翼のある仔ウマ
もう間もなく冬がやって来るというのに、そこはまるで初夏の草原だった。
牧場には、翼を持った白い仔ウマが何十頭も群れている。草を食んだり、無邪気に追いかけっこをしていた。
柵の外で、牧場主がメガホン片手に説明を始める。
「では、これから1人、1頭ずつ、馴らしていただきます。よーく選んで、自分に合った相手を見つけて下さい。いいですか、1度組んだ相手が、生涯のペアとなります。慎重に、慎重に」
柵のかんぬきが外され、わたし達は牧場の中へとなだれ込む。
「おれ、コイツに決めた」1人が仔ウマの首筋をなでながら言った。仔ウマの方も不満はないらしく、鼻を擦りつけてくる。「よしよし、いい子だ。じゃあ、行くか」
仔ウマに跨がると、そのままフワッと宙を舞う。小さな体のクセして、思いのほか力がある。大人が背に乗っても、まったく応えないらしい。
あっちでもこっちでも、次々とペアができていた。お互い、ウマが合うとわかれば、すぐさま一体となって、空の彼方へと飛んでいく。
気がつけば、仔ウマは残り少なくなっていた。
「そうだ、早く自分のウマを見つけなくちゃ」わたしは1頭、1頭、触れて回る。どの仔ウマも素直で大人しかったけれど、「わたしの仔ウマ」ではない、と思った。
そうしている間にも、さらに仔ウマは減っていく。人も仔ウマも、どんどん飛んでいってしまった。
わたしは内心、焦り始める。このまま、どの仔ウマとも出会えずに終わってしまうのではないか、と。
残りが数えるほどになったところで、牧場の隅っこに佇む1頭を見つけた。
他の仔ウマが混じりっけのない純白な毛並みであるのに対し、その仔ウマだけは灰色のぶちだった。率直な感想を述べれば、決して見栄えはよくない。
それなのになぜだろう、それこそが求めていた「わたしの仔ウマ」だと気づいたのだ。
「やあ」初めてかけた言葉にしては、素っ気もない。われながら、そう思った。けれど、仔ウマにはそれで十分通じたようだ。
鼻を鳴らして、頭を低く下げる。なでてくれ、とでも言うように。
もちろん、わたしはなでた。優しく、何度も。
膝をついて、その首にすがると、耳もとで尋ねた。
「一緒に飛んでくれる?」
仔ウマは、背中の翼をパタパタと羽ばたかせ、それに答えるのだった。
さっそく、仔ウマの背に跨がってみる。仔ウマは、力強く助走を付け、翼を広げる。
脚が地を離れた、と思う間もなく、すとん、と落ちてしまう。何度、試しても同じ事だった。
「どうしたんだろう。君、もしかして飛べないの?」わたしは聞いてみる。
仔ウマは、ただ悲しそうに首を振るばかりだった。
わたしの言葉が、仔ウマを傷つけてしまった気がして、かわいそうでたまらなくなる。
「いいじゃん、別に飛べなくたってさ。ウマって、草原を走る生き物でしょ? それこそが本来の姿だもん」
仔ウマは、羽をひくひくと動かす。それじゃ、こんな翼なんて、ただの役立たずじゃないか、そう嘆いているようだった。
そこへ牧場主が近づいてくる。
「おや、どうしました? 何かトラブルでも?」
「あの、この子、飛べないんです。本人は飛びたいらしいんですけど」わたしは訳を話した。
「いやいや、飛べないなんてことはないですよ。翼の生えたウマは必ず飛ぶものです」牧場主はきっぱりと言う。
「それじゃあ、なぜ……」
「きっと、あなたに似て、考えすぎる質なのでしょう。他の兄弟達が本能で飛び方を知っているのに対し、この仔ウマはつい、考えてしまう。だから飛べないのです」
「どうすればいいですか?」
「ちょっと、ささやきかけてみましょうかね」
牧場主は、仔ウマの耳にぼそぼそと言い聞かせる。断片的に聞こえてくるのは、上昇気流だとか、浮力がどうのこうの、連続体力学、という難しそうな単語ばかり。
「さ、もう1度、試してみて下さい」牧場主は自信たっぷりに微笑む。
わたしは仔ウマに、飛ぶよう促した。助走こそ、さっきと変わらなかったが、羽ばたく勢いが違った。何よりも、仔ウマ自身に、飛んでやるぞ、できるんだっ、という意志が感じられる。
次の瞬間、仔ウマはわたしを乗せて舞い上がった。見えない坂道を駆け上るかのように、素早く、そして優雅に。
「いったい、何を聞かせたんですかぁーっ?」地上で見上げる牧場主に叫んだ。
「なーに、航空力学を少しばかりねっ」
そんな返事が戻ってくる。