最初の部屋
待合室の長イスにわたしは座っていた。
「13298715番の方、どうぞ」スピーカーから男性の事務的な声が流れる。
前のほうの席で1人が立ち、廊下の奥へ歩いて行った。
手持ち無沙汰になり、握っている番号札を確認する。13298839番だ。自分の番まで、あと124人かぁ。まだまだ先は長かった。
1人、また1人と呼ばれていく。いつからこうして待っていたっけ? 数時間か、それとも数十年だろうか。
目を閉じ、じっと待ち続ける。
「13298839番の方、どうぞ」ついに、わたしの番号が呼ばれた。開放感とともに立ちあがると、進むべき方向に目をやる。ぼんやりとした明かりに照らされ、長い廊下が続いていた。
「さあ、行くとしようか」わたしは歩き出す。
冷たいリノリウムの床が敷かれた廊下には、窓の1つもなかった。せめて掲示物でもあればと思うが、案内表示すらも見当たらない。
ひたすら行くと、突き当たりに「初めの部屋」というプレートのかかった扉が目に入った。
ドアノブを握る。ちょっぴり、緊張した。
思い切って扉を開く。覗きこむと、これまた細長い部屋だった。数え切れないほどの服は、どれも動物の柄があしらわれている。ライオン、ヒョウ、ゾウ、ブタ。鳥や昆虫もあった。およそ思いつくかぎりの生き物が、この部屋には詰め込まれている。
「うわあ、すごいっ! まるで、動物園みたい。服を選んで、奥の扉から出ていけばいいってことかな」なんとなくルールがわかってきた。
わたしはクローゼット・ルームを回って、じっくりと品定めを始める。あまりにもたくさんあって、目移りした。
「これなんかかわいいかも」手に取ったのは三毛ネコの着ぐるみパジャマだ。
さっそく着てみる。まるで、あしらえたようにぴったりだった。
「さあて、扉の向こうはどうなっているんだろう」
扉を開け、いっぽ足を踏み出すと、たちまち金色の光がすべてを覆い尽くす。
わたしはソファーのうえで横たわっていた。さっきまでいた部屋とはまるで違う。殺風景な待合室でもなければ、ずらっと服が並んでいるわけでもなかった。
ごくありふれた住宅の居間である。
「おー、よしよし。お目覚めでちゅかー」髪をシニョンに結った少女がわたしの顎の下をなであげた。くすぐったいはずなのに、ものすごく心地よい。「あんたの名前を決めたよ。『リンコ』っていうの。どう? かわいいでしょう」
そうか、わたしはリンコという名前なんだ。どうやら、この家のネコとして生を受けたらしい。
わたしは少女と楽しく暮らし、やがてネコとしての生涯を全うした。
「ああ、なんて幸せだったんだろう!」少女の腕に抱かれ、わたしはネコ語で最後の言葉をつぶやく。彼女は泣いていた。それがわたしには不思議でならない。
「泣かないでったら。だって、一緒にたくさんの楽しい思い出を作ったじゃない」そう伝えようとしたけれど、もう声にはならなかった。
また、待合室の長椅子に座っていた。
順番が来て番号を呼ばれ、前回同様、「初めの部屋」へと向かう。
「さあてと、今度はどんな服を着ていこうかな」要領がわかってきたので、期待で胸がいっぱいだった。
「飼いネコもよかったけど、もっと自由にのびのびと暮らしてみようかな」さんざん悩んで、メダカの服を選んでみる。
清流の中、仲間と一緒に泳ぎ回っていた。わたしには大海さながらだが、どこかの田舎の小川か池なのだろう。
「ようっ、そこのメダカ君。オイラと一緒に遊ばないか?」不意に声をかけられた。水面から中性的な顔立ちの人物がわたし達を覗きこんでいる。
「君だよ、君」
「わたし?」
「うん、君」相手はこちらの目をじっと見て言った。
「でも、仲間が……」
「彼らなんて、ほっといたらいいさ。ぼくと来れば、もっと楽しいことになるぞ」
たしかにそんな気がする。わたしはついていくことにした。
「君、人間だよね?」わたしはたずねる。
「うーん、ちょっと違うかな。まあ、水の精ということにでもしておいてくれよ」水の精か。じゃあ、ミズノとでも呼ぶとしようかな。
ミズノとの冒険は刺激的で痛快だった。一緒にいろいろなところを旅して回ったものだ。たいていは淡水の中だったが、一度など、空中遊郭へ連れて行ったもらったこともある。
もっとも、そのときは小さな金魚鉢に入れられてだったが。
メダカの生涯は短い。わたしは4歳を迎えることができたので、だいぶ長生きだったとは思う。
「ミズノ、いままで遊んでくれてありがとう。ずっと忘れないよ」故郷の池で、水面に体を浮かべながら、わたしは言った。
「そうか、もう行っちゃうんだな。ぼくも、ほんとうに楽しかった。さよならは言わないよ。なぜって、ぼくらの思い出はずっと残るからね。悲しくもないんだ」それなのに、なぜ泣いているんだろう。わたしは、やっぱり不思議でならなかった。
「今度は、うんと小さいものになろう」そう決心する。「なら、アリンコだよね、やっぱ」
アリンコの服は全身が黒ずくめで、まるで秘密結社のメンバーだ。
出発は真っ暗な穴の中。曲がりくねった迷路のようなアリの巣をどんどん登っていくと、明るい地上に出た。
乾いた土の上を歩くのは、とっても気持ちがいい。砂粒の1つ1つが、いまのわたしには巨石に見えた。
歩いて、歩いて、ようやくたどり着いたのはどこかの家の縁の下である。
「しめしめ、家の中に入り込んで、甘いお菓子でも食べさせてもらおうっと」柱を登り、板張りの廊下へと出た。お菓子があるとすればキッチンに違いない。だとすればあっちのほうだ、と勘が働いた。
勘は見事に当たり、まんまとキッチンへ入り込む。クンクン、果たして甘ーい匂いが漂ってきた。砂糖をたっぷり使ったショートケーキに違いない。
匂いを頼りに棚を登り始めた。扉の隙間を見つける。アリンコ1匹くらい、楽々と通れた。
思った通り、小皿に載った苺ショートを発見! いただきまーす。
……と、飛びつこうとしたら、先客がいた。
「なんですか、あなた?」相手はいぶかしげに振り返る。
「そういうあんたこそ誰なのさ」わたしは言い返した。
「わたしが誰かですって? そうですねえ、そうそう、わたしのほうが先にいるということはですよ。わたしはあなたの先輩ということにはなりませんか?」
「つまり、あんたを先輩と呼べと?」
「はい、つまりはそういうことです」
まあ、ここで揉めて、目の前のごちそうをパーにするよりはいいか。
「じゃあ、先輩。仲良くご一緒しましょう」
クローゼット・ルームを訪れるのは、これで何度目だろうか。もう、数えるのも面倒である。
「今度は、どの服を着ていこう……」いつもよりも、ずっとずっと長く悩み続けた。
考え抜いたすえ、裸のまま扉をくぐり抜ける。
わたしは人間だった。
AI画像生成を使ってみました(⌒-⌒)