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M属性 ~嗚呼、あなたに踏まれたい~  作者: 高谷正弘
第四章 霊山モルディブ
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百二十八夜 北東の村

「そういやあ先日もボロを着た貴族が、領主様を訪ねてきたそうっす」

 ――いま、なんて?

「そんな方が来られたのか、報告は受けていないぞ?」

 若い門衛の呟きに、隊長格は腑に落ちなそうに首を捻る。

「領主様が直々に見送りにこられて、この北門から発たれたんすよ。こっから先は農村しかないのに、狩猟でもなく貴族が通られるなんて珍しいっすね」

 市壁近くの屋台では、売り買いする市民の騒めきが盛大に響いていた。

 だけどそれ以上に、聞き捨てならないセリフが耳に強く届く。

「そっその貴族はこう……肩口まで伸びた茶色の髪が跳ね、ライオンのたてがみを彷彿とさせてませんでしたか!?」

 ぼくは手を振りかざし、ほとんど駆け寄りながら叫んでしまう。

 勢いに押された門衛が驚いて数歩下がるが、構ってられず詰め寄った。

「あっそうですそうです、若い貴族でした。新王都じゃわざわざ平民より貧乏……いや斬新な服装をするのが、流行ってるんっすか?」

 振り返ってヨーギと目を合わせ、2人で頷き合う。

『ラクシュだ――――~っっ!!』

 やっと手掛かりを見つけ、ガッツポーズで天を見上げ心で絶叫する。

 やはりこの中都市まで来ていたんだ、そしてこの北門からさらに進んだ。

 張り詰めた全身の筋肉が震え、ヨーギと歓喜の舞を踊ってしまう。


「北東にある農村ならこっから半日ほどっすね、昨日馬で向かわれましたよ」

 お知り合いっすか――若い門衛の疑問が遠ざかっていく。

 ぼくとヨーギはすぐさま駆け出していた。まだ低かった日が徐々に光源を強め、道に光が射し希望が開かれていく。

 北東の村――「村」に続く道にしては、土剥き出しで根が這う村落道ではない。

 砂利を敷いた立派な街道が森を裂き伸びている。少しだけ違和感はあったけど、やっと得た手掛かりにぼくは有頂天だった。

「昨日出発したのなら、その村でひと晩過ごした可能性が高い! まだそんなに、離されてはいないはず!」

「うん! アユム――ヨーギにしっかりつかまっててね――~!」

 もはや恥も外聞もなく、ぼくはヨーギの背にしがみつく。

 馬で半日の距離ならおおよそ20キロ。ヨーギの脚力ならぼくを乗せていても、30分かからずに到着するだろう。

「依然行方不明なルタの安否も気になる、だけどこれで――」

 一歩ごとに数分数秒ごとに、確信へ近づいているはず。

 だけど急激に話が進み、何か見落としてる不安が襲う。後ろ髪を引かれる感覚に思わず振り返る。

 高く見上げた市壁は、すでに森の影に隠れていた。



「……も……ぐぶっ」

 カルブンクルスを出発して20数分、もう村が見えてもいい頃。

 疲れも見せず疾走するヨーギの蹄に重なり、断末魔みたいな声が聞こえる。

 気のせいかなと幾度か見渡すと、視界の隅に違和感が浮かんだ。すでに通過した遥か後方で、森からよろけ出る男性の姿。

「ヨーギ、ヨーギ止まって! なにかあったみたいだ!」

「な――にぃアユム? ……あっ」

 ヨーギが砂利埃を立て急停止し、ぼくの視線に誘導され戻ってくれた。

 気は急いでるけど、放置もできない。

「どうしました!? 気分が悪くなられたのか、ケガでも?」

 距離的に北東の村の農民かもしれない。一見して立つこともできないほど弱り、うずくまったまま喘いでいる。

 ヨーギから飛び降り、助け起こそうと手を回す。

「待って、アユム!」

「え……っ」

 ぼくは突然胸倉をつかまれ、恐ろしいまでの力で引き寄せられた。

『看病につけ込んだ追いはぎかと思ったがね――』

 脳内でペールの言葉が反芻する、やばい軽率だったか。

「助け……っどうか私どもを、お助けください!」

