第二章 獣
「ホー、ホー……」
頭上でフクロウが鳴いている。
ここは、港町ヤードへ向かう街道の途中。少し開けた場所にある古びた小屋の前。
俺達はいつも交代で見張りをしていて、今は俺の順番だ。次はジェットに交代する事になっている。
「夜は涼しくていいなぁ〜」
俺は大きく伸びをしながら独り呟いた。
辺りのモンスターの気配も、全くと言って良いほどにない。
平和って素晴らしい。
しかし、全世界が平和であれば、俺達冒険者の存在など必要なくなってしまう。
まぁ、そういう永遠の平和が訪れるなら、秋留と幸せな家庭を作れば良い。いや、平和な家庭を築きたい。
俺は一人でニヤけながら、色々妄想に耽っていた。
その時、すぐ近くで獣の気配を感じた。
「嘘だろ? さっきから近づいてくるような気配は無かったのに!」
俺は素早くネカーとネマーを構えると、辺りを観察し始めた。
しかし動く様な物体もなければ、先程感じた獣の気配もなくなっている。
暫く銃を構えて寂れた小屋の周りを回ったが、何も発見する事は出来なかった。
俺はネカーとネマーをホルスターに戻すと、余計な雑念は捨てて真面目に見張りを再開した。
すると、先程感じたものと同じ獣の気配をすぐ後ろから感じた。
俺は前転しながら、後方に向かって銃を構える。
獣の姿はどこにもない。
いるのは小屋の外でゴロ寝しているカリューとジェットだけだ。秋留は馬達と共に小屋の中で眠っている。
大きなイビキをかいているカリューと死んだように眠っているジェット。
そのイビキの主であるカリューから僅かだが獣の気配を感じる。
人間の能力の限界を超えて、とうとう獣となってしまったか。
俺はそんな筈はないと、カリューの顔を覗き込んだ。
「うぎゃあああああ!」
寂れた建物の中で、銀星・アレキサンドラと共に眠っていた秋留が杖を持って飛び出し、カリューの隣で死人の様に眠っていたジェットが慌てて起きる。
そして、頬まで避けた大きな口で欠伸をしながら、カリューが眼を覚ました。
「何事ですじゃ? ブレイブ殿!」
ジェットがレイピアを構え、辺りを注意深く見渡しながら聞く。
「昼間の盗賊団?」
秋留もジェットの隣に来て言った。
「転寝してたら恐い夢でも見たか? ブレイブ?」
俺はカリューの顔を指差しながら口をパクパクさせている。
「ん?」
秋留が俺の指の先を見る。暗くてカリューの顔があまり見えないようだ。
野営には必須の焚き火から松明を持ってくると、それをカリューの顔にかざした。
「きゃああ!」
「ぬおおおお!」
秋留とジェットがカリューを見て叫ぶ。
「ヒヒヒィ〜ン!」
「ヒヒヒヒィ〜ン!」
一緒に様子を見ていた銀星とアレキサンドラが鳴く。
「どうしたんだ? 俺がどうかしたか?」
相変わらずの大きな口でカリューが言う。
青い髪の毛の隙間から青い毛で覆われた巨大な耳。昼間出会った獣人を思い出させる鋭い眼。鎧の隙間から見える青い体毛。恐らく全身が毛で覆われているのだろう。足の間からは、足と同じ長さ位ある立派な青い尻尾も見えている。
「か、顔……尻尾……」
秋留が口を押さえながらカリューに言った。
いつも冷静な秋留も慌てている。一人冷静なのは当の本人だけだ。
秋留に言われてカリューは左手を口に持っていった。
頬まで避けて、飛び出した口を触ってカリューが怒鳴る。
「ブレイブ! また俺に変な装備させただろ!」
違うって!
カリューのアホさ加減に俺は少し落ち着きを取り戻した。
「じゃあ、なんなんだよ、これはっ! 俺はどうなっちまったんだああぁぁぁぁぁ!」
冷静になる俺達とは逆に、カリューが叫んだ。青い毛で覆われた頭を掻きむしりながら、俺達の周りをグルグルと回った。。
「まるで獣人だよ。犬の獣人? 狼かな?」
秋留がカリューの身体を色々観察しながら言う。
「魔剣ケルベラーの呪いが残っていたんですかなぁ?」
ジェットがカリューの尻尾を掴みながら言った。
魔剣ケルベラーとは、以前カリューが誤って装備してしまった呪われた魔剣だ。装備者は魔剣の呪いにより魔獣ケルベロスへと姿を変える。
だが、カリューが獣になる前に魔剣自体を破壊したので、呪いは解かれたのだと思っていた。
「う〜ん。全く分からないねぇ」
秋留が腕を組んで悩んでいる。
その間、カリューは自分の身体をくまなく調べて落ち込んでいた。
「まぁ、それ程気にする事でもないですぞ! 見た目は変わってもカリュー殿はカリュー殿ですじゃ!」
ゾンビになってもジェットはジェットという事か。
そんなジェットの慰めは勿論効果なく、俺達は大きい街の魔法医に見てもらうべく予定通り港町ヤードを目指す事にした。
街道ですれ違う人が増えてきた。港町ヤードが近い証拠だ。
今朝カリューが獣になった以外は特に問題もなく、港町ヤードの目前までやって来た。
大きい街は必ずといって良いほど頑丈な城壁に囲まれ、数少ない門には数人の兵士が見張りに立っている。
港町ヤードも例外ではなく、門の前に立っている兵士に身分証の提示を求められた。
街などに魔族や犯罪人が入り込まないようにある処置だが、力ずくで入られるケースも少なくは無い。
「え〜っと、ジェットさんにカリューさんに秋留さんにブレイブさん……」
門番は手渡された身分証と俺達の顔を見ながら確認している。
「おや? ジェットさんは百十六歳ですか? そんなお年には見えませんけどね。長生きの秘訣はなんですか?」
どこか抜けている門番が聞いた。
「やはり人間、早寝早起きが一番ですじゃ」
人間を辞めているジェットが真面目に答える。
「これなら、魔法とか使って通してもらう必要は無さそうだね」
秋留が門番に聞こえないように、小声で言った。
いつもならジェットの年齢に疑問を持った門番を、秋留の魔術で惑わしてから通してもらっているのだが。
「カリューさんは獣人に転職でもしたんですか?」
