初夜 召喚少年はM属性
プロローグはかつての未来。
黒髪の少年が壁を背に座っていた。
投げ出した片足は想像する方向に向いておらず、立てないのだとわかる。しかし少し長い前髪から見える口元は、なぜか笑っていた。
少年が何かに気がつき、慌てて身震いする。
建物の陰となる路地から、籠をタスキにかけた男が飛び出したのだ。ひと抱えはある籠の中には、そうとは見えない大きな卵があった。
男はしきりに背後を振り返っていた。
すると向かいの屋根から巨大すぎる蛇が追いすがって現れる。左目の光がなく、感情の読めない右目で男を凝視していた。
「魔獣」――その存在は死を意味する。
少年を丸のみにできる顎が開き、黒に近い緑の煙を吐き出す。爆発が起き大気を焦がす炎が世界をおおう。
オレンジの閃光のなかで、二つの影が踊り狂った。
少年と男の全身が炎に包まれもだえている。必死に体をたたき消そうとしても、喉が焼けて呼吸もできなくなった。
いつしか感覚を失い、自分が焼ける匂いと微かに見える光景。
炎に炙られてふ化が早まったのか。籠から転げ落ちた卵の上部が伸びて変形し、押し破って一匹の「魔獣」が産まれていた。
逆光にも蛇に酷似しており、頭部には王冠に似た突起がある。
小さな「魔獣」は、じっと少年を見ていた。
静かで、深い緑の瞳。
「……うまれる……」
親しんだ領地を離れる寂しさか、幼子が馬車の中でそっとささやいた。
虚空に視えたのは糾える縄、絡みつく蛇……カドゥケウス。
そして因果が乱れ、始まりを告げる――。
カドゥケウスは二匹の蛇が絡みついた杖。
ギリシャ神話のヘルメースの杖とされ、平和、医術、医学、医師、商業、発明、雄弁、旅、そして錬金術を象徴している。
古代よりらせん構造は生命や権威をしめし、以降に完全性の象徴ともなった。
☆
「――我が、礎となれ!!」
少女がフードを跳ね上げると黄金色の髪が揺れ、追って光のオーブが弾けた。
身につけるのはくるぶしまでおおう、ゆったりとした漆黒のローブ。
質素ながらも細やかな手がほどこされており、点在する宝飾品と細いチェーンが優美な肢体を浮かび上がらせている。
ぼくと同じ十四歳ほど、炎に輝く瞳が意思の強さをうかがわせた。
年齢を感じさせぬ貫録で宣告したのだ、己を捨て社会を支える土台になれと。
虹色の閃光が繭を割り、ぼくは影をまとって現れた。
「っはあ……あああ――~…」
産まれて初めて呼吸をした感覚、手をつき坐礼の姿で少女を見上げる。
アッパーライトの照射が収束していく。鏡ほどに磨かれた黒い大理石の床には、見慣れない文様が浮かび色濃く発光していた。
識者ならば梵字の「キリーク」に酷似していたと指摘しただろう。
さらに文様を囲み、円と三角の複雑な幾何学模様が発光している。何かはわからなくとも、異質さだけは隠しようがない。
そんな三角形の頂点で、件の少女が昂然と胸を張りぼくを見下ろしていたのだ。
残り二角にもローブを着た二名が立ち尽くしている。厚みのある巨漢が硬直し、グラマラスな女性が両手を抱いていた。
ぼくが現れたのを、喜ぶべきか驚くべきか迷っているようだ。
「……うっ」
ふと浮遊感が消え去って体が重力を取り戻す。お尻が石床の冷たさを思い出し、無意識に手でさする。
文様の光が徐々に落ちつき、むしろ周囲が確認できた。
黒い大理石の床は六畳もあり、ぼくを中心にローブの三名。一段低くなった外周で輪を作る、やはりローブをまとった十七名。
さらに後ろの石壁沿いには、銀に鈍く光る西洋の甲冑――プレートメイルを着た騎士が五名、彫刻になって整然とならんでいた。
どうやら石に囲まれた空間だけど、ちょっと立派なリビングの広さはある。
窓はなく石の閉塞感に、申し訳程度のカーテンが抗っていた。静かで重い空気は地下室の雰囲気を漂わせている。
アーチ状で同じく石造りの天井。
実質一辺倒の十字型シャンデリアが灯りもせず、飾りとなって下がっていた。
光が黒い大理石の床に吸いこまれ、途切れがちになる。
闇が辺りを支配――する前に、天井から暖かな光が舞い降りた。誰かが蛍光灯を点けたのかと反射的に見上げる。
しかしどうやったのか、シャンデリアの蝋燭に火が灯っていた。
「属性はなんだ!?」
少女の静かでいて、雷鳴のごとき詰問の声が響く。
一角を占めていたグラマラスフードが弾かれて振り向き、外周のひときわ小さなコロポックルフードと何事かを交わす。
「……ム? ……セイッ!?」
耳慣れない言葉の響きに、困惑と驚きの声すら遠い。
グラマラスフードがおずおずと振り返り、胸を張る少女に不安気に返答する。
「恐レ、ナガら……Mensと」
言い淀み言葉を切りながらのせいか、近くにいても聞き取りにくい。
少女が少しトーンの上がった声で再度詰問する。グラマラスフードは意を決し、ひと呼吸して宣言した。
「M属性かと、存じますっ!」
息を呑む数舜の静寂。
周囲のざわめきが波紋を打って広がり、ため息と失意が場を支配する。
少女が首筋に張りついた黄金色の髪を、手の甲でイラだたし気に払う。そこだけ光のオーブが再び舞った。
「M属性か、よりによって……」
呟いた瞳が期待から衝撃へ、疑惑から落胆へと変わっていく。
『――我が、礎となれ!!』
周囲の反応をよそに、ぼくの魂は反芻する。
少女から放たれた言霊が光の槍となり、後頭部を貫いていた。根を伸ばして心の奥へ奥へと染みこみ理解する。
見つけたのだ。
神託を受け、一瞬の間に探し求めていた運命の方だと悟っていた。
「嗚呼……あなたなのですね」
瞬きすらためらい、少女を脳裏に焼きつける。
全裸で少女に向きあい、両膝で跪きこうべを垂れる。足の甲にキス――しようとしたらローブがはためき、後頭部を踏みつけられた。
――至福のとき。