ファミコンのカセット
大掃除の時に押し入れを整理していたら、ごろごろと出てきたファミコンのカセット。年明け、ゴミの回収が始まったら捨てようと、ビニール袋にまとめてあった。
「明日、不燃ゴミの日だから、出さなくちゃね」袋を、玄関脇へ置きに行こうと立つ。
「ふう……」どこかで溜め息が聞こえた。
「えっ?」辺りを見渡すが、ほかには誰もいない。母は買い物に出かけているし、妹たちは遊びに行ったっきり、戻ってなかった。
気のせいかな、と思い、玄関へ向かう。
するとまた、声がする。
「あーあ、1回くらい、『伝説の剣』をこの手に持ってみたかったなあ」
空耳なんかじゃない。間違いなく聞こえた。
声は、ぶら下げているビニール袋からだった。
わたしはビニール袋を顔に近づけて、じいっと覗き込む。
ファミコンのカセットは、30本ばかり入っていた。外箱のあるもの、むき出しのもの、ごちゃごちゃに放り込んである。
「まさか、カセットがしゃべった?」つい、声に出して言う。本体もないのに、ファミコンのカセットから音が出るはずもない。けれど、確かに声がしたのだ。
「むぅにぃってさあ、いっつも中途半端なんだもん。やんなっちゃう」
少年の声だったが、高域がややこもった、どこか電子的な響きだった。まるで、ファミコンから出る、ゲーム中の音にそっくり。「レベル上げだって、99まであるのにさ、たった18であきらめてやめちゃったよね? おかげで、ラス・ボスどころか、ダンジョンを抜ける前の中ボスにすら勝てなかった。悔しいなあ」
ああ、そう言えば、「ドラゴン・ハンター」というロール・プレイング・ゲーム、途中でやめてしまったっけ。最低でもレベル20まで上げてからじゃないと、あそこのダンジョンは難しかったんだ……。
すると、しゃべっているのは、あの時のキャラなのだろうか? 職業は戦士で、順当に育っていけば、やがてはパラディンへとジョブ・チェンジできるはずだった。名前はえーと、「ビンク」だったかな。
「ねえ、君ってもしかして『ドラゴン・ハンター』の『戦士』の、あのビンクなの?」わたしはビニール袋に話しかけた。
「そうだよ。『半端戦士』のねっ」嫌みったらしく、そんな返事が返ってくる。
「だって、しょうがないじゃん。あのダンジョン、道が込み入ってるんだもん。ちょっと歩くと、すぐに迷子になっちゃって」しかも、強敵が多く出没するので、うろうろしているうちに、体力も回復薬もすぐになくなってしまうのだ。
「道順ぐらい、ちゃんとメモしておくもんだよ、ふつう」ビンクが言う。「それに、ダンジョンはまだ早すぎたんだ。わかるだろ? フィールドで、もっと弱いモンスターと戦って、レベル上げをしておくべきだった。そうすれば、余裕を持って先へ進めたのに」
「レベル上げって、退屈なんだよねぇ。それに、こう言っちゃなんだけど、君って、なかなか次の技を覚えてくれなかったじゃん」
「そりゃあ、高度な技ってものは、簡単じゃないよ。あの時のぼくはレベル18だったけれど、もう1つ上げてもらえれば、『乱れ一文字切り』を繰り出せるようになったんだ」
「乱れ一文字切り」とは、戦士系キャラのみが使える必殺技で、複数のモンスターを1度に全部、斬り付けることができるのだ。
「えーっ、そうだったの?!」それが本当なら、はやまったことをした。「あの技さえあれば、ダンジョンの奥にいた中ボス『ドラゴン・ゾンビ』とその『手下』どもを相手に、そこそこ戦えたのになぁ」
「飽きっぽいと損をするんだよ。『乱れ一文字切り』は強力さ。けれど、それだけで『ドラゴン・ゾンビ』を倒せたとは思わないな」
「そうかなぁ」わたしは座り込んで、袋の中身を床に空けた。山をかき分け、「ドラゴン・ハンター」と書かれたファミコン・カセットを探し出す。
バッテリー・バックアップ機能付きのソフトで、セーブ・ポイントごとに記録が残せた。最後に保存したのは、地下3階のポイントだったはず。
「そうとも。冒険をしている本人がそう言ってるんだ、間違いないさ。実はね、地下3階の奥まった場所には宝箱が隠されていたんだぞ。そこに何が入っていたと思う?」
「うーん、『復活の種』とか?」死んだ時、1度だけ、自動的にその場で蘇ることができるのだ。
