58話 名波 静 その6
「な、な、な、なな、みっ、う、う、う、うて、うってくれ」
久米くんをしっかりと押さえたまま、田中くんが叫ぶ。
もう久米くんは田中くんに噛みついていない。
すでに田中くんをゾンビとして認識しているのだろう。
「も、もう、いしきが、なくなる、はやく、はやく、はやく、はやく、う、うって」
もう時間がない。
田中くんに向けて大砲を構える。
だけど、どうしても撃つことができない。
「来てよかったわ」
シャルロッテが背後で呟く。
いつのまにかその手にはビデオカメラが握られいた。
「感動のシーンがアップで撮れるもの」
今までにない殺意が湧く。
地面に落としていた携帯の画面が目に入った。
『怒りと恨みが200%充電されました。極大砲が発射可能です』
「うああああああああっ!!」
携帯を踏み潰す。
何度も何度も踏み潰す。
画面が壊れると同時に、大砲になっていた右腕が元に戻っていた。
「そう、撃たないのね」
その時のシャルロッテの顔は、形容し難いものだった。
泣いているのか、笑っているのか、怒っているのか、喜んでいるのか、その全てが混ざったような、そんな顔をしていた。
「私は撃たない」
後ろから久米くんと田中くんが私に迫る。
振り向かず、そのままシャルロッテを見る。
「少し羨ましいわ。私には出来なかったから」
背後から左右の首筋に噛みつかれる。
もう恐怖はなかった。
ありがとう、久米くん、いっぱい助けてくれて。
ごめんね、田中くん、私、やっぱり撃てなかったよ。
そして、さようなら、泉くん。
教室で青い紫陽花を持った泉くんを思い出す。
涙が溢れ出す。
その涙が黒く変色していく。
「青い紫陽花……」
そう呟いたのはシャルロッテだった。
「あなたにぴったりね」
「……どうして?」
頭に思っただけだった。
何故、シャルロッテが青い紫陽花のことを知っているのだろう。
「悪いけど心も全部撮影している。そのほうが盛り上がるでしょう」
「ふ、ふざ、け、るなっ! わ、わたしのこころをっ!」
言葉が上手く出せない。
色々な感情が混ざり、思考が上手くまとまらない。
泉くんとの思い出を汚された怒りが、何かに塗り潰されていく。
自分が自分でなくなる感覚。
そうか、私はもう……
「青い紫陽花の花言葉は耐え忍ぶ愛。告白出来ずに残念だったわね」
「わたしの、こころをっ! いずみくんとのっ、おも、おも、おもいでを、おまえがっ!」
それは私がこの世で最後に見る想いだった。
誰にも見られたくない。
大切な大切な想いだった。
教室で泉くんと二人で花の世話をしている。
会話はない。
だけど二人で同じ花を見ていることに、私は小さな幸せを感じ微笑む。
泉くんも少しだけ笑って私を見た。
「おまえがっ、ふみにじるなっ!!」
ぷつんと目の前が真っ暗になる。
映画が終わったように、何もかもが消える。
「おやすみなさい、名波さん」
泉くんが最後に笑ってそう言った。




