百三十三夜 迷宮の歩き方
「シーちゃん、気になる方向はない?」
「シ――~?」
浅い川の流れだけが囁く夜半、焚火に当りながらカレシーに訊いてみる。
モルディブの樹海にあるとされる魔獣の街。
カレシーの出生地がそこだと裏づけは得ていない。「男」は魔獣の卵に関しては黙秘を貫いたまま、自殺を遂げた。
孵化もしていなかったカレシーの帰巣本能頼みなんて、我ながら無茶苦茶だ。
「だけどこれ位しか、当てにする指針がないのも事実……」
「シ――…シ……ィシ――~!」
カレシーも確信が持てないのだろう、首を傾げつつ一方に視線を向ける。
べつになんにも見当たらない、ならばぼくの無理なお願いに答えてくれたのだ。
「偶然でもいい……この方角に街がある。カレシーのふるさとが……」
そう納得して、悩ませてしまったねと顎を撫でた。
カレシーの視線を起点にし、さらに意識を広げていく……霧がゆっくりと漂い、拡散していくイメージ。
暗視装置ごしに見る世界で、森の生物が淡い光を発し始める。
全てを俯瞰視点で見通し、できる限り遠くまで気配を探った。川を発見した時と同じ、動植物の光によってある程度は地形も確認できる。
生命の息吹が溢れる、森ならではの探知方法。
「青木ヶ原樹海は約3000ヘクタール、山手線の内側とほぼ同じだったかな」
想像もしたくない広大な原生林。
同じではないだろうけど、こちらには観光客用の遊歩道も立て看板もない。
崖や急な傾斜など、馬車が立ち往生しないで済むルート。自然が織りなす天然の迷宮を走破するルートを、自ら導き出さねばならないのだ。
「っあれは!? いや距離があり微かだけど、強く立ち昇る……魔獣の光!」
ではあの辺りはすでに、ブラックドックの縄張り外か――。
意識を集中していたので近く感じ、鼓動が早くなる。
「不整地を走る馬車の速度にもよるけど、明日か明後日には越えられるかな」
ブラックドックに狙われたままでは、到底たどりつけなかった距離。よくぞあの窮地を潜り抜けたものだと、今さらながら寒気がした。
「魔獣は気配が消せるのではって疑いが、払拭されただけ幸いと思いたい」
おそらく肉食性捕食者が、身を潜め獲物を捕らえる――「待ち伏せ戦略」による特性ゆえではなかったか。
「つまり他にも、気配を消せる魔獣が存在する可能性……光が視え安堵すべきか、別の窮地が待つと不安がるべきか」
「シ――~」
「そうだね、知り得た情報に感謝しなきゃ」
未知なる生物、魔獣が生息する危険地帯――戦闘の回避は最優先としても、避けられない場合はどうすべきか。
思えばずっと手探りの旅だったけど、今回はそれの比じゃない。
月明りの下で真っ黒な森が、絶対的な壁として侵入者を拒絶していた。
霊山モルディブに関しては、スーリヤ様の蔵書にも記載はない。
ラクシュを探しての旅だったけど、街を目指せば目指すほど深まる疑惑。
「全ての発端はこの地にある」――そんな予感が、心をかすめる。
翌朝ヨーギの鉄で召喚した防犯グッズを、ペールとルーシーさんに配った。
2人とも緊張して説明を聴いてたけど、これで最低限の防御は可能。
「ペールも、ぶきをもってまもって! スタン・グレネードだ。ルーシーさんは、催涙スプレー。」
それぞれをズシリとした手応えで渡す。
「スタン・グレネードは、閃光と爆音で敵を行動不能にする! 催涙スプレーは、目や鼻の粘膜に激痛を起こし反撃を阻止してしまう。」
蒼白となった2人にスタンガンも渡す。剣を手に戦ったことはないだろうけど、接近された場合は威嚇の効果もある。
