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情念の石  作者: At
4/52

003

後半にやや残酷な描写があります。

 家に着くなり、魔女はにたにたと笑って親子を迎えた。例のごとくあれこれと遠まわしに嫌味を言ってきたが、ガーネットの態度がいつになく迫真的で、彼女は面白くなさそうに黙った。

 空き部屋のベッドに少女を寝かせると、魔女による診察が始まった。簡単に少女の脈や体温を調べる間、ガーネットの額にはじっとりと汗が浮かんでいた。部屋の出入り口では父が目を光らせている。もし彼女が気を失ったふりをしているのがばれてしまえば、どうなるかわからない。ガーネットはばれないよう、横目で父のほうを見た。

 だが嫌な予感に反して、魔女はつまらなそうに首を振る。

「眠り込んでいるだけ。疲労と栄養失調ね」

魔女は立ち去り際にガーネットの肩を二度、軽く叩いた。そして出入り口に立つ父に早速文句を垂れる。

「これで私が寝る場所がなくなったわけだけれど、まさか客人である私に、炊事場の粗末な椅子で夜を明かせなんて言わないでしょうね」

 父は静かに横たわる少女を一瞥したあと、魔女の文句に対して冷淡に返事をした。

「新しいシーツと毛布を出して、俺の部屋を使え」

動かない少女を凝視する父に、ガーネットは冷や汗が止まらなかった。鼓動は早くなり、吐き気が込み上げる。

「何が客人だ。俺は招待状を書いた覚えはない」

と父は珍しく独り言を吐き、少女から目を離して部屋を出て行った。

 二人がいなくなったことを確認して、ガーネットはすぐに扉を閉めた。扉に寄りかかり、ふっと胸を撫で下ろす。

 灯りがないために部屋はしっとりとした闇で満ちていた。窓はあるが、とても小さな明かり取りで、壁に穴を空けてそこにガラスをはめただけのものだ。物の輪郭がぼんやりと視認できる程度である。

 それにしても、ベッドの上の少女は未だ動く気配がない。まさか医術の専門家である魔女を欺いたのは、彼女の演技ではなく、本当に眠り込んでいるせいだったのではないのだろうか。そう思うと心配になってきて、足音を忍ばせベッドの方へと近づいていく。室内は暗いために、手探りで慎重に進まなければならなかった。普段入ることもない空き部屋のために、扉からベッドまでの距離は把握しきれていない。

「起きていますよ」

と思っていたよりも近くで声がして、ガーネットは驚きのあまり直立不動となった。暗闇の中に置き忘れられた立像のように固まり、息を止める。

「助かった、と喜んでもいいのでしょうか」

声だけで想像すると、しっかりとした芯のありそうな娘である。不安そうではあるが、この状況下でも物怖じしない口調だった。

「た、たぶん」

と答えるガーネットの方は、なんとも情けない声であった。

 父の疑念を少しでもかいくぐるため、ガーネットは気を失ったふりを彼女に頼んだ。はたして効果があったのか分からないうえに、どんな小さな変化も見逃さないような鋭い目は彼女の演技をとっくに見抜いているのかもしれない。

 もし、この少女が父に疑わしいと判断されれば、どうなっていたのだろうか。できればこのまま何事もなければいいのだが、とガーネットは額の汗を拭って願うばかりであった。

「窓、開けてもいいですか」

濁った空気がこもる部屋を、娘の声が裂く。暗いために彼女がどんな表情をしているのかは分からない。

「その窓は、開かない」

彼女はすんなりと諦め、寝返りを打った。家にある窓の全ては、壁にガラスをはめ込んでいるもので開けることはできない。それは海の害のひとつ、潮風が家に入り込まないようにするためであった。ただ、ガーネットの自室の窓だけは開閉できるように改造しており、そのおかげでさっきは家から抜け出すことができたのだ。

 ふと突然、ガーネットは何かをひらめいて炊事場へ急いだ。まだ父と魔女は話し合っていたが、ガーネットは気にすることなく夕食の残りである野菜スープをくたくたになるまで温めて、パンを二切れ皿に乗せて部屋に持ち帰った。ガーネットは食事の用意に集中して気が付いていなかったが、その様子を二人は話をやめて目で追っていた。

 部屋に戻ると、出入り口からはオレンジの光が漏れていた。おそらく置きっぱなしにしていたランプを勝手に使ったのだろう。

 あたたかな光が暗い廊下を照らしているのを見て、部屋に向かっていた足がぴたりと制止した。顔の皮膚が突っ張った感覚。ガーネットは顔の火傷のことを思い出し、部屋に入ることがためらわれた。自分でさえ、このただれた顔を鏡で見るたびに驚くのだ。何も知らない彼女が見れば、ひどく不安にさせてしまうに違いない。

 かといって、このまま彼女を放っておくわけにもいかない。ガーネットは意を決し、大きな背中を丸め、俯いたまま部屋に足を踏み入れた。部屋はあたたかな光で満たされている。この部屋に灯りがともるのは、ガーネットが火傷を負ったとき以来だった。魔女はこの家に泊まるときはこの空き部屋を使うが、なぜか夜でも決して灯りはつけようとはしなかった。

