十三夜 返還と召喚
バスケットには蜂蜜のスコーンと、カレンデュラのハーブティー。木製コップと手製の木皿をセットで入れてきた。
ベーキングパウダーがないので、スコーンにはレーズン酵母を使用している。
このためだけに窯を使うのはためらわれ、フライパンで焼く。ありがたくも厨房への立ち入りを認めてもらい、やれることが増えた。
「向こうの世界でも食事を作ってたから、慣れてるつもりだったけど……」
料理道具や調味料、食材など――意外にもない物、ある物、違う物、品種改良前でむしろ混乱してしまう。
「代用品を模索したり、新たに製作する方法を考えていかなきゃなあ」
こちらの常識に慣れるため、これから大変だと苦笑する反面――。
石造りのバルコニーには、まだ冬なのに涼やかな風が吹いていた。ぼくは基本的に日陰が好きだけど、ちょうどいい陽気で気持ちがいい。
欧州の南部に近く、温暖な地域にある国のようだ。
遠くで兵士たちのかけ声がしていた。バケツチェーンポンプが水を汲み上げる、重くも乾いた木の音。
布がはためき、風に乗って届く笑い声――。
こんな生活もいいな……と、どこかで感じていた。
「ん――~スコーンだっけ、サックサクして噛み心地いいわあ! クロワッサンも最高だったし、甲乙つけがたいわねえ!」
味見には大きすぎる口を開け、スーリヤ様が目を輝かせる。
色々と妥協したけどお気に召してよかった。
「自家製酵母がうまくいったんです、アカーシャはどう――」
「んっ……むん……っ」
無言でガッついてるので問題はないか。
「ハーブティーもさっぱりして爽やか。エールやワインは……まあ大好きだけど、普段飲むなら断然ハーブティー推し!」
「カレンデュラはまだ十分ありますから、遠慮せずどうぞ」
「ハーブってこんな利用法があったのね、料理の香りづけだけかと思ってた」
スーリヤ様がコップを両手で持ち、感心して眺めている。
――ハーブの研究や知識は修道院が中心となっていた。宗教改革によって一般に広まりを見せるのは、一六世紀からである。
「料理にはハーブやスパイスが欠かせないですからね。でも大量に使うだけじゃ、もったいないですから」
量より質です、残すくらいなら。
「そうなのよねえ、食事ごとに毎回残すのはどうにも気が引けて。権力者の威光はわかるのよ、でも家令にもっと贅沢しろってチクチク嫌み言われるし……まあ? どうせ曲がりなりの領主だしぃ――~」
半眼になって指示棒をもてあそび、ひねくれた物言いになっていく。
地位があれば義務も発生するし大変だろう。不快なことが脳裏をよぎったのか、深いため息をついていた。
「では――貴族が連なる晩餐の席では、彼らだけ今までと同じ量の食事にするのはいかがでしょう? マナスル伯爵」
胸に手を当て、うやうやしく礼をとってみる。
「……ほう妙案じゃ。ならば我の皿は、質を重視するのじゃな? アユム卿」
指示棒で口元を隠しながら、下目使いにスーリヤ様が返す。
「真実を知ったときのヴィーラ殿下のお顔、見たくはありませんか?」
「お主も悪よのぉう――~…」
二人でいたずらを画策し、人の悪い笑みを浮かべて忍び笑った。
「アユムが来てくれて、本当によかった――!」
屈託ない顔で子供みたいにスコーンにかぶりつく。M属性を喜んでくれるのは、スーリヤ様だけではないのか。
立場がある方なのに、なぜか心安らぐ雰囲気をお持ちだ。
「それにアカーシャが懐くのも珍しいしねえ。ヴィーラ殿下がおっしゃってたわ、M属性同士で惹かれ合ってるのかもね」
スーリヤ様が笑いながら、夢中で食べてるアカーシャをつつくマネをした。
「ぼくも家臣としては、かなり若いつもりでした。もっと歳下がいると紹介されて驚きましたよ」
トゥランガリア伯爵、名はアカーシャ――十七人の因果伯の一人である。
行政をつかさどる宮中伯と同様に、因果伯も所領による自力を得ない。
ヴィーラ殿下に仕える直属の家臣であり、特異な「力」――「カルマ」を啓いた者のみ、一代かぎりで拝命される爵位。
「ウールドもそうだった、国を支える重臣にはとても見えないなあ」
年齢は関係ない。先輩家臣に対して礼儀を守り、「トゥランガリア卿」「閣下」と呼んでいたらふくれっ面をされ……結局は名を呼び捨てとなった。
個人的には楽だし、ぼくも「卿」で呼ばれると緊張してしまう。
「『カルマ』を啓けるかは因果次第、重ねた年齢じゃないから――…あっ!」
スーリヤ様がうっかりしていたと、額に手を当て天を見上げる。
「忘れてたあ……相手が誰でも、基本的に属性は他言しないようにね? 『力』を持つと義務が強要されるの、場合によっては大変な話になるんだから」