「魔獣はどこにかくれていて、いつおそってくるか、わからない。くれぐれもゆだんしないよう!」
ひと晩キャンプした川辺には、朝日を反射して光が舞っていた。
ぼくは荷馬車に走り寄ると眩しさを避け、マントを毛布代わりに寝転んだ。
「幸運をいのる。」
「ボゥ……防、犯?」
「サィ……催涙スプレー?」
ペールとルーシーさんは、いくらなんでも大げさとは言えず顔を見合わせる。
「あっ何かあったら些事でも構わないから、ヨーギの呼子笛で起こしてね」
☆
『――外部での使用は威力が半減しますが、それでも十分なのは体感済みです』
「キッキッキキ――ィ!」
「キィィ――チチチチ……ッ!」
コウモリの翼が生えた眼球――ゲイザーが、木々の間を飛び回り襲ってきた。
「ピンをっ! おっ落ちつけ、ピンを抜いて――…あっ! わわわ――~っ!!」
ペールがスタングレネードのピンを抜いたまま、手に持って立ち尽くす。
思い出したように投げ捨てると、ちょうどゲイザーの目の前で起爆。
「――ッッキ!?」
邪眼を発動させるべく、眼球に『カルマ』の淡い光を発した瞬間。今まで浴びたことのない強烈な閃光と爆発音をもろに喰らう。
昼なお暗い森の中で、にわかに太陽が出現した。
「…――さん、ペールさん! ケガは、大丈夫ですか!?」
「あっ……ああ、驚いただけ。にしてもこりゃあ、確かに十分な威力だな」
目はいまだフラッシュが点滅し、止まない耳鳴りで自分の声も遠い。
「アユムも落っこちて酷い目にあってたよ、えっと「タ―マヤ――~」だって!」
「ダーマヤか……なんだか真なる、神の名っぽいな。心が落ちつくかもしれない、次に戦う時は叫んでみよう」
それは有名な屋号です、妙なことを教えちゃってたな。
ヨーギも数羽相手取っていたが、スタングレネードに驚き飛び去っている。
腰を抜かしていたペールが立ち上がると、木の根元に転がる巨大な眼球。数羽のゲイザーが翼をピクつかせ、完全に昏倒していた――。
『――威嚇には適しませんが、ブラックドックを退けたガスは強烈無比です』
「ブヒヒィ――――~ン!!」
「くるな――ヨーギこいつ嫌――っ!!」
川沿いを移動していたら、突如川の中から現れた馬が2人を襲う。
ヨーギが蹴飛ばし退治すると、なにを思ったのかターゲットをヨーギに変える。
魚の尾びれを持った馬――ケルピーが、ヨーギにまとわりつき離れなくなった。
「距離っ! ガスの届く距離は、おっ大人3人分。もっと……もっと近くへ!」
「ダーマヤだと巻き込んじまう、ここは娘さんに頼むしかねえ! あっ風上へ! 風上から噴かなきゃ、ガスが自分に向かってくるぞ!」
「あっ……ああっそうだ、はい――っ!!」
ペールのナイス助言。
確かにスタングレネードだと、ヨーギが巻き添えをくいそうだ。ルーシーさんが催涙スプレーを握りしめ、風上へ走って距離を測る。
「ブヒィ! ブヒィヒィヒィ――~ン!」
「もうヨーギやだ――っ!!」
アプローチを繰り返すケルピーのいななき。
何度殴られても蹴られても、攻撃ではなく頭や鼻をすり寄せた。諦めることなく執拗に迫り続け、さしものヨーギも困惑に眉を下げる。
「ヨーギ様、少しだけ息を止めて――っ!」
蹴られて吹き飛ばされ、距離の離れたケルピーに催涙ガスが襲う。
一度でも嗅いだ者なら、二度はごめんだと記憶に残る苦痛の悲鳴。
「ヒブッ! フッブッ! ブヒャ――ッッ!」
激しいクシャミと嘔吐を繰り返し、ケルピーはどうにか川に飛び込む。
「ヨーギ様っ! ヨーギ様大丈夫ですか!?」
「……うん、だいじょうぶ」
「ああよかった――~私ったらもっと上手く、立ち回れないとダメですねえ。でも安全に息をするだなんて、皮肉な武器ですよねコレ」
