表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/234

毛布に飲まれる

 明け方、寝返りを打ったわたしは、パジャマ姿で毛布の海原に投げ出されてしまった。

「あっぷ、あっぷ」危うく溺れかける。「あー、またやっちゃった。どうして、こう寝相が悪いんだろう」

 ポリエステル100パーセントの波間でもがきながら、わたしは周りを見渡した。すぐ近くを、愛用の低反発枕がプカプカと流れてくる。

「しめた、これにつかまろう」枕にしがみついて一息をつく。

 さあて、これからどうしたものか。


 以前にも溺れたことがある。あの時は夏の暑い盛りだったので、タオルケット1枚しか掛けていなかった。それが幸いして、しばらく漂っているうちに、すぐ岸へと上がることができたのだ。

 けれど、毛布ともなれば話は別だった。実際、こうして低反発枕をビート板にして泳いではいるものの、どこまで行っても島影すら見えない。

「せめて、船でも通りかかってくれればなぁ」わたしは途方に暮れた。立毛の波を振り返ってみる。ベージュの海に、ピンク色をしたバラの珊瑚礁が透けて見えた。

「あのバラは毛布の真ん中に描かれた模様か。すると、ここは大洋のまっただ中ということになるんだなぁ」どっちへ向かって進んでも変わりない、つまりはそういうことだった。

 そもそも、方角の見当がまるで付かない。何しろ、この海には昼も夜もないのだ。あるのは、重く覆いかぶさる掛け布団の空ばかり。


「当てずっぽうだけど、右の方へ行ってみよう」小島でも見つかればラッキー、それくらいの期待でバタ足を始める。

 ホコリを立てながらしばらく行くと、背後に気配を感じた。嫌な予感がして、そおっと振り返る。

 三角形をした水色の背ビレが、毛布面からぬっと突き出ていた。

「で、出たーっ、フカだっ!」フカは、毛布をかき分けながら、ぐんぐんと迫ってくる。

 わたしはバタ足に加えて、両手も駆使し、全速前進で逃げた。けれど、相手は海の生き物。泳ぐことが専門だ。見る見る距離を縮められ、あっという間に追いつかれてしまった。

「もうダメッ!」フカはベージュのしぶきを上げ、全身を表す。パックリと開けた真っ赤な口は樽でも一飲みできそうなほど。並んだギザギザの歯は、まるでノコギリそっくりだった。


 ガブリッ、とわたしはひと飲みにされてしまう。

 ところが、

「あれ? ぜんぜん、痛くない……」手で回りを触ってみると、キルティングの感触がする。「なにこれ、ふかふかのフカだ。恐ろしげに見える歯だって、ただのフェルトの詰め物じゃん」

 もしかして、これって「フカフカ・ツナギ」じゃないだろうか。前にビンゴで当てた、サメの着ぐるみだ。要らないって言うのに、半ば無理やりに押しつけられたのだ。

 確か、タンスの引き出しの、1番奥にしまい込んだはず。それが、なぜ毛布の海なんかに。

「あ、そう言えば、夕べ寒かったもんだから、引っぱり出したんだった。寝る前に、ベッドの上に脱ぎっぱなしだったか」やっと思い出した。


 相手が着ぐるみだとわかれば、もう怖がる必要などない。わたしはフカの口を楽々とこじ開け、外に飛び出す。

「やいっ、フカフカ・ツナギ。今度噛みついてきたら、中綿を残らず引っぱり出してやるからなっ」わたしはフカに向かって脅しをかけた。

 文字通り歯が立たないことにまず驚き、わたしの恫喝で畏れをなして泳ぎ去って行った。

「ふう、やれやれ。どうなることかと思っちゃった」わたしは再び枕にもたれかかる。

 ホッとしたのも束の間、掛け布団の空の雲行きが怪しくなってきた。

「こりゃあ、荒れるなぁ……」暗澹とした気持ちになる。

 クジ運は悪いクセに、こういう時の勘だけはよく当たる。次第に波がうねり始め、とうとう大嵐となって襲ってきた。


 わたしと低反発枕は、それこそ木の葉のように揺すぶられ、回転させられ、高く持ち上がったと思うと、そのまま真っ逆さまに落とされた。

「ひーっ、助けてーっ! これなら、富士急ハイランドの『高飛車』のほうが、ずっとマシだよーっ!」恥も外聞もなく叫び続ける。

 荒れ狂うこの海域は、もとはと言えばわたしに原因があった。寝ている間に暑くなって、毛布も掛け布団も蹴っ飛ばしたに違いない。そのあげくの大しけ、というわけである。

 わたしは夢中になって枕にしがみついた。ここで手を放したりすれば、毛布の底へと引きずり込まれてしまう。

 それこそ、毛布の海の糸くずになるのだ。 

 

 どれ位の時が経っただろうか。ぎゅっとつぶっていた目を開ける。耳もとでごうごうと鳴っていた波のうねりは消えていた。毛布は、ベッド・メイキングしたてのように平らで、しわ1つない。

「静かだ……静かすぎる」かえって、不安になる。

 いつだったか、聞いたことがあった。

 海の果てには、それはそれは深い断崖があって……。

「まさか、これって!」わたしは大慌てで、反対方向へと舵を切る。けれど、急な流れがそれを阻んだ。

 毛布、掛け布団ともども、わたしはベッドの縁から落ちていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