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M属性 ~嗚呼、あなたに踏まれたい~  作者: 高谷正弘
第四章 霊山モルディブ
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百三十六夜 ルタ

「アユム卿ならこの窮地からの打開策を、思いつかれるのでハ……」

「――イヤイヤ私事にお手を煩わせてどうする、ご迷惑をおかけしてしまウ!」

「王国の今後に関わる事案、立場的には決して私事ではないのでハ……」

「――だからこそご相談すらできぬと、何度繰り返せばよいのカ!」

 公事に私情を挟んでは、行政が揺らいでしまウ――小さな足音が、王宮の廊下を行ったり来たりしていた。

 見慣れた風景なのか、使用人が微笑みと苦笑の視線を投げかける。

「だいたいラクシュも未練がましいんですヨ! 事態はすでにけっしているのに、いつまで滞在する気ですカ!」

 ルタが主君に対し、あまりにも不敬な罵声を浴びせた。

 今更ながら慌てて口を押え、廊下の影に潜んで深くため息をつく。

『こちらが――我が伴侶となるキールティ公です。これからも両国の繁栄を祈り、幾久しく共に発展していけたらと願います』

 約2ヵ月前王宮へ招かれ、ヴィーラ殿下の決断を聴く。公表こそされてないが、関係者にはほぼ確定した事実。

 急ぎパシュチマ王国へ帰国し、今後の体制を考えなければならない。

「プールヴァ帝国の皇位継承者が、王配となられるのダ……ヴィーラ殿下のこと、即座に屈しはしないでしょウ。けれど王太子が御生まれになれば、彼の国が横槍を入れてこぬ保証はなイ……っ」

