57話 名波 静 その5
変わり果てた姿の久米くんが私に覆い被さる。
「うぁ、うぉ、ああああっ」
ぼたぼたと私の顔にヨダレを垂らしながら、久米くんが呻き声を上げた。
大砲になった右腕を下ろす。
さっきまで命がけで私を守ってくれた人を撃てるはずがない。
全てがスローモーションになったような感覚。
ゆっくりと久米くんが私に噛みつこうと口を開ける。
目を閉じると、教室の映像が流れ込んできた。
これが走馬灯というものだろうか。
花瓶の水を変えて教室に新しい花を持っていく。
美化委員の仕事だったが、いつのまにか私の仕事に変わっていた。
花を見るのが好きだった。
それはすぐに枯れてしまうのだけど、その短い間、頑張って綺麗に咲いている。
自分にないものを見ているようで、私は毎日花を見て癒されていた。
「これ、持ってきたんだけど、一緒に飾ってもいいかな」
いつも一番に教室にいる私より、泉くんが先にいたのは梅雨が明ける前の六月だった。
両手にいっぱいの青い紫陽花を持っていた。
「どうしたの? そんなにいっぱい」
「も、もらったんだ」
それが嘘だということはすぐにわかった。
その紫陽花には踏まれたような跡があり、所々花びらが痛んでいたからだ。
よく見ると泉くんも、顔にいくつかアザがある。
「いいよ、綺麗に飾るね。泉くんは花好きなの?」
「そんなに興味は無いんだ。でも、頑張って咲いてるなあ、とは思ってる」
「へんなの」
「ああ、へんだな」
二人して思わず笑う。
後日、その紫陽花は矢沢くん達がふざけて花壇に入って踏んだものと知る。
泉くんがそのことを矢沢くん達に注意して喧嘩になったそうだ。
そういえば、泉くんは、大山くんをからかわれた時も喧嘩していた。
自分のことでは怒らないのに、他の人や花が傷つけられて怒る泉くんのことを私は、だんだんと好きになっていった。
(告白しとけば良かったな)
最後の瞬間にそう思う。
しかし、その最後はいつまでたってもやってこない。
「名波っ」
田中くんの声がして、目を開ける。
久米くんと私の間に田中くんが入り込む。
スローモーションになっていたのは走馬灯だけではなかった。
彼がスキルを使っていたのだ。
「田中くんっ、ダメっ!!」
それはもう間に合わなかった。
田中くんが久米くんを受け止めるように抱きついた。
「おつかれ、久米」
そう言った田中くんの首に久米くんがかぶりつく。
「い、いやだっ! なんでっ、田中くんっ、どうしてっ!?」
変わり果てた姿の久米くんが田中くんに噛み付きながら血の涙を流している。
田中くんの首からも大量の血が噴き出した。
「な、ななみ、撃て、俺が変わる前に、早く、頼むっ」
田中くんの顔色がどんどんと変わっていく。
目が充血して、そこから黒い涙がこぼれて落ちる。
「早くっ、早くっ、頼む、ななみっ!!」
「嫌だよっ! 無理だよっ! なんでっ、どうしてっ、私を助けたのっ!!」
頭を抱えて泣き叫ぶ。
「た、楽しかったんだ」
「えっ」
それはいつもみんなのことを冷めた目で見ていた田中くんらしくない意外な言葉だった。
「な、なかま、はじめてできた、なかま、だから、た、たのしかったから、だから」
田中くんの身体が痙攣をはじめる。
「だ、だから、う、う、うって、くれ。い、いきのこって、ほし、い」
ゾンビに変わっていく。
それでも田中くんは私に向かって、最後の笑顔を見せた。




