いち早く派兵した卿の功績大である! 今後もその手腕を発揮し、帝国臣民に安寧と安定をほどこしてくれ――っ!!」

「はっはは――っ! 我が身命を賭し、殿下に偽らざる忠誠を誓約いたします!」

 伯爵は片膝を折って(ひざまず)く。皇帝陛下にではなく皇太子殿下に忠誠を誓ったことに、気がついた者はいただろうか。

 四方に版図を拡げる帝国にとって、騎士団を擁する貴族は重要なコマである。

 フィーニス卿、コローナト卿、オプス卿ら居並ぶ騎士も次期皇帝をあおぎ、信頼を得るため即時の出征に勤めるだろう。

 戦の勝利は次なる戦への出発地点なのだから。

「――ルクルム卿には3名の子息がございます」

「各国の前線へ送れ、家系が断絶すれば所領の再編成もしやすい」

「――御意っ」

 側近が皇太子と並走し、冷酷な下知を受ける。

 ルクルム伯爵は流れる涙で皇太子の姿が陰るまで、その背に膝を折り続けた。



 ☆



「むっ……皇太子殿下に覚えめでたい儂の、従士がざわついておるのう」

「後方でなにやら騒ぎがあったようですね、おい報告せよ!」

 略奪が冷めやらぬ都市内を、軍旗をひるがえした騎士団が凱旋していく。

 最後尾につけた貴族用の馬車にはルクルム伯爵の兵が並走し、騎士団とは異質の高揚(おまつり)感を醸し出していた。

 上司の栄達はすなわち、部下の栄達でもあるのだから。

 だが目の前の宝、略奪に参加できず不満な者もいる。混沌とした従士の集団へ、街角から疾走してきた少女が飛び込んだのだ。

「おっなんだなんだ!?」

「おい皇族の馬車だぞ? 略奪なら他所で――…」

「やっ止めろバカっ! 取り押さえろ――っ!!」

 馬がいななき馬車が急停止する。少女が馬車の後背にある扉前に取りついた――と思う間もなく打ち破り、室内へ入り込んだ。

「ガウデーレ……殿下?」

 内部の温度は外と変わりなく、生物の気配がしなかった。

 窓は閉められており明かりもなく、命の光も視えない……それは少女にとって、どれほど残酷な現実だったか。

 マントに包まれた人の大きさの闇だけが、影の中に浮かび上がる。

「ガン……っガウデーレ様ぁ!!」

 マントをとき顔を検め、物言わぬ骸にそれでも少女は声をかけた。分かっていても淡く光る両手をそっと当て続ける。

 血の気を失った皇子の顔は戻らず、屈託のない笑い顔は面影もない。

 馬車の床は血で汚れ、少女は黒く染まった手の平を組んで伏す。

「ガウデーレ様……殿下っ遅れてしまい、申し訳ありません……っ」

 幾日も御側を離れ、指令の責務を果たすこともできず、剣ヶ峰には御守りするとの約束を反故にし、最後の言葉を……御聞きすることすらかないませんでした。

「なんと役立たずの家臣と、どうか罰してくださいっ!」

 私もすぐに御側へ参ります、ガン兄様――。

 乱れたマントを整えると、皇子の頬に額に幾粒も水滴が落ちる。

 それが己の涙だと気がつき、慌てて拭き取ろうと手を伸ばす。その際兄の左手の小指に、シグネットリングが見当たらないのに気がつく。

 奪われたと脳が白熱しかけたが、紋章を内側に向け握った手の平の中にあった。

 男性は紋章を外側に向ける。

 抵抗した際にズレたのか、あるいは何か意味が――。


「ガウデーレ殿(でん)っ……その逆賊の近衛か!? 忠義は立派だが時局を見誤ったな、尽くすべき御方を間違えたのじゃ!!」

 皇族の馬車であり無暗に乗り込んでよいのか、戸惑う兵の垣根にルクルム伯爵が駆け戻って状況を聞く。

 今こそ忠誠を見せる時と、自ら馬車の扉を開け剣を抜いた。

「皇太子殿下に覚えめでたい儂が! ディスケ領領主である儂が自ら成敗して――ぐぶぁあああ――~っっ!!」

「閣下――――~っ!!」

 座り込んだ影を引きずり出そうと、張り切った声が裏返る。

 腹を蹴られ吐しゃ物と唾液を派手に撒き散らし、石畳を転がり続け石壁に激突しやっと停止した。

 甲冑を着こんだ指揮官が吹き飛ぶ異様さに、囲んだ兵は声も挙げれずたたずむ。

