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M属性 ~嗚呼、あなたに踏まれたい~  作者: 高谷正弘
第三章 新王都アムリタ
106/177

百三夜 師弟

「これは、洗いでがあるわねえ!」

 シャンティ卿がヨーギの馬体を前に、ブラシ片手に格闘していた。

 世が世なら両者は命を懸け血を流し争う、国の重要な戦力である因果伯。

 敵対国の密偵が見れば、信じられない状況だったろう。ヨーギは浴槽の縁に顎を乗せ、気持ちよさそうに半ば眠ってすらいる。

 アラヤシキ川前店、半日点検の日。

 ハミングバード学園の子供たちがそろって訪れ、広いお風呂を堪能していた。

 複数ある浴槽を出入りしては大騒ぎし、外の屋台店主や客が見上げるほど。

「ううっボクは護衛という、殿下とのお約束があってえ……」

「アユムは大丈夫だってば! 大体殿下と渡り合う奇天烈な料理人を害せる輩が、そうそういるとも思えないけどね」

 ソーマもいるし、たまには羽を伸ばさなきゃ――背を流し合った黒猫と乙女が、一番ぬるい湯舟で湯気をまとっている。

 無理矢理連れて来られたジャーラフも観念したのか、お湯に浸かって舌を出す。

 子供たちが濡れて細まった尻尾をコッソリ握ろうとし、視線も合わさずに振って避けられるので大笑いが木霊した。

 彼女らもまた、世に流布される因果伯の像とは重ならないだろう。


「は――いアユム兄ちゃんが教えてくれたよね、広い所ではどうするんだっけ? 仲のいい子と手を繋いで、お互いを見守るのよ――~!」

「は――――いっ!!」

 洗い場は水と石鹸などで滑りやすい、暴走する前にシャンティ卿の注意が飛ぶ。

 文化行事の学習発表会や学芸会、健康安全の身体測定や避難訓練。集団行動での校外学習もまた、アユムによる実地だった。

「ヨーギ姉ちゃんは、誰と手を繋いでるの――?」

 シャンティ卿と一緒に洗っていた子が、小さな手にブラシを握って訊く。

「ヨーギはぁ……アユムをお守りしろって、ラクシュが言ってたよ」

「アユム兄ちゃんを?」

 仲良くなったヨーギが出て行ってしまうのを思い出し、ブラシが止まる。

 出会いと別れを納得するには、皆あまりにも幼過ぎた。

「……ずっといればいいのに」

 絞り出すような願い。

「そうだよねえ、私もそう思うわ」

「シャンティ様も!? だったら兄ちゃんにお願いして、いて貰おうよ!」

 希望を込めた瞳が見開き、小さな頭を幾度となく振る。

「あたしの食事を分けます! ヨーギ姉ちゃんが一緒に住んでもいいでしょう?」

「シャンティ様ぼくのも分けるよ、お代わりもしませんっ!」

 同様の相槌が起き、因果伯の2人が中心となって囲まれた。

「ねえヨーギ姉ちゃん、もう少ししたらニンジンが採れるんだよ!」

「ニンジン!? ヨーギ好き――!」

 ニンジンの単語にヨーギの耳が半回転し、起き上がるとお湯が半減する。

 子供たちがお湯の勢いに押されお尻をつき、驚きが笑顔に変わって弾けた。

「でもそうしたら、アユム兄ちゃんが独りになっちゃうでしょう?」

 シャンティ卿の、静かな呟き。


「ねえカゥム、お兄ちゃんに教えて貰いたいこと、まだ沢山あるよねえ」

「当たり前だよ! もっとアユム兄ちゃんに……でも新王都なんて、遠すぎるよ」

 子供には考えも及ばぬ2日の旅。

 黄色に先っぽが黒の耳が、未知の恐怖と悔しさで寝る。

 最初は怖かった只人、だけどなんでも知っていて嫌な顔一つせず教えてくれた。