 ヴィーラ王国は永世中立国、だが此度の婚礼で状況が一変する。

 プールヴァ帝国とは事実上の血縁となり、「戦争に中立的立場を維持する」協定が今後どれほど守られるか。

 亡国となったこの地で、大国が覇を争う血の未来――影響力が表れる10年後、最悪の光景が現実となる予感。

 だがラクシュは一向に腰を上げず、近頃はめっきりと寒くなってしまった。

 冬に閉ざされる前に急ぎ出立しなければ、本国へなんの情勢も伝えられぬまま、ここで冬を越すことになってしまう。

「ヴィーラ殿下の戴冠式を見届けたい訳ではないでしょウ。あるいはラクシュも、アユム卿を待っておられるのだろうカ?」

 図らずも持ってしまう期待とお詫びの気持ちが、小さな胸に去来する。


「んっコマを動かす音が止みましたネ。ほう猫を被っていても勝負は譲らないと、ラクシュも中々やりますねエ……おや次は、ダイスゲームかナ?」

 プールヴァ帝国の公爵相手は、疲れるでしょうニ。皮肉っぽい方に見えたけど、案外と気が合ったのだろうカ――。

 扉の前に立つ衛兵でも聞こえないだろう、客室内の微かな音と会話。

 山羊の細長い耳はよく動き聴覚に優れている。ピンと張った耳はとても敏感で、聞き慣れぬ音や声に素早く反応した。

 草食動物ゆえか危機に察し、感知する能力が高いのだ。

「おっとっト……っ」

 つい覗き込んでしまい、衛兵にジロリと睨まれ引っ込む。

 ヴィーラ殿下すら遠慮している、「王配の間」と呼ばれる客室。

 従者の身であり主君を1人で放置できない。だが部屋の前で控えようとすれば、衛兵が目を光らせ威嚇するのだ。

 王族が滞在中で当然とも言えるが、ルタが亜人だったのも要因の一つ。

 以前に比べ対応は緩くなったが、亜人との確執が消えた訳ではない。サーガラやウダカでは変わらず奇異な目を向けられている。

 立場的に騒ぎは起こせないと、離れた廊下で耳をそばだてるしかなかった。

「だけどヴィーラ殿下も、罪な御方でス‥‥‥すでに御心を決めておられたなら、ウダカで察する御言葉をかけてくれてもいいのニ」

 主君への罵声に比べれば優しい愚痴。

 王族の婚礼はそのほとんどが政略結婚である。本人の意思は関係なく、当日まで会ったことがないのも通例。

 だが2人の若き王族は、今はカルブンクルスと呼ばれる地で出会っていた。

 亜人に対してはもとより、日常の習慣すら異なる他国。遥か遠距離でありながら親書をやり取りする間柄まで、親睦を深められたのだ。

 それは動乱の時代にあって、耳を疑うほどの相性ではなかったか。

「ヴィーラ殿下が決心を伝えるのに、悩まれたのは想像にかたくなイ……それでもラクシュが、不憫に思えてしまウ」

 どちらがより辛い選択だったのか、当事者でなければ分からないだろう。

 主君を想う気持ちと、それにも増して重い腰への苛立ち。ルタは不満が溢れるのを止められなかった。

「その気になればラクシュは、どんな貴族令嬢でも落とせる器量があるんでス! ええもう問答無用で国へ引っ立てて、婚礼させてしまいましょうウ!」

 オイラが恨まれて済むなら、その方がいい――。

『損な性格してますねえ……』

 ふと屈託なく笑うアユムの姿が思い浮かぶ。

 あなたも大概損な性格をしてると思いますヨと、反論すると頬が緩んだ。

 相談することすら迷惑をかけるのは分かっている。けれどあの方なら、アユム卿なら親身になってくれるのではないか。

 ラクシュが無理矢理にでも臣下にしたがった気持ちが、痛いほど伝わっていた。


「職人ギルドで書簡を頼み、それとなくいつ頃来られるかお訊きして見ようカ……多分なにかしら返事を――あれっラクシュ?」

 王配の間の扉が開いた音を、おぼろげな記憶が伝える。

 慌てて通路を見渡せば遠ざかる主君の背。考えことをしてて気づかなかったと、追おうとして足が止まった。

 王族2人しかいなかった客室に、話し声が聞こえたのだ。

『なぜ例のダイスを、お使いにならなかったのですか?』

『件のアユム卿の情報も惜しかったがな――…』

