プロローグ
暁の光が照らす寒々とした野を、細身の少女が息を切らして駆ける。その横にはぴったりと、白い大きな犬が併走していた。夏の盛りを過ぎて枯れた葉が足を何度も切り裂く。血がにじむが、痛みを感じる余裕はない。
血のにおいを嗅ぎつけるように、背後からは複数の追っ手が迫ってきていた。振り返れば、軍の制服を着た者たちが、剣先を朝日でぎらつかせている。
もつれるように、転がるように、少女はひたすらに前へと進んだ。ここで死ぬわけにはいかない。まだ、やりのこしたことがたくさんあるのだ。
進む先、揺れる視界に黒々とした亀裂が現れた。あれは確か、と少女は額に張り付く髪を払う。
森だ。影が横たわっているかのような黒い森。
街の人々は決して近寄ろうとしない、死がはびこる場所だ。動物の一匹も生息しておらず、人が森に入れば決して出ることは叶わないといわれる。白い海と同等に忌み嫌われている、呪われた地。
日はまだ昇らずとも、辺りはずいぶんと明るくなってきていた。街から逃げ出したときは闇が少女を隠していたが、夜は去り、朝日が逃げる少女の身を無情にも照らしあげる。
どうあがいても、朝は皆に等しくやって来る。ある人にとってはいつもと同じ朝で、別の人にとっては楽しみにしていた朝で――――、そしてこの少女にとっては絶望の朝であった。あと少し、闇がこの身を包んでいればうまく逃げ切れたかもしれない。
そんな絶望に呑まれかけていた少女にとって、目の前に現れた森は思いがけない救いであった。
人々が畏れる黒い森。その奥に、小さな希望の輝石があるように思えた。
つい先ほどまで、少女の運命は捕まって見せしめにされて死ぬしかなかった。けれどもこの森を前にし、新たな運命を眼前に拓かれた。
森に飛び込んで追っ手を撒く。さすがに森に逃げ込めば、軍も追ってくることはないだろう。森の悪しき噂が、人を遠ざけるための単なる戒めだと信じて。どちらにしろ、市中でさらし者にされて生き恥をかくより、森の中でさまよい死んだほうがいくらかましだ。
そしてなにより、森から感じる、根拠のない希望が少女のくたびれた足に力を与えた。街からずっと走りっぱなしだが、疲れも、痛みも感じない。
氷のように詰めたい夜露を踏み散らし、少女は最後の力を振り絞って森へと走った。犬も少女の意思を汲み取ったかのように、走る速度を上げる。
少女を導くかのようにして現れた、新たな運命。けれどもその道は、決して光に溢れているものではなく、彼女を歓迎するものでもなかった。
逃げ込む先は、怨恨に満ちた黒い森。
朝の冷え切った空気を裂いて、少女と犬は森の中へと飛び込んだ。