百二十夜 魔獣暴走ノ15
「門衛の諸君、出迎えご苦労――~っ!!」
領民が垣根を作りたたずむ北の市門前に、場違いな大声が轟く。
見れば北東の村へ向かう街道に、騎乗した甲冑姿の騎士が1人。
「わたしはトゥランガリア侯爵閣下より大任を拝する、ガハナであるっ!!」
魔獣の脅威から領民を守るため市門に立つ、これは勇気が必要となるだろう!
このことをきっかけに魔獣と、戦闘状態になってしまうかもしれないからだ!
しかしっ思い出してくれ、なぜ兵士になったのか!? 騎士を志したのか!?
領民の生命、権利と財産を守るためだった! 命を惜しむためではないっ!!
「おお兵士よ奮い立てっ! 魔獣の脅威がなにするものぞ――~!!」
ガハナ卿が剣を手に雄叫びを上げた。
領民たちは盛り上がってる騎士に呆然とする。貴族相手に下手なことも言えず、独り芝居に眉をひそめて見守るしかない。
肝心の門衛は亜人を追い、門を通っていいのかと悩む領民しかいなかったのだ。
「なんだ、あの道化は……」
離れて騒動を眺めていた屋台の親父が、聞こえぬようにボソリと呟く。
「おっ大型の魔獣!? ばかなっ! あれは夢だ、夢で見ただけで……っ!!」
トゥランガリア侯爵がよろけ、魔獣を凝視したまま叫ぶ。
キュクロープスが向こう鎚を振るい、市壁の破壊される音が時間差で届いた。
治めるべき領地が目の前で破壊されていく、それはいかほどの絶望であったか。
「はっ! 亜人……亜人、貴様かっ!?」
しかしふいに気がつき、振り返って黒猫を睨みつける。
「きっ貴様ら亜人が儂の領地に! 魔獣を引き寄せたのかあ――――っっ!!」
「フギャ!?」
侯爵が鬼の形相で絶叫し、体型に似合わぬ素早さで飛び掛かった。
それはこの場にいる亜人だけに向けられた狂気ではない。意味が分からず対応に遅れた黒猫に変わり、ブリハスパティ卿が盾となる。
「閣下落ちついてください、亜人といえど無暗に疑うべきではありません。まして大型の魔獣出現は、すでに報告されていたこと!」
「亜人のせいだ……こっこんなバカな話があるか、現れるはずがない!」
汗を落とし髪を振り乱す様相は、誰が見ても常軌をいっしていた。
「アレは儂の夢だ!! 夢で見て思いつき、噂を流せと下知しただけなのだっ!」
「……噂を、流せ?」
状況を見守っていたイーシャ卿が聞き咎め、反射的に繰り返す。
「あ……っ! あっいやその――ああっ!」
我に返った侯爵が、口を押え視線を彷徨わせる。お腹から優美な革の鞘が落ち、這いつくばって隠すが後の祭り。
豪華な客室が影に包まれ、自分に向けられた疑惑の目から逃れようとうつ向く。
「トゥ……トゥランガリア卿っ!?」
己が製作した騎馬鞭の鞘を忘れようはずもなく、ブリハスパティ卿がおののく。
「おいこいつぁどういうこった? アレコレと企んだ主犯はナマズだろ?」
それが答えだったはずと、餓狼が頭をかきながら眉を寄せた。
「ええそのはずですわ、なにより――」
「綺人」に、虚偽は通じない。
スヴァティシュターナ卿を主軸とした背信は事実。しかし、噂を流した……? 実際に大型の魔獣が現れたのは予定外?
でもそれは当然だろう、魔獣の理など分かろうはずもないのだから。
操ることなど誰にも――…。
『アレは騎士の甲冑をまとった道化よ――』
「……っ!?」
優美な革の鞘が瞬き、毛織の掛け布団に包まれた少女が想い浮かぶ。
悠久の年月を感じる賢者……主君の言葉に導かれ、光の道が帰結する。
「いえっいえそうですわ! 殿下はナマ――…スヴァティシュターナ卿を、道化とおっしゃっていた。自己顕示欲の高さを揶揄されたのだと思っていましたけど……もし今件が劇であるならば、物語の主軸であれど役者にすぎない!!」
ならば操っていたのは誰――!?