唇に手を当て「メッ」と睨む。
アユムだから話したのよ――そんな呟きが嬉しい。
「スーリヤに歳の話はダメ、機嫌悪くなる」
食べ終わったアカーシャがハーブティーを飲み、軽く突っこみを入れる。
「もう、今のはおふざけでしょう? ……無神経に訊いてくる奴が嫌なだけです、アユムはそういうとこ皆無だもん」
「えっと、一応ありますよ。さっきも皆さんよりは年長って言ってたし、やっぱりエルフは長寿なんだって敬服していました」
なんだか欲のない聖者みたいに言われ、照れ隠しにフォローしてしまう。
イメージとしてはJ・R・R・トールキンの「指輪物語」に出てくる種族。まあスレンダーではなく、やや育ちすぎの印象はあるけど……。
「指輪物語」は二〇世紀中期に刊行された、ファンタジー小説の金字塔である。
召喚の間ではヴィーラ殿下と近衛隊員以外は、フードを目深にかぶっていた。
暗闇の迷宮で最初に出会ったのが彼女でなければ、過去の欧州にタイムリープしたと勘違いしたかもしれない。
「そこよっ!」
スーリヤ様は自分の長い耳をピンと弾きながら、大きくかぶりを振る。
「大概の只人はこの耳とエルフ特有の美貌を見て、興味半分で近寄ってくるのよ。西方の果てにいるエルフがなんで? ってね! 珍獣を観る目を向けられたら気も滅入るっての、ずっとフードで隠す生活になったわけ!」
胸の内を吐き出し、嘆いてフードをかぶるしぐさをする。
色々溜まっているのか、憤りを身ぶり手ぶりで大袈裟にアピールしていた。
「取ってつけたみたいに美人って持ち上げられても、嬉しいわけあるか――っ!」
今日は濃い緑のコタルディ着用。ウエスト部分を編みあげてコルセット風にし、複数のポシェットがついた革紐を常備している。胸元が大きく開きシンプルで動きやすいシルエットも、サイドポニーテールにした蜂蜜色の髪とあっていた。
「伯爵になったらなったで、地位目的の求婚や裏取引が相次いで閉口してたの! だけどアユムはそういうとこ全然気にしないから、本当に気楽――~!」
両手を上げ大きく背伸びをすると、たわわなメロンが活力に満ちている。
「そうなんですか? 地位などに関係なく、スーリヤ様はとてもかわいいですよ」
かなりの年齢差があるのに、まったく感じさせない歳の近い姉。
にこりと笑ったら、また目が合った。
スーリヤ様がうつむき「コイツハ、コイツハ……」と呪文を唱えだす。
何か変なこと言ったかなあ。
「アユムは天然のタラシだな」
アカーシャどこでそんな言葉を……いや、なんだか誤解があるみたいだ。
「向こうの世界に、エルフが登場する物語があるんです」
突然の発言に、二人とも驚いてぼくを注視する。
「空想小説や幻想文学――といったジャンルですね。精霊や妖精に超自然的存在、 神秘性を扱った本で何冊も読みました」
スーリヤ様が何かに書きつけようと、何もないので手をさ迷わせていた。
その手が突然停止し、急激に温度が低下する。
「物語に、エルフが……登場する?」
「その手の話が好きな者には既知の種族ですね。ぼくとは逆にこちらから向こうへ渡った人がいて、後世に伝えたんでしょう」
ですからぼくにとって、エルフは特別な存在ではないんですよ――と続けると、かなりショッキングな内容だったらしい。
「へ~アラヤシキにいけるのかあ」
アカーシャは深皿の底に残ったスコーンに興味が勝っていた。
けれどスーリヤ様は顔色を変え、ものすごい勢いで思考を巡らせている。
「アラヤシキへ……渡った、人がいる」
「スーリヤ様?」
「先ほど――『カルマ』は唯一返還にいたる道と、説明しましたよね!」
椅子から弾けて立ち上がり、机に両手をつく。
髪が乱れ、たわわなメロンがこぼれ落ちそうになるも無関心だ。
「えっ……ええはい。運命を返還させる、のですよね?」
「『力』を使用するさい浮かぶ文様は『門』です。そうしてS属性は木片を炎に、土を鉄に返還します」
目はぼくを見ていても、焦点があっていない。
スーリヤ様は独り言のようにぶつぶつと呟いている。
「門を啓き……無限の知識や喜びがある不滅の世界――『アラヤシキ』にいったん経由させ、お力を借りて再び門から返還する――…」
「……経由?」
説明の意図がわからず、オウム返ししてしまう。
「『アラヤシキ』と『こちらの世界』を繋ぐ通路、それが『カルマ』なんです!」
「通路――ではぼくは『カルマ』を通って、こちらに来た?」
「そうですある意味すべての現象は、アラヤシキから召喚してるといえます!」
もし、と続ける。
「もし木片や土の代わりに体を、人体を返還できるのなら――」
ヴィーラ殿下はなんとおっしゃった?
