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情念の石  作者: At
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001

 朝焼けの広い空の下。甲高い金属音が、空に吸い込まれていく。白い入り江ある質素な家の前に、一人の青年とすらりとした背格好の男が対峙して睨みあっていた。

 青年は息を切らし立っているのがやっとであり、剣を持つ手は上下に揺れている。それに対し、もう一方の男は眼光鋭く、厳格な顔つきに一切の乱れはない。男の持つ剣の切っ先は、真っ直ぐ青年に向けられていた。

「ガーネット、そろそろ終わりにしようか」

剣を下ろし、男は青年に背を向けた。一目見れば、青年の方が劣勢であり、これ以上戦わなくとも結果は見えていた。

 それでも、ガーネットと呼ばれた青年は剣を下ろすことなく、果敢にも去っていく男の背中を目掛けて駆け出した。荒い息をのみ込み、男の背中ただ一点を、青い瞳で凝視する。全速力で駆けるガーネットの刃に、朝日が煌めき一光の線を描いた。

 あと一歩踏み出せば男の心臓を貫く、その寸前。

 視界から突如として男の背中が消え去った。白濁した左目を瞬くと、今度は男の影が霧のようにするりと視界の端に現れる。

 渾身の一撃をかわされ、止まることのできない足元に男の靴が伸びる。ガーネットは長く伸ばされた足に突っ掛かり、前方へと勢いよく転がり倒れた。

「勇気は買うが、時に負けを認めることも重要だ」

ひれ伏すように倒れたガーネットに、男の冷たくも穏やかな言葉が降りかかる。無様な醜態を晒し、起き上がるガーネットの顔には土埃と、波打つ火傷のあとがあった。

「少し休憩したら、森へ行こう」

「はい」

体に付いた汚れを払いながら、ガーネットは家へと入って行く父親の背中を横目で見ていた。



 朝の日課である父との剣の稽古を終えた後、親子二人で森へ行くためにガーネットは家の外で父を待っていた。虚ろな目を雲一つない空に向けて、ひたすら待ち惚ける。その瞳は宝玉のように鮮やかな青色であったが、左目は白濁しており、その周囲には赤くただれた火傷のあとが刻まれていた。

 今朝はひどく冷えたのか、と足元の枯れかけた草の露を見て思う。目に見える夏は過ぎ去ったあとだった。

 再び視線を上げると、白い光で目の奥に鈍い痛み襲う。岸壁に囲まれた入り江、その先に広がる

広大な海。海原は朝の光を跳ね返し、死んだように白い。

 海は死を意味する――――。

 それは比喩や神話の伝説などではなく、文字通りの死の場所。いつからか海の色は白くなり、白い海は人を殺すようになった。

 海水を浴びると炎症を引き起こし、死に至るのである。それ故に人々は内陸を中心に都を築き、海を避けた文化を生んだ。

 焼いた骨のように白い海を眺めながら、手持ち無沙汰に手の肉刺を弄り始めたとき、家の戸が軋んだ音を立てて開いた。

「待たせてすまないな。さあ、行こうか」

その声に振り向くと、父が斧を抱えて家から出てきた。

「気が滅入るな」

と無機質な愚痴をこぼす。

 家のすぐ裏は森であり、この森は他所の人々からは黒い森とも呼ばれていた。立ち入ればたちどころに方向感覚を失い、決して出ることの叶わない呪われた地。ガーネットとその父は、二つの呪われた場所の狭間で暮らしていた。白い海と黒い森。

 死がつきまとう森であるが、こうして時折二人は森にはいれなければならない事情があった。食料や日用品などの入手は、森の外に住んでいる人物から仕入れなければならないのだ。月に四度、親子は待ち合わせの場所へ向かう。

 ガーネットは腰に下げていた鉈を手に取り、父から距離をとってそそくさと歩き出した。その後から父親が付いてくる形で、二人は鬱蒼とした静寂の森へと分け入る。

 頭上を覆う黒い枝葉は日の光を遮り、天の星の位置もわからない。ひどく気味の悪い森だ。加えて、この森には一切の生物が生息しておらず、口にできる木の実や植物が何一つない。もしこの森で迷ってしまえば、飢えに襲われ、じわじわと死に至るのである。

