百二十三夜 魔獣暴走ノ18
「「邪土」? 餓狼の気性から、てっきり「炎生」が啓くと思ってましたけど」
鉄の光沢を放つガントレットを前に、イーシャ卿が座り込んだまま呟く。
「ちっ……殿下が、ねーちゃんの護衛をしろってよ! 俺は嫌だがしょうがねえ、強い者に従うのが不文律だ!!」
両腕の甲冑が軋みを上げながら、なんの違和感もなく自在に動く。
餓狼は新たな牙に、言い知れぬ高揚を感じていた。
「オオ――…!」
キュクロープスがさらに一歩踏み込み、半ばから焼け落ちた巨木の柄を振る。
敵を排除できなかった苛立ちに、周囲の建物が巻き添えをくっていた。
「へっ試し殴りには、持ってこいの小者だ!」
だが覇気を撒き散らす狼は、瓦礫の降る中を悠然と闊歩する。
「おお……巨人を相手に臆することなく、なんと勇敢な!」
「いっいや小者って、何なんだあの傷の男!」
クロスボウをお守りに抱きしめた衛兵が、感嘆と突っ込みを同時にこぼす。
鉄の熊を見た者なら、この男も同じと認めただろう。世に恐れられる因果伯の、別次元の脅威――。
「……オォ」
巨木の旋風が止み、場に張り詰めた空気が漂う。
巨大な単眼が、近寄ってくる敵の存在を認めたのだ。
「オオオオ――ッッ!!」
遥か上空から巨木が唸りを上げ振り落とされる。餓狼の横幅を越える影の中を、眼光が尾を引いて疾走した。
キュクロープスの足元へ一足飛びで迫り、背後では巨木が石畳を穿つ。
「おらあああっ!!」
「グオ――…ッ!」
己の顔ほどもある小指を、狼が咆哮を挙げ殴り飛ばす。
体を震わせうずくまる、巨人の叫びが重なった。
「オオッ……オオオオ――ッッ!!」
キュクロープスにとって狼ではなく、害虫に思えただろう。
追い払う巨木が空を切り、思わぬ場所に激痛が走った。伸ばす手は掻い潜られ、懐に入られて牙が突き立つ。
「人の嫌がることが得意なだけありますわね――『門前にて塞ぐ道反、常世を隔て生気を止めよ』っ!!」
それでもリーチの差は歴然。
危い要所でイーシャ卿が「力」を放ち、巨人の動きを止める。
「――ッオォ!?」
当たるはずの攻撃を封じられ、瞬きする間に害虫は視界から消え失せた。
相対する者は全て小さく、その大半は姿を現しただけで逃げたではないか。
己に敵対するだけでなく、傷すら負わせる害虫――それは巨人にとって、驚愕と激高に値する事態。
握りしめた巨木の幹に亀裂が生じ、木屑が周囲に舞う。
「雷がありやがるからな、体に張りつくのは避けてえが……」
こっちに注意を引きつけとかなきゃあ、残ってた兵士がやべえ――。
回廊にいた衛兵が、放電に巻き込まれ倒れている。後方へ搬送するよう下にいた衛兵に目で促し、どうにか全員が担ぎ出されていた。
衛兵の隊長が回廊を後にする際、餓狼に頷いて報せる。
「よっしこれで――って言ってるそばから!」
「オォ……ッ!」
単眼が見開かれ全身に閃光が走り、破裂音と共に衝撃が襲う。
巨木が砕け飛んで燃え、フレアが煙の帯を引き街中へ盛大に広がった。
「なっ……!? 救護以外の者は類焼を防げ、消火しろ――消せ――っ!!」
貴族の屋敷と違い、平民の住居は木造建築である。隊長が叫んで指示し、兵士が慌てて火の玉を追う。
私どもにはこれくらいしか……傷の男、どうか巨人を頼む。
「――つぅ! でっけえずうたいして、器用なことやりやがる!」
餓狼はガントレットを盾に痛みを軽減したが、弾かれてつんのめる。
単眼は動きの鈍った害虫を見逃さず、巨大な手の平がわしづかみに伸びた。
「遅ぇ――っ!」
「グオッ!」
手の平を掻い潜って駄賃とばかりに指を殴り、手首を支点に蹴上がる。
痛みで反射的に持ち上がった手を発射台に、巨人の背に飛び込んで殴り出す。
息を吐く間に繰り返す攻防。見ていた者は感嘆しただろう、まさしく狼を思わせるしなやかな体術だった。
「てめえ自身に雷は効かねえのか!? っとに鈍い野郎だ!!」
しかし殴り倒すには大きすぎる巨人に、餓狼は思わず愚痴をこぼす。
