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奪われた心臓

 病院で健康診断を受けている最中、先生がいきなり、「おっ?!」と声を漏らす。

「えっ、どうしたんですか? 何か悪い病気だったりします?」わたしは不安になって尋ねた。

「どうしたもこうしたもないよ」不機嫌そうに、ぶつくさと言う。「あなた、今日は検診があるって知ってたはずでしょ? それなのに、なんです、これはっ」

 そう怒られても、いったいなんのことだかわからなかった。

「でも、昨日、夜の9時過ぎには飲食は控えましたよ?」

「そんなことを言ってるんじゃないの。脈です、脈! ほら、自分で自分の手首を触ってみなさい。脈拍が全然ないでしょっ」

 先生に言われ、手首を探ってみる。なるほど、確かにピクリともしない。

「どういうことなんでしょう、先生?」わたしは聞いた。

「知るもんですか。おおかた、心臓をどこかに置き忘れてきたんじゃないの?」医師は素っ気なく言い放つ。


 そうだっけかな、とわたしは記憶をたぐった。置いたとすれば、たぶん、家の中だろう。それから断言できるが、夕べの11時までは間違いなく、胸の中に収まっていた。

 と言うのも、たまたまテレビで観ていたゾンビ映画、それがあんまり恐ろしく、何度もドックン、ドックンという音を聞いている。心臓が入ってなければ、鼓動などするはずもなかった。

「これじゃあ、血圧測定は無理だよ。今度来る時は、忘れないで、ちゃんと持ってきてね」そう言って、問診票を突っ返してくるのだった。

「はい、次までに探しておきます」わたしは仕方なく、引き下がる。


 家に戻ってから、あっちこっちを引っ繰り返して探すが、わたしの心臓はどこにも見当たらなかった。

「おっかしいな。どこにやったんだろう」わたしは途方に暮れて、ソファーにへたり込んでしまう。

 メガネじゃあるまいし、夜寝るからと言って、外したりしないしなぁ。

「どこかで落としたとか」病院に出かけたのが、今日初めての外出だ。その途中のどこかで落としたのだろうか。「いくらなんでも、ふつう気付くよねぇ。外じゃないとすると、やっぱ、家の中にあるはず」

 寝ている時にぽろっと転がったのかもしれない。ベッドの上や周りを探してみる。

 やっぱり、どこにもない。いったい、どこへ行ってしまったのか。


「これが携帯とかだったらなぁ」わたしは独り、つぶやいた。「番号に電話を掛ければ、どこかで着信音が聞こえるだろうし、家の中になかったとしても、拾った誰かが出てくれるかもしれない」

 それが心臓では、どうにもならない。GPSが仕込んであるわけでもなし、名前すら書いてないのだから。

「あーあ、せめてマーカーで『これはむぅにぃの心臓です』とかなんとか、書いておけばよかった」

 わたしの心臓、今頃、どこで淋しく鼓動を打っているのだろう。


 あきらめかけてぼんやりしていると、固定電話のベルが鳴った。

 然るべき場所に、然るべきものが収まっていたなら、思わずドキッとしたことだろう。

 今のわたしは、ただ無気力に立ち上がって、受話器を取るのが精一杯だった。

「はい、もしもし……」

「もしもーし、こちら最寄りの交番ですが」警察からだ。

「はい――あのう、なんでしょうか?」何もしていないはずなのに、なぜかおどおどしてしまう。たまたま心臓が留守でよかった。きっと、バクバクしてしまって、大変だったろうから。

「実は、お宅の家を覗いているという不審者の通報がありまして」

「はあ……」うちなんか見たって、面白くもないだろうに。

「何か、変わったことなどありませんでしたか? 鍵をこじ開けられたとか、チャイムを鳴らされたりとか?」


「さっき帰ってきた時、ちゃんと鍵は掛かっていました。それに、訪問者とかも来ませんでしたけど」わたしは言った。

「そうですか。それだったらいいんですがね。ま、用心に越したことはありません。何かあったら、直ちにこちらへ電話を入れて下さい」

「はい、わかりました。わざわざ、ありがとうございます」わたしは礼を言って、電話を切った。

 怪しい人物か。確かに気持ちのいいものではない。おおかた、保険の勧誘か、セールスだろうけれど。

 実際、この辺りはそういった訪問が多い。チャイムを鳴らすので、ついドアを開けてしまうと、図々しく身を滑り込ませてきて、くどくどと商品の説明を始めるのだ。

 この頃ではこちらも身構えていて、まずドア・スコープを覗くことにしている。その上で、チェーン・ロックを掛けたまま、ドアの隙間越しに応対する。


 しばらくして、本当に玄関のチャイムがなった。タイミングがタイミングだけに、ビクッとして、もう少しで心臓が止まりそうになる。

 もっとも、今はその心臓が行方不明なのだが。

 さっそくドア・スコープを覗くと、警官が直立不動で立っていた。わたしはドアを開ける。

「どうも、先ほどお電話を差し上げた最寄りの交番のものですが」

「さっきの不審者、何かわかりましたか?」わたしは尋ねる。

「わかったも何も、こうして捕まえましたよ」少し興奮気味な声が返ってきた。「本官、念のためにと思いましてね、お宅さんの周りを視て歩いておったんです。すると、いました、いました。またしても、覗いてまして。これはもう、現行犯ですからな、その場で捕らえたという次第です」

 警官の後から、うなだれた中年男が現れた。


「す、すんませんでした……」男はペコペコと頭を下げ始める。

 わたしはなんだかよく飲み込めず、呆然と突っ立ったままだった。

「こいつめ、とんでもないものを盗んでいきやがったんです」警官がそう言って憤る。

「いいや、あっしはそんなつもりなど、これっぽっちも。さっきだって、お返しに上がろうと、戻ってきたんですよ。ほんとでさあ」

「あのう、いったいなんのお話ですか?」わたしは当惑した。

「いえね、寝室の方の窓が開いてるな、そう思いやして。ちょいと手を差し入れてみたんでさ。するってえと、指先に触れるもんがあるじゃねえですか。てっきり、金目のものだと」

「いいから、とっととお返しするんだ、この盗人めがっ」

 警官に怒鳴られ、びくんと身を縮こませた男は、懐からピンク色をしたこぶし大のものを取り出して、差し出す。

 トクン、トクンと震える、わたしのハートだった。

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