カピバラに手紙を頼まれる
おかもち片手に、ふらふらと自転車を走らせてきてみれば、そこは見渡す限りの原っぱだった。
「さては、いっぱい食わされちゃったか」茂みに足を着き、がっくりと肩を落とす。「このチャーシュー麺と味噌ラーメン、それに餃子3人前、どうしよう」
その時、手前のクローバーの群生がもぞもぞと動き出し、ぽこんっとフタが開いた。隙間から、ネズミに似た動物が顔を覗かせる。
「あ、ラーメン屋さん、こっちこっち。おいくらになります?」
びっくりして、もう少しで自転車を引っ繰り返すところだった。わたしは、気を取り直して答える。
「えーと、全部で2,130円になります」
いくらネズミそっくりだからと言って、お客さんには違いない。
「はいはい、2,130円ね……。じゃ、2,150円をお渡ししますから、お釣りの20円を下さいな」そう言って、札と小銭を差し出してくる。
「まいどありがとうございます」わたしは、レシートとお釣りの20円を返す。
ラーメン丼と餃子の載った皿が巣穴に運び込まれる。わたしは自転車を反転させ、さあ、帰ろうかと跨がった。
いったん閉じたフタが、また持ち上がる音がする。
「あの、すいません」
「はい、なんでしょうか?」まさか、ラーメンに虫でも入っていたかな。
「帰るついでに、わたしの友達に、この手紙を渡してもらうわけにはいかないでしょうか?」
見たところ、なんの変哲もないふつうの封筒だ。
「遠くだと、ちょっと困るんですが……」わたしはやんわりと押し返す。
「いえいえ、お宅の中中軒さんへ帰る道すがらです。そう、たいした手間にはならないと思いますが」
「はあ、それなら」
「ああ、よかった。近々、うちの娘が祝言を挙げるんです。その案内をしたためてありまして」
「そうでしたか。おめでとうございます。では、お届け場所を教えてもらえますか?」
わたしが尋ねると、もう1枚、折りたたまれた紙切れを取り出した。
「こちら、地図になります」
広げてみると、見慣れた町内の簡易地図が記してある。
「これなら、わかります。お任せ下さい。責任を持って、お届けしますから」
空のおかもちを荷台にくくりつけると、今度は地図を片手に自転車を漕ぐ。
走りながら、
「大きなネズミだと思っていたけど、そうだ、あれはカピバラだ。前に1度、動物園で観たことがあったっけ」と思い出す。
地図の真ん中には、赤のマーカーで○がしてあった。ちょうど、バイト先の中中軒までの中間地点に当たる。
「ここにあるのは、確かコンビニじゃなかったかなぁ」自転車で向かうと、やっぱりいつものコンビニだった。
地図には添え書きがしてある。「入ってすぐ右、突き当たり」
「よくわからないけど、取り敢えず、書いてある通りに行ってみるか」
自転車を駐め、コンビニへと入る。
「いらっしゃいませ~」レジの向こうで、店員がにこやかに挨拶をした。
わたしは知らん顔をし、右へ折れて、まっすぐ歩く。
突き当たりはトイレだった。開けてみると、洗面所があり、その先に男性用、女性用、そして「カピバラ用」と個室が並んでいる。
「ああ、やっぱりここでよかったんだ」
一応、ノックしてみた。返事はない。思い切って、戸を開けてみる。中は地下へ下りる階段だった。蛍光灯はところどころ切れかけだったが、暗くて不自由をするほどでもない。
「だけど、少し窮屈だなぁ。おかもちを持っていなくて、ほんとによかった」
半地下構造になっていて、その先は天井の低いフロアとなっていた。通路も四方に分かれていて、考えなしで歩けば、迷うこと間違いない。
「地図、地図。えーと、今はここだから、左に曲がって、それから3っつ目を右だな」背の低いわたしですら、やや中腰になって歩かなくてはならなかった。おまけに、打ちっ放しのコンクリート壁は、左右、どこも同じに見える。ここでだけは、迷子になりたくはなかった。
地図と添え書きに従い、進むこと数分。やがて、「この先、カピバラ団地」と書かれたドアに行き着く。
「あった、あった。やっと、地上に出られる」早足で駆け寄ると、ドアを開けた。
「あ……」本棚にハタキをかけていた店員が、なんとも間の抜けたような顔をわたしに向ける。はっとわれに返って、「い、いらっしゃいませ~」
いったい、どういうことだろう。今、自分が出てきたところを振り返った。「掃除用具入れ(時々、カピバラ専用出口)」と書かれた、ロッカーだった。
「あの、カピバラ団地がこの辺りにあると聞いてやって来たんですが?」わたしは店員に尋ねる。
「あ、はいはい。それでしたら、日本人作家コーナー『カ』の棚です」店員が親切に教えてくれた。
「カ」の棚を目で追って探すと、「カピバラ団地」と言うタイトルの本を見つける。
「これこれ」さっそく手に取って、表紙をめくった。1ページ目は見開きになっていて、団地内の地図が書かれている。各棟と部屋番号にはページが振ってあった。
最初にもらった地図を見直し、相手先の部屋を確かめる。
「『水浴び棟』の208号室のブヒブヒさんか。136ページ……っと」該当ページを開くと、「ブヒブヒ」という名札の付いた木の扉が描かれてた。
その扉を、コンコン、と叩いてみる。
「はーい、なんでしょう?」扉が開いて、中からカピバラが現れた。
気がつけば、わたしの方で扉の前に立っているのだった。
「こんにちは。そこの中中軒の者ですが、原っぱのカピバラさんより、お手紙を預かってきました」
「手紙だって?」ブヒブヒはそれを受け取り、自慢の前歯でカカカッと封を切る。「ああ、あいつのとこのお嬢さん、結婚するのか。こりゃあ、めでたいな」
「では、ちゃんとお渡ししましたから」わたしはぺこっとお辞儀をして引き下がった。
「ありがとね、わざわざ。今度、お宅で何か出前を頼むからさ」ブヒブヒが礼を言う。「そうそう、帰る時はその先、左の非常口から出るといいよ」
言われた通り、非常口と書かれた金属製のドアを開けた。
なんと、そこは中中軒の軒先だった。
「おや、むぅにぃ。ずいぶんと早い出前だったじゃねえか」店に戻るなり、大将がびっくりしたような声を浴びせる。
早いには早かったが、自転車とおかもちは近所のコンビニに置いてきたっきりだ。
「すいません、ちょっと忘れ物を取りに」
わたしは大慌てで、パタパタと駆け出すのだった。