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薄暗い部屋で

 薄暗い部屋の隅で、わたしはあぐらをかいて座っていた。リノリウムの冷たい感触が伝わってくる。

 天井に空いたバレー・ボール大の明かり取りから差す光が、まっすぐ床の上に落ちていた。銀色の日だまりは、四方に拡散し、かろうじて部屋の様子を浮かび上がらせる。

 8畳ほどあるだろうか。窓も壁もない、灰色の壁で囲まれている。

 目を凝らしてよく見ると、角にそれぞれ人が座っていた。わたしを含め、4人いる。

「あの――」勇気を振り絞って、口を開く。

「えっ? その声はもしかして、むぅにぃ君ですか」わたしから見て、左隅の人物から返事があった。友人の志茂田ともるの声である。

「なんだ、志茂田かぁ」わたしはほっと息を漏らした。

「あ、むぅにぃと志茂田? 2人とも来てたんだ。心細かったんだよね」

「中谷?」わたしは思わず聞き返す。確かめるまでもなく、中谷美枝子に違いなかった。ちょうど、対角に向かい合っているらしい。

「おれもいるぞ。桑田孝夫だ。さっきから人がいるのはわかってたけど、何しろ暗くてよ。声をかけようかどうか、迷ってたんだ」

 

「さて、みなさん」いつからいたのだろうか、部屋の中ほどで、5人目が言う。聞き覚えのない声だった。男か女か、それすらも判別しがたい。「そのまま座って、わたくしの言うことを聞いて下さい。くれぐれも、慌てたりしませんように」

「誰なんだ、あんた」桑田が不安そうに聞く。

 5人目が、1歩、踏み出した。明かり取りの光の中、細身の姿が浮かび上がる。袈裟を着た僧侶のようだったが、つるんとした頭には、顔や鼻、口さえも無い。ありていに言ってしまえば、のっぺらぼうである。不思議と、怖くもなければ薄気味悪いとも思わなかった。

 僧侶はわたし達を順繰りと見渡す。

「ここは現世ではありません。どこでもない場所、あるいはどこでもありうる場所です。みなさんは、何の因果か、こちらへ迷い込んでしまいました」感情の読み取れない物言いだった。


 暗がりの中、それぞれの思いが、ぐるぐると駆け巡る様子が目に見えるようである。「どこでもない場所」とは、いったいどういう意味なのだろう。

 静寂を破ったのは志茂田の質問だった。

「元の世界へは帰れるのでしょうか?」

「もちろん」僧侶はキッパリと言う。

「ああ、よかった。心配しちゃった」中谷の、ほっとする溜め息が聞こえた。

「じゃあ、今すぐにでも帰ろうぜ。何だか、落ち着かなくっていけねえぜ」右端の方で、桑田が立ち上がろうとする気配を感じる。

「お座りなさい。立ってはなりません」穏やかながら、断固とした口調で注意をされてしまう。桑田は、喉の奥でぶつくさ呻きながら座り直す。


「これからみなさんに尋ねます。さて、この部屋の外は、どんな様子でしょうか」僧侶が言った。

「そんなのわかりっこありません。だって、知らない場所なんですから」わたしは反論する。

「それに、窓もないしさあ」部屋の反対側で中谷も不満そうに答えた。

「思い描いてみて下さい。心の中に景色を浮かべるのです。それを素直に吐き出して下さい」

「そうだな、おれ、ここが野っ原のど真ん中だという気がするんだ」桑田がまず答える。

「それはどうでしょうね」志茂田が異議を唱えた。「天井に空いた穴から漏れる光。一見、日光のようではあります。ですが、鳥のさえずりはおろか、風の通る音すら聞こえないじゃありませんか。スタジオに作られた舞台セット、という可能性もあります」