「1人はキールティ公、だけどもう1人は……一体どこから現れタ(・・・)!?」

 王配の間は従者の立ち入りを禁止してるはず。疑惑が警鐘を鳴らし、微かな音も見逃さぬと様子を探る。

 だが現れた女性の嘲笑と揶揄に、小さな拳が震えた。

『少し心を開いた風を装えば、こちらが驚くほど傾向される。アレ(・・)が王太子では、パシュチマ王国も長くはないでしょう』

「何者かは断定できないがキールティ公の側近でしょウ。あまりに無礼な物言い、咎めない公爵も同罪でス! 急ぎラクシュへ御報告ヲ……えっ?」

 こみ上がった怒りは、畏怖に近い驚愕で塗りつぶされた。客室内で公爵の暴挙が荒れ狂い、女性の身体が悲鳴を上げていたのだ。

 衛兵もさすがに気がつき、顔を見合わせ入室すべきかと戸惑う。

 ざまあみろと思う反面、やりすぎではと哀れになる。非情に徹しきれないのは、主君譲りだったかもしれない。

無償の愛(アガペー)を! もっと無償の愛(アガペー)を――~っ!!』

「これこそが、キールティ公の本性っ!?」

 ルタは楽観視していた己を呪う。彼の公爵は覇権政策を採るプールヴァ帝国の、まぎれもない皇族だった。

『王太子たる者が他国で要人を暗殺し、不様にも捕縛される……パシュチマ王国の評価は地に堕ち、連合国の繋がりに亀裂すら生じる事態となろう――』

「――なっ!?」

 主君の身の危険に動悸が跳ね、押さえていた気配が弾ける。

 そして王配の間から壁越しに突きつけられた、こちらを射すくめる視線。

「っ!」

 ルタは姿を晒すのも構わず、即座に廊下の影から飛び出した。衛兵は王配の間を警備するのが任務、不審者に見えても追いすがるはずはない。

 一刻も早くラクシュと合流し、いっかな悪事を防ぐ必要がある。

「やはり長居し過ぎていたのダ! 心を許した演技に警戒を緩め、真意をもらしてなければいいガ!」

 しかしルタは失念していた、女性は気配を絶って王配の間に忍んでいたのだ。

『――衛兵その亜人をとらえよ! 決して逃がすな!!』

「こっ……の「力」は、「綺人(きじん)」!? しまっタ!!」

 つまりその存在が、『カルマ』を啓いた因果伯である可能性を。

「はっ! はは――っ!」

 意識を支配された衛兵が、虚ろな目で殺到してくる。

「ヨーギがいれば衛兵の1人や2人……っラクシュ――!!」

 小さな我が身が恨めしい――必死に走っても、徐々に差が縮まっていく。

 ラクシュはどちらへ向かったのか、慣れぬ城内では方向も定まらない。だが幸運にも階下にその姿を発見した。

 無尽に跳ねた茶色の髪が、ライオンのたてがみを彷彿とさせている。

「ラ……っラクシュ!! ラクシュ――――~…っっ!!」

 背に迫った巨大な影が全身を包み、ルタは石畳へ叩きつけられた。

 遠くに見えた主君の背が、影の中へ消えていく。


『閣下の御前である! 控えおろう――っ!』

「――っ!」

 廊下の隅に追い詰められていた、子供ほどの亜人がピタリと止まる。

 衛兵に隙なく取り囲まれながら、敵わぬまでも抵抗していたのだ。小さな手の平から銀の魚が落ち、金属の音を立て弾けた。

 抜き身の短剣が光を輝かせ、石畳で数度弧を描く。

「この亜人……まさか……っ」

 ルタは身体を震わせながらも、膝をつくことを拒んだ。

 抵抗を可能にしたのは同じ属性としての矜持か、主君への忠誠心か。

「ほう亜人ながら肝が据わっている、リグ公と共に諸国を漫遊してただけはある」

「はっ! 御手を煩わせまして、申し訳ありません」

 キールティ公爵が愉快そうに廊下を歩み、短剣を拾って検める。衛兵には微かな傷も見当たらないが、刃先に血が滲んでいた。

 ルタの首筋に薄く線が引かれ、赤い血が伝って流れる。

 敵に向けたのではなく己へ……操られ主君を危険に晒すくらいなら自死を選ぶ。

 教義すら超えた忠義に、「女」は言葉を失っていた。

「実に見事な覚悟だ、それでこそ側近だ。なあズキンちゃんもそうは思わんか」

「はっ! 真実(まこと)に……っ」