ヨーギが呆然と見つめ、ルーシーさんが催涙スプレーを振りながら笑う。
幾度か水面が弾かれ尾びれが見えたが、そのうち気配も消えた――。
『――スイッチを入れると複数の稲妻が発生する、大変危険な雷の剣です』
「ゥ……ヒュゥ――~…」
緑の髪をした美しい娘――ドリアードが、寝ているぼくに覆い被さっている。
木々の間を駆ける優しい風の声と惹きつけられる微笑。しかしその外見に反し、指先は細い根となり体に巻きついて離さない。
「ええっ!? だっ誰ですかあなた、いつの間に!」
「只人……っんな訳ねえ! なんだどっから現れた!?」
「ヒュ――ゥゥ――…ッ」
風の声と共に1人増え2人増え……荷台に複数の緑の髪がたなびく。急停止した荷馬車がつんのめり、荷台も大揺れしたが根はビクともしない。
ついには太い根となり、そこかしこから枝が伸び芽まで出始めた。
2人がぼくに絡まった根を引き剥がそうとする。だが水分をふくむ生きた根は、人の手で千切れる強度ではない。
「アユムから離れろ――!!」
先頭を走っていたヨーギが引き返し、根をつかんで片っ端から折りまくる。
その膂力に驚く他ないが、根は見る間により太く頑丈に再生していく。ついには荷台をも巻き込み、その場に盛り上がるオークの巨木を出現させた。
ぼくの体は完全に埋まり、光が閉ざされていく。
「こっこの距離じゃ防犯グッズも使えんし、ダメだっ手に負えん! ヨーギちゃんアユムを起こそう、アユムなら――っ!」
「ヨーギ分かった――!」
ヨーギが胸に下げた呼子笛を取り出し咥える、大きく息を吸い――。
「待ってくださいヨーギ様! ペールさんこれが木なら、雷が効きませんか!?」
「そっそうか、雷の剣――っ!!」
ルーシーさん当たりです。
雷が樹木に落ちた際の内部現象――木の水管部分に流れる水には導電性があり、高電圧により一気に沸点まで上昇。
膨張した水蒸気が幹を内部から圧迫し、木目に沿って破損させるのだ。
「ひっ……これアユム様も、危険なのでは!?」
手元で光が弾け、耳をつんざく音が轟く。
発生した空中放電は、それが何か知っていても脅威だろう。
「いや……っだが根は伸びなくなった、イケる! 一ヵ所に集中しよう、アユムが見えたらヨーギちゃん頼む!」
「ハイファ――イブ!」
2人がスタンガンを構えて根を押し止める。ヨーギがマントに包まれたぼくを、中から無理矢理引っ張り出す。
「ッヒゥ――――~…」
ぼくを取り込めなかったドリアードたちが、風のささやきに似た声を上げた。
空気の振動だけが木霊し、緑の霧となり掻き消える。息も荒く喘ぐ3人を前に、崩れたオークの木片が余韻として残っていた――。
☆
「今度はドリアードですか、それはちょっと……会ってみたかったかも」
彼らの奮闘は音に聞き脳内でイメージしてたのか、夢の中で視ている。
結構やばめの状況でも目を覚ますことなく、日光の下に出ず影に潜んでいた。
「夜に起きてるせいもあるけど、いよいよヴァンパイアっぽくなってきたなあ」
「ドリアード……と言うんですか、あんな美しい魔獣もいるんですね」
「オークの木の精霊と言われています、樹を傷つけないと現れないはずですが……もしかしたら森を割って進む異物感を、感じ取られたのかもしれません」
木の中に引きずり込まれると樹齢に合わせ時間が止められ、何十年何百年と森で立ち尽くすことになる……結構怖い精霊なんですよ、とは言いがたい。
「まあこれでしばらくは、焚火と松明に困りませんね」
目の前に溢れる、大量のオークの木片。
