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箱壊しの玄武  作者: ゆまち春
三章 亀と鳥と脳
23/27

勉強会その1


 勉強会当日。

 木枯らしが枯葉で音楽を奏でるような日曜日。


 寂れた駅前を見向きもせずに通り去るNPC。


 新入生か卒業生しか踏み歩くことのない階段に、俺は腰を下ろしていた。


「遅い……」


 待ち人来ず。


 籤を引けばそんな結果が書いてあるだろう状態で、俺はかれこれ半時は待っていた。


 三十分もあれば勉強がどれだけ出来たか数葉に説教をしたいが、来なければ虚しい話である。


 それに、赤寝さんも同様に来ていない。


 数葉は集中しても周りが見えなくなるようなタイプじゃない。


 約束事ならきっちり守る。


 赤寝さんは……来なくても文句が言えない。


 一度勉強会に参加すると頷いたなら休むとしても連絡は欲しいが、「あなたと勉強するくらいなら石像に講義を請うわ」とでも思われていたら最早ぐうの音もでない。


 なんともなしに駅を見る。


 なんだか古びた印象があるが、駅が劣化することはこの先一生ない。


 駅というシステム自体が劣化することはあるかもしれないが、カラムシティの玄関となるこの駅が年を取ることはない。


 そう感じたのなら、これは感傷なのだろう。


 俺の生活はここから始まった。


 新入生としてV世界にやってきて、怯えながら坂道を登り、体育館で三年間も閉じ込められる箱庭に嘆いた。




 赤寝さんとの出会いもその時が初めてだ。


 出会い、というのはなんだかくすぐったい。


 たまたま傍にいた彼女が悲鳴をあげた。

 俺はどうしてもその涙を晴らしてあげたくて、初めて女子の背中を抱いた。


「僕が助けるから」


 約束ですらない。


 今思えば、見知らぬ女性にかける言葉じゃなかった。


 気持ち悪いしキモチワルイ。あの場で即座に通報されてもおかしくなかった。なんであんな言葉が口から飛び出したのか、墓場に行く年になってもきっとわからない。


 でも、後悔はない。


 それで、赤寝さんは息を整えて、口角が僅かに上がる程度には笑ってくれたから。


「助けてくれてありがとう」




 回転する落ち葉のように海馬をぐるぐるとしていたら、数葉と赤寝さんが一緒にやってきた。


 赤寝さんは秋に似合う薄茶のセーターを着ていた。下はジーパンなのがミスマッチだがそこがいい。


 俺の前までやってきたら開口一番、


「待たせたね。準備に手間取った」


 と数葉が弁解から入った。


 一時間も待たせたことによる謝罪の言葉はないらしい。


 けれど、こんなことで怒るような俺じゃない。


 女の子と待ち合わせしたときにどういう言葉を選べばいいのか。

 なにが禁句なのか。


 この二年間で身をもって学んできたのだ。


「構わないよ。それより、赤寝さんも勉強会なんて、よかったの?」


 曖昧な言い分。


「ん。私は勉強を教わることはないけど」


 すっごい強気。


 夏休みのときと一緒だ。


 彼女は試験でもトップになれるほどの努力型。


 寧ろテスト前の鬱屈とした雰囲気がクラスに漂うなかで、気分転換が出来て喜んでいるのかもしれない。


「……教えてあげることは、できるかもしれないから」 


「ありがとう。俺はいいから、数葉の手伝いをしてあげてよ。今日は数葉の効率のためだから」


