14
―孤港 実故―
私は、今日も竜神様の元へ向かう。
学校の代わりに竜神様の元へ通うのも、今日でもう15日目になる。
学校よりも内容が頭に入ってくる。学校よりも楽しくて面白い。学校よりも私が落ち着ける場所。
そんな場所。私の居場所。
私が勝手に自分の居場所と思い込んでいるだけかもしれないが、それでも、私にとっては自分の家と同じくらいに安心して落ち着ける場所なのだ。
けれど、今、その私の居場所までをも失ってしまいそうであった。
「実故、今日は私の部屋に来い。話がある」
何時もの竜神様とは違った。
今日の竜神様は、近所のお姉さんではなかった。
今日の竜神様は、竜神様だった。
恐怖で上手く声が出せない。
それでも、何とか振り絞った声を出す。
「ま、まって、置いて行かないで……」
私の声は竜神様に届かない。
当たり前だ。
自分の耳ですら、やっと聞き取れるくらいの声が、遠く離れていく竜神様に届くはずがない。
私は、竜神様にまで嫌われてしまったのだろうか。
そしたら、私は何を頼りに生きて行けばいいんだろう。
お爺ちゃんもお婆ちゃんもずっと一緒というわけにはいかない。むしろ、あまり長く一緒には居られないだろう。
そうなると、私は、本当の意味で一人になってしまう。
私を捨てないでほしい。なんでもする。なんだってする。だから、私を捨てないでほしい。
足が震える。声が出ない。頭の中が真っ白になる。
それでも、行かなければ。
置いて行かれる。
嫌だ。
嫌だ。
嫌だ。
竜神様が扉を閉める。
置いて行かれる。
見捨てないで。
見捨てないで。
見捨てないで。
私は、早足で社へ向かう。
前だけを向いていたので、何度か躓いたが、転んでしまったら置いて行かれるような気がして、見捨てられるような気がして、一人ぼっちになってしまうような気がして、転べなかった。だから、躓いても、転ぶのだけは根性で堪えた。
私は、先ほど閉められた扉に手をかけ、この先に竜神様が待っていることを祈って、扉を開けた。
竜神様は座って待っていた。
待っていてくれた。
でも、それは、本当に私を待っていてくれたのか。それとも、新しい来訪者を待って居たのか。後者かもしれない。それは……嫌だ。
「あ、あの、りゅ、竜神様……」
見捨てないでほしい。嫌わないでほしい。竜神様が何故この部屋に私を呼んだのか。それも忘れてしまった。私がから離れて行ってしまうのが怖くて。
言いたいことはいっぱいあったが、言葉もうまく出ず、途中で竜神様に言葉の続きを阻まれてしまう。
「落ち着け、何も取って食おうと言うわけではない。まずは、そこに座って落ち着け。別に叱ったり怒ったりするつもりではない。大切な話をするだけだ」
竜神様からは、いつものような優しさも感じられたが、それが、最後の優しさのようにも感じられて、怖くて、恐くて、仕方が無かった。
今朝食べた、炊き込みご飯が胃から逆流してきてしまいそうだ。でも、ここで話を止めてしまったら駄目だ。また竜神様が離れて行ってしまう。何か話さないと。何か……。
私は、言葉が枯渇した口を動かす。
「りゅ、竜神様、そ、その、なんのはなしを……す、するんですか……?」
私に見切りをつけて、私を離す為の話。
私を置いてどこか遠くへ行ってしまう話。
私が邪魔で、邪魔で、嫌気が差したので、もうここへは来ないようにするための話。
私を嫌いになったから……。
私を邪魔だと思ったから……。
私が、何も出来ない悪い子だから……。
「まぁ、まず座れ。ゆっくり話をしよう。言うなれば、人生相談まではいかないかもしれないが、相談会でもしようではないか」
「は、はい」
竜神様はずっと立っている私を見て、そう言った。
相手が座っているのに、立っているというのはいけないことである。竜神様から習った事である。
そう、私は、その竜神様を前にしているのに。それなのに、私は……そんな簡単な事さえ……。
私は、きっと誰からも必要と軟化されていない。そんなことは分かっている。
でも、竜神様は、私の事を見捨てないと思っていた。だけども、今の私は、簡単に、使えなくなったどうづを捨てるかのように、私の思っている以上に呆気無く、竜神様に捨てられてしまいそうだ。
私がすわったのを見てから、竜神様は口を開いた。
「お前は今、何がしたい?」
何時ものような雰囲気の竜神様にそう尋ねられた。
「え……? それって、どういう……?」
声が出た。その質問の意味は私には分かりかねるが、そんなことを尋ねられるとは思っていなかった。言葉の枯渇を起こしたはずの私の口は自然と動いて、その意図を聞き返していた。
「どういうもなにも、言葉の意味のまま捉えればよい。お前は、今、何をしたい」
それは、一体どういう意味なのだろうか。どういった趣旨で私にそう尋ねて来たのだろう。頭でいくら考えても、知性でいくら考えても、応えることは出来なかった。
その一方で、私の意識が及ばないところで、心は動いていた。想いは動いていた。
私の口を動かしたのは、頭と知性ではなく、心と思いだった。
「わ、私は……竜神様と一緒に居たいです……」
私すら気づかぬうちに、私の口から言葉が漏れ出していた。
そして、その言葉に気付いた時には、恐怖は無くなっていた。何故だろう。理由は知らない。分からない。
正確には、心の中から恐怖が無くなったが正しい。頭ではまだ恐れているのだが、心の中からは恐怖が消えていった。
けど、けれど、私の理解できる範囲で理由を付けるとするならば、竜神様の微笑みが私の心から恐怖を取り除いたのかもしれない。