 夜のように静かで暗い森の中、息を殺して真っ直ぐ目的地へ向かう。

 入れば二度と出ることができないといわれる森であるが、不思議とガーネットたち親子だけは森で迷うことはなかった。どうして森で迷うことがないのか、以前はよく夜通し考え込んでいたものだったが、ある歳を過ぎたあたりでどうでもよくなった。もしかすると、森に入れば決して出ることができない話は、生物のいない不気味な森に尾ひれがついた、単なる噂なのかもしれない。そう思えば、日々頭を痛ませていたあらゆることも、考えなくなってしまった。見なければ、ないものと同じだ。

 森は入れば入るほど暗く、冷たくなっていく。黒い森と呼ばれているが、ガーネットは幼少期から黒よりも濃い青い森だと思っていた。青に限りなく近い黒の森。それは以前、目に負った傷害によるせいなのかもしれないし、ただの思い違いなのかもしれなかった。

 行く手を遮る小枝や草を鉈で落としながら進み、背後の足音に耳を立て、黙々と前へ足を運んだ。真昼というのに辺りは暗く、時が静止しているかのように風は無い。何度来てみてもやはり薄気味の悪い場所だった。四方八方から手足に纏わりつく寒気を感じる。森自体が人を、嫌悪し憎んでいるような気がした。

 この薄気味悪い森で、ガーネットはただ一人で歩いているようだった。後ろから足音は聞こえるが、気配がまるでない。

「体調がよくないのか」

不意を突いた父の問いかけに、ガーネットは思わず枝に頭をぶつけた。枝をぶつけた額をおさえ、あれこれと思考が絡まる。

「歩くのが遅いな」

「すみません。考え事をしていて」

(かしこ)まって、わずかに振り返って父の足元に目をやる。

 親子というのに、二人の間にはほとんど会話が無い。交わす数少ない言葉も殆どが事務的なものだけに留まる。お互い寡黙であることも大きな要因であるのだが、それ以上に二人の間には相容れない大きな隔たりが存在していた。

 二人は森に囲まれた入り江に暮らしているため、他の人との交流はなく常に二人っきりで過ごしてきた。特にガーネットは幼少より森から出してもらえず、外の世界と言うものをほとんど知らない。話したことのある人物といえば、父と、今会いに向かっている食料を調達してくれる者の二人だけだった。この二人というのが、どちらも気難しくまともな会話ができない。ガーネットはそのせいか、すっかり無口になり、思ったことを言葉にするのがおそろしく下手になってしまった。

 心休まるときがない。父がそばにいるときは息が詰まり、常にあの鋭い視線に身を刺し貫かれ、繋ぎとめられているようだった。

「まあ、魔女に会いに行くんだ。気が進まんのは分からんでもない」

ぎこちない父の気遣ったような言葉が、よけいに不快感を募らせる。

 魔女というのが、親子へ食料などを調達してくれる者のことだ。森の外にある村に住んでおり、怪我や病人を看て、薬を煎じて売りつけることを生業としている。どういうわけかは知らないが、魔女はこうしてガーネットたちの世話を焼いてくれている。

 ただ、彼女は何をするにも文句ばかりを言い、こちらの顔を見れば必ず嫌味を吐いてくるのだ。いつもいつも会うたびに皮肉を浴びせられ、ガーネットは萎縮してうなだれるばかりであった。もちろん父も魔女の嫌味の対象であるが、あまり相手にはしていない様子だった。

「魔女の話をまともに聞くことはない」

と父は涼しい顔で言うが、相手の話を無視できるほどガーネットは器用でない。父のように冷徹にはなれず、なろうとも思わなかった。

 魔女と落ち合うのは、森の南西と決まっている。いつもの場所へ向かって、ガーネットはひたすらに鉈を振るった。邪魔な枝葉を切り落としていき、草や土を踏んで道を作る。毎回通る場所が違うため、森を歩くのは一苦労だ。魔女との待ち合わせ場所まで、明確な道しるべはない。ただ勘を頼りに進む。

