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帰宅後、私は、こっそりと家の勘棚に会った御神酒を一つくすねて、竜神様のところへ向かった。
竜神様が済む洞窟へ向かうあいだ、何度も足を止めてしまいそうだったが、私は歩いた。
今日こそは訊かなければ。
そんな風に、帰ろう、帰ろうと何度も囁いてくる自分の中の悪魔の声を聴かないように、一歩、また一歩と歩いていたら、いつの間にか、洞窟のある滝の前に立っていた。この大きな滝が目に入った途端、私の中に住まう悪魔は囁くのをやめた。例えるなら、この辺りに結界が張られていて、悪いものはそこから内側には入ってこられなくて、勇気を持った私―――真実を求める私だけがこの場所に立っているようだった。
洞窟に入り、奥に進めば、竜神様はいつもよりも神妙な面持ちで、水晶玉を手に私を待っていた。やっぱり、竜神様には全てお見通しなのかな。
「待っていた。いや、待ってはいなかったと言うべきか」
「どういうことですか?」
「どういうことだろうな。さて、何の用だ?」
「竜神様、竜神様。どうか、教えてください」
両親の事。私の両親の事を。
「お前が、何時か、自分の親の事について私に尋ねてくることは、なんとなく、最初に会った時から予期してはいたが、こんなにも早く訪れるとはな。何かあったのか? いや、原因は些細な事だろうが、少しばかし考え過ぎたのか? まぁ、それはさておいても、お前の精神はまた幼い。お前が思っている以上に、周りから思われている以上に。引き返すなら、今だぞ。いずれ本当に迷いもなく、私にそのことをもう一度尋ねられるようになったら、その時にまた尋ねればいい。無理をしてまで、今、真実を知る必要はない。無理をするな。お前にはきっとまだ早い」
竜神様はそう言った。確かに、竜神様が言うことは正しいのかもしれない。いや、正しいはずだ。
けど、
「いえ、今、教えていただきたいのです。今、このことを訊けなかったらならば、私はきっと一生この真相を知る勇気を持つことは出来ません」
「別に、強がる必要も、大人ぶる必要もない。お前はまだ子供なんだ。どんなに知識があろうと、言葉遣いが大人のようでも、お前はまだ子供だ。精神は子供なのだ」
「それでも……知りたいです……」
私の中の悪魔だけでは無く、竜神様までもが私を引き留めようとする。だとすれば、先ほどまで私の心の中にいたのは悪魔ではなく、天使だったのかもしれない。私を守ろうと必死だったのかもしれない。でも、それでも、このなけなしの勇気をすべて使い切って、その一言を発した。
「そうか……なら、仕方がないか……」
竜神様は、あまり気乗りはしていないようではあるが、どうやら、答えてはくれるようだ。
私は、もう一度、口を開く。もう既に底をついている勇気を、絞り出して。言った。
いつもの言葉を、いつものように、言った。
「竜神様、竜神様、どうか教えてください」
私は言った。
「私は、なぜ……なぜ、お母さんと、お父さんと、一緒に暮らしていないのですか。いつか、一緒に暮らせる日は来るのですか」
対して、竜神様は答えた。
「お前のその問い、応えてやる。まず、お前の親は生きている。安心しろ。いや、安心はしない方がいいか……まぁ、安心も何もしていないかもしれないがな、お前的には死んでいた方が嬉しかったのかもしれないな」
私のお母さんと音緒さんは生きていた。私が思っていた最悪の結果は二人が死んでいること。それなのに、死んでいた方が嬉しい? 安心はしない方がいい? 一体どういうこのなのだろう。
「結論を言おう。お前が、お前の両親と一緒に暮らせる日は来ないに等しいだろう」
「………」
………。
「理由が欲しいか?」
「………」
………。
「聞いて後悔するなよ。いや、今更止めるのは無礼というものか。まぁ、止められようとも、止めるつもりはないがな。一度聞かれたら、何があろうとも答えるのが私の死後だからな。お前がお前の両親と一緒に暮らせないと私が思った理由はな、
――――――お前が、今、両親と暮らせていない理由が、お前の両親が……お前を捨てたからだ。お前は、捨てられたんだ。だから、私はそう思った。言い方は悪いが、率直に言うとそうなる。お前は捨てられた。お前のことは諦めて、第二の人生を歩み始めようとした。だから、お前は捨てられた。それが真実だ」
「―――――」
何も、言うことが出来なかった。
口が開かない。
何も、考えることが出来なかった。
頭が働かない。
竜神様が教えてくれた真実は、真相は、私が思っていた最悪を越えていた。というより、私は、竜神様の言うとおり、心のどこかで、捨てられたと思うくらいならば、二人に死んでいてほしかったのかもしれない。自分勝手だけども、そうだったら、そうならば、泣いて泣いて、泣いて……それで、終わったかもしれない。この話は。この件については。
でも、私は、泣くことすらできなかった。だって、私は、私は……
私は、両親に愛されていなかった。
それが、私の長年の疑問に対する最終的な答えであった。
「あ、あ、ああああ……」
「だから言ったんだ、お前にはまだ早いと……」
「あ、ああ、ああ」
私は、一体何をしているのだろう。
「あああ、あ……あ……あああ………」
何も考えられない。
「あ……あ、あ、あ、ああああ……あ………」
なんで生きているんだろう。
「ああ、あ………あ……、ああ、ああ………」
私は、親に捨てられて、誰にも必要とされていないのに、なんで生きているの?