どうにか荷台を掘り出すことには成功したが、時間も体力的にもタイムアップ。
ぼくとカレシーが目を覚まし、そのまま森の中でキャンプとなった。
「…――女とは違うんですね」
あれが、木の精霊――と少しだけ複雑な眼差しで、ルーシーさんが呟く。
「気楽に言わないでくれよアユム――~今度こそ、もうダメだと思ったんだから」
「あははっごめんなさいペール。さっできましたよ、先に食べててください」
木を3本立て上部を弦で結わえ、チェーンを配して鍋を吊る。適当な石がなく、有り余る木材を使い吊り下げ式のラックを作った。
調味料は塩漬け肉の塩分、これでもあるだけマシ。
そも2人は味つけにこだわらない。カレシーが獲ってくれた新鮮な獣肉と野菜、暖かいシチューに心を温めている。
「おお――っ! もうメシだけが楽しみでなあ、生きててよかった!」
大袈裟……とは言いがたいか、ほぼ連日となる魔獣との戦闘。泣き言や恨み言で気持ちが停滞しないだけ、いいのかもしれない。
「ヨーギはそれで足り――…っと。そうだね、皆疲れてて当然だ」
ヨーギはリンゴを手に木にもたれ、すでに寝息を立てていた。ぼくは常に周囲の気配を探っており、魔獣も猛獣もいないのは確認済み。
マントをかけ、荒れてしまった三つ編みをなでる。
「早くお風呂に入れる環境を、取り戻さなきゃ……」
ハミングバード学園の遠足では、浴槽で気持ちよさそうに眠っていたそうだ。
あの日々が日常となる、そんな未来が訪れたらいいね。
「シ――シ――~!」
「おおっシーちゃん上手いなあ! ありがとう、後は任せてね!」
カレシーが器用に木片を咥えて運び、狼煙の準備をしててくれた。
焚火の上に隙間ができないよう適度に木を重ねていく。毎朝毎晩上げていたので日課と思ったのが、お手伝いしてくれたのだ。
「シーちゃんは本当に賢いねえ」
「シ――~!」
「なんというか、アユム様の献身性を学んでいるみたい……まるで親子のような、凄い蛇ですね」
ルーシーさんがカレシーを褒めてくれる。頬を引くつかせながらも撫でようと手を伸ばすけど、覇気が感じられるのかそのつど石化してしまう。
妙に滑稽で面白いが、身内が認められたみたいでぼくも嬉しい。
「親としては模範をしめせてるのか、心配なほどですよ」
キミは覚えてるだろうか、ぼくが大ケガして部屋で行水をしてた頃。お湯なんか初めてだろうに、楽しそうにはしゃいで泳ぎ回っていた。
ぼくはきっと、ずっと忘れない。
いずれはカレシーもそうなるのか。バジリスクの太さになった白い煙が、夕日に染まり出した天へと昇っていく。
カレシーは魔獣、時期がくればいずれは訪れるであろう決別。
その時ぼくは同じ気持ちで、接していられるのだろうか……それは希望であり、強い願望でもあった。
「シーちゃんもそろそろお腹じゃなく、独りで寝る特訓が必要なのかな?」
「シ――ィ? シ――~…」
それは嫌だと妙に甘え、胸元からお腹に潜り込んでくる。
思わずルーシーさんと目が合い、一緒に微笑んだ。
「いやいや凄いと言えば、アユムから貰ってた防犯グッズだろ。剣も槍も使わずに魔獣を退けるなんて、話しても誰も信じないだろうなあ」
「本当に感謝してますこんな不思議な武器を……ですが私どもに渡してしまって、アユム様の麻袋にはまだ入ってるんですか?」
ペールがシチューを頬張りながら、腰に差した雷の剣を頼もしく叩く。
ルーシーさんも常に手元に置いている、催涙スプレーに目をやった。
「それは言わない約束でしょう、ペールゥ、ルーシィ」
伝わらないネタでとぼけ返したけど、少し真面目に声をひそめる。