 森の闇が少しだけ薄れ、足元に木漏れ日が広がり始めた。

 今日もいつもと同じように、同じ場所へたどり着くのだ。少し開けた場所へ出ると、一際大きな木の根元に、黒く長い外套を纏う女が座っていた。腕を抱え、足を組み、濁った水のような目で親子を待ち構えていた。彼女を見た途端、ガーネットは顔を伏せて、父はため息を漏らした。

「これだけの荷物をわざわざ往復して持ってきてあげたっていうのに、素敵な歓迎をしてくれるじゃない」

魔女は長い髪をこれ見よがしにかきあげて、足元に並べられた食材の入ったかごを軽く蹴る。

 しかし父は全く気にした様子もなく、形式的に礼を述べてから、そそくさと魔女の足元のかごに手を伸ばす。が、彼はぴたりと動きを止めて魔女を鋭く睨んだ。

「どういうつもりだ」

「頼まれた物は、豆の一粒までも揃えて持ってきたわよ」

「多い」

と並ぶ荷物をあごで示す。

 確かに、いつもより二つほど荷物が多い。小さなかごと、使い古された大きな鞄が魔女の一番近いところに置かれている。

「これはあなたたちの物じゃないわ。わたしの分」

どういうことなのかとガーネットは小さく首を傾げた。

「邪魔でしょうけれど、しばらくあなたたちの家に泊めてもらうわ」

すると父の顔はますます険しくなり、理由を言えと尋問のごとく尋ねる。

「森の中でひきこもっているあなたたちには分かりっこないでしょうけれど、この間からセレナで暴動が起きているのよ」

「ついに、か」

あごを撫でながら、父は遠くへ視線をやる。

 何か心当たりでもあるのだろうか。父はガーネットと違い、度々森の外へ出て行くことがあった。出て行けば十数日は戻らず、その間は家にジェイドが泊まるのだ。

「軍がどうなろうが、この国がどうなろうが、よそ者の私にとってはどうでもいいのだけれど」

「状況は」

「即刻に軍が鎮圧したらしいわよ。これだけ国が弱っていても、軍とネズミは元気よね。はあ、一昨日も床下で大運動会よ。家に戻ったら残らず白い海に叩き込んでやるわ」

「暴動は駐在している分で抑えたのか」

「いいえ、わざわざ帝都から応援を呼んだとか。噂に聞くと、応援に来た軍の中にはあなたのお友達もいたらしいわよ。それを聞いて、また肩を並べたくなったんじゃない?」

ねっとりした魔女の言い回しがなんとも嫌らしいもので、父の眉間のしわがみるみる深くなっていく。

「あの男、まだ生きていたのか。しかし、厄介なことになったな」

 二人が何の会話をしているのか、ガーネットにはさっぱり分からなかった。おそらく外のことについて話し合っているのだろうが、いかんせん森から出たことのないガーネットは世情について疎い。

「そう、本当に迷惑な話だわ。暴動なり革命なり、好き勝手にやってくれても構わないけれど、他に迷惑をかけるのだけはやめてほしいものね。暴動を起こした残党が村に流れてきて、軍が探し回っているわ」

さも面倒くさそうに、魔女はため息をついて首を振った。

「御前のところもか」

「数日前から軍がうろついている。分かったでしょう? これだけの荷物をここまで運んできた私の苦労を。少しは感謝して労いの言葉一つかけたらどうかしら。それとも、人を称える言葉を知らないのかしらね」

 しばらくの静寂の後、父がかごを背負ったのを見て、ガーネットも慌てて父にならった。

「分かった。事態が落ち着くまで、こちらに居ればいい」

「でもよくよく考えると、あなたたちとしばらく同じ屋根の下で過ごすなんて、その陰気さが移ってしまいそうだわ。気が滅入って首を吊るよりも、街でなかで派手に火あぶりにされた方が楽しげね」

父は全く意に介した様子もなく、ガーネットに目配せをする。前を行け、と言葉なく命ずる。手元の鉈を握り直して、ガーネットは再び森の深部を目指す。

 次第に青い闇は密度を増して、わずかに振り返れば、外の光はかなたへと霞んでいった。

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