大規模な魔獣の集落が発見されたのは、王の管理する御料林。
貴重な木炭の生産地に、魔獣の狼藉を放置してはおけない。騎士団が徴集され、軍隊と呼ぶべき規模の討伐隊が組まれた。
王族が、殿下が最高指揮官の代理として出陣なさるのは、誰にとっても明らか。
相応しい舞台が整い、魔獣の討伐に役者がそろう、全てを演出できるのは――。
「この戯曲を執筆できる劇作家は、領主のトゥランガリア卿だけっ!?」
深淵を望むガーネットの瞳が、侯爵の背に突き刺さった。
「――そっそも亜人は、魔獣と等しく我らの敵だったのだ!!」
握りしめ震える拳と、虚空を睨み揺れる目。
トゥランガリア侯爵が、肺の空気と怨嗟を吐き出す。
「流浪の民と称し、只人の領地へ勝手に住みつく! 領主として教義を理解できぬ異端者どもを、追放するのは当然だ! 亜人の祭りを知っておるか、祝いと銘打ち子を殺しておるのだぞ!!」
「そっそんなことしない! 聞いたことも――~…っ」
親に捨てられた我が身に、黒猫は強く言い返せず語尾が濁る。
「ほ――れ見ろっ亜人ならやりそうなことだ! 理を持たぬ異常者どもだっ!」
己の正しさが証明され、勝ち誇った侯爵がお腹を揺すって喜んだ。
「ブリハスパティ卿はご存じだろう! 大人しく奴隷に徹しておるならまだしも、商人となり金貸しを始める者がいる! 己の利益しか考えぬ利己主義者のせいで、どれだけ只人が苦しめられたか!」
肩で息をしながら叫び続ける侯爵に、衛兵は矛先が向かぬよう小さくなる。
中都市の兵士にとって、侯爵の「亜人嫌い」は常識だった。なにしろその手で、領地の亜人を迫害し追放してきたのだから。
「只人が流された血の無念……亜人の血を流してこそ、仇討ちではないかっ!!」
「おいごまかしてんじゃねえぞジジイ、亜人への恨み言なんか聞いてねえ」
「……トゥランガリア卿が、亜人に確執を持っておられるのは分かりました。ですが常識や生活習慣の違いは御存じだったはず、なにか確証があるのでしょうか?」
餓狼が面倒くさそうに進み出るのを、ブリハスパティ卿が目で制す。
おそらくこれこそが、事の中心になるのだと。
「儂の子がっ! やっと望めた息子が、疫病で殺されたのだ!!」
「子を殺す亜人が、毒を盛ったに違いないっ! そうでなければなぜ儂の息子が、侯爵家の嫡男が死なねばならんかったのだっ!!」
そこに騎士団を有する大貴族、国家の最高位にあたる侯爵の姿はない。
ただ子を喪い絶望に沈んだ、父親だけが残っていた。
「儂の気持ちが少しでも……陛下も継承権を持つ子を、喪ってみればいいのだ!」
「――っ!」
「ほのおっきえる!」
因果伯に殺気が芽生えた瞬間、アカーシャ嬢が声を荒げて躍り出る。
座り込んだ侯爵よりも小さな背丈で、守るように銀のゴブレットをかざす。
「それは殿下が差し上げた……ほのお、炎が消える?」
炎と聞き瞬時に想い浮かぶ、ある方の姿。
舌足らずに告げる幼女と重ねられた符丁に、因果伯の背に嫌な予感が流れた。
「だな……取り敢えずあのでけえのは放っとけねえ、謀反がどうのってのは後だ」
巨人の踏みしめる振動が、リズムとなってガラスを震えさせている。
餓狼がアカーシャ嬢の頭をポンと叩き、扉へと向かう。
「トゥランガリア卿、その話は後ほど詳しく……今度は、止めません」
返していただきます――イーシャ卿が優美な革の鞘を拾い胸元に納めると、今度こそ部屋を後にした。
「この子供も、小さいけど強い光を発してる……」
「行きますよ、殿下の下へ案内して貰えますか?」
幼子を視て呟いた黒猫の背を、ブリハスパティ卿が諭すように叩く。
影に徹していた衛兵も目を合わせ、物音を立てずに因果伯の後を追い退出。
主の豪勢な居室に、親子だけが取り残される。