 あの明かりは照明具なのか。言われてみればそんな気がしてきた。平坦で、どこか無機質な色合いに見える。さすがは志茂田だ。

 けれど、妙だぞ。さっきから、どうも体が揺れ動いているような。

「あなたはどうですか? 今いるこの部屋は、平らな地面の上に建っていると、心から信じていますか?」目鼻のない顔がわたしをじっと見つめる。

 急に、ここが不均衡な場所に思えてきた。

「えーと、ピラミッドのてっぺん。そんなイメージが……」

 今度こそ、本当に部屋がぐらりと傾ぎだす。僧侶の立っている辺り、その床下で、ピラミッドの頂点が支えているだけなのだ。部屋の中の誰か1人でも身じろぎをしようものなら、あっという間にバランスを崩し、奈落の底へと真っ逆さまだ。


「やめてってば、むぅにぃ!」中谷が悲鳴に近い声を絞り出す。「あんたがそんなことを言うもんだから、あたしまでひどい想像をしちゃったじゃない」

「ど、どんなことだよっ?」桑田が恐ろしそうに聞く。

「ピラミッドよりも、もっと尖ったもの。たとえば、針の先っぽとか……」

 たちまち部屋は、前へ後ろへ、右へ左へと大きく揺らぎ始める。まるで、棒の先で回るコマのように。

「やばいっ! やばいぞ、こいつはっ」桑田が慌てふためく。そうやって重心を移動させるものだから、ますます部屋が傾く。ぴんと伸びる針の尖端で、どうにかこうにか平衡を保っている、それがこの部屋なのだ。


「桑田君っ、落ち着きなさい! あなたがじっとしていないと、本当に部屋ごと落ちてしまいますよ」志茂田がビシッとたしなめる。

「わ、わかった」桑田は叱られた子供のようにしゅんとする。小声で自分に言い聞かせる。「落ち着け、いいか、落ち着くんだ。息を整えて……。そうだ、背筋はピンと伸ばす。よし、いいぞ、その調子」

 わたしは生きた心地がしなかった。恐怖のあまり、固まってしまったのは幸いだ。さもなければ、パニックを起こして立ち上がっていただろうから。

「ところでみなさん、お腹は空いていませんか?」落ち着き払った声で呼びかけたのは志茂田だった。

 内心、こんな時にどうして、と思う。

「最後に食事をしたのは、いったいいつでしたかねえ」なおも話し続ける。

「そうだな、はっきりとはわからねえが、半日くらい前だったかもしれん」桑田が言う。

「あたしもそれくらいかな。確かに、そろそろお腹が減ってきたよ」中谷も同意する。


「わたしは今、無性にハンバーガーが食べたいと思っていましてね」と志茂田。「ほら、いつもみんなで行く、あのファスト・フードですよ。窓際のテーブルに掛けて、毎回おんなじセットを食べましたっけ」

「うんうん、あそこのチーズバーガーはほんとうにうまいよなっ」

「あたし、あの店が懐かしくってたまらないの。変でしょ? 先週も寄ったばかりだって言うのに」

 桑田も中谷も、ファスト・フード店を目に浮かべているに違いない。

 チーズとピクルスの匂いが、鼻先でプーンとしてくる。揚げたてのポテト、熱いコーヒー、味までもリアルに思い出されてきた。

 そう言えば、わたしも腹ぺこだ。

「帰り道が見つかったようですね」僧侶がうなずく。何も描かれていない顔なのに、ぽっと微笑みが浮かんだ気がした。

 もう1度よく見ようと目を細めた時には、その姿は闇に紛れて消えてしまっていた。


「あの、のっぺらぼうのお坊さん、何者だったんだろうね」

 3人のうち、誰にともなくそう問いかける。ふと、自分がテーブルの上のトレーを見つめていることに気がついた。ハンバーガー・セットが置かれ、コーヒー・カップからはポカポカと湯気が立っている。

 いつものファスト・フードだった。

「のっぺらぼうって?」向かいの席に座る中谷が首を傾げる。

「妖怪だろ? ほら、夜鳴きそば屋に化けて人を驚かすっていう」桑田はそう言って、ハンバーガーをほおばった。

「のっぺらぼうですか。ほら、そこのゆで卵。ちょうど、それにそっくりな顔形らしいですよ。誰も召し上がらないのですか? では、わたしがいただくとします」

 志茂田は、テーブルの真ん中にポツンと残されたゆで卵を、ひょいっとつまみ上げた。

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