土手の上を歩く
ダウンジャケットの中で身を縮込ませる。川が近いせいか、吹く風も冷たい。
土手を登る階段の向かいは、甘味店だった。「営業中」という札が引き戸にぶら下がっていなかったら、とうの昔に閉め、今では物置代わりかと思うところだ。
「たい焼きでも食べていこう」少しは体も温まるだろう。
立て付けの悪い戸を開き、すきま風の来ない奥側の席に座った。
「いらっしゃい」奥からおばさんが出てくる。
「たい焼きはやってますか?」かじかんだ手を揉みほぐしながら、わたしは聞いた。
「ああ、寒いからねえ。もちろん、あるともさ。でも、もっとあったかくなるもんがあるよ」
「なんですか?」
「ホット・クリームさね」おばさんが言う。
「アイス・クリームじゃなくて、ホットかぁ」少しの間、想像する時間が必要だった。「物は試しって言うし、それにしようかな。ホット・クリームを1つ、お願いします」
「はいよ」おばさんは引っ込んでいった。
しばらくすると、お皿に盛られた真っ白なクリームを持って現れる。
「さ、召し上がっとくれ」ことん、とテーブルの上に置く。
見た目はアイス・クリームだった。それがホカホカと湯気を上げている。スプーンですくうと、冷えたバニラ・アイスと変わらない感触がした。
「熱っ、あつつっ」口に運んだとたん、舌がびっくりする。
「熱いからね、ふうふうして食べな」離れて座るおばさんが、遅まきながら注意した。
「本当にホット・クリームだ。これって、アイス・クリームを温めて作るんですか?」喉を通り、胃に収まると、たちまちポカポカしてくる。
「そんなばかなことがあるもんかね」おばさんはからからと声を立てる。「当然、ホット専用のクリームを使うのさ。アイス・クリームだって、冷凍専用を使うだろ?」
「そう……ですよね」おばさんに釣られて、わたしも笑った。そうか、ホット専用を使うのか。
ホット・クリームを半分ほど食べ進めた頃、おばさんが話しかけてきた。
「あんた、もしや川向うに行くのかい?」
「ええ、そのつもりですけど」スプーンを手に持ったまま、そう答える。
これから土手を登り、右か左か、進む道を決めるのだ。
「あたしゃ、向こうへは行ったことがないがね。手っとり早く渡っちまおうっていうんなら、左だよ。1キロばかり先に鉄橋があるからね。人もクルマも、みんなそっから渡るのさ」
「右に行くと、どうなります?」
「いつかは、向こう岸へ行く算段がつくだろさ。橋が架かってるのか、それとも渡しの船が出てるのか、そんなことは知らないけどね」うんうん、とうなずきながら言う。
「なら、話は簡単ですね」わたしは、残った半分のホット・クリームにスプーンを突き刺した。「左へ行って、さっさと川を越えることにします」
「そうかい。まあ、それがいいだろうねえ。無難と言うもんだ」おばさんは、窓の方へと顔を向ける。ガラスの向こうに土手が見えた。
温まった体で店を出ると、そのままコンクリートの階段を上がる。
土手の上に立つと、広い河川敷が見下ろせた。草野球に夢中なる子供達、イヌを連れて散歩する人、平凡を絵に描いたような光景だ。
左を向くと、緩やかにカーブする川の遠くに鉄橋が見える。あそこまで1キロか。ゆっくりと歩いても20分くらいで行き着く。
反対側を振り返ると、真っ直ぐな土手がどこまでもずっと続いていた。橋どころか、船着き場とおぼしき影すらもない。
「こっちは、どこまで歩かされるかわかったもんじゃないぞ」
何日、いや何週間もかかるかもしれない。わざわざ行くなど、愚か者の選択に思えた。
「何を迷ってるんだろう!」その場に佇んでグスグスする自分に、心底驚く。「川を越える、それが目的のはず。あの鉄橋まで20分。渡り始めれば、ものの5分で辿り着く。それで、この旅はおしまいなんだ」
わたしは決心し、ついに歩き始めた。右へ、いつ終わるかわからない遠い道を。
川向こうに行かなくてはならなかった。けれど、今すぐにというわけではない。疲れたら休めばいい。土手を降りて、さっきの甘味店に引き返したってかまわないのだ。
わたしは、もっとたくさんの河川敷を見たかった。似てはいるけれど、決して同じではない、ほかの河川敷を。
川を渡るのは、それからでも遅くはない。