聞かれたカリューは「ガルルル」と唸っている。
獣人に転職など出来るはずはないが、ここは突っ込まないでおく。
「ようこそ、港町ヤードへ! 海の香りと共に新鮮な魚を堪能していって下さいね」
門番はそう言うと、頑丈な鉄の扉を開けて俺達を街の中へと通してくれた。
「あれじゃあ、門番の意味はないよね」
門から街の中へと歩きながら秋留が言う。
港町ヤードは、旅人や商人で賑わっていた。冒険者の数より多いかもしれない。
「日も暮れてきたし、今日は宿を探して明日の朝、魔法医にカリューを見せに行こう」
こういう事はパーティーのリーダーであるカリューが言う台詞なのだが、リーダーは極端に落ち込んでいるので秋留が代わりに言った。
港町ヤードは他の大陸との交流が盛んなため、数多くの種族が生活しているようだ。
宿屋を探している途中も、カリューと同じ獣人族や肌の黒い人間の種族とすれ違った。珍しいエルフの姿も時々見かける。
「いらっしゃいませ、四名様ですね?」
俺達は大きめの宿屋シーサイド・インを見つけて中へ入った。
歳の若いアルバイトと思われる女性が、カウンターの向こうから早速話し掛けてきた。
「二部屋空いてるかな?」
秋留が言う。俺的には同じ部屋でも問題ないのだが。と言うか、むしろ同じ部屋がいいのだが……。
「丁度二部屋空いてますよ。ご案内します」
残念なことに二部屋空いているらしい。俺達は一階の角部屋に案内された。室内は海をイメージする様な青一色で統一されている。
「じゃ、また明日ね」
秋留は一人隣の部屋に入っていった。
秋留の後に着いて行こうとする俺の襟首を掴んで、ジェットが別の部屋に引っ張っていく。
「ブレイブ殿の部屋はこっちですぞ」
俺は荷物をベッドの脇に置くと、身体に繋いでいる鉄のワイヤーも外した。
「はぁ〜。疲れたし、早速風呂に入らせてもらおうかな」
シーサイド・インは各部屋にトイレと風呂が備えつけられている、値段が少し高めの宿だ。宿代は一人一万八千カリムもするが、代わりに海の幸を使った美味い夕食が出るらしい。
「ふぅ〜」
俺は湯船に浸かりながら大きく息をついた。やっぱり風呂は落ち着く。冒険者の中には風呂嫌いな奴も多いらしいが、そいつらの気が知れない。
ちなみに、俺は特別一番風呂が好きという訳ではない。
ジェットとパーティーを組んでからは、少なくともジェットの前に風呂に入るようにしている。理由は深く考えたくないが、湯船にオゾマシイ物が浮いてそうで恐い。
そして、獣人となったカリュー。毛が一杯浮いてそうで嫌だったので、今日は即行で風呂に入る事に決めたという訳だ。
「気分転換だ」と言いながら俺の後に風呂に入ったカリューは、案の定余計に落ち込んで風呂から出てきた。
二時間位は風呂に入っていただろうか。身体中が毛だらけで暫く放心状態だったに違いない。
「じゃあ、次はワシが……」
そう言いながらカリューの後にジェットは風呂に入っていった。
部屋に取り残されたのは、俺とカリューの二人。カリューの周りには重い空気が漂っている。
「まぁ、元気出せよ。ここは酒の肴が美味いに違いないぞ」
効果がないと思っていた俺のなぐさめの台詞は、想像以上に威力があったようだ。
今までカリューの周りを覆っていた黒い空気が一気に弾けとんだ。
「そうだな! 日も落ちてきたし、ジェットが風呂から出たら一杯やって来ようかな」
カリューの機嫌が分かりやすく良くなった。安心した俺は二丁の愛銃の手入れをし始める。
暫くしてジェットが風呂から出てきた。
あまり不機嫌そうな顔をしていないところを見ると、湯船はそれ程荒れていなかったらしい。
「ジェット! 飲みに行こう! ここは酒の肴が美味いに違いないぞ!」
俺が先程言ったなぐさめの言葉をそのままジェットに言っている。
カリューの台詞を聞いたジェットは、急いで支度をすると、二人仲良く部屋を出て行った。
「カリュー殿、今夜は共に人間を辞めた者同士、仲良く語り合いましょうぞ!」
宿屋の廊下を歩きながらジェットの言った台詞が、盗賊である俺の耳に聞こえてくる。その後カリューの唸り声がこだました。
「さて」
俺は銃をホルスターにしまうと、俺達の部屋を出て隣の秋留の部屋のドアをノックした。
暫くしてシャンプーの匂いを漂わせながら秋留が部屋から顔を出す。
「あれ? どうしたの、ブレイブ?」
「そろそろ夕食の時間だろ? 宿の食事はいつでも食えるし、今日は一緒にどっかに喰いにいかない?」
わざとらしく前髪を掻き分けながら格好良く言ってみる。
「あははっ、そういう仕草似合わないよ」
即行で撃沈。
「カリューとジェットは美味い酒の肴求めて旅立って行ったよ」
気を取り直して秋留に説明する。
「ふぅ〜ん、ブレイブがうまい事言って追い出したわけじゃないんだ?」
内心「その通り」と思いつつ顔に出さないように否定すると、秋留は「準備するから待ってて」と部屋に戻っていった。
暫くしていつもの冒険者の装備をした秋留が姿を表す。背中にはボディガードのブラドーもいるようだ。
「じゃ、行こう!」
秋留が外に向かって指を向ける。やった! 秋留と二人っきりのデートだ。
小高い丘の上に建てられた宿屋の外に出ると、丁度海の向こう側に太陽が落ちるところだった。
目の前に広がる海が真っ赤に染まっている。
「わぁ〜、綺麗〜」
秋留が真っ赤な光景を目の前にして眼を輝かせている。
「あ、秋留の方が綺麗だよ」
俺は秋留の肩に手を回そうとした。しかし隣には誰もいなくて危うく転びそうになる。
秋留は既に十メートル程離れた所を歩いていた。
「さすが、元盗賊!」
俺は半分涙目になりながら、秋留に追いつくべく軽く走り始めた。
「ここが良いなぁ」
秋留が立ち止まったのは、独特な雰囲気をかもし出している海鮮亜細安亭だ。かいせん……あじあんてい?