「へっ陛下が悪いのです。こともあろうに亜人を貴族に据え、あまつさえ防衛線の要となるマナスルの領主に拝命するなど……わっ我が国の名誉は地に堕ちた」
本来なら国境付近など、重要な軍事力を有する地域の支配は侯爵が準じていた。
それを伯爵位程度が、ましてや亜人が治める。貴族として生まれ育った者には、世の破壊に等しい。
「謀反などではない……奏上しても聞き入れてもらえず、王国のためには発起するしかなく……わっ儂は義賊だ」
それは偽りのない、彼にとっての事実だったのだろう。
「儂にマナスルを拝領していただけたら、息子は疫病などに侵されはしなかった」
振動に耐え切れず、ガラスにひびが入って砕けた。
それは侯爵家の没落を告げる、鐘の音だったのかもしれない。
「とうさま……とうさま……」
うつ向いてブツブツと遺恨を呟く侯爵の背を、アカーシャ嬢が抱きしめる。
ついに父の瞳は、自分に向けられなかった。それが女性の身であったからなど、幼子に分かろうはずもない。
ただ幾度も夢で視て、危険だと感じていた光景、幼いながらも得ていた予感。
止めることのできなかった因果――。
娘の小さな震えを、父親は気づくことすらできなかった。
☆
「おい向こうで騒ぎが起こってる、盗賊が襲ってきたのか!?」
「どこから……あたしらは、どうすりゃあいいんだいっ!!」
「知る訳ねえだろ! こっこんな危険な所にいられるか、俺は逃げるぞ!」
都市部では市民が混乱し、各所で騒動が発生していた。
丘の上にある領主の館なら見えた巨人も、建物に遮られ市壁すら確認しにくい。
状況が分からず騒ぎだけが広まり、焦りが苛立たしさだけを膨らませる。
「――皆落ちつきなさい! まずは家族の手を取り安否の確認、パニックが伝播し暴徒化する方が危険ですわ!!」
批判と罵倒が飛び交う中で、その声だけ遥かに洗練された覇気がこもっていた。
誰もがなぜか無視できず、声の発信源である女性に注視する。
深淵を望むガーネットの瞳、薄紫のコタルディを着た女性がおんぶされていた。
「あ……っああそうだな、一旦落ちつこう」
「そっそうね、ウチの子を見てこなきゃ」
「俺らが問題起こしちゃ、治まるもんも治まんねえな」
誰もが通り過ぎる女性を目で追い、頷いて息を吐く。
「餓狼は急ぎなさい! いくらこの街の市壁が強固でも、キュクロープス相手ではそう持たない!!」
イーシャ卿が背を伸ばし、餓狼の髪を手綱よろしく握って誘導する。
「てめえこのアマ! 俺を馬と間違えてんじゃねえだろうなっ!」
「文句を言わないだけ、馬の方がマシですわ!」
「――ちっ! 振り落とされたって知らねえぞ、オラどきやがれっ!!」
餓狼の威嚇が大通りに響き、さらに意識が引きつけられた。
異様な集団が駆け抜ける端から、混乱が収まっていく。
「なにやらいつの間にか、上手く乗りこなしておるみたいだな」
後を追従するブリハスパティ卿が、呆れながらも苦笑する。
「あの……じゃあおっちゃんらが、インガハクなんだね。見ず知らずのワタシに、本当にアリガトウゴザイマス」
熊にお姫様抱っこされた黒猫が、ぎこちなくも礼を述べた。
「もっもう自分で走れるから、降ろしてよ!」
「ははっ遠慮しなくていい、ヴィーラ殿下は私どもにとって大切なお方だからね。ご無事を知らせてくれて、こちらこそありがとう」
脚衣に残った血が存在を誇示するが、傷はすでにふさがっている。
居心地の悪さは、慣れぬ優しさだけではない。只人への警戒心も忘れる笑みに、黒猫は別種の苦しさを覚えていた。
「プラーナ様って、そんな偉い方なんだ……」
この熊も赤い瞳も狼も、立ち昇る光を発して視える。今は弱ってるけど、思えばプラーナ様も信じられないほど激しい光を発してた。
亜人と只人、取り分け貴族との大きな隔たり。
黄金色の少女と一緒に森を歩いてたのが、遠い昔に感じられる。免れられぬ身分の格差に、黒猫は瞳を伏せた。
