極楽生活
蓮の葉の上に座り続け、早56億7千万飛んで17年4ヶ月。さすがに退屈してきた。そう、ここは極楽。死んだ時に、「極楽か、地獄か、さあどっちにする?」と尋ねられ、当然のことながら、極楽を選んだのだった。
「志茂田、志茂田。『オズの魔法使い』、また聞かせて」隣の蓮であぐらをかいて座る志茂田ともるを、横肘でつつく。
「またですか、むぅにぃ君。もう、これで23万回目ですよ。話す方としても、そろそろ飽きてきましたよ」結跏趺坐を崩さず、うんざりしたように言う。
「じゃあさ、『トムは真夜中の庭で』。これって、まだ10万回も朗読してないでしょ?」わたしせがんだ。
志茂田の記憶力はたいしたもので、数え切れないほどの本を空で覚えているのだ。ここ極楽は娯楽が少ない上、永遠は途方もなく長い。刺激でもなければ、やっていられなかった。
「たまには、わたしの好きな本を選ばせてもらいますよ。『ファンタステス』など、どうでしょう。かのトールキンにも影響を与えた、ジョージ・マクドナルドの名作ですよ」志茂田が提案する。
古くさい幻想文学かぁ。もっとも、何十億年も経った今では、ラノベだろうが古典だろうが、たいした違いはないのだけれど。
「それ、今回初めて聞くよね。なんだか難しそうだけど、適当に噛み砕いて話してくれる?」
「難解なんてことはありませんよ。ただ、心のままに感じればいいのです」志茂田はそう言うと、軽く咳払いをし、語り始めた。「『その朝も、いつも意識のめぐり帰るのに伴う、心の戸惑いを覚えてわたしは目を醒ましたのだった……』」
主人公の青年、アノドスが、不思議な導きによって妖精の国へと旅立っていく。そこで様々な経験を重ね、さらなる探求をする、そんな筋書き……だったらしい。
「どうでした? きらびやかで幽玄、めくるめくよう夢幻のほとばしりを覚えたでしょう?」すっかり話し終わると、志茂田は意見を求めてきた。
「えーと、今回が初めてだったせいか、まだちょっとわかってないって言うか、なんて言うか……」
「長編ですからね。まあ、いいでしょう。永遠はこの先もまだまだ、ずっと続くのです。何度でもお聞かせして差し上げますよ」
あと何回聞けば飲み込めるだろうか、と少し憂うつになる。
「それにしても、よくそれだけの内容が頭に入ってるよね。物覚えがいいって、うらやましいなぁ」わたしは横目で志茂田を見た。
「もともと本が好きでしたからね。夢中になって読むので、一言一句、焼き付いてしまうのでしょう」なんでもないことのように答える。
「生きている間に、何冊くらい読んだ?」
「そうですねえ。すぐに思い浮かぶだけで、60万冊ばかり。もちろん、その中には、何度も読み返したものもありますが」
「すごーい。しかも、それ、丸ごとみんな暗記してるんだよね?」わたしは感心した。
「ええ、そうです。われながら、よく読んだと思いますよ」
「そんだけあれば、しばらくは楽しめるなぁ。極楽って、ほんと、なんの面白味もないんだから」
けれど、志茂田はつまらなそうに首を振る。
「いえいえ、いくらたくさん覚えているからと言って、何度も聞いていれば、あなただって、きっとそのうち飽きてきますよ。わたしたちはいつまでも蓮の葉に座っているだけですが、何しろ、知識の方は有限のままなんですからねえ」
そうかもしれない。「オズの魔法使い」は生前、もっとも好きな物語だったけれど、さすがに23万回も聞けば、そろそろ……。
「いっそ、志茂田が物語を作ればいいじゃん。創作は無限でしょ?」そう持ちかけた。
「それこそ無理な話です」と志茂田。「確かに物覚えはいい方ですが、あいにく、想像力というものを持ち合わせていないものでして」
天は二物を与えず、か。
「ねえ、志茂田。もしも、その60万冊すら聞き飽きて、ただじっと座っているのにもうんざりしてきたらどうしよう」
「怖いことを言わないで下さい、むぅにぃ君」げんなりした声で志茂田が言う。「ですが、いずれはそうなるのでしょうね。まあ、それでも座り続けるより、ほかはないでしょう。仕方ありません」
「あーあ、こんなことなら地獄に行けばよかったなぁ」わたしはため息をついた。
「地獄ですか。そう言えば、桑田君はあちらへ落とされたのでしたっけねえ」
桑田孝夫は、生前の行いに問題があったとかで、選択の余地なくして、地獄行きとなった。
「いいなー、地獄。少なくとも、退屈をする暇はないよね」
「そりゃあ、もう! 八熱地獄に八寒地獄、大小合わせれば136もの地獄があるそうですよ。桑田君も、今頃は地獄ツアーを満喫している最中でしょう」
「あのとき、二者択一だったから、つい選んじゃったけど、今から契約変更ってわけにはいかないのかなぁ」
「そんなことは叶いませんよ。これは世の始まりから決まっていることなのですからね」
その時、すぐそばに座る誰かが、小声で注意を促す。
「しぃっ、阿弥陀仏が来ますよっ!」
志茂田とわたしは、慌てて口をつぐんだ。薄目を開けたまま、じっと正面を見据える。極楽では、誰もが結跏趺坐、まぶたは半開きでなければならなかった。
のっし、のっし、と背後から足音が聞こえてくる。わたしの、ちょうどすぐ傍らで立ち止まると、「天上の声」を響かせた。
「誰ですか、今、おしゃべりなどしていたのは? 極楽では私語は慎んで下さいね。ほかの方の迷惑になりますから」
それだけ告げると、また、のっし、のっしと歩いて去って行く。
遙か彼方まで整然と並ぶ、膨大な数の蓮の葉、その上に静かに座する人々。阿弥陀如来は、その間を縫うようにして遠ざかっていき、ついには地平線から姿を消す。
ふうっ、とわたしは緊張を解いた。
「阿弥陀様、また、いちだんと太ったんじゃない?」わたしはささやく。
「ええ、わたしもそう思いました。近くを通ると、蓮の葉っぱごと、みしみしとたわむのです。そのうち、底が抜けてしまわないかと、心配になりますよ」
いっそ、底が抜けて、また地上からやり直しになればいいのにな。
わたしはそんなことを思うのだった。