富士山にらくがきをする
桑田孝夫がレーザー・ポインタを持って遊びにやって来た。
「見ろよ、むぅにぃ。おやじが会社でプレゼンに使ってるやつ、失敬してきた」
「あっ、それってホワイト・ボードとかを指すやつでしょ?」ボールペンそっくりに見えるが、先端から赤い光線を出して、手の届かない場所を光の点で照らし出す道具だ。
「食らえっ、正義のビームを!」わたしの体に向けて発射させる。
「ちょ、ちょっと! 危ないじゃん。やめなって」
「ばーか、こんなのが当たったって、なんにも感じねえって」そんなに憎まれ口を叩く。
「だけど、目とか当たったら危ないって言うじゃん」以前、そんな事件を聞いたことがあった。
「そりゃあ、もっと強力なやつだろ? これなんか、差し棒の代わりなんだぜ。たいしたこたあねえよ」
「どれ、ちょっと見せて」わたしは桑田からレーザー・ポインタを受け取る。「ほらあ、ここんとこに、『直接覗き込まないでください』ってあるじゃない。やっぱ、危険なんだってば」
ふんっ、と鼻を鳴らすと、わたしから奪い返す。
「じっと見つめてれば、そりゃあ、やばいだろうけどな」つまらなそうに、天井や部屋の隅にレーザーを当てている。当たっているところはポツンと鮮やかに輝いているけれど、光の筋はこれっぽっちも見えない。
「ねえ、桑田。前にテレビで見たのだと、はっきり光線見えてたよ。あれって、これとは別なの?」わたしは聞いた。
「同じだよ。だから、レーザーの強さが違うんだって。すごいのになると、風船が割れたり、紙を燃やしたりできるんだぞ」
「へーっ。それって、まるっきりレーザー光線みたい」
「レーザー光線なんだよっ」あきれたように言い捨てる。
そこへ志茂田ともるがやって来た。
「明けましておめでとうございます、お2人さん。本年もよろしくお願いしますね」
「あ、おめでとう、志茂田。年賀状見たよ。あぶり出しだなんて、今時古風だよね」わたしは言う。裏に何も書いてないので、初め、ちょっとびっくりした。よく見れば、うっすらとミカン汁が浮き出ていたので、ガス台に火をかけて焙ってみる。
すると、文字がくっきりと表れたのだった。
〔明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします〕
まったく同じことを、今、また繰り返して言う。いかにも志茂田らしいな、と思った。
「で、なんの遊びをしていたんですか?」志茂田が聞く。
「桑田がさ、レーザー・ポインタを持ってきたんだ」
「て言っても、めちゃくちゃ弱いやつだけどな」桑田は言った。
「ほほう、ちょっと見せてもらえますか?」志茂田も、案外、こういうアイテムが好きなのだ。「これはクラス1ですね。0.2mW以下の低出力のものです」
「もっと強力だったら面白いんだけどな」と桑田。
「もしよろしければ、少しばかり改良してみたいのですが」志茂田が申し出る。
「えー、危ないよ?」わたしは心配になった。爆発でもしたら大変だ。
「大丈夫ですよ。これでも、わたしは電子工学には詳しいのですから」
「改良すれば、もっとすごくなるのか?」桑田はすっかりその気になっている。
「ええ、もちろんです。単三電池などではなく、家庭用電源を使いましょう。ふふふ、腕が鳴りますねえ」
マッド・サイエンティストのように笑う。もう、止められそうになかった。
「改良」は、ものの数十分で済んだ。壊れて、そのうちに捨てようと思っていたトースターのプラグが伸びている。今まで入っていた単三電池の代わりに、コンセントから電気を取るのだ。
「わたしの計算によれば、100mwは出るはずです。クラス3と言ったところでしょうか」
「よーし、さっそく試してみようぜ」待ちきれない様子で桑田が促す。
「やるんだったら、外に積もってる雪に当ててみるといいよ。壁に焦げ目なんか、つけたくないし」わたしは注意した。
「元のレーザーダイオードが貧弱ですからね、焦げ目なんてとうていできませんが、まあ、そうですね、初めは雪で行きましょうか」
志茂田は窓を開け、一面を白く染める雪にレーザー・ポインタを向ける。手元のボタンを押したとたん、ジュッと音を立てて水蒸気が立ち上った。
「わおっ!」桑田は歓喜の声を上げる。
いっぽうで志茂田は、意外そうに頭をかいた。
「おかしいですね、こんな高出力になるわけがないのに……」一瞬の照射だったにも関わらず、えぐったように雪が溶け、茶色い土が見えていた。
「なな、これ富士山まで届くと思うか?」桑田がとんでもないことを言い出す。
「え? ああ、届くでしょうね、当然」志茂田は答えた。
「おれ、今、すっげえいいこと思いついたんだ」
桑田の「いいこと」は、たいていろくでもないことである。
「ほう、どんなことですか?」
「これで、富士山に絵が描けるんじゃね?」
ほらね。
「ふむふむ、ちょうど正面に富士山が見えますね」志茂田が顔を上げて言う。分別のある志茂田のことだ。きっと、桑田なんかのばかげた意見をたしなめてくれるはず。
ところが、
「面白そうですね。ひとつ、試してみるとしましょうか」
まさかの同意だった。
「じゃあ、おれからな」桑田はそう言うと、富士山にじっと狙いを定めた。「そうだなあ、正月だし、いっちょう縁起物ってことで、ナスでも描くか」
レーザー・ポインタのスイッチを入れると、赤い光線が真っ直ぐ富士山目がけて飛んでいく。
桑田はユラユラと腕を動かし始めた。富士山の山頂付近に、見る見る線が描かれていく。
「意外と器用ですね、桑田君」珍しく、志茂田がほめる。
見ているうち、わたしも自分でやってみたくなってきた。
「富士山にナスときたら、やっぱタカもいなくちゃっ」桑田からレーザー・ポインタを受け取ると、翼を広げて舞う、タカをイメージしてレーザーを滑らせていく。
「まあまあだな」と桑田。
「上出来、上出来」志茂田もそう言ってくれる。
午後、テレビをつけてみると、「元旦のミステリー、富士山に現れた謎の絵文字」そんなタイトルで、ワイドショーの特報をやっていた。
富士山の写真が映し出され、例のナスとタカの線画をめぐって議論している。
「これは自然現象でしょうか?」司会者が首を傾げながら尋ねると、
「いやいや、とんでもない。明らかに意思を持って描かれています」どこかの大学教授がもっともらしく答える。
「では、これらは意味のある文様と言うことになりますね」
「もちろんです。おそらくは、地球外知的生命体、つまりは宇宙人ですな」
わたしはもう少しで吹き出しそうになった。だって、あれは桑田とわたしの描いたものなのだから。
「先生、ズバリ、どんな意味があるとお考えでしょうか?」
「こちらのこれは、ナスですな。間違いない」
「では、もう1つの方は?」
「これがよくわからんのです。どうやら、ヤッコ凧ではないかと」
「凧……ですか? どういうことでしょう?」
「うむ。ナスと言えば、麻婆。けれど、タコとナスのトマト煮も捨てがたい。おそらく、地球を訪れた宇宙人が、どこかでタコとナスのトマト煮を食べたのでしょうな」
「ははあ。すると、その料理を忘れないよう、レシピを富士山に書き記したというわけですね?」
「さよう。惜しむらくは、タコを凧と勘違いしてしまった、とまあ、こんなところでしょう」