 キールティ公爵が愉快そうにルタを褒め称える。

 同意を求められた「女」は、自分もそうすべきと言われた気がして、容易に返答することができずにいた。

「しかし私が求める無償の愛(アガペー)ではないな、これは利己主義(エゴ)だ」

「はっ……自分勝手(エゴ)で、ありますか」

 この亜人の行動は賞賛に値する、それは敵対する者にだって分かる。獣者として誠実な姿、ひいては国への限りない滅私の奉公ではないのか。

 キールティ公爵の断定に首を捻りつつ、それ以上の疑問は口をつぐんだ。


「たぶんこの亜人はO属性でしょう。「綺人(きじん)」による意識の支配は、主導権を奪い合う綱引……同じO属性は抵抗が強く、術の効きが悪いのです」

「王太子の獣者だ、啓いておっても不思議はなかろうが……ふむ」

 即座に支配され今なお解けぬ衛兵と、正面から命令しても抗じる亜人。

 両者を比べれば属性の差は歴然としていた。

 ですがもう一つの可能性もあり――それを伝えなかったのは因果伯の不文律か、意図した当てつけか。

 その細く白い首には手の平大の青痣が浮かび、鈍い痛みを発していた。

「それで動きを止めただけなのか、私はまたズキンちゃんの技量不足かと思ったが――許せ冗談だ、そう怖い顔をいたすな」

「……はっ」

「無粋にも盗み聴きしておった、これだから亜人は始末に負えん」

 王宮の湖も冷たくなった、哀れな動物が溺れることもあろう――視線を合わせず短剣を渡し、公爵は背を向ける。

「ああ確かケンタウロスもいたな、両翼を失った翼獅子(・・・)がどのように嘆くのか……見世物ではないか」

 短剣を受け取った「女」が、告げられた凶行に戸惑う。

 この亜人を放置はできない、城壁で不運な事故(・・・・・)を起こすのは可能。だが王太子の側近を2人も害しては、今後問題となるのではないか。

「そも王族の身で亜人の獣者など無作法なのだ、殿下にも改めていただかなくては――いや蛮族の習いはもういい、件のアユム卿もO属性という話だったな」

「御意にござります、ウダカ城の戦闘訓練で確認しましたゆえ」

 その情報を本国へと持ち帰りたいのですが――口元まで出た愚痴に近い訴えを、「女」は必至に呑み込んだ。

「それだ、彼の少年は噂通り有望なのか、興味が尽きぬ存在ではある。私の手駒となるのが楽しみだよ」

 どうにかしろ――暗に伝えられた具体案のない指示は、皇族の特権か。

「女」は息も呑み込んで汗を落とし、この無茶振りに答えるべく思考する。O属性の亜人と、同じくO属性の少年――。

「……例えどなたから(・・・・・)の命であろうと、このままでは難しかろうと存じます」

「ほう――~」

 首の痛みを忘れず、キールティ公爵の背に拒否をしめす。

 しかし満面の笑みが彼女に迫る前、サディズムな笑みで返した。

「それゆえこの亜人の始末を、しばし延期してもよろしいでしょうか? リグ公に最後の仕上げを頼む、撒き餌(エサ)になろうかと」

「ふむ……なにやら面白そうだな、ズキンちゃん」

「女」の反論が意外だったのか、笑みを浮かべたまま公爵が視線を流す。

「確かにO属性は操りにくい、ですが手段は複数ございます。一つに福音ならば、この亜人であろうと自死は可能」

「女」の口元に見慣れない文様が浮かび、淡く発光する。「力」に抗し立ち尽くすルタに歩み寄り、耳元に近づけた唇が囁いた。

 歌うように紡がれる、呪詛と見紛う福音の調べ。

『主君のリグ公は、魔獣が巣食うモルディブに御懸念の様子。ならば獣者として、どうすべきが相応しかろうな』

 そして今一つは盗賊に御しやすい獲物の情報を伝えるなど、件に事実をふくませ自ら選択したのだと意志を誘導させる方法。

 ルタの精神に霧がかかっていく。

 それには抗えない毒がふくまれ、意志とは関係なく膝を折り伏している。

「……、……ォ」

「他愛のない、掛かったゾ……ん?」

 何やらぶつぶつと呟く小さな亜人に、「女」は笑みを浮かべ耳を近づけた。

「お断りします、ズキンの姉御ォ(・・・・・・・)