「ブッブー、残念でした。驚くなよ、『アンデッド・バスター』が入ってたんだ。あれさえ、手に入れてたらなあっ!」
「なんだって!」驚くなと釘を刺されていたにもかかわらず、わたしは思わず大声を上げてしまう。悔しいやらがっかりするやら、自分の短気につくづく腹が立った。
「アンデッド・バスター」、それは不死のモンスターに対して、最大級の攻撃力を発揮するブロード・ソードだ。「手下」どころか、親玉の「ドラゴン・ゾンビ」にだって、大ダメージを与える。
「ねっねっ、これから取りに行かない? その剣」わたしはファミコン・カセットを手に、興奮していた。
「でもさ。君、ファミコン、とっくの昔に近所の子供にあげちゃったんじゃなかった?」カセットのラベルに描かれたビンクが、そう言って肩をすくめる。
「あ――」そうだった。新しいゲーム機を買ったので、もう遊ばないから、と何本かのソフトを付けて、気前よく譲ってしまったのだった。
「いっそ、ぼくらごと、みーんなあげちゃえばよかったのに。なんだって残しておいたんだい?」
「それはその……」いつか、また続きをやろう、そんな気持ちがどこかに残っていたのかもしれない。ファミコン本体を処分しておきながら、おかしな理屈だけれど。
結局、それっきり押し入れにしまいっぱなし。あげくに、今日など不燃ゴミとして出してしまおうとしていた。
「あの子のところへ行ってたら、ぼくだってパラディンになってたろうな。そんでもって、『キング・ドラゴン』を退治し、『シルバーランド』の王様になって、ハッピー・エンドを迎えたに違いない」
「そうかもしれないね。ゲーム、好きそうだったもんなぁ」なんだか、申し訳ない気持ちになってくる。「今頃あげるって言ったって、もうあれから何年も経つし、きっと別のゲーム機持ってるだろうね。それとも、ゲームさえ、やってないかも」
「まあ、今さら言ったってしかたがない。過ぎた話さ。さ、明日はゴミ出しの日だろ? さっさっと捨ててしまってくれよ。お互い、そのほうがすっきりするしね」きっぱりとした口調でそう言う。
「なんでさ。せっかく、こっちもやる気になったって言うのに」こうしてビンクと心を交わした今、とてもそんな気持ちになどなれなかった。
「いいんだ」ビンクは少し悲しそうに言う。「ぼくのバッテリーはじきに切れるんだよ。残り時間は、あと10分と言ったところかな。そうなれば、どの道、『ビンク』というデータだって消滅してしまうんだから」
「そんな……」パスワード式と違い、消滅したデータは二度と戻らない。一見便利だけれど、そんな落とし穴があった。
「ほんとはね、パラディンも『伝説の剣』も、どうだってよかったんだ。ちょっとの間だったけれど、一緒に冒険ができたろ? 楽しかったなあ。最初のボス、『グリーン・ドレイク』と戦った時のこと、覚えてるかな。君の選んだコマンド、あれは最高だった」イラストの中のピンクは、つかの間、空を見上げる仕草をした。数少ない、誇らしい場面を思い浮かべているのらしい。
「覚えてる。あれは忘れられないよね」鼻の奥がつーんとしてきた。
森の中の封印を解いたとたん、緑色をした巨大なドラゴンが現れ、襲ってきたのだ。
まだ操作に慣れていないのと、戦術を考えるだけの余裕がなく、かなり苦心した。何度かもうダメだ、そう思った瞬間もある。
最後の最後で、ふと「回り込む」というコマンドにキーを入れたのだ。
〔ビンク は まわりこんだ! グリーン・ドレイクは すきをつかれた!〕
唯一にして、絶好のチャンスだ。わたしは――ビンクは、それを逃さなかった。
〔かいしん の いちげき!〕
見事、グリーン・ドレイクの急所を突き、勝利を手にしたのである。
「本当に最高の瞬間だったね!」思い起こして、わたしの胸は熱くなった。
ビンクは黙ったままである。
「ねえ、ピンクったら。聞いてる?」わたしは、「ドラゴン・ハンター」のカセットを揺すった。「待ってよ、まだ消えないでってば、お願いだからさ。中古でもなんでも、ファミコン買うから。ねっ、そしたら、また一緒に旅ができるじゃん。今度こそ、最後まで行こうよ。だから――」
ファミコンのカセットから、二度と返事はなかった。