 床の板目を目で追いながら、ガーネットは部屋の脇にある小さな机にスープとパンの乗った皿を置いた。

「置いておくから、食べるといい」

「ありがとうございます」

背後で少女が礼を述べる。

 こうして背を向けたまま、部屋を出れば顔を見られることはない。逃げるようにして部屋の出入り口に立つと、廊下からばたんばたんと飛び跳ねる音が聞こえてきた。廊下の曲がり角に視線をやると、白い大きな犬がこちらにむかって突進してきているのである。

 ガーネットは犬をよけようとするが、こんなときに持ち前の鈍臭さが発揮され、派手に後ろへと転んで尻餅をついてしまった。犬はガーネットの胸に乗りあげて、舌でべろべろと顔をなめる。

「オパール、失礼だからやめて!」

犬は少女の言うとおりに従って、ガーネットからぱっと離れた。そして少女が腰掛けるベッドのわきで尻尾を振り、誇らしげな顔でこちらを見つめている。

 そんな犬の頭を少女はわしわし撫で、尻餅をついたままのガーネットに目をやった。慌ててガーネットは手で顔を覆い隠し、目をそむける。ああ、どうしよう、と頭が真っ白になって、血の気が引いていく。

 少女は北の生まれに多い、緑の瞳の娘だった。顔色は少々悪いものの、精悍な顔つきは凛としていて強い意思を感じる。気の弱いガーネットとはまるで正反対な人物だ。

「ごめんなさい、命の恩人であるあなたにオパールが失礼なことをしてしまって」

顔を手で覆うガーネットに、彼女ははっとして傍の白い犬の頭を撫でた。

「この子のことです。オパールは私の弟みたいな子なんです」

犬のオパールは家の中には入らず外でじっと待っていたようだが、彼女のことが心配でたまらず駆け込んできたらしい。ガーネットには犬の感情は分からないが、彼が喜んでいるのはご機嫌な尻尾を見れば明らかだった。

 ガーネットは立ち上がり、逃げるように部屋をあとにしようとするが、待ってと少女に呼び止められる。

「もう少し、ここにいてくれませんか。知らないところで放っておかれるのは、不安です」

それもそうかと妙に納得して、ガーネットは部屋に戻った。

「あの、顔を隠さなくてもいいですよ。わたし、森の中であなたの横顔をずっと見てましたから」

ガーネットは心臓が跳ね上がるのを感じ、諦めてそろそろと手を下ろした。赤黒く生々しい火傷のあとが、ランプの灯りのもとにあらわになる。それでもガーネットはずっと床を見つめていた。

 彼女はベッドから動こうとはしなかった。座ったまま、目の前の大柄な青年を眺める。

「ここは、森の中なんですか?」

少女の質問にガーネットは顔を伏せたまま頷く。

「驚いたわ。だって森に人が住んでいるなんて思いもよらなかった」

半ば独り言のように呟いて、何度も犬の背中を撫でた。

「ところで、あなたのお名前をお伺いしてもいいでしょうか」

たじろぎ、ためらってから、ガーネットは口を開いた。

「ガーネット」

「ガーネットさん…………。わたしはローラといいます。助けてくださって、本当にありがとうございました」

ローラという珍しい名の少女は、丁寧に礼を述べて微笑んだ。

 彼女の自然な笑顔に少しだけ気を許し、ガーネットは視線をわずかに上げて気になることを尋ねてみた。

「変に、思わないのか」

すると彼女はきょとんとして、傍らの犬も揃って首を傾げる。

「何がです?」

「全て」

「ああ、こうして森に人が住んでいることですかね」

「他にも」

「でもそれよりも、わたしの方が変じゃないですか。だって入れば二度と出ることの出来ない、いわくつきの森で行き倒れていたんですよ。どちらかというと、怪しいのはわたしの方では」

堂々と物を言うローラに、気を失っていたときに感じた儚さが霞んでいく。

「あなたのお父上が、わたしを疑っていたのは当然と言えば当然ですよね」

「悪い……、父が。厳しい、人だから」

 確かに父はよそ者であるローラのことを疑ってはいたが、こうして自分を残し突然の来訪者から目を離しているのだから、ある程度は信頼する気があるのだろう。

 けれどもローラは首を振って、薄幸そうな寂しい笑みを浮かべた。

「この時勢だと、疑われて当然ですけどね」

せっかく用意してもらった食べ物が冷めてしまう、とローラが立ち上がり、ふらついた時だった。

 今まで大人しかったオパールが牙をむいて唸り始め、次に荒々しく戸が開かれる音が質素な家を揺らした。ガーネットは反射的にふらつくローラの体を支え、炊事場の方に耳を澄ます。腕の中のローラは取り乱す様子もなく黙っているが、早まる鼓動が伝わってくる。

 炊事場からは、誰かの怒号と何かを言っている父の冷たい声がする。今までに経験したことのない数の人の気配が、この小さな家を震わせていた。気配は家の中だけではなく、外でも蠢いているようだった。

