96話 暁 弥生 その2
ゆっくりと深呼吸をしながらスコープを覗き込む。
大丈夫。
手は震えない。
ここにちゃんと意識がある。
シャルロッテの狙撃に失敗し、森山を誤射した時から、ずっと自分を失っていた。
頭の中で、何百匹もの蝿が飛び交い、脳からは蛆虫が湧き出ている。
頭を割って掻き回したくなるのを抑えながら、ただ目の前の敵を、機械のように狙撃していた。
「馬鹿だな、お前は」
いきなりだ。
昨日の夜、突然、目の前に森山が現れた。
夢ではない。
あの日からずっと、私は寝ていない。
「……なんで?」
顔が見えない。
私が撃ち抜いたからではない。
あふれる涙で、視界がぼやけて、わからないのだ。
「なんで、ここに?」
「なんで、って? お前が馬鹿だからだろうが。まったく、オレが死んだの、自分のせいだと思ってるんだろうが、ちがうからな。あの女が弾丸よけたからだよ。お前は悪くない」
「ち、ちがうよ! 私がっ、全部、私がっ」
「ばか、自信もてよ、銃、好きなんだろ? それでみんなを助けてやれよ」
はっ、として握っていた銃を見る。
森山を撃ってから、禍々しく凶悪に見えていた鉄の塊が、いつも教室で磨いていたモデルガンと重なる。
「大丈夫だよ、もう外さない。俺が保証してやるよ」
涙を拭い、森山を見る。
もう二度と見られないと思っていた愛嬌のあるぽっちゃり笑顔がそこにあった。
「バカ、死んでるくせに、励ましてんじゃないわよ。だいたい、どうやってやってきたのよ」
私が作り出した都合の良い妄想なのか。
それでもいい。
それでもいいから、ずっとそばにいてほしい。
「誰かのスキルだと思う。死んだ後も魂が残ってるんだ。俺だけじゃない。他のみんなも、たぶん、近くにいる。もしかしたら、俺たちは死んだ後も、生き残った奴と一緒に戦えるんじゃないかな」
「森山っ」
はっきりと姿を見せていた森山が消えていく。
言いたいことは山ほどあるのに出てきた言葉は、教室の時と同じ一言だけだった。
「ありがとう」
森山もあの時と同じように、無言で去っていく。
ただ一つ違うのは、森山の顔がまぶしいほどの笑顔だったことだ。
忘れない。
私は、森山の顔をもう二度と忘れない。
スコープの向こうで、第五部隊の隊長、東堂と吸血鬼が対峙していた。
一撃必殺を狙っているのか。
東堂は、吸血鬼を迎え撃とうと空手のような構えをとっている。
超高速で動く吸血鬼は、一瞬たりとも同じ場所にいない。
照準を合わせる場所はただ一つ。
東堂の顔面ギリギリ、吸血鬼が襲い掛かる、瞬間を狙うしかない。
チャンスは一度きり、外したら、東堂は死に、次に私が死ぬだろう。緊張で引き鉄を握る指に汗が流れる。
「大丈夫だよ、もう外さない」
また森山の声が、聞こえた気がした。
ゆっくりと鼓動は落ち着き、汗が引いていく。
吸血鬼が東堂に激突する寸前、私は迷うことなく引き鉄を引いた。
砂漠に鳴り響く銃声と共に、吸血鬼の頭が吹っ飛んだ。