こけし星人とブリキのおもちゃ
──空から“女の子”が降ってくると思うか?
まぁ、映画や漫画なら、それなりにベタな導入だろう。
それは、不思議で特別なことが起こる、プロローグ……。
……であっていればいいのだが、残念ながらそんなことは現実的に起こり得ないし、あったとしても、それはきっと大きな厄介ごとの種になることは間違いなしで、きっとそれまでの平穏な日常を、平気な顔をしてぶち壊していく恐ろしい怪物なのだ。
……そう、“女の子”なら。
あくまでそれが人の形を呈しているのなら、人として振る舞い、人格のある生命なら、きっとその程度ですんだ……はずなのだ。
……たぶん。
「……なんでやねん」
俺は、目の前に聳り立つ巨大な“こけし”を目の前にして、ほぼ反射的に関西弁で突っ込みを入れた。
「ニンゲン、ニンシキ。ニンゲン、ニンシキ」
それは、皆が皆ご存知で、それと言えば真っ先に思い出すであろうまさにその“こけし”の姿をしていた。
材質は木製。
描かれた顔はおかっぱの少女で、体にあたる支柱(?)部分には、緑色の和装がペイントされている。
……ちなみに表情は、なんとなく腹が立ってくる変顔をしていた。
(へのへのもへじで変顔とか、ある意味表現が高度すぎるだろ……)
あらゆる意味でシュールすぎて全く理解できない現象を目の当たりにして、俺は機械的な言葉を繰り返す“こけし”を見上げた。
曰く、ニンゲン、ニンシキ。
……明らかに人類以外のものが作ったと思わせるその台詞には、全くもって害意が感じられないが、その台詞の意図するところを考えてみると、これはひょっとしてこのままでは不味いのでは?と思えてくる。
つまり、だ。
ニンゲン、ニンシキ─人間を認識しましたと繰り返すということは、こいつは少なくとも人間に対して何かをしようとしているということであり、それが人類以外の存在によって作り出された何かなら、きっとそれは俺にとって──果ては人類にとって、きっとよくないことだと相場が決まっているのだ。
「……これ、逃げた方がいいよな?」
数秒だが数舜だか。
正確な時間の経過はわからないが、ようやくその事実に考えが至ったその時だった。
──ガシャコン……シュー。
その奇妙な“こけし”は、内部で何か金属質なギミックを作動させるような音を響かせると、次の瞬間、その両側の柱の壁(?)がぐいーんと上にスライドして、中からディスクチェンソーやノコギリ、ナイフ、ハンマー、斧etc……といったような凶器を出現させた。
……うん。
何が起きてるか全然わからないけど、逃げと方がいいというよりもむしろ、逃げなければならないということはわかった。
「ニンゲン、ニンシキ。ニンゲン、ニンシキ。ニンゲン──コロス」
……うん。
こいつはっきり言いやがったな。
こりゃ、逃げるしかないな。
フリーズしていた脳みそが完全に解凍されたのは、『ニンゲン、ニンシキ』から『ニンゲン、コロス』に切り替わったのとほぼ同じタイミングだった。
俺は自分史上最速の回れ右をして、大きく一歩を踏み出した。
──瞬間、俺の頭の後ろを何かがものすごい勢いで通り過ぎていく。
「危ッ!?」
危なかった。
あと一歩遅ければ、きっと俺の頭は胴体とサヨナラしていたところだっただろう。
俺はよろけそうになる体を必死に前に押し出すと、全力で逃亡を開始した。
「ニンゲン、トウボウ。ニンゲン、ツイセキ」
機械的な音声が、後ろの方から聞こえてくる。
にしても、どうしてこんなことになったんだ。
俺は宇宙人の怨みを買うようなことはしていない筈だぞ!
心の中でそんな愚痴を叫びながら、俺は走って走って走り続けた。
逃げて逃げて逃げまくって、だけども、それでも後方から聞こえてくる駆動音がしつこく付きまとってくる。
「くっそ、なんで俺なんだよ!」
路地を曲がり、さらに狭い道へと抜ける。
奴の大きさより狭い場所に逃げれば、もう追いかけては来ないだろうと踏んだのだ。
パニック状態ながら、俺って結構冴えてると思わない?
