洞窟の冒険・後
カエルの騎士は、コンニャクのように体をプルプルとさせていた。
「あのう……もしかして、震えてる?」わたしは聞く。
「あったりまえじゃないの。さっきからずっと、水の中で息を止めて待ってたんだから。ううっ、寒い! あんたってば、来るの遅すぎっ」はてな、どこかで聞いたような声だぞ。
フードの中でカサカサという音がした。何かが這い上がってきて、肩の上に乗る。
「お前、もしかして中谷じゃねえ?」わたしの耳元でキンキン声が言った。思わず目をやると、1匹の大きなゴキブリがたかっている。
「ひいっ!」とっさに手で払ってしまった。そうしてしまってから、ゴキブリの正体が桑田だということを思い出す。
憐れなゴキブリは、カエルの騎士に向かって飛んでいき、顔の真ん中にペッタリと貼り付いた。
「あらっ、おいしそう!」カエルは、大きな平たい舌をペロンと出すと、あっという間にゴキブリを絡め取ってしまった。
「ダメッ! それ、元人間なんだよっ」わたしは慌てて叫ぶ。
カエルの騎士は閉じた口をもごもごとさせながらも、器用に答えた。
「それはいい人間? それとも悪人?」
「えーと、少なくとも悪い人じゃないと思う」考え、考え、そう言う。
「それじゃ、しょうがない」そう言うと、桑田をペッと吐き出した。「あたしはこれでも、正義の剣士だからね。で、あんたが悪玉のボスだっけ?」
「違う、違うっ」わたしは急いで否定する。今にも斬り付けてきそうな勢いだった。
「待て待てっ、待てってば」地べたでひっくり返っていた桑田が、もがき起き上がって言う。「こいつはむぅにぃだっつうの。それに、お前は中谷なんだろ? おれの触角がそう感じてるんだ」
「えっ、中谷なの?」わたしは相手をまじまじと見つめる。顔の両側に突き出た目玉など、言われてみればどことなく面影があった。
「中谷……中谷……」カエルは首を傾げて考え始める。「うんうん、確かに聞き覚えがある。もしかして、中谷に続いて美枝子って名前だったりする?」
「ああ、やっぱり中谷だ。いったい、どうしてカエルなんかやってるのさ」
「どうしてって――。そうだ、思い出した。よそ見して歩いていて、ドブに足を取られて落ちたんだ。そのまま流されちゃって……。あたし、今カエルのかっこうしてるって、それほんと?」
「これ以上ねえくらい、カエルそのものだぞ」桑田はきっぱりと言った。
「そのゴキブリって、ひょっとして桑田? 話し方がそんなふうだけど」
「うん、そう。桑田もさぁ、気がついたらゴキブリになってたんだって」わたしが代わりに答える。
「いったい、どうなっちゃってるわけ?」敵ではないと知り、剣を鞘に収める。「あたしのカエルとしての勘では、このずっと奥に悪の化身がいるってことになってるの。そいつを叩き切るのが自分の使命、さっきまではそう信じ込んでいたわけ」
「その勘は、たぶん間違いねえな。なぜって、おれの触角もそう言ってやがるんだ」桑田は2本の触角を、ピーンと伸ばした。
わたしだけが、どうも釈然としないままだった。別段、姿が変わったわけでもない。ただ、着ているものが入れ替わったに過ぎないのだ。
「このローブ、何か意味があると思う?」わたしは2人に聞いてみる。
「だせえ服だな」と桑田。
「胸に、何か模様みたいなのがあるよね。それって、王国の紋章みたい。ほら、ゲームとかであるじゃない。ああいうの」中谷も、そこまでしかわからなかった。
桑田は、先へ進まなくてはいけない気がする、と言っていた。中谷も、その奥にはボスがいて、それを倒しに行くという。
わたしとしても、後戻りができない以上、進むよりほかはなかった。
