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オールナイトを観る

 深夜過ぎ、桑田孝夫の誘いでふらりと入った映画館。

「今時珍しいね、オール・ナイトだなんて」わたしは、「ある日の出来事、その他3本」と書かれた看板を見上げながら言う。

「新しくできるのはどれも、シネマコンプレックスだもんな。名画座なんて、ここにこうして残っている方が奇跡ってえぐらいだ」

 こんな時間だというのに、ずいぶんと人が集まっていた。わたし達同様、終電を逃してしまったり、根っからの映画好きが寄り合っているのに違いない。

「チケットも、券売機なんかなく、窓口だけかぁ。なんか、いいな、こういうのって」なんでもない晩なのに、まるで重大なイベントに参加しているような、そんなワクワクをわたしは感じていた。

「ここはおれが出すぞ」桑田が殊勝なことを言う。

「え、いいの?」

「ああ、誘ったのはこっちだからな」そのまま、チケット売り場の列に加わった。


 館内に入り、暗がりの中、空いている席を探す。

「あそこ、前の方。ほら、ちょうど2人座れるよ」わたしは座席を見つけた。スクリーンには、「間もなく上映」という白文字が、黒をバックに映し出されているばかり。最低限の天井照明と、扉付近でぼーっと緑色に光る、非常口の案内燈が、辺りをどこか懐かしく照らしていた。

 そろって席に落ち着くと、今度はわたしの方で申し出る。

「飲み物買ってくるけど、何がいい? こっちは奢るからさ」

「コーラな。あ、それとポップ・コーンもいい?」

「うん、わかった」取りあえず席は確保したという安心感のためか、売店向かうわたしの足取りは軽い。

 カウンターにはすでに人が並んでいて、わたしの順が回ってくるまで、少し待たなくてはならなかった。十分に間に合うとわかっていたけれど、気持ちがそわそわして落ち着かない。


 桑田の分のコーラと、自分で飲むアイス・コーヒー、それにポップ・コーンを抱えて、わたしは席へと戻ってきた。

 スクリーンの文字はさっきのまま変わっておらず、結局のところ、焦って損をしただけだった。

「はい、コーラ」桑田に飲み物とポップ・コーンを渡した。

「おう、サンキュー」

 観客席はざわざわと絶え間なく物音がしていたが、ふだん通りの声を出す者はほとんどいなかった。まだ上映が始まっていないにもかかわらず、雰囲気に飲まれたか、誰もがつい口をすぼめて話してしまう。

 ほどなくして、場内にブザーの音が鳴り響く。

「大変長らくお待たせいたしました。間もなく、上映が始まります。最後まで、どうぞごゆっくりご鑑賞下さい」案内とともに、すべてのライトが消灯した。

 水を打ったような静けさに包まれる。ごく一部の席でのささやき声が、黒い布地に付いたチリ、ホコリのごとく、よくよく目立つ。


 真っ暗なスクリーンの真ん中に、飾りのない素朴なタイトルが浮かんだ。


 〔ある日の出来事〕


 タイトルが溶けるように消え、鼻をつままれてもわからないような闇の中、落ち着いたテノールが語り出す。

「鐘の音、空襲警報のサイレン、それが、この小さな静かな町を支配していた。男は戦闘機乗り。毎日、遠く離れた町まで飛んでいき、数本、時には数十本もの爆弾を投げ落としてくる。昨日もそうだった。今日も同じことの繰り返しだ。たぶん、明日も……」


 わたしはこの映画を初めて観る。冒頭の説明から、てっきり戦争映画なのかと思った。

 最初の場面は、白い浜辺から始まる。少女が2人、ビスケットの缶を覗き込んでいた。カメラはその缶に寄っていく。中に入ってるのは、エメラルド・グリーンをした、美しい小さなヘビだ。

「これはあたし達の宝物だわ」1人が言うと、

「ええ、本当にそう。だって、こんなにも透き通って美しいんですもの」

 そこへ、別の少女が近づいてくる。

「まだそんなヘビなんかを。いい? ヘビは忌まわしいものよ。手放さなくてはダメ。そう、今すぐよっ!」

「そんなことできない。これは世界中に1匹、『あたし達だけ』のヘビなんですものっ」

「そうよ。それに、ヘビが忌まわしいなんて、どうしてそんなことが言えるの? このヘビは、自分の身を守る毒すら備えていないというのに」


「あんた達がそうしないというのなら、このわたしが捨ててやる。さ、そこをどいてちょうだい。そして、このわたしを恨まないでねっ!」素早く2人の間に割って入り、缶の中で丸くなる緑色のヘビを、むんずと掴み出した。

「どうするつもりっ?!」少女達は、半狂乱になって叫ぶ。

「決まってるじゃない。こうするのっ」そう言って、海へ向かって放り投げてしまう。ヘビは、さながらゴム紐のようにクルクルと回りながら飛んでいき、遠くの波間へ落ちて沈んでいった。

 ヘビを拾いに行こうとする少女と、それを必死で止める2人。

「放してったら。あのヘビがいなければ、わたしは生きていけない」

「ダメよ、もう無理だってば。あの辺りはとりわけ深くなってるんだもの。どうしたって、あきらめるよりほかはないわ」

「そうよ、たかがヘビなんかのせいで死ぬことはないわよ。いい厄介払いができたと思うべきね。いつか、わたしに感謝する日が来るはずだわ」


 場面が変わって、うっそうと緑の生い茂った山の中。ハシバミに囲まれて座り込んでいるのは、浜辺でヘビを失った、あの2人の少女だった。

「このヘビなんか、前のとそっくりだとは思わない?」

「ぜんぜん、違うじゃないの。でも、もういいの。このヘビだって、負けず劣らず美しいわ」

 新しいヘビを見つけて、すっかり満足そうである。今度こそ、人に見つからぬようにしよう、そう誓い合う。

 その頭上を、プロペラ式の戦闘機が飛ぶ。今日もどこか遠くの町へ、爆弾を投下しに行くのだろう。それこそが、彼の仕事だった。

 画面はゆっくりと暗くなり、再び闇に沈む。

 ずっと昔に聞いたお馴染みのテノールが、物思いにふけるかのような声で締めくくる。

「鐘の音、空襲警報のサイレン……。ある日の出来事、何1つ変わらぬ日常」


 エンド・クレジットが昇っていく様子を、わたしは半ば呆然と眺め続けた。

 朝まで、あと3本もある。もしかすると、疲れて途中で眠ってしまうかもしれない。

 それもいいな、とわたしは思った。酒場のようなものなのだ。一晩の内に色々なお酒を飲むだろう。けれど、グラスごとの感動を覚えておく必要などない。

 誰と、どんな雰囲気で、時間と空間を共有したか。それこそが大切なことなのだから。


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