教えてよ、教えてよ。
誰か、教えてよ……。
「あ………あ、ああ……あ………」
「大丈夫か……いや、大丈夫ではないか……」
竜神様が何か言っているようであったが、何を言っているのか、私は全く分からなかった。音が良く聞こえない。視界がはっきりしない。足元が覚束ない。今にも倒れそうだ。
もう、立って、いられない……倒れる……このまま、死ねたら……
世界が暗くなった。体が動かない。意識が沈んで……
プツリ……と私と世界を結ぶ何かが切れたようだった。
「ほら、しっかりしろ」
次に目を覚ました時、真っ先に目に府吊ったのは、竜神様の顔であった。
どうやら気絶していたらしい。私が目を覚ますまでの間、竜神様に膝枕をされていたようだ。
「あれ、私は……あ………」
気絶する前のことが、脳裏に浮かんでくる。なんで私が倒れたその理由が……
そう、確か、私が、両親に、捨てられたこと。
……………………………――――――「こらっ」
ペチンッ……。
竜神様におでこを軽くはたかれた。
「お前が決めた事なんだろう。お前が勇気を持って私に聞いたんだろう。その答えが何であろうと、お前はそれを受け止めなければいけない。それが私に物事を尋ねた者の義務だ」
その顔は、少し怒っているようだった。
「今日はいつになく厳しいですね。竜神様」
「私は、何時だって厳しいさ」
「そうですか、いつもは結構優しいと思いますよ。私は……」
竜神様の顔からは怒っている様子はもう窺えない。今は、ただ微笑みを見せているだけだ。竜神様のあんな顔、はじめて見た気がする。今まで、少しくらい叱られるようなことは何回かあったけど。それでも怒っているところは見た事がなかったと思う。少しとはいえ、竜神様の怒っている所を見ることが出来たのは、ラッキーだったのかもしれない。珍しい、表情だから……。
「竜神様、少し、我儘のようなお願いですが、聞くだけでも、聞いてくれますか?」
「ああ、内容にもよるが聞ける範囲の限りでは、聞いてやる」
私は、もう、誰からも必要とされてない。
だからと言って、十冊するのは嫌だし、人に殺されるのも嫌だ。どっちも怖いから。
でも、竜神様になら、竜神様になら……。
食べられてしまっても、いいかな。
「竜神様、私の名前は―――孤港実故です。どうか、出来るだけ痛くないように、なるべく痛くないように、私を食べてくださいっ……!!」
もう一度、勇気を振り絞り、私はそう言った。
「………あ、いや……その……私は人肉食の気は一切ないぞ………」
「えっ………」
「ああ、お前が言っていることは分かる。多分、あの噂の事だろうな。多分だけど。というか、あの噂、まだ残っていたのか。自分で流しておいてなんだが、まだ生き残っているとは、実のところ全く思っていなかった」
「えっ、えっ……?」
またしても、私の思考が止まる。
「すまない、あれは嘘だ。ふむ、実故というのか……まぁ、良い名なのかどうかは一概には判断できないが、呼びやすい名だな、みこと、ミコト、実故……うむ、呼びやすい名だ」
「え、えっ、えええっええええええええええええっ!?」
結局、竜神様に食べられることはなく、私はただ名前を告げただけであった…………。
って、こんなのって、無いよおぉぉぉぉぉ!!