入り口の両脇には、変わった生物の置物が並んでいる。
「この獅子みたいな置物は亜細李亜大陸の守り神、ゴーザーだよ」
秋留がゴーザーの頭を撫でながら説明した。どうやらこの店は亜細李亜大陸の料理を出す店らしい。それで亜細安亭か……。
「いらっしゃいませ〜」
店内に入ると、陽気な女性店員が話し掛けてきた。
秋留が今着ているチャイニ服と同じような格好をしている。
「あら? 亜細李亜大陸の人?」
店員は秋留の格好を見て聞いてきた。
「そうですよ」
気さくに秋留は答える。人見知りが激しい俺には出来ない芸当だ。今の俺の顔も第三者から見ると酷く無愛想に見えるに違いない。
「ここのマスターは亜細李亜大陸出身なんです。特別席に案内しますので、ゆっくりしていって下さいね」
俺達は二階の見晴らしの良い席に案内された。どうやら店のマスターに特別扱いされているようだ。
「いい眺めだね」
俺達が座っている席からは広大な海が一望出来る。太陽はもう海の向こう側にほとんど隠れてしまったようだ。
秋留と過ごす楽しいひと時。
その時俺の耳は、二階から見える通りの角の向こうから、聞きなれた声が近づいてくるのを感じた。
「ジェット、次はどこに飲みに行くか?」
「ここの角を曲がった先に、亜細李亜料理を出す店があるようですぞ」
素早く両手にネカーとネマーを構え、カリューとジェットが飛び出してくる通りにあるゴミ箱を吹っ飛ばす。
「うおっ! なんだ?」
「不吉な予感がしますなぁ」
「せっかくの酒飲みデーを無駄にしたくないな。他の店を当たろう」
「そうですな」
「どうしたの? ブレイブ?」
気づくと秋留が俺の顔を覗いていた。
「ちょっとデカイ虫が飛んでたんだけど、無事に追っ払ったよ」
秋留が不安そうに辺りをキョロキョロしている。秋留は大の虫嫌いだ。
俺が本気を出せば、元盗賊の秋留でも見えない程の銃さばきが出来る。
暫くすると、先程の店員が大きめの皿に乗せた料理を運んできた。
「あれ? まだ頼んでないけど……」
秋留が言うと、店員は笑顔で「マスターの奢りですよ」と言って、俺達のテーブルに料理を置いていった。
「わぁ! 肉ジャガンだ」
秋留が嬉しそうに言った。
秋留が言うには、亜細李亜大陸の有名な家庭料理で、肉とじゃがいもを長い時間掛けて煮込んだ物らしい。
一口食べると、口の中に幸せが広がった。大きめに角切りされた豚肉は、とろける様に柔らかい。
「こりゃあ、美味いな!」
「でしょ? 私も大好きなんだ」
そう言いながら、秋留も肉ジャガンを次々に口に放り込んでいる。
秋留は店員にとろろん御飯を二つと、ダイコーン汁を二つ、亜風タコサラダを一つ頼んだ。
秋留が頼んだ料理はどれも美味しく、二人ともあっという間に食べ終えてしまった。
「ふぅ〜、喰った喰った」
俺は腹を擦りながら言う。久しぶりに美味い料理を食べた気がする。
「ご馳走様でした」
秋留が行儀良く手を合わせて言っている。亜細李亜大陸独特の食べ終わった時の挨拶だ。
俺達は店員に御礼を言うと、会計を済ませて外に出た。会計は勿論俺持ちだ。カリューやジェットの分は払いたいとは全く思わないが、秋留のためならいくらでも払いたいと思ってしまう。
外は大分暗くなっていた。通りを歩く人も減ってきている。
「んじゃあ帰ろうか。明日はカリューを魔法医に見せにいかないとな」
俺は秋留との食事に満足して言った。秋留とそれなりに楽しい会話も出来たし美味い料理も喰えた。
「そうだね。我らがリーダーはやたらと貧乏くじを引きたがるからね」
秋留が面白そうに言う。確かにカリューはあまり良い思いをしているとは思えない。あの強靭な体力がなければ生きていないに違いない。
「まぁ、メインはデールの屋敷跡で手に入れたオリハルコンと魔法の短剣の鑑定かな」
俺はしっかりと忘れていない事をアピールするべく秋留に言った。
「あはは、そうだね。まぁ、そんな事言うと、カリューは全力で怒るだろうけど」
秋留が苦笑いをしながら答える。
薄暗い通りを二人で楽しい会話をしながら歩く。今日は人生で最良の日だ。しかしその幸せも長くは続かないようだ。通りの向こうから、獣人の集団が歩いて来るのが見える。
「面倒くさい事になりそうだな」
俺は秋留に小声で言った。
「あいつら盗賊団だったよね? 一体門番は何をやってるんだろう?」
秋留が言う。恐らく盗賊団をこの街に通したのも、ネジが沢山抜けているあの門番の仕業に違いない。
どこか遠くでクシャミが聞こえた気がしたが、さすがに気のせいだろう。
「おい、貴様ら……」
集団の先頭を歩いていた鳥の獣人が俺達の顔を見て言って来た。
「何か?」
秋留が静かに答える。
「お、お前らどこかで見た気がするぞ」
鳥獣人の喋りの勢いが一気に弱くなった。
「気のせいでしょう?」
秋留は子供をあやす様に優しく答える。また何かの術を使っているな。
「そ、そうだな。気のせいだな。邪魔したな……」
獣人達は俺達と何も無かったかのように通り過ぎていった。
「いつ見ても見事だよな」
何の術を使っているのかはサッパリ分からないが、俺は心底関心して秋留に言う。
「え? そ、そんな事ないよ」
秋留は少し顔を赤らめつつ慌てて答えた。
「ちょっと待つニャン!」
どこからともなく、聞き覚えのある声が響き渡った。
俺達の目の前に音も無く二匹の真っ黒な獣人が舞い降りる。
「他の獣人達は騙せても、あたし達は騙せないニャン!」
またしても、肉球のついた可愛らしい手を突き出してシャインが叫ぶ。
「へ〜……。さすが魔法を使えるだけあって私の魔力に掛からなかったみたいだね」