ブラックドッグの戦闘時は、ほぼ暗闇だった。夜目の利かない2人には、ぼくが『カルマ』を啓いたことや召喚の状況は見えていない。
ならば申し訳ないが、そのままでいて貰う。
「……今は2人とも、日常へ帰ることだけ考えてください。ぼくもそれだけを目指し行動しています。そして無事抜け出せたら、旅の話は他言無用でお願いします」
できればすぐに忘れてください――佩刀してた剣の鍔を、わざとらしく鳴らす。
森の中で金属の高い音が響き、2人が剣を前に息を呑んだ。貴族による体のいい脅迫――他の方法が思いつかず、心が痛い。
「ぼくが因果伯について尋ねた時、ウールドもラヴィもこんな気持ちだったのか」
噂でも口にすれば、情報源として危険な状況を招くかもしれない。
知らない方がいい――立場が変われば、そんな選択も出てきてしまう。
「……そうだな分かった。身分的な事情もあるだろうし、深くは聞かないよ」
ペールが深皿を置き、焚火の対面で頷く。
しかし思い立っていたのだろう、上向いた目が苦痛に歪んでいた。
「だけどアユム、一つだけ答えてくれ! ブラックドッグの時に感じたんだが――自分を犠牲にして、俺たちを救う気だったんじゃねえだろうな!?」
ただほんの少しの間、すれ違っただけの若い行商人。
親切にも荷台に乗せてくれ、荷を分けてくれた、それだけだったはずのペール。
「少なくとも俺はそんなの望んじゃいねえぞ! 英雄を気取りの貴族なんかに……アユムに、そんなことをされたら迷惑だ!」
「ペールさん! アユム様はそんな……っ!」
自己犠牲を献身などとは認めない――ペールの真剣な眼差しに、ルーシーさんが血相を変え止めに入る。
「嫌だなあ、ぼくは英雄不要論を説いています。その気はまったくありません!」
手を振って軽く笑う。
「そ……まった、く?」
「ええまったく、仲間の汚名を晴らすことが「この道」に必要な気がするんです。不備を発見し反論する……ご褒美に、踏んでいただけると思いません?」
あっ鞭もいいですね――簡単に答え過ぎたせいか、2人とも口を開け停止する。
「アユム様その……ごまかすにしても、それはあんまり……」
気がつけばルーシーさんが口を押さえ、ペールがうつむいて肩が震えていた。
一拍置いてなにかを呑み込んだペールが、再び顔を上げ苦笑いをする。
「そっそっか、なら生きて帰らなきゃな……うん。ゴホン、よっし商談成立だ! こっから出たら全て忘れる、娘さんもいいな!?」
「はっ……はい!」
微妙な笑いが、焚火を囲んだ2人からもれた――。
「――んでアユムと別れてからか、北の塔で糧秣の証文を確認して貰ってたんだ。そしたら娘さんが兵士に捕まって、手配されてる貴族が村に来ていないか~と」
ラクシュの件を知った際の状況を聞く。
ペールがルーシーさんにうながすと、思い出しながら続きを話す。
「突然腕をつかまれ叫ばれたんです、「この貴族を知っているだろう! 庇い立てするとお前も牢にぶち込むぞ!」って。私が驚いて返事に詰まると、ペールさんにまで迫っていって……なんだか凄く慌てていました」
よほど怖かったんだろう、うつ向いたルーシーさんの肩が揺れる。
「尋問って~か……ほとんど脅迫と強要だったな。とにかく「ボロを着た貴族」と「ライオンのたてがみを思わせる髪」って奴が手配されているそうで、見かけたらすぐに報せろ――の一点張りだった」
記された容姿から言って、確実にラクシュの手配書だろう。
要人の暗殺――ことは国家の一大事と言っていい。しかし他国の王太子に対し、そこまでの強行をヴィーラ殿下が発するだろうか?