 眉を歪め汗を落とし、白髪まじりのおじさんが必死の形相で叫ぶ。

 一瞬で上がった動悸をどうにか抑え込み、振り向いてヨーギに頷く。

 だけど軽はずみな行動への誹りは否めない……戒めにしようと頬を叩き、震えるおじさんの手に優しく手を沿える。

「落ちついてください、なにがあったんですか?」


「娘と……むっ娘と薪を拾いに、森へ入ったんです」

 冬も間近なのに近頃妙に獲物が増えたと、村に寄った狩人が話していました。

 どこかで縄張り争いがあって、逃げてきたのではないかと。そうなんです獲物が増えれば、それを目当てに獣も増えます。

 話半分に聞き流し、冬越しに向けて薪を集めることしか思い至らず――。

「おっ狼が、何頭もの狼が徘徊していて……儂を逃がすために娘が囮に残ると! おっお願いです、どうか娘を助けてください!!」


「ヨーギはおじさんを見てて! 周囲に警戒して、近くにいるかもしれない!」

 ――狼はリーダーに従い、6頭前後の群れで行動する。

 通常は夜間活発に活動し、朝は巣穴に戻って休む。持久力があり、狙った獲物が疲れるまでひたすら追い回す。

 追跡や待ち伏せなど、仲間と連携し脚で獲物を得る狩猟方法。

 おじさんを追ってきた狼がいないとも限らない。

 ヨーギなら狼の6頭前後など物の数ではないだろうけど、おじさんを守りながら立ち回れば勝手が違う。

 速攻で娘さんを探し出し、狼の縄張りから立ち去るべきだ。

「ウダカに続いて、今度は本当の(・・・)狼か……妙に縁があるな」

 ぼくは装備を確かめ、おじさんが出てきた森に飛び込む。

「アユム、1人で大丈夫!? ずっと調子悪そうだよ――!」

「っ平気平気! いざとなったら、シーちゃんもいるしね――!」

 ヨーギが心配そうに見つめてくるので、お腹をさすって笑いながら返す。

 幸いと言えばいいのか、先ほどの動揺にもカレシーは起きていない。

「そうだいつまでも、カレシーに頼り切ってちゃダメなんだ。これくらい自分で、切り抜けなきゃ!」

 森を少し進むだけでヨーギの姿は見えなくなり、木々が孤独が包み込む。

 佩刀した腰の重さが頼もしく、強く柄を握り込んだ。

「…――っ」

「娘さん――!? ああっ名前を聞いておくべきだった、どっちだ!?」

 どこからかふいに聴こえた声。森の中で響き木霊してるのか、まるで歌うような旋律となり方向がつかめない。

 時折り射す光が網膜をぶれさせるけど、ありがたくもまだ木の影は濃かった。

「今のぼくにとっては夜の方が都合がいい、日中でもこの程度なら……っ」

 フード付きのマントはヨーギに渡してる。手の平でひさしを作って陽光を遮り、光をとらえられないか意識を集中――。

「…――りぃ」

「聞こえた、こっち!!」

 体に当たる小枝も気にせず突っ走る、できれば狼と対峙する前に引き上げたい。

 木が生い茂る中、大木を背にする人の塊が浮かび上がった。

 そして逆光でも見誤らない、取り囲む獣の影――ぼくは剣を抜き放つ。



 ☆



「ギャンッ!」

 牙をむく狼に、ショートソードの一閃。

 威嚇の攻撃で切先が血煙を上げ、他の狼も呻ってはいるが勢いを失う。

「頼むからそのまま、諦めてくれよ……っ」

 襲われたからといって、バッタバッタと薙ぎ倒す訳にはいかない。

 もう1人の自分の存在……何がトリガーか地雷か分からない、意識を支配される危惧が常につきまとう。

「背を向けて走らないように、ゆっくりと下がってください!」

 10代前後だろうか、年齢からすれば落ちついた娘さんを背に守った。

 狼を睨みながら焦らず騒がず、ジリジリと後退する。無防備に逃げればその牙が喉笛に喰らいつくだろう。

 精神的な戦いの方が時には辛い、話すことでぼく自身も恐怖を抑え込んでいた。

「あっあり……あり、がとう……ござ……」

 狼の姿が完全に消える場所まで下がり、気配を探りながらも息を吐く。

「よかったケガはないようですね。おじさんも無事ですから、安心してください」

