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情念の石  作者: At
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008

 星空の下、冷え切った街並みを駆けてしばらく、ガーネットは兵士たちの持つ松明の灯りを捉えた。人数は宿に押し入られたときよりも少なく、全部で六人。目を凝らせば、彼らに小突かれて歩く少女の姿が見えた。手は後ろ手に縛られて、逃げられないよう縄の端を握られている。

 物影に隠れながら、どうのようにしてローラを助け出そうかと頭の中で戦闘を繰り返す。できる限り迅速に、抵抗される前にローラを救い出す。そして最善の策が見つかると、ガーネットは兵士たちとの距離を出来るだけ詰めていき、道幅の狭いところへ入ったところで物陰に身を潜めながら機会を待った。

彼ら何かの話で笑い声を上げた直後、ガーネットは物陰から飛び出し、背後から襲いかかった。

 まず一人、ふくらはぎを切りつけて、それから剣を抜かれるよりも早く、もう一人を鉈の柄で殴って気絶させる。臨戦態勢をとる兵士たちであるが、見事に奇襲が決まった今、勝機はガーネットの手にあった。

 ローラはまだ状況が飲み込めていないらしく、その場に立ち尽くしてこちらを眺めている。ローラの手綱を持つ兵士が逃げようとするのを見て、ガーネットは迫りくる刃を交わし、兵士の懐に飛び込んだ。兵士の鳩尾に拳を叩き込み、ローラを繋ぐ縄を手早く切る。そのまま彼女を両腕で抱きかかえ、突風のようにその場から逃げ出した。

 目的を遂げ、あとはもう逃げ切るだけだった。無用な戦いは避けるべきであるし、逃げ切ればこちらの勝ちである。しかし追ってくる兵士たちの怒号は鳴り止まず、その数を増して二人を追いかけてくる。体力には自信があるが、細い路地を抜け、階段を駆け上がり、闇雲に街を駆けていれば、息も切れ切れになっていた。

 耳元で風が唸る中、ローラが叫んだ。

「わたしを置いて逃げてください!」

けれども、ガーネットはローラの訴えを無視し、路地の角を次々に曲がっていく。

「ガーネットさん!」

と何度も呼ばれるが、それでもガーネットはひたすらに夜の街を駆け続けた。

「わたしがいる限り、あなたを不幸にしてしまうわ! 森の中で暮らしていたあなたの家族の安寧を脅かし、あなたはセレナに来てからひどい目に遭ってばかりいる。それもこれも、わたしのせいで――」

「静かにしていてくれ!」

思わず、ガーネットは怒鳴ってしまっていた。

 ローラも温厚なガーネットの反応に驚いたようで、瞬きを繰り返し、ガーネットの白くなった顔を見つめていた。

「俺は、あんたといて少なくとも、幸せだった」

そうぽつりと零したあと、何度目かの角を曲がり、二人ははっとなった。

 目の前には壁がそそり立ち、二人の行く手を遮っていた。すぐさま引き返そうと振り返るが、兵士たちが持つ松明の灯りが、左右の道で揺れていた。退路をふさがれ、どこか逃げる場所はないかと周囲に目を凝らすが、壁はとても登れる高さではなく、両脇の建物には窓も戸も見当たらない。

 そびえたつ壁の上に見える星空を睨み、ガーネットはローラを下ろした。

 増援を呼んだのだろうか。迫ってくる声の数は一塊となって夜の街を揺らしている。再び鉈を抜いて、来た道を見据えて身構える。今はこの刃こぼれしてしまった鉈と、己の体力だけが頼りだった。とても勝てた戦いではないが、それでもここで自分助かりたさにローラを差し出すことだけはしたくなかった。向かってくる奴を片っ端から叩きのめせばいい話だ。

