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山の中の居酒屋

 田舎家ふうの居酒屋で、独り酒を飲んでいた。土間を改築したような作りで、4人掛けのテーブルが10席ほど置かれている。

 わたしは壁際の、1番隅っこに座っていた。客はほかに数人ばかり。ほとんど話し声もなく、それぞれ、ちびりちびりとやっている。

 ガラリ、と戸が開いて、新しく客が入ってきた。のれんの間から外が覗く。真っ暗だ。夕方だと思っていたのに、もうそんな時間になっていた。

「らっしゃい……」店の主人がぼそっと、つぶやくように声をかける。

 客は、わたしのすぐ隣のテーブルにやって来ると、上着を脱いで、椅子の背もたれに引っかけた。横目でちらっと見ると、今どき珍しい、藁で編んだ蓑だった。

「ふうっ、さすがに冷える、冷える」そう言って、両手をもみほぐす。その顔を見て、びっくりした。「原色妖怪大図鑑」に載っていた、「油すまし」だったからである。


 わたしがあんまりジロジロと見るものだから、ついに油すましもこちらに気がついた。

「わしの顔に何かついてますかな?」特大のスイカそっくりな、緑色の顔をこちらに向ける。

 不作法を思い出し、あわてて詫びた。

「す、すいません。実物の油すましなんて、初めて見るものですから」

「わしの方は、よく人間を見るがのう」腫れぼったい目を、ますます細めて言い返す。

「わりと、人里へは下りてらっしゃるんですか?」ついでに聞いてみた。

「まあね。お前さん、この辺りじゃないな? よそから来なすったんだろう? 土地のもんなら、わしなんぞ面白くもおかしくもないだろうからのう」


「ええ、旅の途中なんです」わたしは思い出し、思い出し語る。「房総半島経由で能登を目指してて、日に1本のバスを逃してしまい、ここで一夜を明かそうかと」

「ほうほう、房総半島を回ってから石川へとな。そりゃあまた、ずいぶんと遠回りなこって。で、お前さん。ここがどこだかわかってなさるか?」

「そう言えば、ここはどこでしたっけ?」反対に、わたしが尋ねた。

「ほら、ごらん。そんなあてずっぽに歩いてちゃ、こんがらがるばっかりだ。ここは、紀伊の国の山ん中じゃないか」

「紀伊の国と言うと、和歌山県?」

「そうだとも、そうだとも。それにしたって、よくもまあ、器用に道を間違えるものだねえ」妖怪にすら呆れられてしまう。

「じゃあ、能登行きのバスは来そうにありませんね。明日、朝1番で乗るつもりだったんですが……」わたしは困った。


「2、3日、残るわけにはいかないかね? 今は大陸に出かけてしまっていていないのだが、その頃には、おぼろ車めが戻ってくる。あやつに乗っけてってもらえばいい」

「それ、いいですね。もう、自分1人では無事にたどり着ける気がしないんです」わたしは白状する。われながら、ここまで方向音痴だとは思わなかった。

「そんじゃまあ、それまでの間、仲良くやろうなあ」油すましが手を差し出すので、わたしは握り返す。「おーい、おやじ。わしとこの客人に『妖気ブラン』をくれっかい」

「へーい……」ひどく辛気くさい返事が戻る。

 ほどなく、グラスに注がれた緑色をした酒が運ばれてきた。相当に度数が高いらしく、ぐつぐつと泡立っている。

「出会いを祝して、乾杯っ」油すましはグラスを掲げた。

「かんぱーいっ」わたしもグラスを持ち上げ、相手のそれにカチン、と当てる。


 油すましは、グラスを傾けると、一気に飲み干した。

「プハーッ、舌がしびれるっ、焼け焦げるぅ!」腹の底から呻き声を響かせ、タンッ、とグラスを置く。

 その様子を見て、わたしは口をつけるのが恐ろしくなる。けれど、もがき苦しんでいるわけではなく、心からうまいと賞嘆しているにすぎないのだった。

 おっかなびっくり、口をつけてみる。強い香りの割りには、さっぱりとしている。舌の上で、パチパチとはぜるような感触があったが、ごくかすかなものだ。焼け焦げる、などと大げさなものでは決してない。

「なんだか、オレンジのような味」わたしはつぶやいた。さらに一口、二口と喉を潤す。あんまり飲みやすいので、残りをごくごくと流し込んでしまったほどだ。

「うまいだろう? この店でしか飲めないんだぞ」油すましは、まるで自分で醸造したように言う。


「こんなにおいしいんだから、全国的に売り出せばいいのに」グラスの底でわずかばかり残った妖気ブランを、わたしは名残惜しそうに見つめた。

「なんせ、作れるのはここのおやじだけだからなあ。それに、1本ずつの手作りなんだ。たくさんは無理だのう」

「もしかして、店主も妖怪だったりするんですか?」わたしは聞いてみた。

「うん? ああ、そうとも。やつはぬらりひょんだがな」

「へー、ぬらりひょんって、あんな姿をしてたんだ……」テーブル越しに眺める。どこにでもいる、初老の紳士といった様子である。町中でばったり出くわしたとしても、きっと気付かずに行き過ぎてしまう。

「以前は、海辺の掘っ立て小屋で暮らしてたんだそうだが、何年か前にこの山へやって来てなあ。以来、居酒屋を営んでおるのよ」

「この店、なかなかいい雰囲気ですよね。いつか、また来てみたいです」

 それを聞き、クックッと忍び笑いをする。

「そいつはどうかな。お前さん、おっそろしくうつけもんじゃないか。もし来よう言うのなら、いっさい考えたりせずに向かうとよかろ。かえって、早道になるだろうて」


 そうかもしれない、と自分でも思う。そもそも、探して来られるような場所ですらないのだろう。

 いつの間にか、客が増えてきていた。空いていたテーブルも、1つ、また1つと埋まっていき、しまいには「すいません、相席で願います……」とすまなそうに断る、ぬらりひょんの声が聞こえてくる。

「どれ、わしはお前さんの席に移らせてもらうとしよう」油すましは、グラスと、イスに掛けてあった蓑を持って、わたしのテーブルへ来た。

「この時間、いつもこんなに混むんですか?」

「おう、混むぞ。まだまだ、やって来る。山じゃ、ここ1軒きりしかないからなあ」

 人も入ってくるが、たんころりんや一つ目坊など、妖怪も多い。相席で向かい合って、仲良く杯を酌み交わしたり、巷の話題で盛り上がっていた。

「ほんと、いい店ですね。やっぱ、いつかまた来たいなぁ」

 酔い加減も心地よく、わたしはしみじみと言った。

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