「そうだね。効率あるお詫びだ」


 胸を張った数葉。

 休日だというのに、何故か制服を着ていた。


「あんなもの、本当に何に使うの?」


 赤寝さんが不安そうに数葉に尋ねる。


「あんなもの?」


「うん。さっき私の部屋に置いた――」


「それは着いてからのお楽しみだよ。とりあえず会場へ向かおうか」


「会場ってどこなんだ。俺の部屋か? 何も聞いてないんだけど」


 念のため、掃除は済ませてある。


 でも、違うみたいだ。


 足を進めた数葉が上半身だけ振り返り、揶揄七割ぐらいの乾いた笑いで応対した。


「赤寝の家」



    ―― ―― ――



 俺は何も言えず、すたすたと二人についていった。


 到着したのは女子寮の最上階の一室。


 部屋の振り分けはランダムだから、赤寝さんは相当に運がよかったのだろう。

 学校へ行くのに不便だとは思うが、箱庭の街並みを見渡せる。


「お邪魔します」


 我が物顔で先行した数葉が、赤寝さんの部屋に入った。


 玄関の外で俺だけが立ち竦んでいる。


「どうしたの? 入らないの?」


「ふぇ、あ、いや、その、ほら、男子が部屋に入るのは、赤寝さんも……ね!」


 女子に訊いてはいけない質問に、シュレディンガーの地雷というものがある。


 踏んでみるまで地雷が作動するかわからない、探知機が無効化された危険な質問だ。


 動転して俺の口から出てしまった発言がそれに当たる。


 もしもここで、「気にしなくていいよ。特別なことじゃないから」と言われたら先ず間違いなく部屋に男を連れこんでいる。

 もしくは男として見られていない。


 ただこの地雷は逆転的なパターンとして、「き、君だからいいんだよ?」というものがある。これはバージンロード(隠喩ではない)へのチケットだ。


 かくして赤寝さんの反応やいかに。


「ね? ねって何。寮って男の人、入れたらだめなんだっけ? 誰も招いたことないからわからないんだけど……」 


 不安そうな顔をしていた。


 なんだろうこの試合に勝って勝負に負けた感じ。

 地雷を踏んだけど吃驚箱でダメージなしみたいな。若干の肩透かしが一番恥ずかしい。


 玄関で不安がる赤寝さんの後ろから数葉が顔だけ出してくる。


「いつまでいちゃいちゃしているのかな」


「……違うよ?」


 赤寝さんがぷいと踵を返して部屋の中へ、数葉に睨まれながら、俺も部屋に入った。


 ……初めて部屋に入った男子という存在に、優越感を得るものなのだろう。普通は。


 初めて入った赤寝さんの部屋は、少し広めの八畳間だった。大きな窓と高い天井があるのに、そう感じさせないほどの狭い部屋だった。


「……赤寝さん、泥棒でも押し入ったの?」


 素直な感想だった。


 数葉から叱咤が入る。


「甲希。いくら世界地図ぐらいに乱雑な国境線が引かれた部屋だからって、その言い分は同じ女子として目に余るものがあるよ」


「お前のほうがオーバーキルじゃねえか」


「あなたも十分だよ」


 またもやぷいとそっぽを向いてしまった赤寝さんだが、部屋の様子と相まって、幼く感じる。


 数葉の比喩は正鵠を射ていた。


 荒らされた部屋というよりも、整理されているけど整頓はしていないといった感じだ。


 例えば、積み重なった漫画は乱立しているように見えて、ジャンルや作者毎に並べられていたり、服も散乱しているように見えてスカートやシャツが島で分かれている。

 

