勉強会その1
勉強会当日。
木枯らしが枯葉で音楽を奏でるような日曜日。
寂れた駅前を見向きもせずに通り去るNPC。
新入生か卒業生しか踏み歩くことのない階段に、俺は腰を下ろしていた。
「遅い……」
待ち人来ず。
籤を引けばそんな結果が書いてあるだろう状態で、俺はかれこれ半時は待っていた。
三十分もあれば勉強がどれだけ出来たか数葉に説教をしたいが、来なければ虚しい話である。
それに、赤寝さんも同様に来ていない。
数葉は集中しても周りが見えなくなるようなタイプじゃない。
約束事ならきっちり守る。
赤寝さんは……来なくても文句が言えない。
一度勉強会に参加すると頷いたなら休むとしても連絡は欲しいが、「あなたと勉強するくらいなら石像に講義を請うわ」とでも思われていたら最早ぐうの音もでない。
なんともなしに駅を見る。
なんだか古びた印象があるが、駅が劣化することはこの先一生ない。
駅というシステム自体が劣化することはあるかもしれないが、カラムシティの玄関となるこの駅が年を取ることはない。
そう感じたのなら、これは感傷なのだろう。
俺の生活はここから始まった。
新入生としてV世界にやってきて、怯えながら坂道を登り、体育館で三年間も閉じ込められる箱庭に嘆いた。
赤寝さんとの出会いもその時が初めてだ。
出会い、というのはなんだかくすぐったい。
たまたま傍にいた彼女が悲鳴をあげた。
俺はどうしてもその涙を晴らしてあげたくて、初めて女子の背中を抱いた。
「僕が助けるから」
約束ですらない。
今思えば、見知らぬ女性にかける言葉じゃなかった。
気持ち悪いしキモチワルイ。あの場で即座に通報されてもおかしくなかった。なんであんな言葉が口から飛び出したのか、墓場に行く年になってもきっとわからない。
でも、後悔はない。
それで、赤寝さんは息を整えて、口角が僅かに上がる程度には笑ってくれたから。
「助けてくれてありがとう」
回転する落ち葉のように海馬をぐるぐるとしていたら、数葉と赤寝さんが一緒にやってきた。
赤寝さんは秋に似合う薄茶のセーターを着ていた。下はジーパンなのがミスマッチだがそこがいい。
俺の前までやってきたら開口一番、
「待たせたね。準備に手間取った」
と数葉が弁解から入った。
一時間も待たせたことによる謝罪の言葉はないらしい。
けれど、こんなことで怒るような俺じゃない。
女の子と待ち合わせしたときにどういう言葉を選べばいいのか。
なにが禁句なのか。
この二年間で身をもって学んできたのだ。
「構わないよ。それより、赤寝さんも勉強会なんて、よかったの?」
曖昧な言い分。
「ん。私は勉強を教わることはないけど」
すっごい強気。
夏休みのときと一緒だ。
彼女は試験でもトップになれるほどの努力型。
寧ろテスト前の鬱屈とした雰囲気がクラスに漂うなかで、気分転換が出来て喜んでいるのかもしれない。
「……教えてあげることは、できるかもしれないから」
「ありがとう。俺はいいから、数葉の手伝いをしてあげてよ。今日は数葉の効率のためだから」
「そうだね。効率あるお詫びだ」
胸を張った数葉。
休日だというのに、何故か制服を着ていた。
「あんなもの、本当に何に使うの?」
赤寝さんが不安そうに数葉に尋ねる。
「あんなもの?」
「うん。さっき私の部屋に置いた――」
「それは着いてからのお楽しみだよ。とりあえず会場へ向かおうか」
「会場ってどこなんだ。俺の部屋か? 何も聞いてないんだけど」
念のため、掃除は済ませてある。
でも、違うみたいだ。
足を進めた数葉が上半身だけ振り返り、揶揄七割ぐらいの乾いた笑いで応対した。
「赤寝の家」
―― ―― ――
俺は何も言えず、すたすたと二人についていった。
到着したのは女子寮の最上階の一室。
部屋の振り分けはランダムだから、赤寝さんは相当に運がよかったのだろう。
学校へ行くのに不便だとは思うが、箱庭の街並みを見渡せる。
「お邪魔します」
我が物顔で先行した数葉が、赤寝さんの部屋に入った。
玄関の外で俺だけが立ち竦んでいる。
「どうしたの? 入らないの?」
「ふぇ、あ、いや、その、ほら、男子が部屋に入るのは、赤寝さんも……ね!」