秋留が感心した様に言う。しかし、その顔には若干の焦りが見えた。いつも冷静な秋留が珍しい。それだけ厄介な相手だという事か。
「シャ、シャイン〜。やっぱり人違いじゃないのかなぁ?」
隣でクロノが言っている。クロノは秋留の魔力にまんまとはハマッたようだ。
即行でクロノの顔面にシャインの裏拳が飛ぶ。
「う〜ん……」
秋留が隣で唸った。
「どうした、秋留?」
俺は両手にネカーとネマーを構えながら横目で秋留を見た。
「お腹痛い。ちょっと食べ過ぎたみたい……」
秋留は相手にバレないようにお腹を押さえている。
暫しの沈黙。
あまり猶予はないようだ。
「とりあえず、コロナバーニングでふっ飛ばしちゃおうか?」
秋留が街中で恐い事を言っている。コロナバーニングは広範囲で全てを溶かす高熱を発する呪文だ。
腹を壊しているせいで冷静さを無くしている様だ。本当に危険なのはシャインとクロノではなく、手負いの獣である秋留かもしれない。
俺は五感をフルに使って辺りを検索し始める。秋留が暴走する前に。
「奴らの向こう側が宿屋への道だ! まずは奴らの脇を通り抜けるぞ!」
俺は秋留に向かって言った。黙って秋留は頷く。両手にはいつでもブチかませる様に杖をしっかりと握っている。
「来るニャン!」
シャインが叫ぶ。鼻を押さえながらも半信半疑でクロノも両手を構える。
俺はネカーとネマーをシャインとクロノの顔目掛けて発射した。
「い……痛いニャン! クロノは何してるニャン!」
俺の予測通りシャインとクロノの頭が激突した。俺は二人が避けた時に頭と頭がぶつかる様にネカーとネマーから発射される硬貨の軌道を調整していたのだ。
言い争うシャインとクロノの脇を秋留の手を引っ張りながら走り抜ける。
「逃がさないニャン!」
シャインが俺達の方に走り寄りながら呪文を唱え始めた。
「迫り来る影は凍える吐息、生命の息吹を止めるクサビとなれ……」
シャインが魔法を唱えている間もネカーとネマーで狙おうとしたが、クロノが蹴りを連発してくるために迎撃出来ない。
「チェイスフリージング!」
叫び声と共にシャインの両手から真っ白な冷気が俺達に向かって走ってきた。クロノはいつ魔法が放たれるかを完璧に分かっていたかのように、魔法の射程範囲からは外れている。
俺はネカーとネマーを冷気に向かって発射した。
しかし冷気に触れると同時に硬貨が一瞬にして氷の塊と化す。
「上!」
秋留が俺の前を走りながら叫んだ。
上を見上げると『お酒は二十歳になってから』という大きな看板が目に入った。
俺は考える間もなく、看板を止めてある二本の木の柱をネカーとネマーの硬貨で粉砕した。
俺達とシャイン・クロノの間の石畳に、看板が盛大に突き刺さった。
その看板も一瞬で氷の塊と化したが、魔法の威力はそこで途絶えたようだ。
「後少しだ」
俺は左前方の飲み屋シェル・シェル・シェルを見ながら言った。秋留は相変わらずお腹を押さえながら俺の前を走っている。
後方で氷の塊と化した看板が、クロノとシャインの息の合った蹴りにより粉砕された。
氷の破片が俺の右腕をかすめる。
「今だ、秋留! 悲鳴を上げるんだ!」
俺は秋留に叫んだ。
秋留は理由も聞かずにありったけの悲鳴を上げた。
「きゃああああああああああああ!」
秋留の叫び声でシャインとクロノの動きが一瞬止まる。
その一瞬の間に、飲み屋シェル・シェル・シェルから半分酔っ払ったカリューが飛び出してきた。
「婦女子を襲う卑劣漢はどこだぁ!」
半獣人と化したカリューの叫びは、いつもの何倍も迫力があるようだ。
シャインとクロノも完全にビビって声が出せないでいる。
「な、なんニャ?」
クロノが逃げ腰で言う。カリューの大胆なイメチェンのお陰で誰だか分からないようだ。
「悪に名乗る名など無し!」
カリューが問答無用でクロノとシャインに飛び掛っていった。
俺達はバレないようにその場を逃げ出した。
俺は人気の無くなった通りを秋留と一緒に走っている。やたらと秋留の足が速いのは腹を壊しているせいだろう。
「五感を集中させて、飲み屋で騒いでいるカリューの声を探したんだよ」
俺は走りながら秋留に説明した。俺の活躍っぷりを聞いて欲しいのだが秋留はそんな場合ではないらしい。
「獣人になって荒れているカリューの声を探すのは、意外と簡単だったよ」
俺は尚も説明を続けるが、相変わらず秋留の反応は無い。
暫くすると宿屋に着いたが、何の会話も無く、秋留はそのまま自分の部屋に吸い込まれていった。
翌日。
昨日は軽く食後の運動をしたせいで、脇腹が痛い。
隣では夜遅く帰って来たカリューとジェットが寝ている。昨日はあれからどうなったのだろう。
まぁ、生きて帰ってきているところを見ると、シャインとクロノを無事に追っ払ったようだが。
「良い朝ですな、ブレイブ殿」
ついさっきまで寝ていたジェットがいつの間にやら起きている。
部屋のカーテンの隙間から射し込む光が部屋の中を明るく照らした。
「昨日は大丈夫だったか?」
ジェットにさり気なく聞いてみる。
「中々楽しい夜を過ごせましたですじゃ。最後に一悶着ありましたが……」
俺は思わず苦笑いしてしまったが、俺と秋留の幸せのために犠牲になれたと思って諦めてくれ。
今日はカリューを魔法医に連れて行く事になっている。
俺とジェットは獣になってイビキが一段と五月蝿くなったカリューを起こすと、出掛ける準備を始めた。
「先に外で待ってるぞ〜」
秋留の部屋の前で言う。部屋の中から秋留の返事が聞こえた。今日は体調は良いようだ。
まだ午前中だと言うのに外は暑かった。