 ――――どうせ死ぬことができないんだ。ならば、この身が朽ちるまで彼女を守り通してみせる。

 徐々に大きくなる声と、近づく赤い灯りに神経を研ぎ澄ます。呼吸を整えると、柄を握る手に汗が滲んだ。

 すると突然、背中を小突かれ、ガーネットは反射的に振り返った。ローラが、何かを伝えようと指し示している。急かすような表情で彼女が指差す先には、そびえたつ壁があり、その足元には子供がやっと通れるほどの小さな抜け道があった。

 先ほど確認したときは穴など無かったのに、と我が目を疑い拍子抜けする。さらにその抜け道から見知った顔が覗いており、今度は肩の力が抜けた。真っ赤な髪が闇夜でもよく目立つルビーであった。彼の脇には舌を出すオパールもいる。

「二人とも、早くこっちへ!」

とルビーは大きく手を振る。ローラは呆然と動きを止めたガーネットを引っ張り、抜け道へと急いだ。

「何で、あんたが」

ぼそぼそと呟くガーネットに、話は後でとルビーに抜け道へ押し込められた。小柄なローラは容易く抜け道をくぐることができたが、体の大きなガーネットは一苦労だった。なんとか体を捻ってくぐり抜けると、あとからルビーとオパールも道へと滑り込み、前に倒していた戸でぴたりと道を塞いだ。こちら側からでしか開かない仕組みになっており、先ほどいた行き止まりから見れば壁の一部としか思えないよう、うまく抜け道の存在を隠しているのだった。

 城郭都市であったこの街には、今もこうしてあちこちに隠し通路が存在する。どういうわけか、ルビーはこの通路について詳しいらしく、こうして助けに来てくれたらしい。

 細い道を抜けてどこかの中庭に出ると、こらえていた息を皆揃って吐き出した。遠くでは兵士たちの慌てふためく騒ぎが聞こえる。ガーネットが兵士たちの騒ぎに耳を澄ましていると、不意にぎゅっと手を握られた。

「ありがとうございます」

目線を下へやると、無骨で傷だらけの手が、白い両手で包み込むように握られていた。ローラの手を振りほどくわけにもいかず、柱のように直立不動のまま視線を泳がせる。不思議と鼓動が早くなり、手の力が抜けていく。

「あなたが来てくれて、とても嬉しかった」

ローラは頬を紅潮させて、申し訳なさそうに微笑んだ。そして手元の温かみはゆっくりと離れていった。

「またあなたに怪我をさせてしまったわ。ごめんなさい。もうあんな無茶はしませんから」

「大丈夫。これくらい」

とガーネットは何気なく額に手をやった。先ほど受けた傷は、もう跡形もなく治っている。

 そんなやり取りの二人を見て、ルビーがにやにやと笑ってみせる

「いやあ、『俺が守ってみせる』か。一度は言ってみたい台詞だぜ」

二人に睨まれ、ルビーは悪びれた様子もなく肩をすくめた。

 そんな和やかな雰囲気も、自分たちを探す一際大きな怒声によって、現実にひき戻された。

「ここも危険ですから、早く移動しましょう」

「でもどこへ行くってんだ?」

とルビーは相変わらず危機感のない軽い口調でとぼける。

「街の外に逃げようにも、門には当然見張りがいる。今となっては、お前たち二人は相当な有名人だぜ」

「では、わたしの知人の元に」

だめだろうな、とルビーは首を振る。

「ローラちゃんの知り合いってのは、おそらく組織の関係だろう? そんなとこはすぐに足が着く。とはいっても、オレにもいいあてがあるってわけじゃあないんだが」

打つ手がなくなり考え込む二人を見て、ガーネットはそろりと手を挙げた。

「もしかしたら、匿ってくれるところが、あるかもしれない」

二人は顔を上げて、ガーネットの自信なさ気な瞳を見つめた。

「姉が、この街にいるんだ」

 このセレナには、幼い頃に分かれてしまった姉が住んでいると父から聞いていた。姉と言っても、父の姪であり、ガーネットにとっては従姉にあたる。幼い頃は一緒に暮らし、本当の姉のように慕っていた人だ。