 まだ見ぬ地に建ってると聞いたジョーキエンジン。海を望む地には風車があり、兄ちゃんが作るケーキに似た闘技場の話。

 あおぎ見る瞳は、いつも柔らかな笑みと一緒に返ってくる。

 それは只人を恐れていたカゥムにとって、確かな道しるべだったのだ。

「そうだねえ……アユム兄ちゃんはほら、凄い料理人だけどちょっと変でしょ?」

「すっごく変――っ!」

 即答に同意の声が幾度も重なり、大笑が生まれた。

「ほんと変なお兄ちゃんだけど、多くの人を助けて美味しい料理を作ってくれる。新王都にもきっと、カゥムと同じようにお兄ちゃを待っている人がいるのよ」

「……薪ボイラーで、お風呂を作ったり?」

「そうだね、こんな素敵な施設を建ててくれたよね」

 先ほど見せて貰った、想像もしていなかった鉄の窯を思い出す。

「兄ちゃんのお料理、すっごい美味しい!」

「美味しいよね、みんな喜んで食べてる」

 思い出して生唾を呑む音や、お腹の鳴る音がした。

「鍛冶屋でも料理人でもいい、みんなはなにを目指す? 心惹かれる夢はある? そうして学園を巣立って、お兄ちゃんみたいに世に出るの」

 慣れないながらの勉強、少しづつだけど広がる世界。

「残された私は今のみんなと同じ、だぶん……すごく寂しいと思う」

「あたしシャンティ様とずっといるよ!」

 ぼくもいると繰り返し続き、シャンティ卿は息を呑んだ後ゆっくりと首を振る。

「みんな自分のやりたいことをなさい、そのため数字や文字を一生懸命学んでる。私はその(いしずえ)となって、いつでも見守ってるから」

「あの計算や難しい記号は、鍛冶屋になるための大切な勉強なんだね」

「カゥムのお兄ちゃんは、できないことを望んだりしませんよ」

「……ヨーギ姉ちゃんも、アユム兄ちゃんを見守ってるんだね」

「大切なお仕事だね」

 子供たちは頷いていいのか迷い、モジモジと顔を見合わせた。

 上手く感情を言葉に紡げないもどかしさ。

「いってらっしゃいって、見送れるといいね」

 私がハチドリなら、アユムは水ね。皆の心に深く沁み込んでしまう。

 そして少しばかり、怖い――。


 子供たちの複雑な表情にビハーラ嬢は苦笑し、天を見上げ息を吐く。

「まあジャーラフの護衛も「初心忘るべからず」か、有事に備えるのは大切かな」

「ショシ……あいつに聞いたのか? フン、ボクはもっと沢山教わってる」

「あっズルイ――っ! 私にも教えなさいよ!」

 黒猫が得意げに耳をパタつかせるので、乙女は眉を寄せ反撃に出る。

「ふ――~んだ! 私なんか愛妾にどうか、と誘われたんですからねえ」

「――っ!?」

「母となる日がくる、とかなんとか――~!」

 ジャーラフの尻尾がお湯を跳ね飛ばし、これでもかと太く立つ。

「アユムが!? あのバカ、また気軽に手を出したな!」

「えっアユムって、手が早いの?」

「早いっ! 至る所で女が寄ってきて、断りもせず尻尾を立ててやがる!」

 アユムが聞けば事実無言だと、もろ手を挙げ否定しただろう。

 年上の2人は声を潜めつつ、感情が言葉を遠慮なく紡ぐ。親睦を深めるのには、成功していたかもしれない……。

「そうかと思えば人の気持ちに全く気がつかない、鈍感にもほどがある!」

「まったくだわ! その気がないなら、美しいバラに例えたりしないでよ!」


 欧州において、バラは聖母を象徴していた。



 ☆



「――クシュッ!」

 そこまで寒くもないのにクシャミが出た、誰かぼくの噂をしてるのかな?

