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日だまりの昆虫

 風もなく、よく晴れて暖かかったので、ベランダに布団を干していた。

 すると、硬貨ほどの日だまりが、滑るように部屋へ入り込む。

「何かに反射した光かな」

 辺りを見回すが、それらしい輝きはなかった。気に留めるほどのことでもなかったので、布団干しを続ける。

 部屋に戻ってソファにもたれかかろうとした時、天井で小さな日だまりがぽっと光っているのを見つけた。

「さっきのか……」立ち上がって、照り返している辺りに見当をつける。 ここか、と手をかざしてみるが、遮るような光線は見当たらなかった。


「カーテンを閉めれば――」なんとなく意地になって、窓のカーテンを引く。これで、どこからも光が漏れてくることはないはずだ。

 ところが、まだ天井に貼り付いている。部屋が薄暗くなった分、いっそう明るく周囲を照らしていた。

「どうなってるんだろう。日が差してくるような隙間なんてないはずだけど」

 日だまりの真下に立って、背伸びをしてみる。まるでタマムシのような、細長い円だった。

 よくよく見ると、触角や脚もちゃんとある。目に当たる部分も、わずかに明るい。

「影絵美術館で観た、セロファンの切り絵がこんなだったっけ」


 じっと見つめていると、光のタマムシがもぞっと動いた。いや、実際には音1つ立てなかったけれど、本物の昆虫のように這ったのである。

「これって、もしかしたら生きてる?」

 タマムシは天井をするすると走っていき、壁まで降りてきた。

 わたしは、目を離さないように気をつけながら、ゆっくりと後ろ向きに部屋を出ると、台所に置いてある、プラスチック製のボウルを取ってくる。

 ボウルを手に、そおっと壁へ近づく。タマムシは身じろぎもしない。

「捕った!」素早く、ボウルを壁に押しつけた。白いプラスチックを透かして、光が滲んで見える。「何か入れとくものは、えーと」

 入れ物の心配をする必要はなかった。タマムシは、再び移動を始める。慌てるでもなく、じたばたともがくわけでもなし。それはのんびりと進む。

 ボウルで塞がれている端までやって来ると、そのままするっと外へ出てきた。

「この虫ってば、厚みがこれっぽっちもないんだ!」ようやく気がつく。


 わたしはボウルを投げ捨てると、大急ぎで手のひらをタマムシに重ねる。手の甲が赤く透け、通っている血管が見えた。ちょうど、太陽に手をかざした時のように。

 じわっと温かみを感じ、手の甲からタマムシが染み出るように現れる。

「本当に日だまりなんだなぁ。これじゃあ、捕まえられっこない」わたしが手をどけると、タマムシは壁にひっついたままそこにいた。

 どうしたものか見当もつかず、志茂田ともるに相談してみようと電話をかける。

「もしもし、志茂田?」

「ああ、むぅにぃ君。ちょうどいい時に電話をくれましたね」電話の向こうから聞こえる志茂田の声は、心なしか弾んでいた。

「なんだか楽しそうじゃん。どうしたの?」

「あなたこそ、どうなさいました? 用事があってかけてきたのでしょう?」反対に聞かれてしまう。

「あ、そうだった」わたしはこちらの事情を思い出す。「部屋に、不思議な虫が入り込んじゃってさ。日だまりそっくりなんだ」

「おおっ」そう声を上げたきり、うんともすんともなくなる。


「もしもし、志茂田?」電話が切れてしまったのかと思う。けれど、そうではなかった。

「これは失礼しました」やっと志茂田が口をきく。「むぅにぃ君、あなたの部屋に迷い込んだそれは、『ヒカリムシ』という極めて珍しい昆虫なのですよ。わたしは、それを長年追いかけていましてね」

「へー。でも、これって絶対に捕まえられないよ。さっきも試してみたんだけど、手でもなんでも透けて逃げちゃうんだ」

「それはそうですよ。なんたって『ヒカリムシ』なんですからね。その気になりさえすれば、光速で飛ぶことだってできるんです」

「じゃあ、見るだけだよね。早く来た方がいいよ、そのうちいなくなっちゃうから」わたしは前もって言い伝えた。そもそも、どこから飛んで来たのかだってわからない。いつ、どこへ行ってしまうかなど、さらに予想もつかなかった。


「捕まえることはできるんです。それも、今すぐに。今回、わたしは運がよかった。まさか、こんな偶然が起こるなんてねえ」

「どういうこと? どうやったら捕まえられるの?」

「つい先ほど、わたしの元へ、『カゲムシ』というものが紛れ込んできましてね」

 脳裏に、真っ黒な姿をした平たい虫が浮かんだ。

「それって、ゴキブリだったりしない?」電話越しに顔をしかめてみせる。

「確かにそっくりです。わたし自身、とっさに殺虫スプレーを手にしたくらいですから。ですが、そうではないんです。正真正銘、権威ある原色昆虫図鑑にもちゃんと載っている、ヒカリムシ科カゲムシ属カゲムシなのですよ」

「ちょっと待って。今、ヒカリムシ科って言わなかった? それって、ヒカリムシとカゲムシが同じ仲間ってこと?」わたしは驚いて尋ねた。


「はい、そうです」志茂田はきっぱりと答える。

「まさかと思うけど、2匹で1つの虫、なんてことはないよね?」

「今日のあなたは冴えていますね。おっしゃる通り、まさしくそうなんです。それぞれは光だったり影そのものだったりするわけで、物理的に捕まえることも、閉じ込めたりすることも不可能です」

「うんうん、それで?」

「けれど、2匹同時に捕らえれば話は別です」

「だから、捕まえられないんだってば」わたしはじれったくなった。

「あなたの今使っている携帯、それにはカメラ機能がついているじゃありませんか」志茂田が言う。

「あるけど、それが?」

「こちらとそちら、同時に虫を写真に納めるのです。いいですか、同時にです。そうですね、そろそろお昼です。12時の時報を合図に、シャッターを押すとしましょう」


 よくわからなかったが、言われた通り、カメラの準備をしてヒカリムシに向ける。

 テレビでは昼を告げる時計が大写しになって、秒読みを始めた。

「プッ、プッ、プッ、プーン」

 今だ! わたしは携帯のシャッターを押す。

 直前まで壁を這っていたヒカリムシは、光を吸い取られて灰色に変わっていた。

「もしもし、志茂田? 写真撮ったよ。ヒカリムシ、灰色になっちゃったけど」

「こちらも同様です。その灰色の生き物は、今は光でも影でもありません。爪で剥がして、テーブルの上にでも置いておいてください。今から引き取りにうかがいますから」

 志茂田の「昆虫標本」に、また新しいコレクションが増える。

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