 ガーネットはルビーとローラに住所を教え、自分たちを探し回る兵士を回避しつつ、姉の家を目指した。

 姉のこととなると、自然と父のことが思い出される。父は別れ際に、セレナに逃げろと言った。そして必ず後を追うと。父のことであるから、もう森を抜けてこの街にやってきているかもしれない。そうであれば、おそらく姉の家にいるだろう。

 これから向かう先に父がいると思うと、急に足が重くなって、注意力が散漫になっていった。時折ルビーに叱咤され、泥の中を進むようにずるずると走る。

「ガーネットさん、大丈夫ですか」

心配そうに振り向くローラにやんわりと頷く。否定するのも、億劫だった。

 街の外れ、特に治安の悪い地区付近に、姉が住んでいるという家はあった。廃材を寄せ集めたような家が立ち並ぶ中、姉の家は比較的しっかりとした門構えでずいぶんと異彩を放っている。二階の窓辺には花が植えられていて、部屋の中の灯りがぼんやりと漏れていた。

 ガーネットが扉を叩くと、使用人の娘が出てきた。

「スピネルの従弟のガーネットです。夜分遅くに申し訳ないのですが、少し休ませて欲しいんです」

そう伝えると、使用人は快く三人を迎い入れ、オパールまでも家の中に上げてくれた。

 特に事情を聞かれるまでもなく、使用人はあつくもてなしてくれた。どうやら、父はまだここには来ていないらしく、そのことを知ってようやくガーネットの心は落ち着いた。

 ガーネットはこの使用人の娘とは面識がなかった。おそらく父が姉のために雇ったのだろう。

「お姉さんにご挨拶したいのだけれど、もうお休みなのでしょうか」

と顔を洗ったローラが尋ねてきた。

 ガーネットは渋い顔で、使用人に目で訴えかける。

「え、ええ。お嬢様はもうお休みになられていますから。私が明日の朝にお伝えしておきます。それと、二階には行かないようお願いいたします。お嬢様が起きてしまいますので」

ローラは少し残念そうにして、使用人に連れられてオパールとともに客間へと案内された。

 客間があるとはいえ、何分小さな家であるために寝る場所は限られており、ガーネットとルビーは炊事場の横で一晩過ごすこととなった。見張りもかねて、二人は机に座ってひそひそと雑談を交わす。

「それにしても、今日のお前はかっこよかったぜ。オレはてっきりお前を体がでかいばかりの腑抜け野郎かと思っていたんだが」

ガーネットは口の端を緩めて、傷の消えた手のひらを眺める。

「彼女のことを思うと、いてもたってもいられなかった。不思議だな。こんなふうに、一生懸命になったのは、初めてだ」

いかめしい顔つきとは対照的すぎるおっとりとした口調に、ルビーが堪らず吹き出す。

「へえ、お前もそんなふうに思うんだな」

「笑うことは、ないだろ」

「だって、お前いっつも眉間にしわ寄せて、哲学者みたいに深刻な顔してるんだぜ。オレが会った奴の中で、一番色恋沙汰に関心がなさそうな奴が、くそつまらん娯楽演劇の口説き文句よりもきざで、率直な台詞を言ったんだ。『彼女を守る』ってね。笑うなって方が無理だよ。でもそれを実行して、実際に彼女を救い出したところは、舞台上の陳腐で見せかけだけの救出劇より、ずっと感動ものだったぜ」

「色恋って、別にそんなわけじゃ…………。それに、あんたが助けに来てくれなければ、彼女を救うことはできなかったかもしれないし」

とガーネットが言いよどむと、ルビーは片方の眉をくいと吊り上げて机の上に肘をついた。

「なんにせよ、オレはお前さんを高く買っているぜ」

冗談なのか、本気なのか。人とほとんど会話をした経験がないガーネットには、飄々としたルビーの真意は分からなかった。

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