再び門をくぐれるとは思うなと、なんらかの比喩だと気にかけていなかった。
思うなと、それは裏を返せば……。
「カルマ」は向こうの世界につながっている。それを裏づける、召喚されて異世界へ来たぼくという存在。
スーリヤ様の視線が複雑な心情で、ぼくをとらえていた。
アカーシャが船を漕ぎだしたので、今日はお開きとなる。
部屋の外で待機していた侍女にアカーシャを託す。ぼくは少し呆然としながら、スーリヤ様に挨拶をし退席した。
「…――ユム! アユムはもしかしたら気がついてるかもしれない、すなわち――『カルマ』の可能性!」
自分の部屋に帰ろうと歩いていたぼくの背を、スーリヤ様が呼び止める。
考え事をしていたので動きが酷く緩慢だった。声は聞こえるのに足元から延びる影を見ていて、遅まきながら振り返る。
「来たのならば――~…っれる、かも」
夕日で逆光になっていて、陰のなか表情はよく見えない。
妙に気のあうお姉さんの肩が震えていた。
「私たちがもう一度『力』を使い門を啓けば、送れる可能性は高い! ――っとの世界に帰りたいよね? 当然だろう、けど……っ!」
胸元を握り前かがみになって、それでもお腹から声を出して叫んだ。
「アユムをアラヤシキへ、帰せるかも――~っけど! 私はっ!!」
「えっ嫌ですよ?」
「ヘア"っ!?」
美人は変な声でも美人なのだなあと、妙な関心をしてしまう。
「えっと……うん、アユム? でも……」
「送られたりしたら困りますよ。ぼくはヴィーラ殿下に忠誠を誓ったのですから、殿下の戴く世界が我が御国!」
「あっ……はい」
「実は向こうの世界の『夢』を視ましてね。繋がっていたのならあれは現実だったのかな――と、そうだったらいいなと偲んでたんです」
キラキラした瞳で笑いかけたのに、なぜかスーリヤ様の思考は停止していた。
「んん――~…炎生!」
蝋燭の火が消え、燭台を手に使用人さんが困っている。
スーリヤ様をマネて試したんだけど、火は点かず二人の時が止まった。
「……あっ大丈夫です! よそで移してきます、火口箱もありますから!」
火打石や火打金などの鉄片、火種を作る朽ち木や穂綿を収めた箱。現代で言えば手のこんだ点火装置である。
気になさらないでください――使用人さんの優しい笑顔がむしろきつい。
「やっぱりM属性には無理か、残念だなあ」
なんらかの縁があって異世界へこれたのだ。ヴィーラ殿下と同じS属性に、魔法みたいな「力」に魅力を禁じえない。
属性の違いに口惜しくなり肩を落とす。
「だけど逆に考えれば幸いともいえるのか。国の状況次第で最前線はないにしろ、戦闘訓練を命じられていたはずだ」
剣を持ったこともない身で、生死の覚悟すら持てぬまま。
戦いには適さないM属性だからこそ、王国を磨きあげろと命令された。
「ああ……蒸留水作りに、精をだされているのかな」
外を眺めれば夕食の準備か、厨房の煙突から煙があがっている。それが嬉しいのだから、やっぱりぼくはM属性だと独り納得した。
街をうるおすナディ川の源流は、王国の霊山と呼ばれる「モルディブ」にある。
ふもとに広がる樹海には、魔獣が生息しているという。
「……つまりマナスルは、常に魔獣の脅威に晒されていることを意味する」
使用人さんが怪談話に語ってくれた。
床や壁に映ったぼくの影が、誘うように揺れる。心がざわつくのはなぜだろう、何かが繋がりそうな……思い出しそうな予感。
「魔獣か……まさしく異世界だなあ。『カルマ』と違って、そっちは絶対に対峙したくないけど」
魔獣が徘徊する樹海に想像をふくらませ、苦笑しながら肩を抱く。
石造りの窓から夕陽が射し、柱の影を浮きだたせている。夕日が沈み、柱の影と暗闇が混ざりあい混沌が加速していく。
影が射し白と黒が転化する、異界へと転ずる狭間が好きだった――。
頭を振って違和感を押し出し、居館を歩く。
陰を歩く、ぼくの瞳だけが浮かんでいた。
☆
――私は腰に巻いた革紐のポシェットから、数本の棒が入った皮袋を取り出す。
五センチほどの小さな棒を一本、親指と人差し指でつまみ軽く集中。
『炎生』!