「アユム親方……ここは?」

「肉を熟成させる貯蔵庫(ラーダー)です、特別に作って貰いました」

 バラダが壁に手をつき、シャンティ卿の屋敷の1階半地下を見渡す。

 食料の保管庫となっている倉庫に、石組の頑丈な小部屋を改築したのだ。とても冷蔵庫の代用とは呼べないけど、地下(ここ)なら十分に外気を遮断できる。

 天井の鉄柱から吊るされた肉と、アロマオイルを染み込ませた盛り塩。

「生鮮食品用ですから、そこまで長期の保存は考えてません。常備予定の害虫避けアロマオイルも、定期的に変えてくださいね」

 庭園に植えられていたタイムは、害虫対策にも期待できた。

 非常に強い殺菌効果があり、防腐や感染症予防に有効。比較的手に入りやすく、魚料理などにも使われるポピュラーなハーブ。

 遠心分離機を使用し、圧搾して精油を抽出――コールドプレス法である。

 欧州では持ち主に勇気と栄誉をもたらすと信じられており、女性はタイムの枝と蜂の刺繍を彩ったスカーフを男性に贈った。

 黒死病が蔓延した際、タイムの枝を焚き感染防止に勤めたほどである。

「厨房も毎日の清掃を心がけるようにしてから、害虫の被害が格段に減りました。アユム卿のお蔭でございますですっ!」

「そっそんなに畏まらないでよ、ぼくの方が緊張しちゃうじゃない」

 クラトゥが背筋をただして軍人よろしく叫ぶので、周囲に苦笑の花が咲いた。

「俺にとっては親方だが、クラトゥは兄ちゃんでいいと思うぞ」

 バラダが緊張をほぐすように、クラトゥの背を優しく叩く。

「あっはい、ちち……はっはい!」


 ――ぼくはパンに続いて、「肉」の熟成も実地する。

 マナスルでは城の地下倉庫に、アマゾネスでは洞窟に運び吊るしていた。鶏肉や牛肉ならば10日前後、豚肉で約3日。

 熟成保存によりたんぱく質が分解され、肉の質感や味香りが変化するのだ。


「肉の熟成……これも一概には信じられませんでしたが、親方の料理を口にすれば誰もが納得する手法でしょう!」

「素人のぼくに行えたのは、あくまで対象人数が限定されていたからですけどね。大人数を相手に捌くには、プロの料理人が培った技術と経験が必要不可欠です」

「そう言って貰えると、長く料理長を務めた甲斐がありましたな」

 熟成肉に心揺らせた職人たちには、料理の基本を伝えてきた。計量と調理手順、そして命に関わる重要性。

 素材や調味料には適切な分量があり、下準備を丹念に行い役割を理解する。

 食材全てを一つの鍋で煮込んだり継ぎ足せば、素材の質がバラつき風味を損なわせてしまう。現状に固執せず最適な調理法を模索すべきと。

 なにより食は、安全を考慮しなければならない。

 側溝と同じく意識改革を行ったのだ。

「……ウダカ城の件は、本当に残念でしたね」

「とんでもございません! むしろ私についてくると声を上げる厨房スタッフを、どうにかして立ち止まらせるのが大変でしたよ」

 大仰にかぶりを振り、声を上げて笑う。気のせいでなければ、どこかスッキリとした表情にも見えた。

 ウマー伯爵には「コース料理」のサービスを、理解して貰えなかったそうだ。

 ぼくから習い覚えた手順を説明し、食べ比べて欲しいと願うも応じてくれない。

 変わらずに「果てしなく量が多い」料理を望まれ――料理長を務めるバラダは、悩んだ末に退職を決意。

「晩餐に集う貴族の方々への手前もあるのでしょうけど……ぼくから説明すれば、もう少しは話を聞いて貰えたかもしれませんが」

「アユム親方にそこまでご迷惑をおかけできません。なに雇われ料理人ですので、その辺はお気遣いなく」

 私には美味しさの持続力という点で、親方の見識こそが正しく思えるのです。

 ウマー伯爵に納得して貰えなかったのは、少しだけ心残りですが――。