 地の底でフードの女性が歯ぎしりをし、公爵が高笑う。

 ルタの意識は、闇に落ちる……。


『閣下……リグ公爵閣下、申し訳ございませン――…ラクシュ……』



 ☆



「ルタ、どこに行ってたんだ――!」

「ラクシュ、ここにいたんですネ――!」

 互いを探していた2人が、向かい合って安堵のため息をもらす。

 王族が宿泊する豪華な調度品をあつらえた客室……とまではいえないが、ルタに与えられた従者用の個室。

 ラクシュが小さいベッドに腰かけ、頬杖をついてルタを見つめる。

「はぁヨーギみたいにうろつくなよ――! いや別に、捜してた訳じゃないが……そういやあ今日は廊下にいなかったな?」

「あっオイラの方は御報告が! ――あった気が、なんだったかな? ああそうだキールティ公と勝負をされたのでしょう、エールでも貰ってきますネ」

「ワインがいいな」

 一瞬呆れかけたが一礼し、給仕を努めようとする小さな背に声がかかった。

「ああルタ……お前が言いたいことは分かってる、未練がましいってんだろ」

「おや、やっとひっくり返りましたカ。ラクシュは昔から用心深く……というより臆病ですけど、奥底に勇気を持ってるのは知っていますヨ」

 王太子の御立場が、そうさせてしまうのでしょうネ――目を合わせ頷くだけで、互いの心が通じ合う。

 長年連れ添った相棒が、気持ちを俯瞰(ふかん)視点で見せてくれた。

「ちぇっ……意地悪いうなよ」

 突っ込みに口を尖らし笑えるのは、己の心を理解したゆえか。

「俺は心のどこかで、アユムを待っていたんだ。あいつならどうにかできるかと、それでも王配が望めぬのなら……国へ連れ帰ろうってな」

「やはり、そうだろうと思いましタ。ですけどヴィーラ殿下が決断されたんです、いくらアユム卿といえどそうは覆せないでしょウ」

 それも分かるから、ウジウジしてたんだがな――。

 そうだ殿下の気性は分かってる、だけどどこかで引っかかるんだらしくない(・・・・・)――ただ魂がそう予感させていた。

「だが気がついたんだ……ヴィーラ殿下のそばに在るからこそ、アユムはアユムでいられるんだろうってな。そして殿下も――…」


 最初は魔獣が束になってもかなわない素性に興味を持った。だがどうも本気で、惚れちまってたようだ。


「そうだいっそ、殿下を連れ帰って無理矢理花嫁にしちまうか!? そうすりゃ、アユムも自動的にくっついてくるぞ!」

「ラっラクシュ――――~っっ!!?」

 爆笑が部屋に響き、ルタは飛び上がって窓とドアが閉まっているのを確認する。

 独白に照れたのは分かるが、冗談では済まない暴言に汗が落ちた。

「くっくっくっ……あの殿下が大人しく拉致られるもんか、寓話にもならんさ! 酸っぱいブドウだと、負け惜しみくらいは吐かせてくれ」

 手に入らなかった物の価値を下げ正当化する見苦しさと、執着心を手放し気持ちを切り替える二面性を表した教訓。

 古代ギリシャの寓話詩集が原典とされ、古代ローマでラテン語に翻訳。

 以後はイソップ童話に編集され、数千年に渡って紡がれた人の変わらぬ心情。

「頼みますから、物騒な物言いをしないでくださイ……っ」

「アユムならやったかもな、あいつは自分が正しいと思った道を切り開いていく」

 俺にもあれほどの、才気があれば――蒼白となった従者に、主君は片目をつむり苦笑を滲ませた。

 軽口を叩けるほどに立ち直れたのだと、どちらともなく息を吐く。

「俺はガキの頃から、人一倍ケガをしてる」

「ええオイラが、その度に治療をしてきましたかラ」

「お蔭で人一倍治ることも分かってる! ルタ、一緒にパシュチマ王国へ帰ろう。アラヤシキに渡れないなら、この手で創ってしまえ!」

 己が無力だと理解している、ならば足りない分を掻き集めるだけだ!!

「ええオイラが、ずっとお供いたしまス」


「――それでバジリスク騒動を引き起こした指揮官に、会わせて貰うことにした」

「魔獣の街の噂は、モルディブに近い領地で何度か聞きましタ……件の指揮官が、関わっていそうなのですカ?」

「ああ多分あの「男」は、発見してる(・・・・・)