 血のシミなどの目立った外傷はない。気が緩んで腰を折った娘さんをおんぶし、街道へと走り出す。

「どうにか無事、ミッションをクリアできたかな」

 まだ安全圏ではなく、木々や物影に注意を払う。それでもひとつ大人になって、意識が変わった感じがして嬉しい。

 娘さんの言葉にならない囁きが、繰り返し耳元で聴こえる。

「……よほど怖かったのだろう、さもあらん」



 ☆



「ルっ……ルーシ――…あっ!!」

「お父さん!!」

 娘さん――ルーシーさんの姿を目にすると、おじさんがその場に倒れた。

 どうやら腰を痛めていたようだが、互いの無事を確かめ抱き合っている。

「ルーシーか、縁がある名前で覚えやすいな」

「アユム――遅かったから、ヨーギ心配したよ――~!」

「えっそうだった!? 夢中で戦ってたから、ごめんねヨーギ」

 手を上げて謝罪すると、その手に合わせて打ち鳴らす。

「狼をやっつけたんだね、ハイファ――イブ!」

 20世紀のスポーツで行われたのが最初とされる仕草。

 16世紀に握手が定着しても、女性に広まるにはさらに時を要した。代わりにと教えていたんだっけ。

 覚えていたヨーギとナイショの賞杯を上げる。

「アユム様――とお聞きしました。なんとお礼を申せばいいのか……私ども助けてくださり、本当にありがとうございます」

 おじさんが身を伏せてお礼をし、ルーシーさんも手を組む。

 こうまで年上の方に感謝されると、なんともくすぐったい。

「さっまだ狼は諦めてないかもしれません、急いでこの場を離れましょう!」

 話を変え、仕切り直しとばかりに手を打つ。

 出てきた森に視線を向けると、それだけで父娘に意図が伝わった。

「ヨーギおじさんを頼む、なるべく揺らさずに乗せてあげて。ルーシーさんは……ぼくが背負おう」

 すがる瞳を返されて気がつく、まだ脚が震えて立つことができそうになかった。

 おじさんに肩を貸しどうにかヨーギに乗せ、ルーシーさんに背を向ける。

「申し訳……ありません、アユム様」

「ある行商人が言ってました、旅は道連れ――って。ちょっと変な馬だと思って、しばらくの間辛抱してください」

「馬だなんて! 伏してお礼をしなければいけませんのに……っ」

「それは言わない約束でしょう、ルーシィ」

 伝わらないネタでとぼけ返し、笑って立ち上がろうと……あれ? さっきはそうでもなかったのに、やたら重くて膝が揺れた。

 狼との対峙は、思った以上に精神的疲労を蓄積させてたのか。

「ごめんなさい、重いですよね」

「……っなんてことないです、これでも結構体力あるんですよ!」

 胸が当たって吐息が掛かるほどの近距離。ルーシーさんの傷一つない白い頬が、真っ赤に染まっていく。

 心配かけないよう、ほとんど意地で背負い上げる。

「アユム、ヨーギ2人くらい乗せれるよ! ヨーギ力持ち!」

 正直頼みたくはなったけど、薪拾いに来れる距離なら村までなんとか持つ。

 何よりヨーギの負担を、少しでも軽減させたかった。

「ありがとうヨーギ、もし狼が襲ってきたら頼むよ――!」

 行こうと早足に歩き出すと、若干頬を膨らませながらついてくる。

「なんだろう……ヨーギが凄いのは、十分分かってるんだけど」



「おっ狼に襲われた!?」

「この方が助けてくださったのだ、対策も必要だろう村長を呼んでくれんか!」

「村長なら領主様に村の報告を……」

「いやさっき帰ってきたはずだ、呼んでこよう――!」

 ほどなく北東の村に辿りつき、簡素な木の柵が慌ただしく開けられた。

 農村に住む者にとって「狼」は、盗賊に匹敵する恐怖の対象である。その名称を耳にするだけで、身を震わせ汗を落とす。

 それにも増して、この方(・・・)の異様さに驚いたのだろう。

 2人を運んできた、大道芸人を思わせる少年と亜人ケンタウロス。農村には珍しい組み合わせに、もの言いたげな視線が突き刺さっていた。

 しかし等のぼくは、この村(・・・)の異様さにこそ圧倒される。

 村の北側に、石造りの立派な監視塔が建っていたのだ。