カリューは身体中毛だらけになったせいか大分暑いようで、舌を出して荒い息をしている。獣人姿も大分板についてきたようだ。
「この身体、治ると良いんだけどな」
カリューは舌を出しながら言った。舌噛みそうだぞ。
「そうですな。その毛並は冬は良いかもしれんが、夏は暑そうですじゃ」
カリューが獣人化した事をあまり深刻に思っていなさそうなジェットが言う。ジェットは実は自分と同じような境遇の仲間が増える事を、密かに喜んでいるのかもしれない。
「おっ待たせ〜」
秋留が元気に宿屋の扉を開けて出てきた。
今日は膝下位まである黒いスカートに短めのブーツ、白いシャツの上に黒のチェストアーマーという装備だ。
背中にはいつもの様にボディーガードのブラドーがいる。
「魔法医はすぐ近くにあるみたいだよ」
いつの間に仕入れた情報なのか分からないが秋留が言った。
俺達は秋留の後に着いて歩く。
昨夜と違って今は通りを行き交う人々が多い。時々俺達の方を振り向いて、ヒソヒソと話し合う声が聞こえてくる。どうやら俺達の事を噂しているらしい。
「獣人と人間のパーティーだよ」
「珍しいな」
「変な爺さんも交ざってるな」
俺達はそれ程有名ではない。冒険者の間や一部の冒険者マニアで有名なだけだ。
しかし、獣人と化してしまったカリューのいるこのパーティーじゃあレッド・ツイスターと気づく人はいないかもしれない。
「あそこだよ」
暫く歩くと秋留が前方にある看板を指差して言った。看板には『マジカルミラクルやって来る』という店の名前なのか何なのか分からない文章が書かれている。
魔法医院の大きさは小さめの宿屋くらいだろうか。扉の両側には魔力で灯っていると思われるランプが取りつけてある。
魔法医院の扉を開けた時に「ガラガラガラ〜ン」と病院とは思えない様な豪快な鐘の音が建物内外にこだました。
「はい、いらっしゃい! 腕抜群の魔法医ドルイドのマジカルミラクルやって来るへようこそ!」
魔法医には到底見えない男が揉み手をしながら近づいて来た。首には魔法医を表す証明書をつけたストラップを下げている。
証明書の名前は予想通りドルイドとなっていた。こいつ医者か?
「選んだ魔法医院、間違ったかな?」
秋留が心配そうに呟いたのが聞こえた。確かに少し不安ではあるが他人事に過ぎないと思う俺は残酷なのだろうか?
「誰かどうなさったんですか?」
青白い顔をして真っ黒な髪を七三分けにしているドルイドが年長者のジェットを建物の奥に案内しながら言った。
「こちらのカリュー殿の事で参ったんじゃが」
ジェットがドルイドのキツいキャラクターに臆することなく言う。さすが人生経験豊富なジェットは違うな。
紹介されたカリューの顔が少し引きつった。
「まぁ、獣人のカリューさんね。うちは獣人でもエルフでもどんな種族でも対等に診察しますよ〜」
ウィンクしながらドルイドが言う。
全身に鳥肌が立った。カリューに突然生えた全身の毛も逆立っている。
「お、俺は人間だ」
カリューがやっとの事で言った。
「え〜っと、聞き違いかしらねぇ〜……。元人間?」
「うう……そういう事だ、間違いだったらどんなに嬉しい事か……」
それからカリューはドルイドにこれまでの経緯を説明し始めた。
その間に俺達は暇なので診療所の中をブラブラと見て回る事にした。
見慣れない液体の入った瓶や変わった形の黒い果実らしき物が棚に並べられている。
「これ……魔楽果だよ!」
秋留が俺の見ていた黒い果実を手に取りながら言った。どうやら珍しい物らしい。
「効果の高い魔法のアイテムを作る時とかは、必ずと言って良いほどに使うアイテムだよ」
興奮しながら秋留が言った。
俺達の会話を盗み聞いたらしく、ジェットが後ろから黒い果実を見つめている。
「そ、その果物!」
ジェットが突然険しい顔をして言った。いつも物静かに喋るジェットの声が少し力強い。
「ああ、そっか……」
秋留が何かを悟ったように言った。
話についていけていない俺に向かって秋留が説明してくれた。
魔楽果は、あるモンスターが人間や大きめの動植物などを食らった時に生み出す果実らしい。
そのモンスターは普段はそこら辺に生えている木と同じ見た目をしているが、獲物が近づくと巨大な口を開けて全てを飲み込むという事だ。
マウスラフレシア。
それがその木の様なモンスターの名前であり、ジェットと銀星の生き物としての命を奪ったモンスターでもあった。
「忌々しいモンスター……。ワシが最期に見た光景は、マウスラフレシアの巨大な木に生った黒い果実だったんじゃ……」
ジェットが思い出す様に言う。
その危険な果実がこの診療所には沢山置いてあるようだ。
「ここの魔法医は腕が良いのかな? 沢山のお客から治療費を貰わないと、こんな高価な果実は買えないはずだからねぇ」
「ちなみに一ついくら位なんだ?」
俺は聞きたくて仕方無かった事をとうとう聞いてみた。
「相場では一つ千万カリム位かな……」
不味そうな果実に千万カリムか。
俺は果実を懐に入れたい衝動を抑えながら生唾を飲み込んだ。秋留が心の中を読んだように白い目で俺の事を見ている。さすがに盗みは犯罪なので止めておく事にする。
「お〜い!」
部屋の奥でカリューが俺達を呼ぶ声が聞こえた。
「カリューさんの血液を少し調べてみましたよ」
俺達がカリューの隣までやって来ると、ドルイドが七三分けを右手でかき分けながら説明し始めた。
「カリューさんに聞いたところ、以前魔族の呪いにより魔獣になりかけたそうですね」
確かにカリューは以前、呪われた魔剣の影響で獣になりかけたが、それが今頃になって発症したのか?
