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箱壊しの玄武  作者: ゆまち春
二章 妥協者の望み
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太陽と街灯


 昼休みが終わって放課後。


 放課後デートを琴依ちゃんと約束していたが、気分が乗らずに断る。

 風邪だなんだと嘘をつくのもよかったが、それすら面倒だった。


 数葉からの連絡も無視。一路、帰宅。


 マンションの四階。

 何年も見慣れた部屋。

 乱雑な雑誌もゲームも、置き場はわかっている。


 明りをつけずにカーテンも締め切ったまま。

 ベッドに倒れこむ。

 息を吸い込む。


 酸素なんてこの世にないのに、新鮮だとか窮屈だとか。


 笑いも出ない、(まぶた)を閉じる。


 ピーッ


 勝手に家のロックが解除。


 ルチアでサーバーに報告する前に、後頭部が引き寄せられて柔らかいものに埋まる。


 は?


「甲希。元気出して。あんたが赤寝のこと想ってたのは知っていたよ。

 振られたんでしょ? でも大丈夫。

 いいところは、私が全部知っている。

 述べて述べて、それだけで振ったあの女を後悔に泣かせることだってできる。

 だから、体から力を抜いて。ゆっくり、休むの」


 聞いたことないぐらいに優しい声。


 数葉の、はずだ。


 数葉だってわかる。


 そう思う、のに、数葉の声じゃないみたいだ。


 ただ一つわかることは……。


 数葉は俺の視界を盗撮なんかしていないってことだ。


 俺は赤寝さんに振られたわけじゃない。

 また俺の行動をどこかからサーチして、そこから自分の中で結果までこじつけたのだろう。


 まったく、この理詰め人間は。


 まったく。

 

 ほんとうに、ほんとうに、


「数葉。かずはぁ……」


 頼れる奴だ。


 頭を突っ込んだおっぱいより、背中に回してくれた手の感触を、温かさを、強く感じた。




 (なだ)めすかされて癒し返して感謝を伝えて。


 部屋で紅茶を淹れて二人で音を立てて飲む。


「だから、別にフラれた、とか、そんなんじゃないよ」


 お昼のことを説明し終えた。


 怒り心頭と憤慨していた数葉は、頭を回しながら俺の話を聞いていたらしい。


 俺が話し終えた後、数葉の言葉は冷め切って、研究者然とした面持ちで視界は閉じていた。


「赤寝の命令。『褒められるな』? 

 それだともう失敗しているのか。『恥辱の顔を見られるな』、いや『見初められるな』うーん。

 そっちは本人ではどうしようもないのか。

 『恥ずかしがるな』辺りが妥当なのかな。彼女の冷静な態度にも一通りの説明はつくだろう」


 紅茶が冷める頃合。また暖かくして飲み直す。


 採光のついでに、カーテンを開けて換気する。


 結局は気分でしかないけれど、数葉が頭を悩ますなら出来ることはしたい。


「まあ、命令じゃなくて彼女の性格ってこともあるだろ」


 軽いジョークにしたかった。


 笑い飛ばさなければ、また誰かを頼ってしまう。


 依存は自分の腕を噛む行為だ。


 一人で生きていくことはできなくても、他人の力を当てにしてはいけない。

 もしするのなら、相応の対価を差し出さねば、相手の収支が合わない。


「素で、俺を嫌ったっていうのもあるだろ。軽佻浮薄な男は眼中にない、とかさ」


 数葉は首を横に振った。


「それはないね。プライベートエリアまで作った相手だ。

 その場で不純異性交遊をしようと見咎められない場所を作った相手を、そんな一言で嫌いになるものか。

 寧ろ今頃喜んで部屋で自慰行為にふけって――」


「ちょっと待て」


 飛び出す言葉を遮る。若干手遅れだった気もするが、もっと気がかりな発言に思えた。


「その言い草だとまるで、赤寝さんが俺を……特別に見てるみたいだろ」


 それは違うだろ。


 何度もご飯を断られてる。


 デートは誘ったことないけれど、きっと断られる。


 何より、会話だってこの方弾んだことがない。


 いつも一通しかメールを通わさない赤寝さんが、俺のことを好きだなんて、湾曲婉曲なんでもありの世界だとしてもありえないだろう。


 そう言い訳じみたことを言った俺は、世界で一番大馬鹿だ。


――だからこそ、こんな命令を出されたのだと思う。


 数葉が、もしも理詰め人間ではなく暴力的だったなら、この場で殴られていた。


 それぐらい、怒りに満ちた眼をしていた。


「好きに決まってるだろ。

 毎日一通だけのメールを教室でにこやかに見つめて。

 他の女子含めた他生徒の誰とも会話しない彼女が、月に一回だけ尻尾振った犬か、ご褒美にスイーツ食べる乙女みたいに甲希とご飯を食べてるんだ。

 これで好きじゃないなんてのたまうものなら、甲希を誑かした罪であいつのルチアを伝ってとっくに脳を破壊してる」


 それでも、と。


 胸に手を添えて、紅茶を物理法則で零すことも厭わず、身を乗り出して思いの丈を吐く。


「甲希が赤寝を好きなことが、わかっているから――私は、両思いを見守ってるの!」


 赤い目になることはない。白い目で、黒い瞳が、水を表現するだけだ。


 だから。


 だから?