 遠目にも首を傾げていたが、門衛棟まで隣接しており(うまや)もあった。模造ではなく実際に兵士が詰めているのが分かる。

 振り返って木の柵を見て、あまりのちぐはぐさに呆けてしまったのだ。

「それじゃあ狼はまだ、襲ってくるのか!?」

「――あっ! ああいえそれは分かりません、ですが村の住民は全員いますか? 少なくとも今日は門を閉ざし、様子を見た方がいいでしょう」

 門を開けてくれた農民が、危機感に眉を寄せ問うてくる。

 万一を考えて安全策を伝えたけど、村まで追ってくることはないだろう。

 狼は執念深いが、獲物が弱りを見せなければ深追いはしない。移動中ヨーギにも聞いたけど、気配を感じることはなかったそうだ。

 夜になればぼくにも視える。襲ってくるようならカレシーが覇気を轟かせれば、尻尾を巻く可能性は十分高く――…て。

「ああっもう……ダメだなあ、つい頼ってしまう癖がついてしまった」

 お腹を撫でると、カレシーが小さく身動きした。

「きゃあああああ――――っっ!!!」

 ぼくの苦笑よりはるかに大きい悲鳴が、農民の一角から鳴り響く。


「こっ……こっこの少年と亜人! そうよこの子たち、蛇を飼ってるわ!!」

「アっアユム様が? でも、そんな……っ」

 おじさんに手を貸してたおばさんが、真っ青な顔で叫びぼくに指を突きつける。

 同じく肩を貸していたルーシーさんが、ぼくとおばさんを交互に見回した。

「まずいなっカルブンクルスでの騒動を、見ていた方がいたのか」

 この領地にとって「蛇」は、何物にも代えがたい禁忌の対象である。その名称は狼よりも畏怖を持ち、村の空気を変貌させた。

 叫びが響き遠くにいた者まで、何事かと動揺し駆けてくる。

「胸元から蛇を取り出してた! 早く追い出して、蛇よ蛇がいるわ――っ!!」

「へっ蛇を飼ってる!? おい正気かお前ら!!」

「このガキもうあの惨劇を、忘れっちまったってのか!?」

 恐怖が激情をともない、皆の表情をあらわにしていく。

「まっ待ってください! 皆さんが思っているほど怖い生物だったら、ぼくだってお近づきになりたくはありません!」

「それじゃあ飼ってないってのか!?」

「違うってんなら、その奇妙な服を脱いで見せろ!!」

 当然そうなり、ぼくは喉を詰まらせてしまう。

「いる……んだな……」

 集まってきた農民に殺気が満ちていく。

 手に持った農具が薪が、握り込むほどに凶器と化していった。

「っ分かりました、すぐ出て行きます! ただうかがいたいことがあって――」

「でっ出ていけ――!!」

「今すぐに追い出せ! 村に蛇を入れるな――!!」

「いや兵士に殺させろ! 誰か呼んでこいっ!!」

 ほとんどパニックとなり、とても会話のできる状況じゃない。

 小石が複数飛んできてヨーギの馬体に当る。ヨーギは平気な顔をしているけど、ぼくの方が心臓をつかまれ息が上がった。

 これ……この感覚は――。

「へっ蛇なんか、森に入ればいくらでもいるわ!!」

 ルーシーさんがぼくらの前に出て、両手を広げ盾となる。


「ルーシーさん危ない!」

 さらに前に出て手で庇うと、背に幾度か小石の衝撃を受けた。

 防刃布仕立ての燕尾服越しに感じる、向けられた敵意の痛み。

「っ誰も彼も怖がって逃げてるだけじゃない! 冬が近いのに薪も頼めないから、病気のお父さんと森へ入るしかなかった!」

「ルーシー……」

 おじさんが申し訳なさそうに目を伏せる。

 思い当たったのだろう、木こり風の男性が目をそらす。

「アユム様が死の淵にある私を救ってくださったのよ! 命を懸け狼を倒したのは兵士でも、ヴィーラ殿下でもないわ!!」

「もういいんだルーシーさん、本意じゃないけど騒ぎを起こしたのは事実だ」

 ぼくの袖を握る指が震えていた。眉を歪め泣き顔でかばってくれる、それだけで気が静まっていく……。

 行商人でもなければ、通常は領地から一歩も出ずに生涯を終える。

 農村では全員が家族として育つのだ。大人に対し力のない女性が刃向かうには、どれほどの勇気が必要だったか。