「どうなってやがるっ!!」
「ギャガァ……ッ」
餓狼が迫り狂ったゴブリンを殴り飛ばす。北の市門が近づき逃げる市民の中に、異質な影と叫び声が耳をつんざいた。
門が開け放たれ、魔獣が都市部で暴れ回っていたのだ。
「こいつら北東の村に現れたっつー魔獣の残党か!? 襲ってきたのはあの巨人だけじゃねえにしても……なに考えてんだ、なんで跳ね橋を上げねえ!!」
「すでに打ち破られた? まさか、いくらなんでも早すぎます!」
あまりの異常事態に、因果伯とて呆然としてしまう。
しかし覇気のこもった、兵士の頼もしい声も同時に叫ばれている。
「今伝令を受けた、市民の誘導を最優先とする! 訓練通りに動け!」
「聞いた通り力が強い! 巡回の相方でも誰でもいい、組んでかかれ!!」
「そこの路地からも魔獣が迫ってる! かなりの数だ!!」
乱戦状態ではあるが、兵士の秩序は失われていない。
「門の放置はげせぬが……幸いにも命令はいき届いている。どうやら視野の広い、隊長がいるようだな」
ブリハスパティ卿が周囲に視線を飛ばし、疑問と賞賛を重ねる。
「それにどっちの騎士団がやったのか知らねえが、手傷を負ってやがる。これなら街の兵士でも、どうにか相手ができっだろ!」
騎士も意外にやるねえ、帰ってきたら褒めてやるか――。
餓狼の軽口にイーシャ卿は額を押さえ、余計な事を言わないようにと釘を刺す。
確かに多くのゴブリンは傷を負っており、中には明らかな深手もいた。さらには北東の村から駆けてきたのだろう、息を乱し膝が揺れている。
「ですがそれ以上に違和感がぬぐえません。小型の魔獣は狡猾な面があるはず……それにしては目についた者を無秩序に襲い、孤立しています」
見れば壁に張りつき、立ち竦む市民がスルーされていた。逃げる市民を追い背を向けるので、兵士に討ち取られている。
「確かに妙ですな……魔獣の、理か」
「ギャガァ――ッ!!」
「うっ……わああああっ!!」
疲れか剣を落とした若い兵士に、ゴブリンが飛び掛かった。
駆け寄った餓狼が無造作に裏拳で弾き、民家の石壁にぶつかって崩れ落ちる。
「あっ……あ、あり……がとう」
「おい、なんで門を閉めねえんだ!?」
兵士は魔獣にやられたのか、手に足に血が滲んでいた。
「おっ俺だって知らねえよっ! あっこにいる騎士が訳の分からんことを叫んで、跳ね橋を上げないよう命令しやがったんだ!!」
喘ぎながら首を振る先を見れば、騎乗した騎士が1人たたずんでいる。
その足元に肉やワイン樽が転がっていたが、意味を理解できる者は皆無だろう。
「へっ辺境騎士のせいだっ! 奴が妙な作戦を立てたから、市民に被害が出た! わっわたしは悪くない!!」
食べ物に目を奪われた魔獣を、市民の前で華麗に屠って魅せる計画。
バクター卿のマネをし、北の市門を開け放ったガハナ卿が呆然と呟いていた。
「あの騎士の意図は理解できんが、門を閉めて被害の拡大を防ぐべきだ」
「ええ、ゴブリンは兵士に任せしましょう。私たちは跳ね橋を上げるよう指示し、市壁に取りつくキュクロープスを抑えるのが最善でしょう」
ブリハスパティ卿の提案に、イーシャ卿が頷いて同意をしめす。
「少年、殿下はどちらにおられるのでしょうか?」
「プラーナ様ならお姉ちゃんと一緒、門を出て左の森に入ったとこ!」
「プラ――~…そう、そうですか」
黒猫がブリハスパティ卿から飛び降りて指差す。
イーシャ卿は殿下を愛称で呼ぶ無礼に声を荒げかけたが、街にはおられない――その失望が深いため息となってもれる。
「森に入って距離は……いえ、万一があります。按手が使えるブリハスパティ卿が適任でしょうね」
本来は自分が真っ先に向かいたいだろう、硬く握った錫杖が揺れた。
「うむ、承った!」
イーシャ卿の心情を理解し、ブリハスパティ卿が強く頷く。
「さすればこの場を突破する、行くぞ少年!」