「生涯を賭して培ってきた味への追及、こればかりは妥協したくありません!」

 バラダの確固たる意志を尊重すると共に、その愚直さを尊敬する。

「どちらが親方なのか、教わることが多いなあ」


 マナスル城でも頑なにレーズン酵母のパンを拒否し、量だけの食事を最上とする貴族が多数おられた。

 フォークを製作してからは貴族に平民にこだわらず勧めてきたけど、話を聞いて試してくれた方々ばかりではない。

 疑惑の目を向けられ、多くの方に「堕落行為」と忌み嫌われたのだ。

 尽きせぬ料理と、素手の食事が常識の世界。利便性や必要性を説くまでもない、完全なる拒否を突きつけられた。

「常識の壁はぶ厚く、幾重にも張り巡らされている……」

 屋敷に設置した腕木ポンプにも似た話がある。

 日本の「火消し」は文化と呼べるほどの発展を遂げ、憧れの職とまで言われた。

 そこへオランダから、高性能の消火ポンプが送られる。その性能に誰もが賞賛を送るが、ついに導入はされなかったのだ。

「炎に立ち向かうのは火消しの神聖な戦い。幕府の立場としてこの伝統(・・)を、容易に検めることができなかったのではないか?」

 確立された常識は、本質よりも現状を貴ぶ事例だろう。

「ウマー伯爵の拒絶は、むしろ人類史に沿った正しさとも言えるんだ」


「なにより私にも託せる息子ができました、これよりは一層身が引き締まります」

 バラダがクラトゥの肩を抱く。

 託された息子は、体を震わせながらも真っ直ぐに答えた。

「ち……っ父上のご期待に沿えるよう、がんばりますっ!」

 血の繋がりが重要な時代にあって、一番弟子は父親の顔で目を細める。

 料理一筋だったバラダには妻子がいない。自分が得た知識や技術がいずれは露と消えてしまう、その意識が心に影を落とす。

 クラトゥと厨房で何度か会話を交わし、年齢に見合わぬまじめな対応を見初め、シャンティ卿に養子へと申し出たのだ。

 バラダはぼくの弟子として幾度も屋敷で調理している。その人となりを了承する魔女の、外見年齢に見合わぬ妖艶な笑みが瞬く。

「条件があります。クラトゥが一人前の料理人になる日まで、師としてこの屋敷で働きその志をしっかりとお伝え為さい」

「はっ……はは――! あっありがとうございます!!」

 深々と頭を下げるバラダをよそに、シャンティ卿がウインクをする。

「ウダカ城の料理人を退職したのを、ご存じでしたか」

 シャンティ卿のさり気ない配慮に 、ぼくも合わせて頭を下げた。

 バラダの今までの経歴が、無駄となった訳ではない。

 休日にはいつの間に仲良くなっていたのか、ライバルのニクトーと喧々諤々(けんけんがくがく)し、かつての部下が屋敷を訪れ師事を乞う。

 クラトゥと同性代の徒弟も連れてきて、拙いながら料理の議論を交わしている。

 料理人の幾人かは「新しい世界」に気がつき、種は確実に芽吹いていた。

「誰かが求め、誰かが気がつき、誰かが手を差し伸べ、誰かが……歴史を紡ぐ」

 後をついて来ていたソーマ卿が、駆け出しの親子に微笑んでいる。

 ビハーラ嬢がジャーラフを「遠足」へ連れて行ってしまい、代わりにぼくの護衛をしてくれてるようだ。

 彼と父親との確執はあくまでまた聞き、深く立ち入るべき話題ではない。

 親子の数だけ数多の物語がある、それはぼくとて変わらないのだから……。

「まあ気持ち的には、ビハーラ嬢のそばに居たかったでしょうけど」

 全員女湯ですから、どのみち御一緒は無理ですけどね。

 ぼくが引率する予定だったけど、シャンティ卿が任せてと引き連れて行った。

 人数が多くなるとぼくでは目が行き届かない、適材適所だろう。