 生まれ育った村から放逐されるのは、死を意味するのに。

「でっ殿下の御名を、みだりに唱えるな!!」

「何も知らんガキのくせに、お前も一緒に出て――…」

「いやまったくです、住民を救っていただいた方に失礼を働き申し訳ありません」

 農民が形作る垣根の後ろから、白髪を撫でつけた老人の声が届く。

 誰もが今になって気がつき、黙って道を開けた。

「この村を治めておる村長でございます、どうかお許しくださいませ。いやどうも歳をとると、過去に囚われてしまいますな」

 若干脚を引き進み出た村長の顔は、深いシワと重い人生を感じさせる。

 その曲がった背には、魔獣暴走(スタンピード)の責任も負って……。

「そんな昔の話じゃねえ! 騎士団が守ってくれなきゃ、俺ら全員が蛇に殺されてたかもしれねえんだぞ!?」

「なればこそだ、佩刀する騎士様を無下にしてどうするね?」

「えっ……あ!」

 農民はぼくが佩刀していることに、やっと気がついた。

 村長のお蔭で天を突いていた殺気が見る間に萎んでいく。武器として掲げていた農具や薪を、慌てて背に隠す。

「いっいや……そうはいっても、なあ」

「ああ、村に蛇を入れるのは……」

「皆の気持ちも十分に分かる、だが若き2人の姿を見なさい。平民と貴族が身分を越え互いに支え合っておるではないか」

 囲まれたぼくら2人は膝をつき抱き合っている。

 ルーシーさんがハッと気がつき、ぼくと視線を合わせた。真っ赤になった頬が袖の下に隠れていく。

 周囲からは暖かな眼差しが向けられ……んん?

「悪夢も恐怖も我らの心。若き2人を見習い、向き合って受け入れなければな」


「アユム――なんかヨーギここ嫌だ、ラクシュもいないし行こうよ――!」

「まっ待ってください! 私はアユム様を……アユム様にお礼もしていません!」

 ヨーギがぼくを抱き上げ、馬の背に乗せようとする。

 ルーシーさんが燕尾服の裾を握り、引っ張り返す。

「ちょっまっ……2人とも、落ちついて――~っ!」

 空中に釣り上げられたぼくは、釣り合ったロープみたいに伸びてしまう。

 なんだか分からないけど農民から軽い笑いが上がり、空気が緩やかになった。

 まあ騒動が治まったのなら、いいんですけどね。

「はっはっまずはアユム様にお礼いたさねば。村を訪ねられた件もありましょう、なんなりとお訊きくださいませ――」




「なんも……なくなっちまった……」

 ここは木炭を一時保管するための、木作で囲まれた50人に満たぬ小さな村。

 木こりと木炭職人が倉庫とし、自給自足分だけの農地が広がっていた。

 魔獣暴走(スタンピード)において第一報告がされた村でもあり、後に見るも無残な惨状となって農民の目に焼きつくこととなる。

 耕地は掘り返され放牧もできず、広場は押し流された家屋で埋まっていた。

 心を静め祈るべき教会も半壊し、魔獣の屍で見る影もない。

 しかし主要となる中都市や水場への距離、新たに森を切り開く労力を考えれば、同じ場所に農村を再建するほかないのだ。

 誰かがノロノロと瓦礫を拾い始め、ただ途方に暮れ手足を動かす。

 唯一の慰めは衛兵の駐在だったろう。北方の盆地に至る街道を整備し、国有林の警備が国是として発せられる。

 監視塔と万一に備え、農民全員が避難できる門衛棟も建てられたのだ。

 森に畏怖する農民にとって、兵士の姿は支えとなった。


 村のある場所に、犠牲者の鎮魂を願い小さな慰霊碑が建てられている。

 絶えず炎が灯り、日に幾度も手が組まれていた。

 村に帰り呆然とする農民の誰もが、その場に燃えたつ炎を垣間見たのだ。それは微かに残った勇気に、握った拳に力を与えてくれる。

「そうだ……俺たちは、膝をついちゃなんねえ」

「彼らに、合わせる顔がねえ……っ」

 数え切れぬ魔獣と戦い、その屍に埋もれてなお足掻き続けた騎士団。

 (カティーナ)を染め抜いた赤き軍旗が、炎のごとくはためいていた――。

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