マインドウズをインストールする
桑田孝夫から借りっぱなしの、「楽して金儲けをする方法」という本を返しに行く。
玄関に現れたのは母親の方だった。ひどく心配そうな顔つきをしている。
「孝夫ね、今朝からずっと目を醒まさないの。揺すっても叩いても、それこそ人形みたいに」
「ねぼすけだなぁっ。上がってもいいですか? もっと、強く起こさなくっちゃダメなんですよ」
そう言うと、靴を脱いで勝手に入らせてもらう。家族付き合いが長いと、遠慮もない。
1階の奥、桑田の部屋のドアには「勝手に入るな。開けたら殺す」と書かれたプレートが下がってる。母親に対してではなく、わたし宛てだ。
知らん顔をして、いつものようにドアを開ける。そのあとで申しわけ程度にノックをし、
「入るよっ」と言う。
DVDだのゲームだのがひっ散らかっている。相変わらず汚い部屋だった。
「楽して金儲けをする方法」を机の上に置くと、ベッドで仰向けにひっくり返る桑田を覗き込む。グオー、グオー、と凄まじいいびきを立てていた。
「こらっ、桑田。起きろーっ、起きろってば!」耳もとで大声を出す。ピクリとも動かない。
「よーし」枕もとに広げたままのグラビアを丸め、頭をパンパンッとはたいた。ふだんなら、これで飛び起きるのだが、今回は効果なしである。
「変だなぁ。まさか、本当に病気だったりして」わたしまで不安になってきた。
こうなったら、志茂田ともるに応援を求めるしかない。
「もしもし、志茂田?」
「むぅにぃ君ですか。どうしました、そんな泣きそうな声を出して」
「桑田の様子が、どうもおかしいんだけど。丸めた雑誌で引っぱたいても、ぜんぜん起きないんだよ」
「うーん、もしかすると、OSが飛んでしまっているかもしれませんね」志茂田が推察する。
「どういうこと?」
「パソコンで言うところの、クラッシュというやつですよ。おおかた、頭をぶつけるか何かしたのでしょう。わかりました、今からそちらへ行きます」そう言って切れた。
ほどなくして、志茂田がやって来る。
「もしもし、桑田君。大丈夫ですか?」ほっぺたをつねったり、鼻を捻ったりして様子をうかがう。日頃のうっぷんを晴らしているだけなんじゃないか、そんな疑念がふと浮かぶ。
「どう?」わたしは聞いた。
「間違いありませんね。システムがパーになっています」そう断定する。
「頭がパー? 大変なことになっちゃった。救急車を呼ばなきゃ」
「慌ててはいけません、むぅにぃ君」落ち着いた口調の志茂田。携えてきたバッグからCDを1枚取り出す。「さ、桑田君の口をこじ開けるのを手伝って下さい。そらっ、せーの!」
わけがわからないまま、桑田の口を広げさせる。そこへ、志茂田はCDを突っ込んだ。
「ちょっと、志茂田。何すんのさっ!」わたしはびっくりして、思わず叫ぶ。
「桑田君に、マインドウズ8をインストールするのですよ。前のはバージョンが古すぎたようです。どうも、ちょくちょく妙な動作をすると思ってはいたのですが」顎の下からパンッと叩いて、口を閉じさせる。CDが、キュルキュルッと勢いよく回り始めた。
「治りそう?」桑田と志茂田を交互に見比べながら訪ねる。
「直りますよ。10分もあれば、セット・アップ完了です」
上の歯と下の歯の間で、CDは火花を飛ばしながらデータを転送し続けた。時々手足がビクンッと痙攣する。
「痛いのかなぁ……」桑田がかわいそうに思えてきた。
「ただの反射です。手足を動かすためのドライバを組み込んでいるところなのでしょう。あ、ほら。今のバンザイは、モロー反射ですよ。赤ちゃんがよくやるでしょう?」面白がっているようにしか見えなかった。
10分が過ぎると、CDは回転を緩め、ようやく停止をする。
「終わりましたよ。さて、塩梅はどうでしょうか」志茂田はCDを抜き取ると、バッグにしまった。
「バージョン・アップしたんだから、前よりも賢くなったかな」とわたし。
志茂田が答えるより先に、桑田がフアーッと大あくびをしながら、むっくり起き上がる。
「あーっ、よく寝たぜ、くそったれめ! 腹ぺこで死にそうだ。何でもいいから、飯が食いてえっ!」
あれっ? なんだ、いつもの桑田じゃん。
「OSは最新なのですが、詰まっているデータは元のままですからねえ」
志茂田は残念そうに言った。