36話 久米 浩信 その3
ひたすら走り続けると、何も聞こえなくなった。
ここに来てようやく振り返る。
ハーピーに襲われた渓谷が遥か後方に見える。
追っ手は来ていない。
「は、ははっ」
笑みがこぼれる。
「はははっ、どうだっ、見たかっ、不良どもっ! 僕は生き残ってやったぞっ!!」
クズ米と言われ、パシリにされ、いつも馬鹿にされていた。
でも生き残ったのは僕だ。
僕一人だっ。
「なあ、お前ンチ、プレイステあんだろ? 遊びに行ってもいいか?」
「あ、オレもいいか? モンパンやりたいんだよ。クズ米もってるか?」
なんだ?
突然、加藤と佐藤と遊んだ思い出が蘇る。
首を振って頭から映像を振り払う。
「いつもパシリご苦労さん。パン一個余ったんだ、食べるか?」
今度は鈴木との思い出だ。
こんなの優しさじゃない。
これは僕を都合よくパシリに使うためにしたことだ。
「他の学校の奴にカツアゲされたぁ? 許さねぇ、俺様の仲間に手を出す奴はぶっ殺してやる」
本当に半殺しにして、鰐淵は停学になった。
なのに黙って、僕が取られたお金を渡してくれた。
こんな時にどうしてだ?
いい思い出なんて、ほとんどなかったはずだっ。
酷いこともされた。イジメられていた。
なのに、何故だ? どうしてっ、こんなっ!?
いつの間にか、逃げ出した道を戻っていた。
助かったはずなのに、また戻るのか?
やめろ、お前はそんな奴じゃないだろ?
冷静な僕が僕に話しかけてくる。
違うっ、様子を見るだけだ。
助けに行くんじゃないっ!
アイツらがどうなったか、確認に行くだけだっ!!
そうだ。小日向くんは僕を見捨てた。
僕が奴らを見捨てて何が悪い。
本当に遠くから見るだけだ。
自分にそう言い聞かせながら、僕はいつのまにか走っていた。
渓谷に戻ってきて、激しく後悔する。
加藤と佐藤がハーピー達に食いちぎられ、ボロボロになっていた。
二人ともかろうじて生きているのか、たまに少しだけ指先がピクピクと動いている。
鈴木は自分のスキルを使い、周りを糸でガードしていたが、もう動けないようだ。
血塗れでぐったりと倒れている。
鰐淵の姿は見えなかった。
代わりにハーピーで覆い尽くされた山が一つ、まだそこに残っている。
逃げた時から囲まれているなら、すでに硬質化は解け、絶命しているだろう。
戻るべきではなかった。
再び振り向いて帰ろうとする。
その時、巨大な山がピクッと動いた。
「う、お、おぁああっ!!」
鰐淵の声だった。
雄叫びを上げ、山が爆発する。
固まっていたハーピーの山が崩壊し、中から血塗れの鰐淵が出てきた。
硬質化はとっくに解け、身体中がハーピーにえぐられている。
すでに左目はなく、腹からは腸のようなものがはみ出ていた。
だが、そんなことは気にもしてないように、加藤と佐藤にたかっているハーピーの元に行く。
「俺様の仲間に、手を出してんじゃねぇええっ!!」
いつの間にか、涙が溢れていた。
ああ、そうか、小日向くんが捨てたのはこの感情なのか。
僕もそれを捨てる事で生き残れるのだろう。
だけど、それは、すでに死んでいるのと同じことじゃないのか?
なあ、小日向っ!
「こっちだっ! 逃げるぞっ、みんな来いっ!!」
精一杯の大声で僕はそう叫んだ。
僕のスキルを囮にして、みんなを逃す。
そんな最後もいいじゃないか。
ハーピーの群れに僕は飛び込んでいった。




