廃棄された施設で
町の外れにある研究施設。いまは廃棄され、誰も出入りをしていない。稼働時にもなんの研究をしているかわからず、一部ではおぞましい人体実験をしているとの噂もあった。
わたしと桑田孝夫、志茂田ともる、中谷美枝子は、真偽を確かめるためにこっそりと忍び込む計画を立てる。
「こちら桑田。応答どうぞ」無線機に信号が入った。桑田は数十メートルもある高い塀の上から、施設内を双眼鏡で偵察している最中だ。
「こちら志茂田。どうです、怪しいものは確認できましたか?」
「いや、とくには。だけど、中央にある建屋にいけば何かわかるかもしれない。南側の門から中へ入れそうか?」
「幸運にもセキュリティ・ロックは解除されたままですよ。南京錠を壊せば入れそうです」
「わかった。10分後に建屋の前で落ち合おう」
わたしは志茂田から無線機を奪うように取った。
「桑田、気をつけて降りてきてね。そこって、地上から何十メートルもあるんでしょ? 落ちたりしないでね」
「おう、むぅにぃ。おれなら平気だ。じゃ、無線を切るぞ」ブツッという雑音とともに信号が途絶える。
わたし達は見あげるような門の前に立っていた。志茂田がバックパックから巨大なカッターを取り出し、南京錠を壊す。ノブを回すと、あっけなく扉が開いた。
「では、行くとしましょうか」志茂田を先頭に、わたし、中谷と続く。
つい先日まで稼働していただけあり、敷地内はきれいなままだった。さすがに電力は来ていないようで、モーターやポンプの音はせず、しんと静まりかえっている。
「中央の建屋って、あれよね」中谷が指差した。窓の数を数えると、6階建ての建築物だとわかる。
「入り口が開いてるか、見てくるね」わたしは駆け出した。確かめるまでもなく、ドアはわずかに開いたままである。「開いてるよー。ここから入れるねー」
「それはよかったです。桑田君が来たら、探索するとしましょう」2人もすぐに追いついてきた。
きっかり10分後、桑田が駆けつけてくる。
「よおっ、どんな具合だ?」
「ドアは開いてたよ。すぐにでも入れるから」わたしは答えた。
「さも、入ってくれといわんばかりよね。これって、何かの罠だったりして」中谷が冗談ぽく言う。
「重要機密の載った書類でも見つかればいいのですが」志茂田は考え深げにあごをなでた。「この施設の謎を解明できれば、周辺住民の不安も安らぐことでしょう」
「よし、とにかく入ってみようぜ。考えるのはそれからだ」桑田はドアを大きく開けると、慎重に足を踏み入れる。わたし達も続いた。
どこにでもある事務所のような内装である。エレベーターはあったが、電源が落ちているために作動していない。ひたすら階段を上っていくよりほかなかった。
「見て、この手すり。錆かと思ったら赤いネバネバでべっとりしてる!」中谷は触れたその手をハンカチでゴシゴシとこする。
「うわぁ、触らなくてよかった。気持ち悪ーい」わたしも顔をしかめた。
「ふうむ、生物の粘液のようにも見えますね。皆さん、触れないようにしてください。これも研究の副産物かもしれません」
一同、壁寄りに階段を踏みしめていく。
5階まで来たとき、わたしはあっと声をあげた。
「どうしました、むぅにぃ君」志茂田が振り返る。
「あれって、幽霊じゃない?」わたしの指差す方を見て、誰もが顔をこおばらせた。4、5メートル先の壁に少女の顔がぼんやりと像を結んでいる。プロジェクターで投影された画像のようにも見えた。
「やだあ、気味悪いわ」中谷が口に手を当てる。
「まるで、おれ達に着いて来いっていってるみたいだな」と桑田。
「どうやら悪意はなさそうですね。ここはあえて、従おうではありませんか」
志茂田にうながされ、わたし達は少女の幽霊の後を追うことにした。もっとも、わたしと中谷は及び腰のままだったが。
最上階の6階にやって来た。これまでの階とは異なり、ひらけた空間である。5つの部屋があり、いずれにもバイオハザードの印が描かれていた。
「これって、何かの実験室?」中谷がこわごわたずねる。
「そのようですね。ドアのプレートを見てください。『BSL』とあります。バイオ・セーフティ・レベルという意味ですよ」と志茂田。
「そのあとに続く番号はなんだ? 1から4まであるぞ」
「知ってる! あれって、番号が上になるほど危険なんだよ。映画で見たことがあるっ」わたしは半ば叫ぶように口走る。「レベル4ってたしか、エボラ・ウィルスとかを扱う施設だよね」
「むぅにぃ君のいう通りです。防護服なしでは入れませんねえ。危険すぎます」
壁に浮かんだ少女の幽霊が、すーっと「5つ目の部屋」へ消えていった。
「じゃあ、あの部屋は何かしら」中谷が5つ目の部屋へ視線を移す。バイオハザード・マークはあったが、レベルを示す数字は何もなかった。
「中を見てみようぜ」好奇心を抑えられないらしく、桑田がそう提案する。
「危険かもしれないよっ」わたしは反論した。
「そうよ。変な病気に感染したりしたら、それこそ取り返しがつかないもの」
理性的な志茂田なら賛同してくれると思ったが、口に出した言葉は意外なものだった。
「ここまで来たのですから、部屋に入ってみましょう。あの幽霊は、わたし達に何かを知らせたがっていたに違いありません。わたしには少女が悪霊とは思えないのです」
わたしと中谷は互いに見合って、仕方なさそうにうなずく。
「そうだね、せっかくここまで来たんだし」
「わかったわ。毒を食らわば皿までよ。覚悟するわ」
「ありがとうございます。それでは、わたしから……」志茂田はドアノブに手をかけ、ゆっくりとドアを開いた。
試験官や薬品の瓶が並んだ部屋を想像していたが、見事に期待を裏切られる。人形やドール・ハウスなどでいっぱいの子ども部屋だった。
「こいつは……」桑田は唖然としてつぶやく。
奧には額がかけられていた。さっきまで壁に投影されていた、あの少女の肖像画だ。
何もない空間に、わたしはふと気配を感じる。イヌだ。ここにはイヌがいる。部屋の中へ入り、イヌがいると感じた辺りにそっと手を伸ばした。温かい毛並みが手のひらを伝ってくる。
「ねえねえっ、ここにイヌがいるよっ」わたしは声をあげた。イヌは次第に姿を現す。灰色をした大きなシベリアン・ハスキーだった。
わたし達はシベリアン・ハスキーを連れだし、施設を後にした。結局、この施設がなんのためのものだったかはわからずじまい。
それでもかまわないと思った。シベリアン・ハスキーはわたしに懐いてくれていたし、これからもうまくやっていけそうだった。
それだけで十分だった。