いや、違うな――見れば千切れ掛けた右手親指の傷口が、足の指が燻っている。
数ヵ所殴った痕からも、血の焦げた匂いがした。
雷を無効化できてる訳じゃねえ……アレを放つ時の閃光、弓を引く一瞬のタメを嗅ぎ分けっちまえば――。
「後はくたばるまで、ぶん殴るっ!!」
『餓狼……確かにあなたは強い――』
だろうな、あったりめえだ。
村じゃガキの頃から、大人でも俺に敵う奴はいなかった。ガタイのいい行商人や過客は当然、武芸を学んだ奴も打ち負かしてきた。
それなのに、こんなにも強えのに……なに一つ満たされねえ。
飢えてるなんてかっこいいもんじゃねえ、ムカつくだけだ。怒鳴って殴るだけの大人、死を撒き散らす盗賊、顔も見せず命令する貴族。
――頭を下げるしかねえ貧乏人。
仕方がねえしょうがねえと諦める空気ばかりが鼻にく。なにもできねえ自分に、ムカついてムカついて腹が立つ。
なんでもいい、誰でもいい――未来を切り開いてくれ。
「俺は、おい俺はなぁ! ただ好きな仲間と食って騒いで――遊んで暮らしてえ、だけなんだっ!!」
「……この駄狼最っ低」
「グオォッッ!!」
ついにはキュクロープスの骨をも穿ち、巨体を揺れ動かす。
「本当に最低だけど……領民のためだってごまかさない所が、貴方らしいわね――『マレビトの来訪、幽暗たる泉下にて幻影に惑え』!!」
意識の集中が難しくなってきた、喰い破りなさい――。
イーシャ卿の錫杖に灯った文様が瞬く。巨人の意識が支配され、数知れぬ害虫が己を囲む幻影を視せた。
「オォ……オオオ――っ!?」
突如増えた害虫に混乱し、両腕を振って払い落とす。
だが幾度も直撃してるはずなのに、水面に映る影のごとく揺れ戻る。巨人の顔に驚愕が張りついた。
「喰い破れ、餓狼――っ!!」
「があああっっ!!」
鉄の光沢を放つガントレットが、キュクロープスの首筋を殴り抉る。
「ッオ……オォ……」
大量の血が噴き出し胸元を濡らす、グラリと揺れた体に餓狼は勝利を確信した。
確かめるように見上げた巨人の顔は影に包まれ――その単眼が、見開かれる。
「っ……やべえ!」
即座にガントレットで防御し、巨体を蹴って宙に逃れた。
しかし来るはずの衝撃が鳴りを潜め、数舜の静寂に心音が呼応する。鋭い視線が突き刺さり、危険信号が全身を襲う。
「――ちっだせぇ! 誘われっちまった!」
キュクロープスの左手が、宙を飛ぶ餓狼を人形よろしくわしづかむ。
「がああっ!!」
「餓狼――っ!?」
「あぁ……」
膂力の差は比べるまでもなく歴然。捕らえられ身動きのできない害虫となって、餓狼の口内に血が溢れた。
イーシャ卿が絶望に膝を揺らし、見守ることしかできない衛兵が蒼白となる。
「こん……のぉ」
それでも瞬時に握りつぶされなかったのは、賞賛に値するだろう。
巨人の単眼が見開かれ、今度こそ閃光と破壊音が重なった。
「オォ……ッ!」
「うおおおおぉ――――っっ!!」
キュクロープスの首筋から溢れた血が、焼きゴテの音を発して止まる。
全身を砕かれ絶命した傷の男……その最後を想像し、衛兵は思わず目をそらす。
「オオ……ッオオオ――…!」
しかし呻いて天をあおいだのは、キュクロープスだった。
餓狼は両手で無理矢理隙間を作り、指4本を蹴り砕いたのだ。肉体強化された、腕の数倍と言われる脚力。
「……ちっとばかしでけえだけで、いい気んなるなよ」
接触していた背中が焦げ、狼のたてがみが逆立つ。短く刈った髪の両サイドが、灰色に染まっていた。
常人なら絶命しよう苦痛を耐えきる、異様なほどの膂力と体力。
怒りが、体から虹の光を放つ。
「オオオ――…!」
キュクロープスの右手親指は千切れ掛け、左手の指4本が逆向きに砕ける。
向こう鎚ごと放電で焼き上げ、柄で殴りつけても潰れない。この小さき害虫に、どれほど翻弄され被害を被ったのか。
怒りはお前以上とばかりに、石畳に叩きつけるべく手の平で餓狼を掲げ――。
『常世を隔て――っ止まれデカブツ』!!