「森の中まで追ってくるなんて、そんな……」

とローラは悲観の言葉を口にする。

 追ってくる――。ガーネットはローラの一言に引っかかった。この娘は何かに追われているというのだろうか。

 小さな家は人の気配で潰されそうなほど、がたがたと音を立て始めた。炊事場の方では物を破壊する音や叫び声が入り混じってたいへんな騒ぎとなっていた。けれども騒ぎ自体はすぐに収まって、一人誰かが廊下の床を踏み抜かんばかりに駆けて来た。ガーネットは腰に下げている鞘から鉈を抜いた。

 部屋に飛び込んできたのは、血相を変えた父だった。手には刀を持ち、衣服には血痕と思われる赤いものが付着している。常に何事にも動じない父が息を乱し、冷徹で鋭い目元には焦りが浮かんでいた。

「逃げるぞ」

とやや荒っぽい口調で告げると、父は手近にあった椅子を開かない窓に投げつけた。ガラスは粉々に砕け、磯の臭いをはらんだ風が吹き込む。

 突然の出来事にガーネットはおろおろと狼狽するばかりであった。すると父はぎろっと少女を睨み、地底より轟くような低い声で吐き捨てた。

「よくも、連れてきたな」

言われたローラだけでなく、ガーネットもその殺意のこもった言い方にぞっとした。この冷たく無機質な目は本気だ。本気で、この少女を殺してやろうと考えている。

 しかし父は実際に手を下すことはせず、ローラを射殺すように鋭く睨んだあと、さっさと逃げろと促した。

「ガーネット、お前はこの森から出て逃げろ」

一方的な彼の言いように、ガーネットはようやく口を動かした。

「ま、待って下さい。一体、何がどうなって…………。それに、森を出てはいけなかったのでは」

「こうなっては仕方がない。御前が捕まることは、全ての無駄を意味する」

 すると今度は、ジェイドが優雅に部屋へと入ってきた。苛立つ父の神経をあえて逆撫でするように、にたにたと愉快そうに笑っている。

「あなたのお友達が訪ねに来たみたいよ。手土産は持ってきてなさそうだったけれど」

父は眉間に深くしわを刻み、廊下のほうを振り返った。

「相手が悪すぎるな」

刀を握り直し額の汗を拭う父であるが、その顔はどこか楽しげにも見える。ガーネットはこの男ともう長く暮らしているが、こんなにもはっきりと、父の感情を見るのは始めてだった。

「ガーネット、よく聞け。森を出たらセレナへ行くんだ。俺はすぐに追いつく。さあ、行け」

最後に穏やかに微笑む父の顔を見て、ガーネットは腹を決めた。ローラを抱えると、ガーネットは破れた窓に走り、その後を犬が追う。

 ガーネットは破片の残る窓に手をかけた。ローラとオパールがガラスの破片で傷付かないように窓から下ろしてやると、続いてガーネットも窓の外に飛び降りた。

 家の中を振り返るが、父も魔女も、もうこちらを向いてはいなかった。

「行こう……」

とガーネットは誰となく呟いた。

「ま、待ってください。前を!」

ローラの悲鳴に近い叫びに顔を上げると、十数人の武装する一団が待ち構えていた。

 深夜の闇夜に紛れる彼らは一様に、潮風を避ける紺の外套を纏っている。各人剣を構え、一斉にこちらへと飛び掛ってきた。

 ガーネットは素早くローラとオパールの前へ進み出でて、鉈一本で次々に襲い掛かる剣を捌いていく。毎朝父と手合わせをしていたこともあり、武術に関してガーネットはそれなりに自信があった。しかし、人を護りながら戦うことについては経験がないために、思ったよりも苦戦を強いられ、受け損ねた刃が左肩と腹部を裂いた。向かってきた一人の腕を掴み、鳩尾を膝で蹴り上げる。

 血を流しながらも交戦を続けるが、なによりも相手の数が多く埒が明かない。ガーネットはこの場から逃げることに頭を切り替え、全体が怯む一瞬を待った。

 左から振り下ろされた長剣を避け、地面に刺さった剣を鉈で打ち砕いて真っ二つにしてやった。続いて背後を狙った一撃を、ガーネットは刀身を直に掴んで受け止めた。相手が刀を押し込むたびに、血が手首を伝う。そこで鉈の柄を握り直し、無防備な相手の足先に狙いを定め、力いっぱいに鉈を振り下ろした。途端に相手は絶叫し、持っていた剣を放り投げ、足先を押さえてその場でのた打ち回る。仲間の悶え苦しむ姿を見て一気に士気が下がり、追撃の手が止まった。

 今だ。ガーネットは後ろに控えていた少女を軽々と抱き上げて、立ち塞がる者たちに突っ込んでいった。思ったとおり、ガーネットに気圧された一団は反応が遅れ、あっさりと大柄の青年を取り逃した。

 そしてそのままガーネットたちは森へと飛び込んだ。

 深夜、突如として出会った少女を抱きかかえ、暗い森の中を疾走する。生まれ育った入り江に別れを告げる間もなく、ガーネットはひたすら前へ前へと走り続けた。

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