 ラクシュは時にこのような断定をし、そして現実となるのをルタは知っていた。

 ゆえに事実だろうと、事情聴取で城に訪れていた「男」を思い出す。

「ラクシュの予感(・・)は、当たりますからねエ」

(やっこ)さんが保釈されプールヴァ帝国へ帰国する前に、できる限りの情報を牽き出しアユムに伝える……それがこの地に残された、俺の最後の役割さ」

 ヨーギもまだ幼いのに、連れ回しちまったなあ――。

「……間違っても御一緒に旅をするなんて、言い出さないでくださいヨ」

「うっ」

 まだ未練があるのを見破られ、ラクシュが喉を詰まらせた。

 ルタが恨みがましく睨みつけるので、わざとらしく視線をそらす。

「ラクシュ――~!?」

「いっ言わねえよ! それでなくともモルディブは魔獣の巣だ、俺がついてきゃあ足手まといになるだけだろ!」

「ふぅ……確かに噂が事実なら、国家を揺るがす事態となりますネ。アユム卿なら対処せねばと、モルディブへ駆け出すでしょウ」

『いけなイ……っ』

 ルタの心がざわつき、なにかを訴えようとする。

「……しかし街の規模なら、他所から移住したとは思えませン。モルディブには、アレ(・・)があるのでハ?」

「そうヴィーラ王国にもあったんだ。ならば誇張や大言壮語として世に流布された「アラヤシキの少年」は、おそらく半分だけ事実をふくんでる!」

 アユムはルタの遠いお祖父さんやお祖母さんと同じ、召喚された異邦人――。

 内なる心が叫び、2人の意識が同意を得た。

「アユム卿はオイラと同じ、亜人かもしれないんですネ……っ」

 記録は残っておらず、遠い親族や血縁者が居た世界を知る術はない。

 だけど同郷かもしれない想いが、アユムへの感情をより重く複雑にさせていく。

アレ(・・)の件もお伝えしないと、不用意に踏み込んでは危険でス」

「そこんとこもなあ……上手いこと説明できりゃあいいんだが。それでもアユムとカレシーなら、難なく切り抜けそうだがな」

 魔獣を想わせる理解不能な少年と、国家存亡危機と称される蛇の王の仔。

 仲間であっても緊張してしまう存在に、切り開けぬ道があるのだろうか。

「はぁ――~…場合によっては10年後、そんな方と敵対するんですヨ?」

「そんときゃあ正面から雌雄を決するさ、お前の主君を舐めんな!」


俺も同じM属性(・・・・・・・)だ。生涯を賭け戦う敵となろうと、不満は言わさんさ!」


『ラクシュ、いけなイ……っ!』

 どこからか聞き覚えのある声がして、ルタが虚空を見上げ首を傾げる。

「どうした?」

「いえ、さっきからどこかで……声がしてるようナ……」

「へっ役立たず属性と陰口叩いてた諸侯や家臣が、ため息ついてんじゃねえか? 厄介払いできたのに、帰ってくるのか――って」

 ――貴族内では実子がM属性だと判明すると、『カルマ』を啓くに関わらず放逐したり、密かに隠蔽する風習があった。

 王族には特に顕著で、継承順位が上位であろうとM属性の「噂」が立つだけで、嘲笑のネタにされるほどである。

 帰らなければならないと分かってはいるが、またあの視線に晒されるのか。

 気の合った仲間と旅をする気楽さに、つい忘れてしまう己の世界。

「そっそんなことありません、アユム卿を御覧なさい偉大な属性でス。魔獣の街が事実なら、「魔獣部隊」の結成だって考慮しなければなりませン! 貴重な情報を得たのだと、胸を張って凱旋いたしましょウ!」

 そうだ重要だと知っている(・・・・・)、アユム卿にだけお任せしていいのか?

貯金箱の女神(ラクシュミー)――には、あまり相応しくない功績だな」

幸運の女神(ラクシュミー)――でス、待ち望まれた嫡男だったんですヨ!」

「運はすでに見放しているっての! って~かやっぱ女神なのかよ、偽名で通せる旅の間が懐かしい――~!」

「もうっ! いいですかラクシュ――…」


「ラクシュミー様っ! ルタ様――っ!」

 リグ公爵がため息と爆笑を同時にこなしていた部屋に、白猫が飛び込んでくる。

 王族を訪ねるには、少々不敬な入室だったかもしれない。

「こっここに居られたのか、ですがよかったご無事ですね! どこか不審な気配を感じませんでしたか!?」

 ジャーレーが2人の姿を発見し、手を胸に心底安堵した。

「ようジャーレー、そういやあ遠――~くから俺への愚痴が、聴こえたそうだ」

「はっ……愚痴、ですか?」

「先ほど聴こえてた声は、ジャーレーが「力」で伝えてくれたんですネ。こちらは大丈夫です、何かあったのですカ?」

 ジャーレーは「綺人(きじん)」を使ったのだが、声が遠く2人に届いた気配はなかった。

 では中途半端に聴こえてしまったのかと、背をただし軽く頷く。

「先ほど短い間ですが、王宮に敵意の気配が漂いました。おそらくは密偵が発した『カルマ』によると思われます……っ」

「敵意!?」

「っヴィーラ殿下はご無事か!!」

 ラクシュが即座に立ち上がり、握り込んだ拳の手応えが軽い。

 旅の間は外すことのなかったナックルダスターだが、王宮生活には不釣り合いで仕舞い込んでいたのだ。

 それに気がつく前に、ルタが荷物に跳びつき探し当てている。

 2人の絶妙な呼吸に、ジャーレーの頬が緩む。

「ご安心ください」

 短く言い切り片膝を立て(ひざまず)く、申し合わせたかのように声が重なった。

「っリグ公はご無事か!!」


 リグ公爵が手袋に仕込んだナックルダスターを打ち合わせる。

 駆け出す気配が全身を満たす前に、開けた扉の前に白バラが舞った。

「ご無事です、どうやら「力」は届かなかったようですが……」

「いやリグ公に大事がなければよい、ああルタ殿にもお会いできたのですね」

 白猫が膝を折ったままこうべを下げると、少女が深く息を吐く。

 リグ公爵が従者を探してると報告を受けており、控える小さな亜人に微笑んだ。

「これは殿下気を使っていただき恐縮です。ええどうやら王配の間より、すれ違いになっていたようです」

「思慮していただき、まことに申し訳ありませン」

「慣れぬ城内ですから、案件があれば遠慮なく伝えてください。なにしろよかったリグ公とルタ殿になにかあっては、パシュチマ王国に(・・・・・・・・)謝意を表さねばならない」