「さて皆がお腹を空かせて遠足から帰ってきますね、昼食の準備をしましょうか」

「アユム親方、勉強させていただきます!」

「ぼっぼくもお手伝いいたしますっ!」

 バラダとクラトゥが、期待の眼差しで見つめてくる。

「本日は合いびき肉の、ハンバーグランチです!」


「身が詰まらず軟らかいので、子供が大好きな料理ですね」

 肉の割合は豚と牛で8対2。

 この時代平民のほとんどは牛を口にできない。豚ほどすぐ育ち肥えてはくれず、乳の出なくなった廃牛しか回ってこないからだ。

「みじん切りのタマネギを炒め粗熱を取り――さて皆さん、ひき肉の準備です!」

 先ほどの食料保管庫から持ってきた肉を前に、3人(・・)は何事かとぼくに注視する。

「肉に熱が移ってはいけません、料理の手順は手早く丁寧が基本ですね」

 厨房にリズミカルな小太鼓の音が木霊した。

 包丁を使い端から肉を細切れにしていく、ミートミンサーが欲しくなる作業。

「なるほどこれは、ミートローフに通ずる料理ですな」

「ほとんど変わりませんね。型に入れ窯で焼くか、一品ごとフライパンで焼くか」

 子供たちの数が多い、やはり手馴れて頼りになるのはバラダ。

「父上のおっしゃる通り、本当に料理は体力ですね!」

「ぬっく……っむ、むう……」

 クラトゥも無心で包丁を振るい、ソーマ卿は……彼の名誉のため黙っておく。

 ひき肉と炒めたタマネギ、パン粉に牛乳と、忘れちゃいけないおろしにんにく。

 材料を手早く混ぜ合わせて、ハンバーグのタネを作る。順次フライパンで焼き、そしてここからがミソ。

「この際肉から出た肉汁を利用して、ソースを作ります!」

「肉のアブラで……ソース、ですか?」

 この時代手間をかけた証として、下ごしらえに一旦茹でるのが一般的な調理法。

 もったいなくも、せっかくの肉汁を捨てていたのだ。

 中濃ソースと子供用にワインは少量、小麦粉を入れ弱火で手早く混ぜて完成。

 肉汁を利用し、手軽でありながらも濃厚――「グレイビーソース」である。

「はぁ――~っアユム親方に師事していると、毎日常識が更新されて行きますな。それなのに驚きに慣れないのが、不思議でなりません」

 バラダに味見をして貰うと、首を振って深く息を吐く。クラトゥにも味見させ、やるぞと気合を入れフライパンを掲げる親子。

 それを横目にぼくは数舜呆け、そして吹き出すように笑い出す。

「ぷはぁ! あはははは――――~っっ!!」

 異世界(こちら)の常識に、常識違いにずっと翻弄されてきたと思っていた。

 だけど困惑はぼくだけではない、なるほど双方等しく訪れていたんだ。

「あはは……っ本当に、教わることが多いなあ」

『そうだ、常識なんてコロコロ変わってく――俺はそこまで悲観してないぞ』

 ライオンのたてがみを持った王太子が、気楽に未来を語っていた。

 まさしくたった今この厨房でも、変化が訪れたのだ。

「新王都でこの件をお話したら、自分も食べたいと詰め寄ってくれるだろうか」

 なんだかぼくまで気楽になり、厨房に暖かな光が舞う。


「――アユム兄ちゃん、それはなに?」

 厨房の入り口に、黄色に先っぽが黒の耳が覗いていた。

 ハンバーグのつけ合わせ用に、パスタを茹でていたのだ。バラダが首を傾げて、しきりにパスタマシンを見回している。

「やあカゥムお帰りこれはパスタマシン、イットリーヤって食べた事あるかな? 似たような料理を作るための器具だよ」

 まだ食べたことがないのか首を振っている。畑から何か持ってきてくれたのか、足元には泥がついたカゴ。

 なんとなく入りにくくしていたカゥムも、器具への興味が勝り観察していた。

「そのパスタマシン、バラダの就任祝いにプレゼントしますね」

「ええっ!? いっいただけるのですか?」