「餓狼! 私たちは2人が通った後で北門を――えっ?」
「なっ!?」
「ひゃああ――!!」
北門前の広場に敷き詰められた石畳が弾け飛ぶ。
ブリハスパティ卿が黒猫に向き直り、イーシャ卿が振り向いて叫び、我関せずと手近のゴブリンを殴っていた餓狼の上を。
乗馬したガハナ卿の横を、巨大な鳥の影が横切った――。
跳ね橋を引き上げるチェーンが断ち切られのたうつ。
飛来した巨大な両刃の斧は勢いを落とさず石畳でバウンドし、3階建ての民家を破壊する勢いで深々と突き立ったのだ。
周囲に建材と木の壁が舞い、石壁が吹き飛ぶ。
「……っ今度は、なんだちくしょう!」
「ブゴオオオオオオ――――っっ!!!」
餓狼の叫びに呼応し、人とも牛とも思えない雄叫びが空気が響かせる。
両刃の斧を投げ跳ね橋を使用不能にし、今まさに門を潜らんとする大型の魔獣。
「牛頭人身の巨人、ミノタウルス――あっあんな魔獣まで!!」
街に雪崩れ込み蹂躙される想像に、イーシャ卿が唇を震わせた。
「させぬわ、叩き出すっ! ――『邪土』!!」
ブリハスパティ卿の胸に「カーン」に酷似した文様が浮かび、淡く発光する。
キノコを彫金した幅の広いネックレスが、呼応し脈打った。
――かつてキノコは雷より発生すると信じられており、生命の神秘……錬金術の研究対象にもされている。
十字架はベニテングタケを模したとの説もあり、エデンの園を描く際にリンゴの樹の代わりにされるなど、欧州ではなじみが深い菌類ともいえよう。
そして一部では摂取すると精神が高揚し、錯乱状態で鬼神のごとく戦う戦士。
勇猛果敢な戦士の象徴としても伝えられた。
『狂戦士』!!
胸から発した黒い鉄が、ブリハスパティ卿の全身を覆ってゆく。
熊を模した黒い甲冑、プレートアーマー姿の騎士が街中に顕現する。
「ぐぉあああああ――――っっ!!!」
その雄叫びに、居合わせた全ての生物が凍りついた。
民家に突き立った両刃の斧を片手で引き抜き、黒猫を小脇に抱えて駆け出す。
兵士と組み合うゴブリンを、市民を威嚇するゴブリンを、立ち竦むゴブリンを、走りながら撫で斬りにしていく。
「どぉらあっ! どけどけどけ――――っっ!!」
世に恐れられる因果伯の、別次元の脅威。
「――っそこの路地! 危ない光がくるよ!!」
「ゴアアアアア――――ッ!!」
黒猫と魔獣の叫びが重なる。
指差した路地から、ライオンの頭部と蟻の体を重ねた魔獣が飛び出してきた。
「ミルメコレオ!?」
危険を告げるイーシャ卿の叫びも遠く、石畳を穿った硬い斬撃が周囲に響く。
「ッゴォ……」
ミルメコレオの頭部が割れ、全身にまで亀裂が及び二つに割れる。
大人の数倍はあろう魔獣を、ブリハスパティ卿はまさしく一蹴してのけた。
「うおおおおおっっ!!!」
魔獣の群中を一騎駆けする非常識さ。最短距離で北門まで辿りついた鉄の熊が、勢いのまま両刃の斧を振るう。
腕を上げ応じたミノタウルスの脇を抜け、街を出ると森に飛び込んだ。
「ブゴオッ……オ……」
背後で血の滝が降り、地響きと共に巨人が市門棟に崩れ落ちる。
「ガハハハッこのガキ、O属性か! 頼もしいじゃねえかっ!!」
「どっ……どっちが!」
突進してきたカトブレパスを、逆にタックルで吹き飛ばす。まさしく大熊に豹変したと思わせる、ブリハスパティ卿の暴走っぷり。
呆れた黒猫は賞賛も忘れ怒鳴り返した。
「今のはいったい……なんだったんだ?」
鉄の熊が通り過ぎた大通りで、兵士と市民が口を開け呆然としている。
吹き荒れた熊嵐に、ゴブリンとてしばし動きを止めていた。
「ヒュ――ッ! 口うるせえだけかと思ってたが、熊の旦那もけっこうやるねえ」
貴族にしとくのはもったいねえや――餓狼が腰に手を当て、強さに敬意を表す。
「あの少年も、さすがは殿下が御遣わしになっただけありますわね」