 それは少女の本心であったろう、そして殿下としての立場が言わせた言葉。

 不器用でちょっとずれた優しさ……けれどもリグ公爵にとっては、心に刺さったトゲに等しい気配りだった。

「ですが懸念が払拭された訳ではありません。しばらく城内の監視を強化します、不便をおかけするかもしれぬが……」

「如何ほども気にしません。何より殿下に危機があっては、私の方こそ心苦しい」

「ありがとうございます、ジャーレー!」

「はっ!」

 ジャーレーの前方に30センチほどの見慣れない文様が浮かび、淡く発光する。

 新王都に滞在中の因果伯に、以後の指示が即座に伝えられた。

 王族2人はウダカで、伝書バトの意外な資質に驚きを隠せないでいる。だがこの「力」はやはり得がたいのだ。


 頼もしく見つめられた白猫は、しかし瞳を伏せ控えるに留まった。

「私には本来、因果伯と名乗れるほどの「力」はない。妹が……ジャーラフが心に残す光の残滓を、感じ取れるだけ」

 だけど理由は分からないが、この頃特に声が遠い。

 ジャーラフに問い質しても要領を得ないし、妙に頑なだ。なにか心が乱される、特別な事情でもあったのではないか。

 しばらく前にも、例の少年にしか声を届けれぬ時期がなかったか。

「そうだ……思えば彼の少年を召喚した頃から、情勢が急激に変貌しているのだ」

 王宮に漂った拭い去れぬ敵意もだが、プラーナ様の御心も……。

『っリグ公をお守りせよ!!」

 プラーナ様は王配と望んだキールティ公ではなく、リグ公の安否を気遣われた。

 護衛を連れ自身は王配の間へ、私を居室へ走らせる。確かに他国の王族であり、今後を思えば最大の気配りをせねばならぬ方だが……。

『我のことはいい! ジャーレーどうか、リグ公を頼む!』

 息すら乱し狼狽えた姿は、近衛兵をして戸惑う事態だった。

 私とてリグ公は、見ず知らずの身を救っていただいた大恩人。いずれ王配として王宮へ招かれるだろう、お世話ができるのではと期待していたのだ。

「ならばなぜリグ公を、王配と望まれなかったのか……?」

 炎を瞬かせる瞳と覇気を轟かせるライオンが、互いを想い笑みを交わしている。

 それはヴィーラ王国の、新たな門出に思え――…。

「イカンイカンっ!」

 幾度も想い廻った疑問がまたしても脳裏をかすめ、首を振って追い出す。それは殿下を疑う背信ではないか。

 あまりの傾倒に、白猫は少女の心情を理解できていない……。

「だがさすがにこの方でも、今件は意外に思っているのではないか」

 白猫は扉の前で置物のように動かぬ巨漢の近衛隊長、ステューパ卿を盗み見た。

 具申を求められぬ以上は殿下の主張が全てである。同調を貫く姿勢に、わずかの狂いも生じてはいなかったが。


 安堵の雰囲気が包む部屋の端で、小さな亜人が決心を滲ませ控えていた。

 その時誰か気がついただろうか、首筋についた真新しい傷跡を。

 ルタが護身用に佩いていた短剣が、左後片足立ち(ランパント)の翼獅子……リグ公爵家の紋章が掘られた短剣が、鞘だけになっていたのを。

「やはりダメだ、あの方をこれ以上巻き込んではいけないと聴いタ(・・・)。だけど彼の街を放っておけないのも事実……」

 だから獣者のオイラが(・・・・・・・・・・)魔獣の街を(・・・・・)調査しなけれバ!(・・・・・・・・)――。



 ☆



「ルタ――――っ!!」

 指揮官との会見を終えたリグ公爵が、王配の間を後にする。

 真っ先に相談したかった従者の姿がない。またすれ違いになるかもしれないと、居室で待ったが一向に姿を現さない。

 部屋を歩き回り、廊下を幾度も確かめ……ついに日が陰り始めた。

「……っ一体どこへ行ったんだ! この頃妙に塞いでたし、何か悩みことか?」

 ならば俺のことだろう、帰国の話はしたはずだが――。

 我慢できなくなって部屋を飛び出し、方々で見かけなかったと問いかける。

 幼い頃王宮で出会い、あげく2人で国を飛び出す。何年も危険な旅をし、昼夜をともにした掛け替えのない存在。