前方に二〇センチほどの見慣れない文様が浮かび、淡く発光する。
文様に棒を差し入れると、影に包まれ棒の形を保ったまま崩れて消えた。
返還された炎を蝋燭に弾くと、日が落ちて薄暗くなった部屋をオレンジに浮かび上がらせる。
続けて何本かの蝋燭を点けた。
すでに十年、住み慣れた雑多な宝物が積み上げられた探究部屋。
「やっぱり便利」
掲げられたタペストリーの、S属性をしめす文様を指でなぞり独り言ちる。
ふと少年の残り香を感じ、座っていた椅子に振り向く。真剣な瞳が光りに揺れ、影となって消えていった。
偲んでいたと彼は笑った、ならばアラヤシキはもう過去の話なのか。
「ん"ん"……まっまあアラヤシキの貴重な検体だし、帰る気がないのなら心配することもなかったわね~うんうん」
そも「カルマ」に時間や場所、空間による拘束力は発生しない。
ヴィーラ殿下のように武器に炎をまとわせて維持させたり、何百何千もの領民に一瞬で声を伝える生徒もいた。
「カルマ」を通し、未来予知をするアカーシャなど最たる例だ。
S属性により肉体を、O属性により精神を、M属性により記憶を――物理法則に束縛されず、凌駕する「力」をしめすのが「カルマ」である。
「そしてあらゆる属性を統べる、今なお未知なる二つの文様……」
一つは召喚の間に浮かんだ、梵字の「キリーク」に酷似した文様だった。
「カルマ」はすべての動植物――生物に通じている。
しかし意志の力をもって啓ける者はそう多くはない。したがって通常「カルマ」と呼ぶときは、「門を啓きし者」を指す。
「すべての人々に通じているのなら、なぜ使用者制限が生じるのか……?」
私の長き旅は、そんな疑問が発端だった。
あるいは「門」が小さすぎて返還できないのでは、といった説がある。これなら個々の力量によって効果時間や範囲、操作深度が違う説明がつく。
であるなら、属性による得手不得手も同様ではないのか。
「一度『門を啓きし者』ならば、あらゆる属性を返還できるのでは?」
私は本来M属性である。
何十年も前……火打石も火口も使わないのは楽そうだと、見様見真似で試行錯誤していたら「炎生」を使えるようになった。
離れてる人と会話できたら便利だと「風舌」を学び、『綺人』にいたる。
本来の属性ではないにしろ、力量があれば返還が可能と立証できたのだ。
「只人に比べて長寿のエルフだからこそ、おこなえた振る舞い……か」
そう思えれば、うとましかった長い耳すらピンと弾いて笑える。
里を飛び出し属性にこだわらず手を広げ、教えを求めて周った半生。全てを記録した分厚い本が棚に収まり、存在を誇示していた。
「探究の旅の果てに……アユムと出会う……」
そしてまた、新たな疑問がわき上がったのだ。
五センチほどの小さな棒を一本、親指と人差し指でつまみ凝視する。
「原因を『カルマ』に通し、結果へと返還させる――」
私は無意識のうちに、不可思議な力なのだからと思考停止してはいなかったか?
「そうよアユムはアラヤシキで形成されたんじゃない、生活していたんだ!」
五センチほどの小さな棒を一本、親指と人差し指でつまみ凝視する。
「アラヤシキに渡った棒は……いったいどうなったんだろう」
封印を解いてまで実行された突然の召喚の儀。かつての関係者の顔が想起され、違和感だけがいや増す。
私は、一つの可能性を考えていた。
『あたえれない菓子を見せびらかすのは酷だ――』
いつか聞いた、陛下の言葉が長い耳にささやく。
赤毛の幼女 「それで、いま何歳?」
エルフの女性「……二百以上、三百未満」