「更に一昨日は獣人に襲われた……。その時に身体の至る所に獣人の爪で攻撃を受けた……」
まるで何かの事件の推理をしている様にドルイドが説明している。相変わらず一挙手一投足が気持ち悪い。
「血液の中に異なる獣の因子がくっついているのが確認出来ました。獣人化してしまった原因はまず間違いないでしょうね」
つまりカリューはくだらない正義を主張したせいで獣人からの攻撃を全身に浴びてしまい、本人まで獣人と化してしまったという事か。これを気に正義に対しての執着心は無くして欲しいものだ。
「治せないんでしょうか?」
秋留が心配そうに聞く。しかし隣の丸い椅子に座っているカリューの表情を見る限り、対策がない訳ではない様だ。あまりのショックに頭がおかしくなってしまったのではない限り……。
「心配無用です。この港町ヤードから東の海岸沿いを半日程歩いた所に地下洞窟があります。その洞窟にある滝はどんな呪いにも効く万能薬でして……」
ドルイドが再び手もみを始める。
「え? その洞窟に行く必要があるんですか? その滝の水がどっかに売ったりしてないの?」
秋留の質問にドルイドが残念そうに答える。
「残念ながら、その水は洞窟の外に持ち出すと効果を無くすみたいなんですよ」
もしかしたら地下洞窟自体に不思議な効果があるのかもしれない。
俺達はドルイドにぼったくりかと思われる様な診療費を支払うと、居心地の悪い診療所を急いで出た。
ちなみに診療費を払ったのは勿論カリュー本人だ。
「さて、早速行くか!」
カリューが元気良く言った。希望が出来たと思ったら早速これだ。カリューらしいと言えばカリューらしいが。
「なぁ……」
俺はカリューに話し掛けようとしたが、隣から秋留に止められた。
「治るかも分からない滝に行くのは無駄だ、って今のカリューに言うつもり?」
秋留が小声で俺に言う。
確かに今のカリューには何を言っても無駄だろう。
俺は秋留に頷くと諦めてカリューの後について歩いて行く事にした。
「銀星元気だった? アレキサンドラ、今日も綺麗よ」
ヤードの入り口近くにある共用の馬屋で、秋留が二頭の馬の頭を撫でながら言った。
俺達がこの場所に来てからも銀星は守る様にアレキサンドラの前に立っていた。こいつは惚れたな?
「ブレイブ、ぼさっとしてないで荷台に荷物を詰め込め! 早速出発するぞ」
俺はここに来る途中で宿屋に寄って取って来た荷物を新しい荷台に乗せた。ちなみに荷馬車は近くのディスカウントショップで買ってきた中古品だ。
「それでは出発するですじゃ、銀星、アレキサンドラを頼むぞ」
ジェットが馬の手綱を持って掛け声を掛ける。銀星が勢い良く歩き始めたがアレキサンドラが進まない。
「どうしたんじゃ? アレキサンドラ……」
ジェットが御者席から身を乗り出して確認した。俺も荷馬車の幌の間から外を確認する。
そこには、金髪ロンゲでキリリとした騎士風の冒険者が、赤い毛並みの立派な馬に乗って歩いていた。
「ヒヒィ〜ン」
アレキサンドラが甘えている様な鳴き声を上げる。
それに気づいた赤い毛並みの馬が近づいて来た。
「こら! ホールド! 勝手に歩くな!」
ホールドと呼ばれた赤い毛並みの馬に乗っている騎士が、手綱を引っ張りながら叫んでいる。しかしアレキサンドラ同様に言う事を聞かない様だ。
地下洞窟へ向かう街道。
俺達の乗る馬車は銀星と茶色い毛並みをした雄の馬が二頭で引っ張っている。銀星の後ろ姿はどこか寂しげだ。
あれから、言う事を聞かなくなったアレキサンドラとホールドと呼ばれていた赤い毛並みをした馬を、近くの牧場に預けてきた。向こうの冒険者もその事に納得したし、アレキサンドラをこれ以上、危険な旅に連れて行くわけにはいかないという俺達の意見も一致した。傷心の銀星を労わって、当たり障りの無いように雄の馬を買ってきた。
しかし銀星は納得していないだろう。
「元気を出せ、銀星。もっと綺麗で可愛い馬がそのうち現れるはずですじゃ」
ジェットが銀星を励ましているようだが、効果は全く無さそうだ。
俺は今まで恋人という存在を作って来なかったのでフラれるという経験をした事がない。一体どれ程辛いのだろう?