「どうやら、目的地は一緒みたい」わたしは立ち上がる。
「そうね。たぶん、そのボスが色々と知ってるはず。きっと、あたしや桑田に変身の呪文をかけたのもそいつだよ。ぶちのめして、元の姿を取り戻してやるっ」中谷は剣の柄に手をかけて誓った。
「まずは、そこまで行き着かなきゃな」桑田は中谷の方へ触角を向けると、「道中、おれを乗せてってもらねえかな。今の中谷は、ゴキブリを怖がっちゃいねえみたいだしよ」
「いいよ、肩まで飛んできなさいよ。あんまり、目の端で動き回ったりしないでね。カエルになって初めてわかったんだけど、なんであれ、動くものって、つい食べたくなっちゃうんだ」
「おう、覚えとくとするよ……」さっき食べられそうになったことを思い出したのか、ブルッと触角を震わす。
カエルの騎士、その肩にたかったゴキブリ、そして怪しげなローブを身にまとったわたしの3人は、薄暗く、曲がりくねった洞窟の中を先へ先へと進んだ。
常に1本道とは限らず、穴が3つに分かれている箇所すらあった。
「どっちへ行ったらいいんだろう」中谷が困り果てていると、
「おれに任せろ」桑田が肩の上から自信満々に言う。
触角がピクピクと揺れ、右端の穴を指してピタッと止まった。
「こっちだ。間違いねえ」
「すごい性能だね。まるで、GPSみたい」わたしは感心する。
「ほんと、人間だった時より、ずっと役に立ってるね」中谷は、皮肉などではなく、本心からそうほめた。
「いっそ、ゴキブリのままでもいいかもな」それが本心なのか、自嘲なのか、黒光りしたその姿からでは読み取れない。
急に開けた場所へ出た。
「こういうところは、『東京ドームの何倍』、なんて言って例えるんだよね」わたしは言った。「これって、何倍くらいあると思う? 倍くらいはありそうだけど」
「そうねえ、ぱっと見でいいなら言うけど、5倍くらいかな」と中谷。
「いやいや、10倍はあるんじゃねえのか? もっとも、今のおれにとっちゃ、なんだって割り増しに見えるけどな」
すると、奥の方から声がする。
「どなたも不正解ですよ、残念ながら」
目を凝らすと、突き当たりの壁際に、鍾乳石を削って作ったらしい玉座が置かれている。だらしなく掛けているのは、頭でっかちで手足がひょろ長い、タコにそっくりな生き物だった。
「ふっふっふ。この洞窟はですね、大きく見えて、実はさほどでもないのですよ。東京ドームと比べても、その半分とありませんねえ。倍? 5倍? いや、10倍だなどとのたまう愚か者もいましたっけ」
「お前がこの洞窟のボスかっ!」中谷は素早く剣を引き抜く。
「ええ、まあ、そういうことになっています」タコのお化けが小ばかにしたような口調で答えた。
「お前を倒せば、おれや中谷が人間の姿に戻れるんだな?」中谷の肩の上で、桑田がきいきい声を上げる。
「ご名答。それがこの洞窟のルールなのですから」タコは立ち上がり、わたし達3人を順繰りと眺めていった。まるで、品定めでもするかのように。
「わたしの名前は酢ダコ魔人。おせちの食べ残しより生まれた、悪夢の権化。ドブにはまったカエルの剣士、散らかり放題の部屋から湧いたゴキブリ、それにファッション・センス最悪の魔導師のみなさん。さあ、どこからでもかかっていらっしゃい。まとめて、お相手して差し上げましょう!」
ふいに、この魔人は旧友の志茂田ともるその人ではないか、という思いが浮かんだ。けれど、今は深く考えている暇などなかった。
「行くぞーっ!」勇ましく突進していくカエルの騎士、羽音を立てて飛んでいくゴキブリ。
わたしは2人に続くべく、一生懸命、呪文を思い出そうとしていた。