 パスタマシンを落としそうなほど驚き、声を上げて抱きしめる。

「しかし親方には長方形のパン型や遠心分離機もいただいて……未熟な我が身は、なにもお返しできず」

「ぼくならまた製作をお願いできますから。そうですねお礼でしたら、これからもこの学園で、サンドイッチや美味しい料理を作ってあげてください」

「もっ勿論です! 是非とも精進し……親方、この匂いは一体?」

「いい塩漬けイワシがあったので作ってみたソースです、パスタには最適ですね」

 アンチョビとタマネギ、パセリにオリーブオイル、そしてニンニク。食材全てをみじん切りし、混ぜるだけの手軽さ――「アンチョビソース」である。

 イワシの旬は6~9月末、アンチョビにするには2ヵ月は寝かしておきたい。

 サーガラでは仕込んだばかりで作れず、使用に耐える品をやっと入手できた。

「こっこれは……これもまた、なんとも味わい深い――~…っ!」

 バラダの常識がまたもや更新される。

「ひき肉が手に入るなら、トマト無しだけどミートソースも作れるな。いや濃厚なクルミソースの方が、肉料理やパスタ等に幅広く添えれるかも」

 主な材料はクルミに牛乳、食パンと生クリームは作れるし……粉チーズの誕生は20世紀初期だけど加工は可能。

 あと手間がかかりそうなのは……。


「そうだいっそのこと、料理の下ごしらえに役立つフードプロセッサーの製作を、カゥムにお願いできないかな?」

 ミートミンサーのロールは難しいけど、フードプロセッサーなら回転刃で済む。

 食材のみじん切りや攪拌など、他のソース作りもスムーズに行えるだろう。

 突如声をかけられ、カゥムの尻尾がビクリと震えた。

「もちろん器具の仕組みは詳しく説明するよ。構造的に遠心分離機と似てるから、実物を参考にできるしね」

「ふうど……ぷろ?」

「これだよカゥム、遠心分離機!」

 クラトゥが樽を抱えて机の上に置き、蓋を取って内部を見せる。

「親方の指導で生クリームは作っているが、これで……ソースを?」

「料理に役立つ器具をカゥムに頼めるなら、とても頼もしいんだけど」

 バラダとクラトゥが説明しながらも、疑問に首を傾げていく。

「前に見た小さな水車、ハンドミキサーに似てる。金属板じゃなくて刃を回転……なら軸を3本に増やして――違う、構造はもっと単純にしなきゃ――…」

 対照的にカゥムの目は輝き、思考の波に呑み込まれていた。

 色々な工具に興味を持ち、機構を知りたがったカゥムが脳内で設計図を描く。

 ああ……カゥム、君は素晴らしいね。使用者から製作者へと至る発想の転機が、すでに訪れてるんだ。

「製作者はサーガラだけど、最高の鍛冶屋と呼ばれる親方がマナスルにおられる。知恵や技術を得たいなら、教えを乞えるか連絡しておくよ」

「こっこんな凄い器具の……オレには無理だよ! それにマナスルだなんて……」

 新王都ですら遠いと思ったのに、さらに遠方のマナスルまでは馬車で5日の旅。

 行商人でもない子供が、軽々と目指せる距離ではない。

 数年後か十数年後か、あるいは永遠の距離となるのか。夢を語ってくれた瞳が、困惑と不安に揺れていた。

「そりゃあ一足飛びは無理さ、でもカゥムは鍛冶屋になりたいんだろ? 到達点が見えていた方が、励みにもなるんじゃないかな」

 ぼくはまた、矛盾を抱えている……。

 現代でも職業の選択は、別の意味で困難となっている。情報が簡単に手に入り、数年数十年先の道まで誰もが見通せてしまう。

 夢を持ちがたく目標すら否定され、流れに逆らわず過ごすのが「普通」の時代。

「選択ができる王国」の構想が、間違っているとは思わない。けれど親の後を継ぐ一本道の方が、多くの方には気楽ではなかったか?