「ニンゲン、トウボウ。ニンゲン、ツイセキ。ニンゲン、ニゲルナ」
「無茶言うな、こん畜生!」
凶器振り回しながら、殺す殺す言って追いかけてる奴の言うことを、なぜ俺が素直に聞くと思っているのか。
全くもって腹立たしい。
──と、その時だった。
「ニンゲン、トマレ。ニンゲン、コロス」
「行き止まり!?」
俺の目の前に、高く聳えるビルの壁が現れたのだ。
もはや絶体絶命。
打つ手なし。
俺がそんな風に歯噛みしていると、背後からガシャコンガシャコン、という機械音が聞こえてきた。
振り返ると、そこには先ほどと同じように、さまざまな凶器を空に掲げてゆっくりと迫り来る“こけし”の姿があった。
(くそ……っ。ここまでか……!)
声は出なかった。
ただ俺は、これから起こるであろう確定した未来に体が震え、慄き、泣き叫びたくなるのを堪えて、この“こけし”を睨みつけていた。
避けられるものなら避けたい。
だが、この疲れきった体では、どうにも対応は難しそうだ。
……死ぬのか、俺は。
「ニンゲン、ニンシキ。ニンゲン、ニンゲン。ニンゲン、コロス。ニンゲン、コロス」
聞こえてくる奴の声が、やけに遠く感じる。
奴の振り上げたチェーンソーが、異様にゆっくりに見えた。
代わりに、俺の耳にはラストスパートとでもいうかのように早鐘を打つ心臓の音だけが残り、霞んだ視界には、これまでの人生が逆再生されるかのような幻さえ浮かんでは消えていた。
(あぁ、これが走馬灯か)
俺は、虚ろになりそうな意識でそう呟いて──突如空から落ちてきた何かの影を捉えて、気力を取り戻した。
──ドガァアン!!
「なっ……!?
ケホッ、ゲホッ……」
……な、何が起こったんだ?
俺は、巻き起こる黒い土煙に噎せながら、何が起こったのか確かめるべく、“こけし”のいた辺りを注視してみた。
「ニンゲン……コロ……ス……」
バチバチ、とモウモウと立ち込める土煙の中で爆ぜる静電気の中で、急激に勢いを落としていく“こけし”の影。
その近くには、何かのパイロットスーツのような衣装を身につけ、他には何やらハンマーのようなものを肩に担ぐ、ツインテールの少女の姿が見て取れた。
「……!?」
──空から“女の子”が降ってくると思うか?
まぁ、映画や漫画なら、それなりにベタな導入だろう。
それは、不思議で特別なことが起こる、プロローグ……。
……であっていればいいのだが、残念ながらそんなことは現実的に起こり得ないし、あったとしても、それはきっと大きな厄介ごとの種になることは間違いなしで、きっとそれまでの平穏な日常を、平気な顔をしてぶち壊していく恐ろしい怪物なのだ。
彼女は立ち込める土煙を鬱陶しそうに一瞥すると、担いでいたハンマーを一振りした。
すると、ものすごい突風が周囲に吹きすさび、立ち込めていた土煙は一瞬にして散ってしまった。
「間に合ってよかったよ。立てるかい、少年」
……そう、“女の子”なら。
女の子なら、きっとそういうこともあるのだろう。
「あ、あぁ……。ありがとう、すまない」
俺は、差し出された少女の手を握ると、彼女に引き起こされながらその場に立ち上がった。
……握った手は、ものすごく硬かった。
「あなたは、いったい……?」
俺は、握った感触に違和感を感じながら、その少女を見下ろした。
鈍色の髪、ツルツルの肌、硬い皮膚。
それらは全て人間離れしていて、タンパク質というよりも金属という方が的確だった。
……まあ、それはそうだろうな。
だって彼女は──
「私か?
そうだな、あえて名乗るなら私は──」
少女は一拍置くように言葉を切ると、俺の目を見つめて、こう返答した。
「──私は、君を殺すために、わざわざ遠い星からやってきた宇宙人だ」
──ロボットなのだから。