共に頼もしき仲間の姿に、珍しくも2人は目を合わせて笑い合う。
「さって、こっちもやるかい!」
餓狼が腰裏から短剣を2本とも引き抜き、両手に持つ。
体の内から、淡い光がうっすらと立ち上っていく。
「ええ――『綺人』!」
錫杖の先端、輪になった部分に見慣れない文様が浮かび、淡く発光する。
「魔獣どもを排除し、殿下をお迎えするに相応しき街に整える!!」
☆
「私にも……気配の光が視えたら……」
かすかに聴こえた妹の叫び、脚に受けた貫く痛みに思わず手を当てる。街でなにかあったのだ――しかし今の自分には、気遣う手段すらない。
白猫は全身の苦痛に汗を落としながら、己の動かぬ体を呪っていた。
「脚に違和感があるのか? 待っていろ、せめて歩けるように……」
「だっ大丈夫です! これ以上は……っ!」
大木の根元で、2人の体が淡い光を放つ。
少女が白猫を抱きしめ、全身から発する『カルマ』で按手を行っていたのだ。
少女の体とて万全ではなく、脂汗が止まらず蒼白となっている。すでにどちらが重体か判断すらつかない。
それはまさしく、命を分け与える行為に思えた――。
「なにかあってからでは遅すぎます。お願いですから、樹に登りましょう!」
「ろれつが戻ったな、その意気だきっと助かる!」
白猫の必死な訴えに、少女が軽口を返す。
そのやり取りにすら白猫は戸惑い、困惑を深める。なぜこの方はここまで私に、亜人に手を差し伸べるのか。
「最初にお会いした折、打算と申したのは偽りではございません……っ」
瞳を伏せた白猫の告白に、少女は思わず目を瞬かせた。
「……プラーナ様はきっと、私が想像もできないほど高き地位の方なのでしょう。中途半端に地位のある貴族ならば、自尊心で亜人の頭を抑えようとしたはずです。一切そんなそぶりはなかった……その必要がないほどの、高き地位」
「姉君は見識だな」
「私はそんな貴族を目当てに、妹を託そうと企んだあさはかな亜人です!」
自身が病にかかっている予感がし、後悔に苛まれる。助けていただいた貴族の、庇護を受けるべきではなかったか。
彼の貴族はどこへ向かったのだろう、もう一度北東の村へ行くべきか。
川淵に白き花を発見した時、それが貴族だと知れた時に決心がつく。なによりも残していく、妹の身だけを案じていた。
「貴女は多くの領民の命と財産を、その背に負っているはずです! なぜ私など、亜人など放っていかないのです!」
「亜人の身で只人の領民を想える娘が、あさはかなはずはなかろうよ」
少女が目を細め反論する。
白猫はその瞳だけで、初めから知られていたのだと理解した。
「それに何故だろう、企まれたなどとは思えなかった。心とは不思議なものだな」
黄金色に輝く髪が光のオーブを舞わせ、別種の世界が広がる。
「私は幼き頃、知らぬがために取り返しのつかない生命を失った……」
思えばあれが、全ての始まり。
分からぬことは言い訳にならん、知らなければならない。
知ることが、知識を得ることが……。
「この身を捧げてでも知ることが、私が報いれる唯一の贖罪なのだ!」
抗ってやると、決めたのだ――。
体の内から溢れた淡い光が、大きく瞬く。
「今もこんな近くに、月の瞳があるのを知ることができた」
白猫の黄色い瞳が、縦に一筋ナイフの光を放って揺れた。
「プラーナ……様」
「……っ!?」
「姉君に報せはなかったか、ならばこれは妹君ではないな」
ふいに白猫が身動ぎし一方を睨みつける。次いで草木を掻き分ける音が聞こえ、それは徐々に大きくなった。
あきらかに自分たちの方へ向かってくるのが分かり、緊張が高まる。
「プラーナ様!」
「そうだこれは、追われ逃げ惑う者の調べだ」
狼ではない――。
少女が騎馬鞭を手に臨戦態勢を整え、白猫が威嚇の唸り声を鳴らす。
大木の根元に座した2人の前に、複数の影が躍り出た。