女子に訊いてはいけない質問に、シュレディンガーの地雷というものがある。
踏んでみるまで地雷が作動するかわからない、探知機が無効化された危険な質問だ。
動転して俺の口から出てしまった発言がそれに当たる。
もしもここで、「気にしなくていいよ。特別なことじゃないから」と言われたら先ず間違いなく部屋に男を連れこんでいる。
もしくは男として見られていない。
ただこの地雷は逆転的なパターンとして、「き、君だからいいんだよ?」というものがある。これはバージンロード(隠喩ではない)へのチケットだ。
かくして赤寝さんの反応やいかに。
「ね? ねって何。寮って男の人、入れたらだめなんだっけ? 誰も招いたことないからわからないんだけど……」
不安そうな顔をしていた。
なんだろうこの試合に勝って勝負に負けた感じ。
地雷を踏んだけど吃驚箱でダメージなしみたいな。若干の肩透かしが一番恥ずかしい。
玄関で不安がる赤寝さんの後ろから数葉が顔だけ出してくる。
「いつまでいちゃいちゃしているのかな」
「……違うよ?」
赤寝さんがぷいと踵を返して部屋の中へ、数葉に睨まれながら、俺も部屋に入った。
……初めて部屋に入った男子という存在に、優越感を得るものなのだろう。普通は。
初めて入った赤寝さんの部屋は、少し広めの八畳間だった。大きな窓と高い天井があるのに、そう感じさせないほどの狭い部屋だった。
「……赤寝さん、泥棒でも押し入ったの?」
素直な感想だった。
数葉から叱咤が入る。
「甲希。いくら世界地図ぐらいに乱雑な国境線が引かれた部屋だからって、その言い分は同じ女子として目に余るものがあるよ」
「お前のほうがオーバーキルじゃねえか」
「あなたも十分だよ」
またもやぷいとそっぽを向いてしまった赤寝さんだが、部屋の様子と相まって、幼く感じる。
数葉の比喩は正鵠を射ていた。
荒らされた部屋というよりも、整理されているけど整頓はしていないといった感じだ。
例えば、積み重なった漫画は乱立しているように見えて、ジャンルや作者毎に並べられていたり、服も散乱しているように見えてスカートやシャツが島で分かれている。
……念のため、もしかしたら、案の定と思ったが、下着は見当たらなかった。
「さっき私が赤寝の部屋にやってきたときに、甲希が探しそうなふしだらな物だけは片付けさせたよ」
「探してるの?」
「探してるわけないじゃないですか。何言ってるんですか。他人の部屋に来て早々ブラジャーを探そうだなんてそれこそ変態じゃないですか」
赤寝さんから疑いの眼差し。
墓穴を掘ったと、得意気に腰に手をあてた数葉に教えられる。
「私は下着とは一言も言ってないけどね。しかもどっちを探していたかまで教えてくれるだなんて。こりゃあ、これから会う壁な子も不憫だねえ」
胸を張った数葉が言う。
赤寝さんよりかはあるが、すっごい大きいわけじゃない。
ほんとだよ? 母親よりかはまだ小さい。あの人は歩くグランドキャニオンだ。
「壁な子? そういや、呼んでた一人って誰なんだ。待ち合わせとかしてるのか?」
国境線という名の足場は見えるが、人は見えない。
ベッドの中に隠れているわけでもなし。
「勝手に女の子のベッド触っちゃだめだよ」
「あ……ごめん」
赤寝さんの、か細い声で正気に戻る。
多少散らかってはいるが、ここは女の子の部屋なのだ。
あまりに幻想と正反対で場違いなことをしていた。
嘆息するような数葉の溜め息がして、そっちを振り返った。
数葉はリビングから繋がった襖の前に堂々と立っている。
「無駄な時間は取りたくない。失敗したときのために調整の時間も欲しいからね。だからさっさとこっちの部屋に集まってくれ」
「お前の部屋じゃないだろうが」
「赤寝に許可はもらってるよ。ついてきてくれ」
数葉が赤寝さんに窺う様子もなしに開いた襖の先は、リビングと比べれば軽度に散らかっているの畳の間だった。
木彫りの熊や五月人形が幅を効かせて飾られている。
赤寝さんの趣味だとしたら相当に渋い。女子高生が自発的に選ぶようなものではなさそうに思える。
けれど何よりその部屋に似つかわしくないのは、大画面モニターだった。
力士が目の前で立っているような迫力がある。
