先輩と僕のあつい一日
セミが鳴いている。
頭にガンガン響いてきて、とてもうるさい。
本当なら、クーラーの効いた自室で、ゴロゴロと過ごすはずだったのに……。
昨日の夜、突然先輩から、明日学校に来てほしい、とメールがあった。
無視してもよかったけど……なぜだか僕は来てしまった。
夏休みで無人の教室。窓から二番目の席で、僕は机に突っ伏している。
呼び出した当の本人は、まだ来ない。
僕は起き上がり、窓を開けた。しかし、まったく風が吹かない。
仕方ないので、また席に座り、ぐったりと机にもたれる。
じっとりと、汗がまとわりつく。
「あつい〜とける〜」
グチグチと言っていると、ガラッと扉を開ける音が聞こえた。
「おまたせー」
僕は机に伏したまま、音のしたほうを見やる。
「人を呼び出しといて……」
「ごめんごめん……お詫びにこれ、買ってきたからさ」
先輩は、コンビニの袋を突きだす。
「……なんですか?」
「アイス」
先輩は、袋から棒アイスを取り出す。
おぉ、神だ……。
いや、ただの先輩だけど。
ちょっと、あたりすぎたかな?
「――は、私のね。後輩くんは、こっち」
僕は起き上がりかけた体を、滑らせる。
せっかく見直したと思ったらこれだ。
今度は、飲み物を取り出す。
「はい」
「――っだあっちぃ!」
首に当ててきたそれは、なんとホットコーヒーだった。
「ちょっ……なんでホット?」
「コーヒー好きだったよね?」
「…………」
そこかよ。
確かにコーヒーは好きだけど。
こんなクソ暑い日に、ホットなコーヒーを買うバカが、どこにいるってんだ。
まあ、ここにいるけど。
たしかに喉は乾いているが、こんな熱いコーヒーを飲んだ暁には、僕は死んでしまうかもしれない。
なんとか冷ませないかな……。
「それで、いったいなんの用なんですか?」
「用? いや、何もないけど」
びっくりして、僕は立ち上がった。
「はぁ? 用もないのに、わざわざ夏休みに、しかもこんな暑い日に、呼び出したってんですか?」
「うん……まあね」
先輩は、頬を染めた。
なんでそこで照れてるんだよ。
褒めてねぇ。
席に座り直すと、僕は、手でコーヒー缶を扇ぎ、少しでも冷まそうと試みる。
「んじゃ、もう帰っていいですか?」
コーヒーは、全然冷める気配はない。
先輩は、窓枠にもたれかかり、斜め四十五度を見ていた。
やっと吹いた風が、先輩の制服と髪を揺らす。
「ねぇ、後輩くん……」
突然、真剣な声で話しかけてきた。
…………ごくり……。
急に緊張した空気感に、僕は唾を飲み込んだ。
「私……昨日ね……」
僕は、じっと先輩を見つめ、次の言葉を待つ。
「お小遣い、切らしちゃったの……」
……はぁ?
「どうか、私めにお金を恵んでたもう!」
「なにかと思えば……」
僕はため息を吐いた。
……少し、からかってみるか。
「……それが、人にものを頼む態度ですか?」
先輩は、ビクリとすると、すぐさま床に跪いた。
そのまま、頭も床に擦りつける。
「この通り! どうか、どうかお慈悲を〜」
ちょっと乗ってみたら、土下座までしてしまった。
後輩にたかるのに、どんだけ必死なんだ。
「だいたい、なんで僕なんですか?」
先輩は、顔を上げた。
なんと涙まで流している。
鼻水も。
あまりの必死さに、可哀想に見えてきた。
「うぅ……お金持ってそうだから」
前言撤回。
僕はいままで、先輩にそんな目で先輩に見られていたのか?
「はぁ……そもそも何に、そんなお金を使ったんですか?」
「えっとね……買い物に」
「何を買ったんです?」
「鉛筆を、百本ほど……」
「鉛筆百本!? そんなに!?」
一体なぜ……。
「キャンプファイヤーやろうと思って」
狂気の沙汰だ。
鉛筆でキャンプファイヤーって。
て言うか、百本も買う必要なかったんじゃ……?
「……成功したんですか?」
恐る恐る、僕は訊ねる。
「いや……家には、火をつける物が、なにもなかったの……」
計画性がないにも程がある。
でもなんだか、鉛筆を組み上げて、「キャンプファイヤーっ!!」とか叫んでいる先輩が、想像できてしまう。
僕も、先輩に毒されてる……。
先輩が、泣き叫ぶ。
「お願いっ! ライターが欲しいのっ!」
「まだ諦めてなかったんかいっ!」
思わず突っ込んでしまう。
これじゃあ、先輩の思う壺だ。
「うぅ……いいわ……やっぱり、私は先輩だものね……後輩くんに頼るのは、よくないよね……」
先輩は立ち上がると、窓の外を眺める。
校庭で、運動部が活動しているのが見えた。
先輩は、なにか思いつめた顔で呟く。
「……うん。自分でなんとかするわ。ありがとう、相談に乗ってくれて」
「いや、僕は、たかられてただけですけど……」
「私、決めたわ!」
先輩は、どうやら完全に、自分の世界に入ってしまっている。
こうなると、なかなか戻ってこない。
先輩は、颯爽と教室のドアへ歩いていく。
「どうするんですか?」
なんだか危ないことをしでかしそうで、僕は訊いてみた。
もしなにか、本当にしでかしたら、僕にも火の粉が飛んでくるかもしれない。
「どうするって……決まってるじゃない」
先輩が振り向く。
「究極の火打ち石を探しに、旅に出るのよ!」
……意味がわからない。
ついに狂ってしまったのか?
ライターじゃなくて、火打ち石になってるし……それに旅って……。
どこからどう突っ込めばいいんだ。
僕が何も言えずにいると、先輩は、じゃあね、と行ってしまい、僕は取り残された。
本当に、なんだったんだ……。
ふと見ると、すっかり溶けたアイスが床に落ちていた。
……勿体無い。後で頂こう。
僕はアイスを拾いながら、ふと思ってしまった。
――アイス買うお金があるなら、ライターぐらい買えたんじゃないか……?
……いや、先輩のことはもう忘れて、家でゲームでもしよう。
僕は缶コーヒーに口をつけた。
コーヒーは、まだ熱かった。