「ですがガウデーレ様、その前に雪辱を果たす勝手をお許しください……っ」

 馬車からステッキを携えた暴漢者が降りてくる。

 ピンクのプールポワンに長い紐を垂らす赤いキャロット。一見すれば金色の髪の少年だが、その少女は尋常ではない気配を発していた。

「皇太子に剣を向けるか、見違えたなアニムム」

 遠く騎兵の列の先頭付近に、低くなった太陽に重なり立つ陽炎。闇を体にまとい魔王のごとく騎馬する影。

 その声だけで誰かを察し、その声だけで少女の殺意が臨界に達する。

「近習に下ると幾度帝都で叫んだ! 降伏を伝えにきたと幾度皇宮へ願い出た! この声を忘れたとは言わさんっ!!」

「戦場の習いだ、彼奴も帝国の(いしずえ)となれて誇りに想おう」

「ガウデーレ様の御心をいたずらに語るな! 貴様だけは永久地獄に堕ちようと、この手で殴り殺すっっ!!!」

 最後尾の馬車から皇太子の馬まで、一直線に道が開く。

 釈明が許されるのならば騎兵のせいではない。少女の覇気にあてられた軍馬が、怯えて自ら引いたのだ。

 人馬が形作るレーンを、夕日になお赤き光が疾走する。

明けの明星(モルゲンシュテルン)』っ!!

 ステッキの先端に埋め込まれた、白い鉱石が呼応し脈打った。

 複数のトゲを生やす人頭大の鉄球がステッキに浮かぶ。後にモーニングスターと呼ばれる、打撃武器(メイス)の一種である。

 打撃用の武器は金属鎧などに有効で、重武装化が進む14世紀に世を席巻した。

 騎士にとっては天敵ともいえる武器。

「得がたき「力」を授かっておきながら、なんと無様な妹だ」

「貴様を兄と思ったことなど、一度としてないっ!!」

 皇太子の静かな呟きが、怒号によって打ち消される。

 跳躍した少女が紺碧の中で西日を反射した。振り下ろされるステッキの一撃は、人馬もろとも叩き潰すだろう。

 どこにそれほどの余裕があるのか、皇太子はただ皇女を見上げる。

「く・た・ば・れ――――っっ!!!」

「――皇太子殿下、御前を失礼」

 皇太子の馬のそばに、漆黒のマントをはおった老人がふいに現れた。

 マントが大きくはためくと、今まさにステッキを振り下ろした少女に絡みつき、鉄の輝きを発し始める。

「ぐっ……そぉ!」

 見る間に硬くなり自由を奪われた少女が、鉄のマントに包まれたまま落下した。

 悲鳴を上げなかったのは怒りか矜持か、石畳で跳ね苦痛に歯を食いしばる。

「おお、コンコルディア翁!」

「ご無沙汰しております、ユースティティア様」

 皇太子が興奮して叫ぶ。

 腰を曲げた白頭の老人、村長と呼ばれた老人が目を細めて礼を取った。



 ☆



「さきにイキま~す♥」

 プレートアーマーを着込み市門を吹き飛ばした小さい影が、大型弩砲(バリスタ)を喰らって小動もしなかった漆黒のマントをはおる1人が。

 大の字に倒れて思考をともなわない呷り言葉を残す。

「痛っ――~…なっなんだよぉ今のは……ええっトゥバー!?」

 コウモリを模したマスクが、倒れた仲間に駆け寄って揺り動かした。

 だがトゥバーと呼ばれた少女はピクリともしない。犬を模した面頬(バイザー)の隙間から、白目をむいて意識がもうろうとしているのが見える。

「嘘だろぅトゥバーが倒されるなんて! ちょいとトゥバー、しっかりおしよ!」

「目も眩む光……耳をつんざく爆音……やったが、ドルミート様」

「このスットコナース! 解説してんじゃないよ、あんたの番だよボヌスー!」

 ペストマスクのボヌスーが座り込んでボヤく。ドルミート様と呼ばれた女性が、思わず突っ込みを入れる。

「アタシら因果伯だよ、なんだってんだいあのボウヤは!」


「……因果伯?」

 兵が輪になって伏した中心で、同じく漆黒のマントをはおる少年が振り返った。

「顔に変なモノをくっつけてる少年」――軍事用の耐衝撃偏光サングラスの下で、淡い光が尾を引く。

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