隣に座っていた秋留が御者席に歩いていって言った。
「銀星、元気出して。銀星には私がいるじゃない」
銀星には勿体無い台詞を秋留が言う。俺にも言ってくれないだろうか。
秋留の台詞を聞いた銀星は秋留の方を振り向いて大きく鳴いた。元気を取り戻したようで、馬車が凄い勢いで進んで行く。しかし危険だから銀星には前を向いて走ってもらいたいものだ。隣を走る雄馬も走り難そうだ。
「その馬車、ちょっと待つニャ!」
俺の耳に一瞬聞き覚えのある声が聞こえてきたが、超特急銀星丸と化した馬車に声の主は跳ね飛ばされたようだ。
「ひどいニャ〜〜……」
罵る言葉が遥か彼方に遠ざかっていく。
「全てを薙ぎ払って進んでるみたいだね。あっという間に洞窟に着きそうだよ」
まるで全てを分かっていたかのように秋留が俺の隣に戻ってきて言う。俺の頭の中に小悪魔という言葉が浮かんだ。
「そろそろの様ですぞ」
ジェットが御者席から言う。
俺も幌の間から外を眺めると丁度通り過ぎる看板が眼に入った。『ヤード地下洞窟 海岸沿い百メートル先』と書いてある。ちなみに俺の盗賊の眼があればこそ、一瞬で通り過ぎる看板の文字が読めるのだという事をお忘れなく。
銀星の引く馬車が砂浜近くの街道の途中で止まった。
目の前には断崖絶壁にぽっかりと口を開けた不気味な地下へと続く洞窟の入り口が見える。
「不気味ですな」
ジェットが荷台から荷物を取り出しながら言った。確かに不気味であるが今のカリューには逆らわない方が身のためというものだ。大人しく進むしか道はない。
「結構暗いみたいだな。全員松明を持って進もう」
カリューが洞窟の中を覗いて言う。獣になって夜目が利く様になったんじゃないか、というツッコミはしない事にした。
「じゃあ大人しく待っててね」
秋留が銀星と雄馬の背中を撫でて諭すように言った。
さて、準備も整ったし、ヤード地下洞窟へ出発だ。
俺達はダンジョンを進む時などにお決まりな陣形を取って洞窟の中へと踏み出した。
俺が先頭で辺りを窺いながら進む。次に秋留とジェットが続く。殿を務めるのはカリューだ。
「足場が悪いから気をつけてな」
松明で辺りを照らしつつ、秋留の事を心配しながら言う。
暫くはモンスターや罠も無く無事に進んだ。
と言うより罠は無いと思った方が良いだろう。俺達は魔族の屋敷に侵入している訳でも、未知なる財宝が眠っている洞窟に侵入している訳でもない。こんなヘンピな洞窟に侵入者を阻むような罠を仕掛ける必要がない。
「ブレイブ、あんまり周りを確認してないみたいだけど、大丈夫?」
秋留が後ろから心配そうに言った。
「多分、罠なんて無いだろう。こんな洞窟に罠を仕掛ける理由がないよ」
俺はかったるくなった右手から、左手に松明を持ち替えてから答えた。
俺達の話し声に紛れて前方から何かが近づいてくる足音が聞こえる。俺は素早く全員に戦闘態勢を取るように合図をすると、足を止めて辺りを観察し始めた。
俺達は全員松明を持っているため、向こうからこっちの動きは丸見えだろうが、向こうの姿は確認出来ない。
「ちょっと明るくしようか?」
秋留が右手に杖を構えて言う。
「眼くらましも含めて派手なやつを頼むよ」
俺は秋留の魔法の邪魔にならない様に、少し脇にそれた。
「光の精霊レムよ、我が前にその姿を現し、全ての影を滅せよ」
秋留の呪文の詠唱と共に、構えている杖の先が暗闇の中で輝き出す。
「ブライトネス!」
杖を前方に振ると小さな光の玉がフヨフヨと漂い始め、ある一点に到達した時に太陽の輝きの様な光を発した。
「ピギャアアア」
光に照らされた真っ白い蛸の様なモンスターが奇声を発する。特定の洞窟にのみ生息するモンスターだろうか。何年か冒険者を続けているが、今まで見た事がない。
その蛸の様なモンスターが十匹程眩い光にうろたえて、辺りをウロチョロしているのが見える。
カリューが俺の脇から勢い良く飛び出す。そして一瞬のうちに二匹を同時に切り倒した。
怒り狂った一匹の蛸が秋留に飛び掛ったが、ジェットの素早いレイピア捌きで三枚に下ろされる。
俺の足元にフラフラと近づいてきた蛸はネカーを一発撃って破裂させた。ネカーから放たれた硬貨が地面に転がったが、白蛸モンスターの粘液まみれになっているため、再び拾って使う気にはなれない。
「白い蛸って気持ち悪いね」
秋留がジェットの陰から言う。確かに赤い蛸は食べても美味いが、この白い蛸は不味そうだ。
そういう事を考えながら、硬貨を無駄にしない様に近づいてきたモンスターだけをネカーでぶっ放す。
大した時間も掛からず、全てのモンスターを倒した。
「んじゃあ、また進み始めるか」
俺は再びパーティーの先頭に立ち、洞窟の奥へと進んだ。秋留の放った魔法の効果は切れ、今は松明の灯りだけが頼りとなっている。俺の眼でもこの洞窟の先がどうなっているのか確認は出来ない。
暫く進むと少し開けた空間に出た。洞窟の地面と天井からは、つららのように鍾乳石が飛び出ている。
「幻想的な雰囲気だね」
秋留が松明で辺りの岩を照らしながら言う。
その時、秋留の近くの鍾乳石の陰から酒場のネオン看板の様なモンスターが姿を現した。キラキラしていて綺麗だが、俺は素早くネカーをぶっ放して、蜥蜴の様なモンスターを吹っ飛ばす。
「ここは見た事もないモンスターばかりだな」
俺は他にモンスターがいないことを確認してからネカーをホルスターに戻した。
「そうだね。罠は無いかもしれないけど未知のモンスターには気をつけないと、どんな特殊能力を持っているか分からないからね」
秋留がモンスターの出現した鍾乳石から離れて言う。
幻想的な空間を進むと、再び人一人がやっと通れる程の通路に差し掛かった。
俺達は身をかがめながら奥へと進んだ。松明の灯りがゆらゆらと通路の先を照らしている。