錫杖に灯った見慣れない文様が瞬いて消えた。
餓狼が停止した巨人の手の平から落ち、自由落下で宙に舞う。キュクロープスの顔面目掛けて。
イーシャ卿はかすむ意識で、その瞬間だけをまぶたに映す。
「――ッオオ!!」
瞬時に「綺人」の拘束が解け、巨人は目の前に落ちる餓狼を見上げる。
振り払うには間に合わないと、放電すべく一瞬の硬直。
「っせねえ!!」
そのタメを見逃さず、餓狼の一撃が見開いた単眼を貫いた。
「グオオ――――ッッ!!」
放電をまともに受けた餓狼は硬直し、口から煙を吐き再び弾かれる。
だが意識はあったのか、巨人の鎖骨をつかんで路上への落下を拒否。体を震わせながらも、肩口に登りへばりついた。
「へっ……体ん中までは、鈍くなかったかい……っ」
「オオ――オオオ――…ッ!!」
突き刺さったガントレットが鉄の筒となり、巨人は眼から血と煙を吹き上げる。
見えぬ目で餓狼を振り払おうと、体を揺すって幾度も叩く。両手の指は壊され、つかむこともできなかった。
「オオオオ――…ッ!!」
「ぐっ……おい、でけえの! 俺を屍にするには、なあっっ!!」
四つん這いで顔面に迫った餓狼の一撃が、キュクロープスの下顎を粉砕する。
「てめえじゃまだ、小者だ!」
「オォ……ォ……」
キュクロープスが膝をつき、石畳に大穴が開いた振動が響く。向こう鎚で砕いた市壁へあお向けにもたれかかり、半ば塞いで横たわった。
地を揺るがしていた振動が、それを最後に止まる。
「「おお……うおおおおお――――~っっ!!!」」
耳に痛いほどの静寂の後、耳を盛大に叩く絶叫が轟いた。
衛兵が両腕を上げクロスボウを放り投げ、肺の空気を全て吐き出して震える。
「たっ倒しちまったぞ! あの魔獣を、あの見上げる巨人を!!」
「見ろ傷の男がやってくれた、街が――救われたんだっ!!」
「ああ……ああ、もう終わりだと、ここが俺の死に場所だと……っ」
ありがとう――。
悲鳴か感動か、泣き声まじりの喝采は止まることなく木霊した。
「……けっ」
それは照れだったのか、餓狼が巨人の胸に居座り後ろを向いたまま頭をかく。
残った左腕のガントレットが、パリパリと剥がれ落ちる。ふと空を見上げると、死闘が嘘だったように青空が広がっていた。
「背に守るべき者……ふんっガキのくせによ」
「餓狼――動けます? 肉体強化を維持に巡らせて……そんな器用じゃないわね。これに懲りたら、今後はしっかり学びなさい」
イーシャ卿が乱れた髪を整えながら諭す。
自身も意識がかすみ錫杖を杖にしていたが、なによりも餓狼の安否を気遣った。
言い方はどうあれそれは賞賛をふくんだ彼女なりの優しさ。しかしそんな心遣いなどどこ吹く風と、振り返った餓狼の口の端が上がっている。
「なあおいねーちゃんと組めば、あの殿下も倒せるんじゃねえか?」
「……衛兵、あの男が謀反を企んでます。捕縛して投獄なさい」
睨みつけて命令された衛兵が、真っ青になって首を振った。
「因果伯になれか……あのガキに雪辱戦をかますにゃ、この場所にいるしかねえ。飼い犬に見られっちまうのが、宮仕えの辛えところか」
餓狼が立ち上がって腕を回す。
新鮮な空気を吸い込んだ胸が、熱く鼓動していた。
「そんな意味で言ったんじゃ……もうっ! 勧めるんじゃありませんでしたわ!」
イーシャ卿が憤り、足を踏み鳴らす――。
『…――こえる? インガハクの、ボク……声、いてる?』
「っなんだあ!? 頭んなかに声が……つぅ!」
突然耳ではなく、脳に声が響く……痛いくらいの強制介入。
餓狼が側頭を軽く叩きながら、苦痛の声を上げる。
「っこれは「風舌」! 先ほどの少年が、使い手だったの!?」
イーシャ卿も突然のことに驚き、座り込んで頭を抱えた。
突然騒ぎだした2人に意味が分からず、衛兵は顔を見合わせる。
