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今日はカレーの日

 わたしの住む町では、毎週金曜日が「カレーの日」と決まっていた。夕方になると、どこのお宅でもカレーの下ごしらえが始まる。町中がカレーの匂いでいっぱいになるのだ。

 玄関のチャイムが鳴る。

「よっ、迎えに来たぞ」ドアから顔を覗かせるのは、幼なじみの桑田孝夫だった。

「ちょっと待ってて」わたしは鍋を覗き込み、カレーの出来具合を確かめる。「こんなもんかな。上出来、上出来」

 火を止め、桑田に声をかける。「じゃ、行こうか」

 「カレーあらため役」として、これから3丁目を見回りに行くのだ。桑田とわたしは、今週がその当番だった。


「町民台帳は持ったか?」桑田が聞く。

「持ったよ。このところ、住民の出入りが頻繁だから、覚えてらんないしさぁ」わたしは、台帳の入った手提げを掲げてみせた。「今週は出ないといいね、違反者。あの人達って、どうしてこう、団体行動を乱そうとするんだろ」

「人と違うことをするのが、格好いいと思ってんのかね。それか、単に変わり者か」理解できねえぜ、という口ぶりだ。

「さっさと済ませて、帰りたい。せっかく作ったカレーが冷めちゃうよ」

「おう、早いとこ終わらせようぜ」

 「カレーあらため役」のすることは、いたって簡単だ。受け持ちの区画を1軒、1軒回って、カレーの匂いを嗅いで歩くのだ。今日だけは、台所の窓を少しだけ開けておくことになっている。


 開いている台所の窓に鼻先を突っ込んでは、とにかく、クンクンと嗅ぐ。一口にカレーと言っても、家庭ごとに少しずつ違う。当然、香りにもそれは現れた。

「ここの家は、グリロのだ。クンクン……。中辛だね、これは」わたしは言った。

「こっちのうちは『カレーのおじさま』だな。さすが大人向けだぜ、辛口、いや大辛かな?」

 使っている具材も、だいたい見当が付く。牛肉が定番だが、豚肉を使っているところも少なくはない。ニンジンはどこの家でもまず、確実に入っているけれど、ジャガイモは半々といったところ。


「ジャガイモはいいと思うけど、ニンジンは要らないよねえ」わたしは顔をしかめながら同意を求めた。

「ばか言え、ニンジンの入ってないカレーなんか食えるか。それよか、ジャガイモってなんだ、そりゃ。オレに言わせりゃ、邪道だな」

「えーっ」ちょっとムキになる。

「なんだよっ」桑田も口を尖らせた。

「あー、こんなことしてる場合じゃなかった。仕事、仕事」

「おっと、そうだったな」お互い、ハッとわれに返る。食べ物の趣味は、どうしたって平行線になりがちである。


 とあるアパートの前に来たとき、緊張が走った。

「ねね、桑田。この部屋、台所の窓、閉めっきりだよ」わたしは指摘する。

「うん、クセえな。まさか、違反者か?」桑田が色めき立つ。

「臭いって――閉まってるから、わからないんだってば」

「ばか、怪しいって言ってんだ。よし、むぅにぃ。お前、ノックしてみろ」

「えーっ」なんでわたしが。自分でやればいいじゃん。けれど、逆らうのも面倒なので、言われた通り、ドアを叩く。

 奥から、「はーい」と声がした。

「こんばんは、今週の『カレーあらため役』ですけど」わたしはドア越しに声をかける。

 ドアが開いて、中から学生らしい青年が現れた。

 クンクン! 桑田とわたしは、すぐさま鼻を利かせる。けれど、カレーの匂いはまったくしなかった。

「桑田……」

「ああ」桑田がうなずく。「お宅、『カレー違反』ですよ。反則金として、2千円を貰い受けます」


 青年は肩をすくめ、溜め息混じりに言う。

「『カレーあらため役』、ご苦労様です。ですが、ぼくは無罪ですよ。まあ、中へ上がって、ご自分の目で確かめてみて下さい」

 わたし達は履き物を脱いで、部屋に入らせてもらった。ガス台には鍋がかかっていて、沸騰した湯の中でレトルトのカレーが踊っている。

 匂いがしないわけだ。

「失礼しました。まさか、ポン・カレーだとは知らずに……」わたしは恐縮して、ただ平謝りをするよりなかった。

「すいません、ほんっと、すいません」桑田もペコペコと詫びる。

「いや、いいですよ。そのうち彼女でもできたら、ちゃんとしたカレーをこさえてもらいますから」そう言って、あはは、と笑う。

 やれやれ、いい人で助かった。


「お前なあ、何が『ここんち、窓が閉まってる。怪しい』だよ。おかげで、赤っ恥かいちまったぞ」道に出た早々、手厳しくなじられる。

「ごめん……」返す言葉もない。

 その時、カレーに混ざって、異質な匂いがわたし達の鼻をくすぐった。

「この匂いは……」桑田が真っ先に反応する。

「うん、間違いないね。これ、絶対すき焼きの匂い」わたしは断言した。「あそこの家だよ。ほら、正面の一戸建て」

 今度こそ、と駆けていく。

「ごめん下さい、今すぐ、ここを開けてもらえますか?」桑田がチャイムを何度も押す。

「はいはい、いったい、なんの騒ぎですか?」出てきたのは、40代半ばの主婦だった。

「われわれは、『カレーあらため役』ですが、お宅の今夜の夕食、すき焼きでしょ?」鼻息も荒く、桑田が尋ねる。


 主婦はギョッとした顔で桑田を見つめ返した。

「そ、それが何か? うちの夕飯がすき焼きだろうとなんだろうと、そんなの勝手じゃありませんか」

「ほお、開き直りですな。とにかく、反則金を払ってもらいますよ。耳を揃えて2千円、分割はなしです」

「はあっ?」主婦は唖然とする。

 もしやと思い、わたしは町民台帳を取り出して、大急ぎで確認をした。

「待って、桑田。この人、昨日越してきたばっかりだよ。まだ、この町のルール、町長から聞いてないんだよ」

「おいおい、またかよ」そう言って、額に手を当てる。


 越して来たばかりの町で、いきなり、「すき焼きはいかん!」などと怒鳴り込まれたら、誰だって驚くに決まっている。

 つくづく、気の毒なことをしてしまった。

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