竜神様はやさしい笑みを浮かべていた。
私の答えが、少し、面白かったのかもしれない。
確かに「どうしたい?」と聞かれて、「一緒に居たい」と答えたら、告白みたいで、少しおかしいのかもしれない。
私は、それでも至って真面目に返したつもりなのだけれども……。
「お前、学校はどうするつもりだ?」
「………」
恥ずかしかった。
竜神様は、学校のことを訊いていたのだ。それなのに、私は見捨てられただのなんだのと勝手に勘違いして、告白紛いの返答をしてしまったのだ。
しばらくは恥じらいで顔が赤くならないように気を回すので精一杯で、何も話すことが出来なかった。
それによって、部屋に静寂が訪れた。その静寂が向かい風。静かな空間で竜神様の顔を見ていると、殺気の返答をどう取られたのかを考えてしまい、これからしたいことなどを考える余裕は全くなくなった。
そして、更にしばらくして、少し冷静さを取り戻してから、私は考える。
学校の事について、これからの事について。
私は、学校の誰からも必要とされていない。
生徒からすれば、愛想の悪い嫌な子だし。先生からしても問題事の火種になる可能性がある厄介者だ。だったら、中学生の間はずっとここに通う方が、お互いにとって良いことだと思う。というより、なにより、さっきの告白っぽいあれにもフォローを入れておかないと。
またまた先ほどの事を思い出して、顔から火が出そうになった。
「その、私、竜神様と一緒に居たいと言うのは、本当なんです。私、学校で、誰からも必要とされていないし、居ても居なくても変わらない。むしろ、居ると邪魔みたいだし、学校で習うよりも竜神様から習った方が分かりやすいし、あの、その、わ、私は、学校じゃなくて、ここに居たいんです。私の事を見捨てたりしないで、ちゃんとみてくれるのは、お爺ちゃんとお婆ちゃんの他には、竜神様だけなんです。だ、だから、そ、その、その……私は、竜神様と一緒に居たいんです」
学校をどうしたいかは、伝えられたと思うけど……。
ああ、だめだ、これ。多分何もフォローできていない。
「実故」
「は、はい……」
急な呼びかけに、しょんぼりとした声で反応する。そうして、竜神様の顔を見て見ると、その顔つきは真面目な物に戻っていた。
「私は、そんなすごい生き物ではない」
………。竜神様は、そう言った。
「そんなに私を頼るな。私はお前が思っているほど、なんでもできるわけではない。私は、全知全能の神ではない。ただの一竜神でしかない。だから、お前は、お前の力を信じて、自分の力で人生を歩んで行け。私には、そのサポートくらいしかしてやることは出来ないんだ。お前はお前の力で歩くしかない。私に背中を押されて進むだけでもいけないし、私の言われたとおりに進むだけでもいけないんだ。お前は、お前の選んだ道を、お前の力を使って、お前の足で歩くしかないんだ」
なんか振られたみたいになった。いや、告白したわけではないんだけど。いや、違うな。平常心を保つために、そっちの方に施行を持っていこうとしているだけかもしれない。今回も、真っ先に反応をしたのは心と想い。こういう時、頭は、思考は、役に立たない者なのかもしれない。
「りゅ、竜神様は、わ、私の事……見捨てないですよね」
私は、私の心は、そう聞かずにはいられなかったらしい。竜神様が、いつか、どこかへ行ってしまいそうだったから。
中人様は私の事を見捨てたりはしないだろう。そうは思っているけれど、訊かずにはいられない。
「ああ」
「竜神様、私から急に離れたりしませんよね」
竜神様にどこかへ行ってほしくない。
私を置いて行かないでほしい。
それは、質問というよりは、願望に近い物であった。
「ああ」
「りゅ、りゅうじん……さま……は、私を……私の事を……助けてくれるんですか……?」
嗚咽がひどい。あれ、いつの間に。さっきまで告白だのなんだのと、心騒がしかったはずなのに、それは何処へ? あれ、やっぱり、頭で考えていても、心って、別の反応するのかな? それにしても、こんな嗚咽交じりの言葉、通じているのかな。
「ああ」
「りゅう……じん……さ、ま……は、ずっと……ずっと……わ、私の……わたしの………そばにいてくれるのですか……?」
あれ、私、何言っているんだろ。よく分からない。私すら何を言っているのか分からない。また心が勝手に体を動かしている。私、どうして、ここまで泣いているの。分からない。分からないけど……私の言った事、竜神様に拒絶してほしくない。受け入れてほしい。
「ああ、もちろんだ」
でも、そんな心配は、いらなかった。
やっぱり、竜神様は、竜神様だ。私の思う竜神様だ。ずっと、竜神様は竜神様だったんだ。
相談に乗ってくれるんだし、私の周りで何があったのか、学校で何があったのか、伝えないと……。
「わたし……、が、学校で……」
「言わなくてもいい、私は全て分かっているから」
学校で起きたことを説明しようとしたが、竜神様に止められた。
竜神様はどうやら全て知っていたらしい。
だからこそ、今日はこんな話をしてきたのかもしれない。
「お前におまじないをかけてやる」
そう言った竜神様は、宙に五芒星を描く。五芒星を描き終えると、人差し指と中指を突出して、こちらへ向けてくる。その指先は淡い青色の光に包まれていた。その二本指を私のおでこに当て、スッと横に滑らせてから……。
チュッ……―――。
私のおでこにキスをした。
「えっ……、あ、あの……」
しどろもどろになる私に対して、竜神様は微笑みを返すだけだった。