 だからここまでの本音の気持ちを推し量れないだなんて、そこまで俺は無神経な男じゃない。


 一年間。自分を変えて、女子と、他人と接してきたんだ。


 ここで使う言葉なんて――やっぱり、知らなかった。


 ただ、頭を撫でてみた。


「もっと」


 体を抱きしめてみた。


「もっと」


 強く、胸のふくらみが外への圧力を抱えたまま小さくなる。


「もっと」


「・・・・・・流石に、それはちょっと。命令に触れるから」


「意気地なし」


 生まれてからの十六年間で、初めて自発的に好意を持って女子を抱きしめたのに。


 いただいた感想は、あまりにも愛情がこもっていた。


「ねえ、甲希?」


「なに」


「見返したい?」


「誰を」


「誰かさんの本命」


「命令に、触れるから答えられない」


 うん。見返したいよ。俺にはもっと力があるんだって知って欲しい。


「私は見返したいよ。甲希なんかを本気で受け入れてくれる人なんて、世界に数えるだけしかいないんだから。

 運命を信じるなら、きっと甲希と赤寝の出会いは奇跡だよ」


 初めてだった。


 いつもコイントスを馬鹿にしてギャンブラーをペテン師と罵って、理詰めで物事を考えてサイエンスとフィジックとマスメティクスだけで動いていたのに。


 煮えたぎる鍋を悶絶しながら飲むような苦しい顔を造り笑顔にかえて、数葉は俺の顔を両手で掴む。


「いつまでも、甲希は赤寝とくっつかなければいいと思っていた。

 けれど、我慢の限界だ。

 赤寝がいつまでも殻を破らないなら、甲希を尖らせて尖らせて、流血し過ぎて眠り姫になるほど尖らせて、あいつに桜の下を歩かせよう」


 言うだけ言って、一人で話を進めて決定したのに、数葉は満足しなかったらしい。


「いらいらする! 明日からとことん赤寝を追い詰めてやる!」


 と不審なことを叫んで、数葉は俺のベッドで不貞寝してしまった。


 俺は、涙をすくってから、本当の眠り姫に毛布をかけてあげた。



    ―― ―― ――



 夜になった、らしい。


 目を開くと部屋のカーテンがひらひら揺れていて、ベッドはもぬけの殻だった。


 どうやら俺も寝てしまったみたいだ。


 部屋からいなくなった数葉に連絡を入れる。

 発信には出なかったが、連絡先にいる以上、命令に背いて退学になったというわけではないのだろう。


 お腹が空いた。

 空腹のパロメータがないから気分の問題だ。


 ラーメンでも食べようか。うんそうだ。夜食と言えばラーメンだ。


 脂肪がつかないからこそできる贅沢だとも言える。


 私服に着替えて寮を出た。夜の空気はなんだか清清しい。


 太陽より、街灯が好きだ。


 太陽は全てを明るみに出してしまう。白日の下に曝すという言葉さえあるほどだ。傷は癒えていないことを他人に伝え、想いは嘲笑(ちょうしょう)の的に成り下がる。


 街灯は、どうだろうか。


 一歩あるかば街頭の明りは届かない。サークルの外に出てしまえば俺は放任された子羊だ。どこにだって行けて、誰にも気兼ねをしない夜の世界。


 俺が好きだったのは、そんなことだろうか?


 カラムサーバーに来る前。

 木綿のような髪を垂らした鬱々とした少年。


 それは、誰かに過保護にされていたからだったろうか。


 ここにきて、誰に慰めることも見守られることもなくなった、だから、変わった。


 そんな風に思っていた自分はトイレにでも流してしまえ。


 俺はずっと見守られてきたのだ。大切に、されてきたのだ。現実でも、V世界でも。


 変わったのは俺の力だ。

 意識だ。

 総じて生き方だ。

 それは違わない。


 でも契機となったのは……。


 益体のない考え事だと頭から振り払う。


 足は勝手に大きな川のほとりを歩いていた。


 住宅街に囲まれた川は透明な色をしていた。


 現実じゃこうはいかない。泳ぐニジマスらしき魚をみやっていたら、水面に砂金を見つける。


 それが空の星だと気付くまでそう時間はかからなかった。


 感慨は沸かない。こんな所にラーメン屋なんてないだろうし、アーケードまで戻るか。


「冬森くん?」


 空じゃない場所。満月の焦点が彼女にピントを合わせる。


 聞き覚えのある声。


 一番最初に聞いたのは、始業式、体育館での悲鳴だった。


 あのとき崩れた彼女に思わず近寄ったのがすべての始まりだ。

 助けたいと、思ってしまった。


 直近で聞いたのはお昼の、これもまた体育館での、すげない拒否だった。


「……赤寝、さん」


 黒いコートに手を突っ込んで、黒い髪は街灯もないのに輝いていた。白い肌が柔軟に動く。


「珍しい――じゃないね。私は謝らないといけない。お昼は、私のせいでした。

 こんな時間だけれど、もし夜ご飯がまだなら、一緒に食べてくれませんか?」


 それは、赤寝さんからの初めてのお誘いだった。



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