 独りでいる心細さと、不測の事態に不安がよぎった。


「おおリグ公、どうやら獣者の行方が分かりましたぞ!」

「キールティ公! それで、それでルタはどこに!?」

 キールティ公爵が手を振り、にこやかに安否を告げる。

 その後ろを追従してきた衛兵が、礼を取った後報告を行った。

「亜人の従者……殿なら、王配の間の前で待っておられました。ですが何かを察し表情が一変したかと思うと、ふいに駆けて行かれたのです」

 やはり魔獣の街へ行かねば――と、意味は分かり兼ねます。

「魔獣の街へ行く!? ルタがそう言ったのか!?」

 衛兵が無表情のまま頷くと、リグ公爵は愕然とした面持ちになり床が揺れた。

「アユムだけに託せないのは分かる、しかしあくまでもヴィーラ王国での事情だ。助言や力添えを望むなら、いくらでも手助けしようが……っ」

 どうしてそうなる、なぜルタが独りで魔獣の街へ!?

 確かに彼の街放ってはおけないが……モルディブの樹海など軍隊を派遣するか、因果伯を同行しなければならない危険地帯。

 まして他国の王族に使える側近が、貴国が「魔獣部隊」を結成するかもしれないから独自に調査する――なんて認められる訳がない。

 それが分からないルタではないはず、なにがあったんだ。

「すぐに引き留めなければ……っ! キールティ公失礼します、ルタを――従者を連れ戻さねばなりません!」

「それはご心配でしょう、ですがもう城門が閉まるのではないでしょうか?」

 見れば空が赤く染まり風の冷たさを感じる。いつ閉門を告げる教会の鐘が鳴り、街と外部を隔てても不思議ではない。

 城門が閉じれば、先行する者と1日の差が生じる事態。

 徒歩では到底間に合わない、殿下に事情を御話しして馬を借りて……いや無用な混乱を招くだけではないのか、その時間もない。

 ヨーギがいれば――無い物ねだりに、リグ公爵が奥歯を噛みしめる。

「リグ公私の馬を御使いください、今ならまだ閉門に間に合うかもしれない!」

 衛兵に案内するよう指示し、真摯な眼差しでリグ公爵に理解を求めた。

「僭越ですが殿下に伝えても、リグ公1人の騎馬を認めるはずありません。本心はどうあれ王太子の身を思えば、御止めしないといけない立場ですから」

 それは私も同じだが、私の馬は(うまや)を抜け出すのが得意でしてね――。

「キールティ公……っ」

「おっと私は何も(・・・・)存じていません(・・・・・・・)。ですが獣者が無事に戻ると、いいですね」

「あっありがとうございます! この御恩は決して……っ!」


「いえいえ、忘れてくださって結構ですよ」

 駆け出したリグ公爵の影が見えなくなると、キールティ公爵は満足そうに頷く。

 石畳の廊下を跳ねて歩き、軽やかなステップ音が木霊する。

「ふふっそういえば他国の王族に、M属性が生まれたと聞いた。存外世界は狭い、まさか恋のライバルと評される方だったとは」

 まさしく国の恥、これは思いがけずもいい情報を得れた。

 モルディブへ向えば魔獣の巣窟、道中捕縛されれば要人暗殺の被疑者――公爵に友人とまで言わしめる彼の少年が、これを放っておくはずがない。

 さてアユム卿の手腕を計るのに、これほど相応しい舞台もなかろう。

「樹海で果てるなら期待外れ、容疑を晴らす才気があるなら私の手駒に相応しい。少々凝りすぎの嫌いもあるが、こうも易々と釣り上がるとはな……ズキンちゃんもなかなかに企むではないか」

「おおこれはキールティ公、リグ公をお見掛けしませんでしたか!?」

 ステューパ卿が衛兵を引き連れ駆けてくる。

 キールティ公爵を見つけると、礼を取った姿で汗を落とす。

「いいえ私は何も(・・・・)存じていません(・・・・・・・)。卿が慌てるほどの凶行が、あったのですか?」


「っ不手際を謝罪いたします! たった今指揮官の方が――…」

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