なにか別の問題が発生した可能性もあるけど……。
「あれだけ各所を尋ね歩いたんです。ぼくが「手配された貴族」を探してるのは、周知されているでしょうね」
「知れてるだろうな、兵士がアユムを放っておく訳がない。大貴族でもない限り、カルブンクルスの領主から厳しい取り調べを受けるだろう」
ペールの推測に頷いて肯定する。ぼくはある意味目立っていた、顔を出せば即座に拘束される可能性は高い。
そしてそれはラクシュとの距離を、さらに開けることを意味する。
「なんとしても探し出し、一緒に新王都へ――誰も手出しできないトップの下へ、連れ帰る他なくなったな……」
「それを聴けばアユムのやばい状況は分かる、荷を運ぶと伝えてコッソリ逃げた。食料は全然降ろさなかったからなあ、あの後兵士は腹を空かしただろうけど」
見ろよ兵士って、いいもん食ってんだなあ――と、遠慮なくシチューのお替りをよそって口に運ぶ。
「空腹になった兵士の尋問が、職人ギルドへ向けられてなければいいけど……」
だけどお蔭で狩りをしなくても、食事をすることができる。すでに日中でも寒くなっており、腐る心配はないだろう。
先の見えない迷宮で旅に何日かかるか分からない。切り詰める必要はあるけど、捜索にだけ専念できるのはありがたい。
「それにしても無茶しますね。ぼくがその貴族の共犯者だったら、ペールまで手配されてるところですよ」
「人を見る目だけはあるって言ったろ、アユムがなにかやったとは思ってねえ」
そういって笑うペールに、目を細め会釈を返す。
「……無事帰れたら、カルブンクルスの領主と職人ギルドに嘆願書を出さなきゃ」
正直いってなぜルーシーさんを連れてきたのか、違和感はあった。
樹海に入る気はなくとも、それだけ魔獣に接近しなければならない。その危険をペールが気がつかない訳がない。
けれどそんな状況でルーシーさんだけを残せば、なんらかの容疑が彼女にかかり拘束されたのは疑いようがない。
ぼくのために急いで駆けつけるには、連れてくる他なかったんだ。
その点は感謝しかない、だけどもう一点――。
「しかし乙女の勘には本当に助けられたよ。アユムが上げてた煙を発見したのは、娘さんなんだ」
「目印に上げられていたんですね、さすがはアユム様です!」
ルーシーさんが照れて首を振り、今も立ち上る狼煙に目を向ける。
「戦場だったらむしろ、兵士が存在するのを報せてしまうので危険です。樹海にはそういった認識を持つ生物はいませんからね」
「えっ……戦場の、習わしだったんですか?」
――狼煙は伝書バトより古い最古の通信手段で、紀元前から行われている。
狼煙リレーを行えば、その伝達速度は時速160キロ近くにまで達した。騎馬の速度を遥かに超え、戦時下でなくてはならない設備である。
欧州では例によって一旦衰退し、16世紀になって再び記録に登場した。
情報伝達の他に救難信号の手段にも用いられる。狼煙を知らないこの時代では、「人が居る」程度の目印にしかならないだろうけど。
「今に至っては意味があるのか、気がついてくれるのか悩ましい限りですけどね」
「あります! きっとアユム様の思いが届いて、感謝しかないはずです!」
なぜか必死な目で肯定され、だといいですけどと微笑む。
「まったくだ……俺は獣道を通ったんじゃないかと、横ばっか気にしてたからな。もう少し駆けつけるのが遅かったら、為す術なくブラックドッグに襲われてたよ」
まさしく不幸中の幸いだったのか。
「ルーシーさん、怖い思いをさせて申し訳ありません。なんとか……いえ必ずや、村に帰る方針を立てますので」
「そっそんな! 私が魔獣の街を見たくてついて来てしまったんです、アユム様が責任を感じることではありません!」
なによりお別れしたら、もう二度と会えない気がして――。
ルーシーさん頬を染め、祈るような眼差しをぼくに向けてきた。
「そんなに魔獣の街を、見たかったんですねえ」
「あっ……ええ、ええ……はい」
好奇心の強さに好感が浮かび、分かりますと頷いたらなぜか場の空気が変わる。
「アユム……お前鈍いって――~…いや、うん」
なんだろうペールは言葉を呑んだのに、続きが聞こえた気がした。
『あれはバジリスクと同じ、毒のブレス……?』
だけどもう一点――ブラックドッグを倒した時の、ペールの呟き。
領民には「炎を吐く魔獣」として流布されたはず。実際に旅の途中で尋ねた際、過客は誰もがそう答えていた……なぜペールが事実を知っている?