 ……念のため、もしかしたら、案の定と思ったが、下着は見当たらなかった。


「さっき私が赤寝の部屋にやってきたときに、甲希が探しそうなふしだらな物だけは片付けさせたよ」


「探してるの?」


「探してるわけないじゃないですか。何言ってるんですか。他人の部屋に来て早々ブラジャーを探そうだなんてそれこそ変態じゃないですか」


 赤寝さんから疑いの眼差し。


 墓穴を掘ったと、得意気に腰に手をあてた数葉に教えられる。


「私は下着とは一言も言ってないけどね。しかもどっちを探していたかまで教えてくれるだなんて。こりゃあ、これから会う壁な子も不憫だねえ」


 胸を張った数葉が言う。


 赤寝さんよりかはあるが、すっごい大きいわけじゃない。


 ほんとだよ? 母親よりかはまだ小さい。あの人は歩くグランドキャニオンだ。


「壁な子? そういや、呼んでた一人って誰なんだ。待ち合わせとかしてるのか?」



 国境線という名の足場は見えるが、人は見えない。

 ベッドの中に隠れているわけでもなし。


「勝手に女の子のベッド触っちゃだめだよ」


「あ……ごめん」


 赤寝さんの、か細い声で正気に戻る。


 多少散らかってはいるが、ここは女の子の部屋なのだ。


 あまりに幻想と正反対で場違いなことをしていた。


 嘆息するような数葉の溜め息がして、そっちを振り返った。


 数葉はリビングから繋がった襖の前に堂々と立っている。


「無駄な時間は取りたくない。失敗したときのために調整の時間も欲しいからね。だからさっさとこっちの部屋に集まってくれ」


「お前の部屋じゃないだろうが」


「赤寝に許可はもらってるよ。ついてきてくれ」


 数葉が赤寝さんに窺う様子もなしに開いた襖の先は、リビングと比べれば軽度に散らかっているの畳の間だった。


 木彫りの熊や五月人形が幅を効かせて飾られている。


 赤寝さんの趣味だとしたら相当に渋い。女子高生が自発的に選ぶようなものではなさそうに思える。


 けれど何よりその部屋に似つかわしくないのは、大画面モニターだった。

 力士が目の前で立っているような迫力がある。

 窓からの光源を遮るように黒いモニターが置いてある。


「赤寝さんってテレビっ子なの?」


「違うよ」


「私が赤寝の部屋に運び込んだんだ。それとこれは只のテレビじゃないよ。特製品だ」


 数葉の目つきがよく知るものになる。学会でのスタンディングオベーションを期待する開発者の目だ。


 さっき言っていた準備とはこれのことらしい。


 数葉に促されるままに、部屋の中央の机の周りに座る。


 自前で座布団を出そうか迷っているうちに、赤寝さんがピンクの座布団を出してくれた。


 意外な少女趣味。

 もしくは俺がピンク好きだと解釈しているかだ。


 優しさに尻を落ち着ける。


「こほん。それではそれでは、どこの高校のサーバーであろうとも、史上誰もやっていないであろう実験結果をお見せしようか」


 講釈を垂れず、その一言の前口上だけを勝手に喋り、勝手に俺たちに尻を向ける。


 スカートがめくれないのは丈が長いおかげだ。やっぱ清楚が一番だな。


 テレビの配線を弄るでもなく、自分の手を画面に触れさせたまま、静かに深呼吸をしている。


 冬眠した動物のように、寝ているのではないかと危惧するほどに、安定したタイミングで、息を吸って、息を吐く。


 数葉のジンクスだ。


 命一杯集中するときに、数葉がやることだ。


 ざざりとノイズが走る。


 直後、少しだけあいていた部屋の襖が音を立てて自動で閉じた。


「幽霊?」赤寝さんの引き攣った声。



 ルチアの警告が鳴る。



 赤い警告と復旧の緑が乱立。



 出来上がる壁とそれを壊す破壊音が明滅。



 同時に、ポップアップが狂ったようにメールを知らせる。



 文字化けされたメールが一通。二通。五十通。七十四通でピタと止まる。



 コード変換。



「繋がったか」


「あ……」


 昇順の未読メールの最下層が表示され、順に宛名とサブタイトルが可読文字に変化していく。


 見慣れた――否、見知った相手だった。


 ルチアに一際大きなパープルの文字。


『コネクション:ON

 メインネットワークへの接続を許可します』


 赤寝さんから焦燥感溢れる声が零れる。


「ネットワーク? だってサーバー内から外部への通信は不可能なはずじゃ……」


 ざざりとノイズが走る。


 直後、テレビが幽霊みたいな不安定な声を拾う。


『――――せ、……い』


 彩色され始めたテレビを塞ぐように立ち上がる数葉。


 特大級の賞と賛辞を待つかの如く、テレビに俺たちの視線を誘導する。


「このサーバーから外部への通信は不可能だ、と学生には説明されていた。修学旅行の際にも外部との連絡は常来取れないようになっている。

 けれども実は、サーバーから相互通信しているネットワークが常備あるんだよ」


 指を躍らせて髪を舞わす。舞台の上なら今の数葉は主役だ。


「なんだかわかるかい?」


「……わからない」


「質問甲斐がないね。赤寝は?」


 おそらく、首を振ったのだろう。


 確認できないのは、テレビに映った幽霊に目を奪われているからだ。


「仕方がないね。正解は、遊園地さ。ほら、この四人で行っただろう。そのときに目処はつけていたんだが、別段外に用事がなくって考えていなかったよ。

 外部サーバーにデータが置かれた遊園地。

 外部サーバーが国の学内施設と同様の場所にあるとは考えにくい。お化けが頓珍漢な場所に出現したりするミスも多かったからね。あれは完全に外部委託された民間業者だ。

 そしてサーバーが同じ場所にないなら、ネットワークパイプが存在することになる」


「数葉」


「何かね。質問は後でまとめてにしてくれよ」


 気持ち良さそうに身を震わす数葉だったけれど、今は構ってられない。


「そのうんちくはいつまで続くんだ」


「……この電話を今すぐ切ってもいいんだよ」


 その脅し文句に最初に声を張り上げたのは、他でもない、このサーバーから九月の終わりに退学していった――四人目だった。


『ダメです数葉、先輩! せっかく、会えたのに……』


 唾を飲み込む。


 どうやって声をかけたらいいんだろうと迷っていた。


 未読メールの一覧を眺める。


 一日毎にメールは送られていた。


 どうやっていたかはわからないが、届いていなかったそれらは、再三、俺に教えてくれる。


 嫌ってなんかいないと。



「久しぶり、琴依ちゃん。元気だった?」


『はい! 甲希……先輩』



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