56話 名波 静 その4
肉の壁が崩れてゾンビゴブリンが迫ってくる。
洞窟に退路はない。
すべてが終わると思っていた。
「……やっぱり」
私の前に立つ久米くんが呟いた。
「戻ってきてしまうよな」
その声はこんな状況なのに少し弾んでいる。
襲いかかってくるゾンビゴブリン達の動きがスローモーションになっていた。
「今だっ、くぐり抜けろっ!」
その向こうから、先に逃げたはずの田中くんの声がした。
嬉しさと共に恐怖もやってくる。
動きがゆっくりとはいえ、腐った魔物の間を駆け抜ける。
お化け屋敷ですらリタイアする私にそんな事が出来るのか。
「名波さんは目を閉じてっ! 僕が引っ張ていく」
怯える私を抱え込むように久米くんが先導してくれる。
「ギィキ、ヤァ」
「ギギィアッ」
「カチカチカチカチ」
音だけしか聞こえない。
それでも必死に走り抜ける。
「もう少しっ、もう少しだっ! 頑張れっ!!」
久米くんの励ます声が聞こえる。
「いいぞっ、そのまま、突き抜けろっ!」
田中くんの声がした時、地面がいきなりなくなる。
目を開けると私は崖から落ちていた。
「いやぁあああああっ!」
「大丈夫っ、田中くんが助けてくれるっ」
私を離さず、久米くんも一緒に落下している。
その横に一人で飛んでいる田中くんもいた。
「愚鈍」
地面に落ちる寸前に田中くんがスキルを発動させる。
スローモーションになった私達はゆっくりと地面に着地した。
「た、助かったの?」
そう言った時だった。
ぼたぼたぼたぼたぼたぼたぼたぼたっ、と私達を追ってきたゾンビゴブリン達が崖から降ってくる。
そのままのスピードで地面に激突し、屋上からトマトを落としたように原型を留めず潰れていく。
「いやぁ、いやぁっ!!」
頭を押さえてうずくまる。
「分身」
久米くんの分身が私達の上に覆い被さり、降り注ぐゾンビゴブリン達から守ってくれる。
肉と肉がぶつかり合う破壊音が絶え間なく続く。
そして、数分後に音が消える。
久米くんの分身も消えていた。
私達三人は肉の残骸の中心で顔を見合わせる。
血にまみれ、腐った肉の中で抱きしめ合う。
信じられないっ。
あの状況から生きて助かるなんてっ!
パチパチパチ、と手を叩く音が聞こえた。
「すごいわ。あそこから全員生き残るなんて」
シャルロッテだ。
いつ来たんだろう。
何故、崖下に彼女がいるのか。
まるで私達がここに来ることがわかっていたようだ。
「作戦成功ね。どう? いいアイデアだったでしょう」
「ああ、聞いた時は頭がおかしいと思ったけどな」
田中くんとシャルロッテが話している。
あのシャルロッテが私達を助ける為に協力してくれたのだろうか。にわかには信じがたい。
それでも、それでも、あの絶望的な状況を脱出出来ただけで喜ばなくてはならない。
「な、名波さん」
久米くんの声が聞こえ、振り向く。
何度、彼に助けられたことか。
「ありがとうね、久米くん。私……」
言葉が止まった。
久米くんの目が紅く充血していた。
涙のようなものを流している。
それは赤黒い、血のような涙だった。
「な、な、な、ななみ、さん」
久米くんの身体が痙攣している。
「いやだ、久米くんっ!」
久米くんの足元に潰れていないゾンビゴブリンの頭があった。
頭だけになったそれが久米くんの足に噛み付いている。
「あら、残念」
シャルロッテのその声は少しも残念そうではなかった。
「ハッピーエンドにはならなかったわね」
ラインの通知音が聞こえ、携帯の画面を見る。
『怒りと恨みが弾に100%充電されました。大砲が発射可能です』
久米くんが私に襲いかかってくる。
いつのまにか私の右腕が大砲に変わっていた。
「撃てっ、名波っ! そいつはもう久米じゃないっ!!」
「いや、いやだよっ」
助けて助けて助けて助けて、泉くん、泉くん泉くん泉くん、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
「嫌だぁああああああっ!!」
私にはただ泣き叫ぶ事しか出来なかった。