 夢は時として、重い足枷となるのだから……。

向こうの世界(アラヤシキ)じゃないんだ。一歩ずつでも歩けば、必ず辿りつく!」

 辿りついて欲しい――この時代に夢を持った者への、なんと無責任な願い。

 罪の意識に迷うぼくに反し、カゥムは意を決して見上げる。

「分かったよアユム兄ちゃん! オレ絶対に、辿りついて見せるから!!」


「美味しい……っ」

 ホールに机を運んだ昼食の席に、子供たちの呟きが響く。

 遠足でなにかあったのか、帰った子供たちはいちように考え込んでいた。理由を知っているであろう魔女は、素知らぬ顔でハンバーグを堪能している。

「う――~ん、亀の甲よりなんとやらだなあ」

「アユム――なんだかいい匂いがする!」

 さすがに肉は食べられず、ヨーギだけ大麦パンとひよこ豆のポタージュ。

 厨房からお皿を持って現れたぼくに首を伸ばす。

「そうだね、みんながヨーギにって収穫してくれたんだよ。時期は少し早いけど、学園で採れたニンジンと蜂蜜を煮詰めたグラッセ!」

「ニンジン? ヨーギ好き――~!!」

 バラダも手伝い、全員に少しづつ配っていく。

 ツヤツヤとした照りのあるニンジンから、甘い香りが漂う。

「ん――~うまうまぁ」

 ヨーギがフォークを操りグラッセを頬張る、その顔だけで美味しさが伝わった。

 たぶんニンジンを苦手としていた子だろう、ヨーギを見て喉を鳴らし口にする。

 幾度かの咀嚼の後に、きらめく瞳で同意を求めた。ホールのあちらこちらから、「本当にニンジン?」と言葉にならないざわめきが広がる。

「ぼくも子供の頃、ニンジンが苦手でした」

 時間の経った古いニンジンはやわ硬く、青臭い匂いと苦い味が舌に残っていた。

 細めに切ったり茹でたりと、試行錯誤していたセピア色の記憶。

 ヨーギがグラッセを口に詰め、信じられないと顔に出すので思わず苦笑する。

「野菜は身分が低いと軽視されがちですけど、とっても健康にいい食品なのです。必要不可欠な食材なのだと、見直されるといいですね」

 献立時から聴いていたバラダが、試食で理解したのか大きく頷く。

 色めき立つホールで一番小さい子のフォークが止まり、お皿に残ったグラッセにヨダレを垂らしつつ意を決す。

 ヨーギのそばに行き、フォークに刺したグラッセを差し出した。

「ヨーギ姉ちゃん、あたしのあげるから……また遊びにきてね?」

 溢れる涙を、必死にこらえて。

「っヨーギ姉ちゃん! ぼくのもあげる、お仕事がんばってね!」

「お姉ちゃん、あたしのこと忘れちゃ嫌だよ!?」

 お皿を持ちヨーギに寄り集まる、1人が泣きだすと釣られて全員が声を上げた。

 それは、とても暖かい大合唱。

「「ヨーギ姉ちゃん、いってらっしゃ――~…いっ!!」」


 ――古代ギリシャ時代、ニンジンは主に薬用とされていた。

 ニンジンに豊富に含まれるβカロテンが、感染症や生活習慣病の免疫力アップに役立つと、経験則で理解していたのだ。

 βカロテンは体内でビタミンAに変わる。

 体の発育を促す働きもあり、成長期に必要な栄養素。過剰摂取は何事も控えるべきだけど、得がたい野菜といえよう。


「シャンティ卿……ぼくは此処ではない、何処かに行きたいと思っていたのです。残された者たちの気持ちを、考えてはいなかった」

「若者はそれくらいでいいのよ、歩いてきた景色を振り返れるのは老人の特権!」

 シャンティ卿はパシュチマ連合王国の出身である。

 国境を越え国が変わり、常識が移り空気が変わる……例え啓いた者であろうと、移民として迫害の目に晒されなかった保証はない。