☆
「キュクロープス!? あんな魔獣まで、暴走に加わっていたのか!」
北の市壁に薄い煙が登り、巨人が乗り込んでいた。
中都市へ駆け戻り全貌が見えてきて、ブリハスパティ卿は眉をひそめる。
街の周囲に広がる畑が掘り起こされ、見るも無残な状況となっていた。視界には魔獣の姿が散見し、今なお襲撃が続いていることを報せる。
領民の悲鳴が轟く惨状……若き領主は胸を引き裂かれる苦痛に汗を落とす。
しかし今は感情に任せる時ではないと、頭を振って追いやった。
「……西の門へ回って正解だったな。あのような巨人に出くわしては、命がいくつあっても足りなかろう」
「熊のおっちゃんが倒した牛よりもっと大きい……あんなのに、襲われたら」
ジャーラフの視線が巨人に釘づけとなり、身震いする。
「うむ、加勢に向かわなくてはな。さて2人ともしっかりつかまりなさい!」
西の門は当然だが閉じられていた。どれだけ叫ぼうと、たった3人を入れるため開門しないのは明白。
ブリハスパティ卿は魔獣の只中を突っ切り、市壁を無造作に蹴って飛び上がる。
肉体強化を行えるS属性にとって、市壁は防御の意味をなさない。
「ひゃ――~っ市壁って、こうやって越えれるんだ!」
「S属性でなければ難しかろう、フック付きのロープを使用するなど工夫して……いや危険なマネをされては困る、子供に見せるべきではなかったな」
黒猫の笑いをふくんだ感嘆に、静かな熊が苦笑で答えた。
「な……っ!? なんだ、熊っ!?」
「熊だ! 熊の魔獣が、襲撃してきた!!」
市壁上の回廊でクロスボウを構えた衛兵が、突如降り立った巨漢に驚愕する。
暴走に晒されている北の門とは違う。西の門では魔獣が市壁に沿い駆けて行き、状況が分からず混乱だけが支配していたのだ。
「落ちつきなさい、私は因果伯だ! 火急ゆえ声もかけずに立ち入ってしまった、驚かれるのは無理もないが許して欲しい!」
ブリハスパティ卿が胸を張って声高らかに訴えた。
因果伯との主張と、なによりもその優しい瞳と穏やかな物腰。瞬間的に最大値を超えた緊張が、急激に落ちついてゆく。
「熊じゃない、大きいが人……だよな?」
「ああ因果伯と、噂通りなら市壁くらい越えそうだが」
「はぁ……勘弁してくれ、寿命が縮んだぞ」
「巨人に相対する、立ち昇る光が2つ視えます。ジャーラフが出会った方?」
「うん、あいつらだ! 赤い瞳と狼、熊のおっちゃんと同じインガハク!」
熊の背で視線をめぐらしていた姉が問い、妹が同意をしめす。
「ジャーレーど……も光が視えるのですな、これはなんとも頼もしい!」
ブリハスパティ卿がプールポワンをとき、ジャーレーを降ろして感嘆する。
「彼らに詳しい状況を報せ、衛兵を通して市民に伝えて貰いましょう。後は私どもに任せられよ――すまぬが治療できる場所へ案内を頼む!」
周囲に叫ぶと、数人の衛兵が呼ばれ駆けてきた。
亜人だと気がついた衛兵もいたが、因果伯の命令に無言で従う。
「待ってください、プラーナ様のお言葉を市民に伝えるのが先決です!」
ジャーラフ、こちらへ――姉が座ったままで妹を呼ぶ。
移動だけで体力を消耗し、白猫の衰弱は誰の目にも明らかだった。
「いっいやしかし 其方らをこれ以上巻き込んでは――…」
「巨人の討伐を援護し、衛兵に情報を伝え……残念ですがその猶予はありません、一刻も早く市民の被害を抑えなければ!」
私たちが垣間見た、ヴイーヴルの脅威を――小さなジャーレーの覇気が、またもヴィーラ殿下に重なる。
数倍する巨漢のブリハスパティ卿が、思わずたじろぎ顎を引く。
「いいジャーラフ、あの2人の他に光を発する者はいない? こんなに沢山の只人がいては全員は無理……強い光にだけ、意識を集中してみて」