何夜目かの、カレシーと2人だけの夜。
周囲に目を向ければ、焚火を囲むように寝入っている3人。
キャンプにはまず害獣害虫を寄せつけないのが大切。生ゴミを処分して獣除けの線香を焚き、皆にはコッソリと虫除けスプレーをする。
「シ――~…」
「ふふっ嫌な匂いでしょう、まあ魔獣にどれほど効果があるか分からないけど」
焚火もむろん獣除けであり、炎がぼくらを囲んだ木に陰影を浮かばせていた。
ルーシーさんが合わせるように、歌うような寝言を呟いている。慣れない旅にはストレスもかかるだろう、ぼくが守らなくっては。
ペールは背を向け寝ているので、その表情は見えない。
「……行商人をしてるんだし、誰かから噂を聞いたんだろうな、きっと」
焚火に木片を放り込むと炎が爆ぜる。
木に映った影が森の騒めきに合わせ、盛大なダンス会を開催させた――。
「よ――しみんな! 凄いヨーギについてこ――~い!!」
寝ながら昨夜の話が聞こえていたのか、ヨーギが指示された方向へと先導する。
「亜人の特性なのか知らないけど、ヨーギちゃんが一番凄いよ」
ペールが笑いながら荷馬車を追従させる。
「鳥みたいに空を飛べるなんて、本当に凄いですねヨーギ様!」
空を見上げたルーシーさんが横を歩き、ぼくとカレシーは荷台でまどろむ。
「ヨーギ凄い――~? わ――いっ!」
気が滅入ってないのが救いか、獣除けにも話してアピールするのが望ましい。
ブラックドックに追われて逃げ、現在地が不明。もうラクシュとルタの足取りを追うことはできなくなっていた。
なんとか遣り繰りしながら、入口の閉ざされた迷宮を進むしかない。
「2人の目的地とされる、魔獣の街へ……っ!」
奇妙なパーティが魔獣に翻弄されながら、モルディブの樹海を突き進んでゆく。
☆
「――これは! おお……これは驚きました、リグ公ではありますまいか!」
キールティ公爵が立ち上がり、わざとらしいほど驚いて見せた。
ヴィーラ王国、プールヴァ帝国、パシュチマ連合王国。
3ヵ国において歴史に名を馳せる若き3名の面談は、新王都アムリタの――まだ公表されていなかった王宮の、客室で行われた。
「こちらが――」
プラーナ・ヴィーラ王女殿下が、どちらを先に紹介したかは諸説ある。
その瞬間格子状の窓から射していた陽光が歪んだ。まだ8月であるのに早すぎる冬将軍が侵攻し、空気を凍てつかせたと伝えられている。
たったひと言で場を変貌させた少女は、白い息も吐かずにこりと微笑む。
光沢のある白いワンピースドレスが、月冴ゆる夜にあって炎のごとく舞う。
「はっはっはっリグ公の噂はかねてより聴いております。どうも初めてお会いした気がしませんな、これを機によしみを深めれたらと切に願います」
まず口火を切ったのは、キールティ公ノドゥスであったとされる。
「プールヴァ帝国」――皇位継承第2位。
20代半ばの、美丈夫と言ってもいいだろう少し目尻の下がった貴族が、右手を左胸に完璧な挨拶を取って見せた。
「お会いできたら是非うかがいたいと思っていたのです。立場ある身でありながら獣者2人だけを連れ諸国を漫遊しておられるとか、まさしく英雄の所業ですな!」
「……私の友人は、英雄不要論を強く推奨しておりますゆえ」
これを受け、リグ公ラクシュミーは短く返礼を返す。
「パシュチマ王国」――王位継承第1位。
20歳前後の、身だしなみを整えた貴族の面持ちではあったが……手櫛を入れた茶色の髪が、ライオンのたてがみを彷彿とさせていた。
「その面談を主催したであろう殿下は、婿候補の2人が楽しそうに語らうのを見て少女のように頬を染めておられた」
「いやいや私が関係筋から聞いた確かな情報によれば、瞬きすらしない瞳で殿方の動きを封じる微笑を交わされたと」
「どうあれ場の主役が誰であったか、一目瞭然ではあったでしょうな」
城館の3階で窓はなく、格子状の柵がついた明り取りがある部屋。
取り立てて重要ではない客室で行われた舞台劇。これが3ヵ国を揺るがす事態へ発展しようとは、誰が「予感」できたのか。
炎に輝く双眸の瞳が、止められぬ因果を浮かばせて瞬いた。
――後にこの客室は「王配の間」と、囁かれることになる。