 それは立場的に、亜人と同じではなかったか。

「シャンティ卿の容姿で老人と主張されても、説得力ありませんよ」

「あっ分かる~? 毎日の食事とお風呂で、肌のハリが蘇った気がするのよね! ローカァ伯爵夫人の悔しがる姿が、目に浮かぶわあ!!」

 ……ほどほどにしておいてくださいね。

 鍛冶職人を招いてスプーンを作り、陶器職人には平皿の生産を頼む。学園事業は順調に滑り出している。

 この頃は次男や女の子ではあったが、貴族の子も学園に入りたいと願ってきた。

 街中で買い物をする学園の子が、目に見えて優秀になっているのだ。暗部のある街外れの屋敷であり、馬車で定期運行はできないかと話し合っている。

 ――14世紀には裕福な商人の子供向けに、修道院附属の教育機関が発足した。

 まさしく「学校」である。異世界(こちら)でもハミングバード学園がその発端となれば、識字率の急速な発展だってあり得るのだ。

「学園に住む亜人の子たちにとっても交流になる。只人と亜人の確執がそう簡単に消え去る訳はなく、垣根を崩すには長き時間が必要だけど……」

 だけどこの学園が、その一歩となれば――。

「ハチドリは言います、自分にできることをしてるだけ――ってね」

 魔女がニヤリと笑う。癒されぬ痛みが生む連鎖を断ち切り、ワーウルフに非暴力で教育をうながしきた手腕。

 それはまさしく、ぼくが望んだ抑止力に他ならない。

 幾度も悩み、ぶつかり、後悔し、それでも決断してきた道程。大笑いする魔女の横顔に、長き人生を感じていた。

汝平和を(Si vis)欲さば(pacem)戦への(para)備えをせよ(bellum)――ヴィーラ殿下が一目置くのも、頷けるな」


「そこの朴念仁、気の利いた言い回ししてんじゃないぞ! そうやって誰も彼も、その笑顔で騙すつもりでしょう!」

 ラテン語のことわざであり、御存じだったのかビハーラ嬢が睨みつける。

 遠足に便乗し、ちゃっかり昼食まで御一緒していた。なぜだかぼくを異様に敵視しており、ワインを飲んで頬も赤い。

「騙してるつもりは、ございませんが……」

「騙すくらいしろ――――~っ!!」

 ああもう、どうしたらいいのやら。

 ジャーラフと交代したソーマ卿が、執事ぜんと後ろに控え額を押さえている。

 厨房での失態を思えばなんとも適した姿、まさに適材適所。

「え~とあっそうだ、後ほどローカァ伯爵家に出立のご挨拶にうかがいしますね。ビハーラ嬢にお渡ししたい、プレゼントもありますし」

「えっ? デザート!?」

 途端に機嫌が回復した。

 召し上がり過ぎると、せっかくの体型が崩れますよ。

「残念ですが違います、殿下とおそろいですので気に入っていただけるかと」

 なんだろうと虚空を見上げる乙女の、想像を裏切らないといいけど。

「ヨーギも、つき合ってくれないかな」

 ぼくの宣言に子供たちが振り返る。

 ポケットからルタが大事そうに返してきた、小銀貨を1枚取り出しかざす。

 どうするのかとヨーギが瞳で問う。

「1枚で再びこの地を訪れる……乙女の水道に、願って行こう!」

 子供たちの顔に明るさが増し、見合わせた瞳に光りが舞う。

「――うんっ!」

「では皆さん食後の甘い菓子(デセール)、リンゴと蜂蜜のガトーインビジブルです!」



乙女「このぬいぐるみを見てると、なんだか右足首がうずくんだけど……」

執事「……」

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