この先は明らかに人工的に作られたと思われる通路になっていた。
通路の壁には、所々に魔力で灯っていると思われる松明が掲げられている。
「あまり余計な場所に触らないようにな」
この通路には何か仕掛けがありそうだ。
俺はパーティーのメンバーに注意を促すと、辺りに注意しながら通路を進んだ。
ふと石畳の一部に不自然な石がはまっているのに気づいた。周りの石は人が歩いたり自然に風化したりしてボロボロなのに対して、その石だけはやたらと綺麗なのだ。
俺は辺りの壁や天井を注意深く観察した。
俺達の進んで来た通路の入り口の天井に細い切れ目が見える。どうやらこの石を踏んでしまうと、通路入り口に隠された壁が落ちてきて、戻れなくなってしまう作りらしい。
「ここの綺麗な石は絶対に踏まないようにな」
俺は再びメンバーに注意を促すと、人口の通路を更に奥へと進んだ。
通路の終わりに差し掛かったときだろうか。
突然、後方からまたしても聞き覚えのある声が聞こえて来た。
「こんな人気も無い洞窟に何しに来たんニャン?」
後ろを見ると、毎回撃退されているのに全く懲りていない獣人団が姿を現した。心なしか人数が大分減ったように見える。
それにしてもあの獣人団。つけられている事に全く気づかなかった。もしかしたら、盗賊の腕はそれなりに良いのかもしれない。
その獣人団の先頭に、腰に手を当てたシャインが仁王立ちしている。
「こんなヘンピな場所を自分達の墓場に選んで良かったニャ?」
シャインの後ろから大きく一歩前進してクロノが言った。
「さっきはよくも吹き飛ばしてくれたニャ!」
やはり絶好調だった銀星に吹っ飛ばされたのはコイツだったか。
「今回は我が獣人団の精鋭を集めさせてもらったニャン」
シャインが負けじとクロノの前に出た。
「あ……」
俺は思わず間抜けな声を上げた。同時に重そうな鉄の壁が天井から落ちてくる。丁度、後方の獣人団と二人の盗賊頭を分ける様に通路の入り口が閉まった。
シャインがクロノの前に出た時に、俺が気づいた罠の石を踏んでしまったのだ。
「な、何事ニャ?」
クロノが後方の鉄の壁を触りながら叫んだ。
シャインは踏み込んだ右足をそっと上げて、その下の石を確かめる。
「クロノが床にあった石の罠を踏んだニャン!」
うわ……。
「え? そうだったのニャ?」
クロノがすまなそうにシャインに近づく。
その後暫くシャインはクロノに文句を言っていた。何とも豪快な性格だと思いつつ俺達はただ呆然と事の成り行きを見守っていた。
小言が終わると、クロノとシャインは鉄の壁の向こうにいると思われる獣人団に向かって大声で叫んだ。
だが完璧な防音効果がされているらしく、相手からの反応がない。
それにしても、あの罠……。
侵入者を阻むためではなく、侵入者を帰さない様な作りになっていた。一体どういう事だろう。
「あの壁は魔力を弾き返す様な特別な金属で出来ているみたいだよ」
秋留が壁を観察しながら言う。さっきからもぞもぞと壁に向かって呪文を唱えていたのは、それを調べていたということか。
だが秋留の言うことが正しいとすると、ここから脱出する手段は、先に進んでどこか別の出口を見つけるしかないという事か。
「勝負するのか?」
二人の獣人の行動に痺れを切らした様にカリューがシャインとクロノに近づいた。
その眼は「早く獣人から元の人間に戻りたいんだ」という焦りが見て取れる。
「お、お前は昨日飲み屋から飛び出してきた獣人ニャ!」
クロノが驚いたように言う。隣のシャインも昨日余程痛い目を見たらしく若干、後方に下がりつつある。
「昨日も言ったニャン。なぜ、同じ獣人なのに手を取り合って助け合おうとしないニャン?」
カリューが唸り声を上げ、背中の剣を両手に構える。
「俺は人間だ! 勇者カリューだ!」
カリューは吼えたが、今の台詞は二つ共間違っている。カリューは人間でも無いし勇者でもない。
「カ、カリュー? レッド・ツイスターのカリュー?」
シャインが驚いたように聞きなおす。さすがに一昨日まで人間だったのが突然獣人になっていたら誰でも驚くだろう。
「はは〜ん……」
クロノが何かに感づいたように言った。
「つまりは俺達獣人の強さに関心して獣人に転職した訳ニャ……」
クロノが喋り終わる寸前に、カリューの横薙ぎの攻撃がクロノの鼻先をかすめた。カリューの全身の毛が逆立っている。こいつ、ほ……本気だ……。
「そういう事なら照れる事ないニャン、同じ獣人同士、仲良くするニャン」
シャインがカリューの隣に来て肩に手を置きながら、火に油を注ぐような事を言った。
カリューは何も言わずに一歩後方に飛んで剣を上段に構える。
「ねぇ、カリュー」
その時、突然秋留がカリューに声を掛けた。カリューの動きが金縛りにあったようにピタッと止まる。
「とりあえず、鉄の壁から向こう側には戻れなさそうだし、今は決着つけなくても良いんじゃない?」
優しい問い掛けだが、どこか断れないような凄みのある声だ。
「シャインとクロノも、この洞窟から脱出するためにも暫くお互いに協力し合わない?」
またしても優しいが威圧感のある声を秋留は発した。
こうして、一時的だが奇妙なパーティーが出来上がった。六人パーティーのメンバーのうち半分は獣人。一人はゾンビ。まともな人間は俺と秋留だけという事になる。
「どういう事だ?」
俺は地下洞窟を更に先に進みつつ秋留に尋ねた。勿論聞きたいのは、シャインとクロノを一時的にでもパーティーに加える気になった理由だ。
「ここで争ってお互い傷づくよりも、協力し合って先に進んだほうが良いと判断したからだよ」
秋留が後方でワイワイと騒いでいる人外パーティーに聞こえないように答える。
我らが頭脳である秋留が言うんだから、おそらく間違いは無いだろう。
確かにこの洞窟には何かがある。俺達を帰したくない何かが……。