「村にたまにいた……只人?」
「そう、なにも難しいことじゃない。いつもお姉ちゃんと話をする時と同じよ」
「お姉ちゃんと? でも……」
「ジャーラフ、お姉ちゃんを見て! ジャーラフの素晴らしい「力」は、誰よりもお姉ちゃんが知ってる。胸を張りなさい、もっと自信を持つのっ!」
ジャーレーとジャーラフの視線が合う、真っ直ぐに重ねられた黄色と青い瞳。
「う、うん……うん! やってみる!」
ジャーラフは一旦街を視界に納めると、それが当然とばかりに目を閉じた。
手を組み祈る姿で、意識を集中する。
「市民が1万人はいる中都市なら、いつの間にか啓いている職人は複数おろう……生死の順位は心苦しいがいたし方ない、しかし因果伯だけならまだしも……」
「ブリハスパティ様、私に妹……ジャーラフみたいな「力」はございません」
姉は妹の邪魔にならないよう、体を支えてくれる熊に小声で話す。
それは罪の告白に近い、懺悔であったのかもしれない。
「ただ妹とは……意識で会話ができるのです。妹が視れる……感じれる淡い光を、共有できるだけなのでしょう」
今も同じです、ただプラーナ様の心を感じれるんです。
胸を焦がすほどの熱い心、求める世界を――右目を覆う血に染まった白い布は、彼の少女が身にまとっていたドレス。
お気に入りの服を裂いてまで渡された、その心情だけで感情が沸き立つ。
「ジャーラフ、きっとあなたも感じているはず」
瞬きもせず妹を見守るトパーズの瞳に、ブリハスパティ卿は小さく頷く。
「「力」はないと言うが、あの少女と心を通じれる者がどれほどいよう」
それは『カルマ』をも超越した、まさしく得がたき資質に思えた。
静かな熊は衛兵へ目で諭し、2人の邪魔にならないよう静かに盾となる。
「分かるよ、お姉ちゃん……っ」
遠くに立ち昇っていた因果伯の光が、意識を集中するだけ近くに感じれた。
他にも弱い光に雑ざり、強い光が一つ二つ……街中に点在し瞬いている。距離の概念が希薄となり、尻尾で触れるほどに近くへ。
それは生まれてよりずっと2人で交わしてきた、当たり前の所作。
「魔獣は北からだけ暴走してくる。街へ入り込んだ魔獣から身を晒して逃げたら、逆に追われ襲われるだけだ」
プラーナ様なら脅威が迫った時、なにを守りどう対処すべきとおっしゃる?
『混乱し思考が空白となっている者に、複雑な行動の指示は難しい』
まずは目の前の事態のみ、手に負える事態のみを対処させる。行動して一つでも自ら解決できたなら、余裕が生まれ意識も回復しよう。
『そのためには端的な情報伝達と、分かりやすい行動指示が求められる』
そうだボクに名をくれた、ボクに生命を吹き込んでくれた――。
「見事だ……」
ブリハスパティ卿が、ポツリと呟く。
「門が、啓く……」
ボクの心は、プラーナ様と共に在る――。
ジャーラフの口内から、淡い光がうっすらと瞬く。
『――聴こえる? インガハクの2人、只人の皆にボクの声は届いてる?』
前方に30センチほどの見慣れない文様が浮かび、淡く発光する。
『ボクはジャーラフ! プラーナ様の、お言葉を伝える!』
「ヒィアアアアア――――ッッ!!」
中都市にほど近い森が爆発し、樹木が周囲に降り注ぐ。
巨人を思わせる女性の上半身に、うねる蛇の下半身を持つ魔獣が躍り出た。
さらに数体のキュクロープスが追って現れ、地の魔獣を踏みつぶす。巨大な女王を護衛する、巨人の集団。
巨人一体ですら兵士には太刀打ちできず、市壁を易々と破壊されたのだ。
街へ迫る大型の魔獣に抵抗の意思は四散し、絶望が身体を支配する。
その時呆然と見上げるしかできない兵士にあって、何人かが気づいた。女王の首から胸元に揺れる、ペンダントを思わせる赤い糸。
炎の鞭を振るい抗する、黄金色の髪の少女の姿を――。