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動物園に通う

 出かけようとすると、ネコが尻尾を勢いよく振って、ついてくる。

「ダメだってば、カミーミィ。外は雨が降ってるし、お前だって濡れたくないでしょ?」屈んで、カミーミィの頭をなでてやった。右耳は折れ曲がり、尻尾なんか、先っぽが焦げて短かくなってしまっている。

「今度、晴れた日に表へ連れて行ってあげるから。風が吹いただけでも大変なんだし、今日はうちで留守番しててね」

 聞き分けのいいカミーミィは、ちょこんと座り込むと、わたしを見上げた。色マジックで描かれただけの青い目が、淋しそうに訴える。

 カミーミィは、ペーパークラフトのネコである。薄いグレーのボール紙は、簡単な防水処理を施してあったけれど、雨に当たり続ければ、ぐっしょりと濡れそぼってしまうだろう。

 カリカリこそ見向きもしないが、糊は大好物だ。とりわけ、トウモロコシのデンプンを使ったものには目がない。

 寂しがり屋で、夜、人が寝る時間になると、ベッドへやって来た。布団の上で丸くなるのだが、その際、いつも頭を右側に潜り込ませる。耳の折り目は、そのせいだった。


「じゃあね、行ってくるよ。いい子にして待ってたら、文房具屋に寄って、おいしい糊を買ってきてあげるからね」傘立てから1本取ると、足拭きマットの上のカミーミィに見送られながら、玄関を出る。冷たい雨がしとしとと降り続いていた。

 わたしは傘を開いて、駅までの道を歩き出す。

 向かうのは、電車で2駅行ったところにある動物園だ。小さいけれど、キリン、ゾウ、ライオン、トラ、サイ、数多くがいた。

 残念ながら、先月いっぱいで閉園となってしまった。動物達はあらかた引き取られていき、今はただ、空っぽの檻が整然と並んでいるばかり。

 駅を下りると、商店街の中ほどにある文具店へ足を向ける。戸口に、畳んだ傘を立てかけて中へ入った。

「こんにちは、チューブ入り糊下さい」

「あ、はいはい。今日も動物園かい?」おじさんがサンダルを突っ掛けて、奥の部屋から出てくる。


「はい、残った動物達が気になって」

「そうだねえ、早く引き取り手が現れるといいんだけどなあ。糊、いくつ持っていくかね?」おじさんが棚を覗きながら聞く。

「5個、お願いします」わたしは答えた。「小さい動物はみんな、もらい手がついたんです。でも、大きいのは……」

「ああ、ゾウとかキリンだね。大きいのはなあ、確かに難しいだろうな。ほかの動物園へ連れてくってわけにもいかんだろうし」

 おじさんは、ビニール袋に、ひぃ、ふぅ、みぃ、よ、いつつ、と数えて、よこす。わたしはそれを受け取り、代金を払った。

「よその動物園なんて、ダメですよ。ここの動物達って、みんなひどく繊細なんですから」わたしは言う。

「まったくなあ。ともかく、待つよりほかはないね。土地や建物を人手に渡すと言ったって、動物が全部いなくなるまでは、どうにもならんのだから」

「ええ、その通りです」わたしはうなずく。


 糊の入った袋をぶら下げ、商店街をとぼとぼと行く。ここから、ほんの10分ほど歩いた先に動物園はあった。

 門にはまだ、「ペーパークラフト動物園」の看板が掛かったまま。入り口の券売所はとっくに無人となっていて、出入りも自由だった。

 かつて、平日でもけっこうな賑わいを見せていたこの出入り口を、わたしはしんみりと通り抜ける。

 門をくぐった先は、アーケードのようにすっかり屋根で覆われていた。もう傘を差す必要がないので、閉じて柄の部分を腕に引っかける。

 入ってすぐの檻では、ゾウが退屈そうに鼻を揺らしていた。本物のインドゾウそっくりだが、すべて段ボール製である。もっとも、大きすぎて紙が足りず、つぎはぎにして組み立てられていた。

「ダンボー、やっぱり、お前はまだ残ってたんだ。うちの庭が広かったら、すぐにでも連れて帰るんだけどなぁ」わたしは檻の中に手を入れて、縮緬に織られた鼻をさすってやる。


「おや、来てたのかね」背後から声がかかった。園長だ。スタッフはもう、彼1人しか残ってはいない。

「こんにちは。あの、これ動物達のおやつに」買ってきた糊を、袋ごと渡す。

「いつもありがとうね。そうそう、朗報があるんだ。ジャイアントパンダのペーペーとパーパーがもらわれていったよ」園長が嬉しそうに報告をする。

「そうなんですか、それはよかった!」わたしは手を叩いて喜んだ。

 営業中は大変な人気だったが、いざ譲るとなっても、なかなかもらい手がつかなかったのだ。ただでさえ図体が大きいところへ持ってきて、2頭同時に、という条件が、受け入れをますます困難なものにしていた。

「あとはダンボーと、キリンのパピルスだけかぁ」

「この2頭はとりわけでっかいからなあ。こんなことなら、もっと小さくこさえてやればよかったよ」園長はため息をつく。

 

 本音を言えば、動物園を続けて欲しい。けれど、それを園長に言うことはできなかった。

 先だって、この園で火事があったのだ。観客による、火の不始末と思われる。そこかしこに貼られている、「禁煙」の表示を無視して喫煙し、そのあげくの投げ捨てらしい。

 火は一部の動物舎で燃え広がり、悲しいことに、ヤギとヒツジ、それからワラビーが燃えかすとなった。

 園内を自由に跳ね回っていたネコのカミーミィは、この時のとばっちりで火の粉を浴び、尻尾の先が焼けてしまったのである。

 園長の嘆きようといったらなかった。

「わしはもう、2度とペーパークラフトを作らん。この動物園も、本日限りで閉めてしまおう。残された動物達は、誰か親切な者に預けることにする」


 火事の知らせを聞いて駆けつけた時には、リスやモルモットなど、小さな動物達がすでにもらわれたあとだった。

 茂みの陰で、怯えたような目をして震えるカミーミィを見つけ、わたしは思わず拾い上げた。

「かわいそうに、怖い目にあったね。でも、もう大丈夫だから。うちにおいで。ね、一緒に暮らそう?」

 まだ焦げ臭い尻尾を振って、カミーミィは声もなくごろごろと鳴いた。

「ダンボーとパピルス、きっと、引き取り手が見つかりますよね」単なる願望かもしれない。けれど、そう言わずにはいられなかった。

「ああ、そう信じて待とう。いい主に巡り会えるよう、祈ろう」 

 園長は寂しく微笑むのだった。

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