窓からの光源を遮るように黒いモニターが置いてある。
「赤寝さんってテレビっ子なの?」
「違うよ」
「私が赤寝の部屋に運び込んだんだ。それとこれは只のテレビじゃないよ。特製品だ」
数葉の目つきがよく知るものになる。学会でのスタンディングオベーションを期待する開発者の目だ。
さっき言っていた準備とはこれのことらしい。
数葉に促されるままに、部屋の中央の机の周りに座る。
自前で座布団を出そうか迷っているうちに、赤寝さんがピンクの座布団を出してくれた。
意外な少女趣味。
もしくは俺がピンク好きだと解釈しているかだ。
優しさに尻を落ち着ける。
「こほん。それではそれでは、どこの高校のサーバーであろうとも、史上誰もやっていないであろう実験結果をお見せしようか」
講釈を垂れず、その一言の前口上だけを勝手に喋り、勝手に俺たちに尻を向ける。
スカートがめくれないのは丈が長いおかげだ。やっぱ清楚が一番だな。
テレビの配線を弄るでもなく、自分の手を画面に触れさせたまま、静かに深呼吸をしている。
冬眠した動物のように、寝ているのではないかと危惧するほどに、安定したタイミングで、息を吸って、息を吐く。
数葉のジンクスだ。
命一杯集中するときに、数葉がやることだ。
ざざりとノイズが走る。
直後、少しだけあいていた部屋の襖が音を立てて自動で閉じた。
「幽霊?」赤寝さんの引き攣った声。
ルチアの警告が鳴る。
赤い警告と復旧の緑が乱立。
出来上がる壁とそれを壊す破壊音が明滅。
同時に、ポップアップが狂ったようにメールを知らせる。
文字化けされたメールが一通。二通。五十通。七十四通でピタと止まる。
コード変換。
「繋がったか」
「あ……」
昇順の未読メールの最下層が表示され、順に宛名とサブタイトルが可読文字に変化していく。
見慣れた――否、見知った相手だった。
ルチアに一際大きなパープルの文字。
『コネクション:ON
メインネットワークへの接続を許可します』
赤寝さんから焦燥感溢れる声が零れる。
「ネットワーク? だってサーバー内から外部への通信は不可能なはずじゃ……」
ざざりとノイズが走る。
直後、テレビが幽霊みたいな不安定な声を拾う。
『――――せ、……い』
彩色され始めたテレビを塞ぐように立ち上がる数葉。
特大級の賞と賛辞を待つかの如く、テレビに俺たちの視線を誘導する。
「このサーバーから外部への通信は不可能だ、と学生には説明されていた。修学旅行の際にも外部との連絡は常来取れないようになっている。
けれども実は、サーバーから相互通信しているネットワークが常備あるんだよ」
指を躍らせて髪を舞わす。舞台の上なら今の数葉は主役だ。
「なんだかわかるかい?」
「……わからない」
「質問甲斐がないね。赤寝は?」
おそらく、首を振ったのだろう。
確認できないのは、テレビに映った幽霊に目を奪われているからだ。
「仕方がないね。正解は、遊園地さ。ほら、この四人で行っただろう。そのときに目処はつけていたんだが、別段外に用事がなくって考えていなかったよ。
外部サーバーにデータが置かれた遊園地。
外部サーバーが国の学内施設と同様の場所にあるとは考えにくい。お化けが頓珍漢な場所に出現したりするミスも多かったからね。あれは完全に外部委託された民間業者だ。
そしてサーバーが同じ場所にないなら、ネットワークパイプが存在することになる」
「数葉」
「何かね。質問は後でまとめてにしてくれよ」
気持ち良さそうに身を震わす数葉だったけれど、今は構ってられない。
「そのうんちくはいつまで続くんだ」
「……この電話を今すぐ切ってもいいんだよ」
その脅し文句に最初に声を張り上げたのは、他でもない、このサーバーから九月の終わりに退学していった――四人目だった。
『ダメです数葉、先輩! せっかく、会えたのに……』
唾を飲み込む。
どうやって声をかけたらいいんだろうと迷っていた。
未読メールの一覧を眺める。
一日毎にメールは送られていた。
どうやっていたかはわからないが、届いていなかったそれらは、再三、俺に教えてくれる。
嫌ってなんかいないと。
「久しぶり、琴依ちゃん。元気だった?」
『はい! 甲希……先輩』




