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転移性錯視

 赤羽にある巨大プラント跡へ行ってきたというYouTube動画を、わたしは中谷美枝子と観ていた。

 動画は夜半の映像だった。カメラの品質がいいのか、真っ暗なはずの施設が隅々まで確認できる。無数に入り組んだダクト、化学薬品が貯蓄されていたであろうタンク、ところどころ手すりの脱落した非常階段など、工場の持つ不思議な美しさがうまく捉えられていた。

「稼働中のプラントもいいけど、廃墟ってべつな意味での情緒があるよね」そう中谷が言う。

「うんうん。1人で行くのは遠慮したいけど、なんだか切ないような懐かしいような気持ちになる」わたしも動画に夢中だった。


 赤羽までは歩いても30分ほどしか離れていない。観ているうちに、どうしても自分の目で確かめたくなってきた。

「ねえねえ、中谷。みんなでここに行ってみない? 桑田とかも誘ってさ」

「そうねえ。夏だし、ちょっとした肝試しにはいいかな」

 中谷はすぐさまスマホを手に取り、桑田孝夫にLINEをする。


中谷:赤羽の廃プラントに行かない? 今夜とか


 間を置かず、LINEが既読になった。


桑田:おう、いいぞ。ちょうど退屈してたところだ


「志茂田にも声をかけてみるね」と中谷。


中谷:いまね、ようつべで赤羽の廃プラントを観てたんだけど

志茂田:暑いですねえ。みなさん、熱中症対策は万全ですか?

中谷:あたしんちでエアコン、ガンガン効かせてアイスコーヒー飲んでるとこ

志茂田:赤羽ということは、大日本インダストリアルのことですね。いいですよ、行きましょう


 ということで、夜の9時に桑田家へと集合することとなった。赤羽までは、桑田のところが一番近いのだ。

「うえっ、なんつう暑さだ」玄関から顔を出した桑田の一声がこれである。

「夏だもの、そりゃあ暑いよ」すかさずツッコミを入れる中谷。

「これでもだいぶ気温が下がったのですよ、桑田君。日中は熊谷で40.5℃を記録したそうですからね」志茂田が額の汗をハンカチで拭いながら情報を共有する。

「じゃあ、出発しよっか」わたしはみんなを促した。


 アスファルトに残った熱気がまともに上ってくる。風もなく、止めどなく汗が流れ出た。

「ちょっと、コンビニでアイスでも買ってかねえ?」汗っかきの桑田が根を上げる。もっとも、暑さに関してはわたしもからっきしだった。桑田の提案に、二もなく賛成する。

「買おうっ買おうっ。体中の水分が蒸発しそう」

 ノーソンへと競うようにしてなだれ込んだ。ひんやりとした冷気が体を包み込む。

「あー涼しくて気持ちいいっ」中谷は胸元をパタパタとあおいだ。

「太っていると、暑さが応えますよ」志茂田もほっと一息入れる。


 アイスを買うという名目で、結局は15分ほど店内で時間を潰した。すっかり汗が引いた頃、それぞれアイスや冷たいペット飲料をレジへと持っていく。

「長居しちゃったね」ノーソンから出ると、中谷はペロッと舌を出して見せた。ペット入り紅茶に口をつけ、一気に半分ほど飲む。

「おかげでクールダウンできましたよ。いやあ、コンビニはいいですねえ」志茂田もキンキンに冷えたコーヒーのフタを開けた。

「夏の暑さには参るけどよ」そう言いながら桑田はバリバリ君の袋をバリバリッと破り、アイスキャンディーに囓りつく。「アイスが食えるのはうれしいもんだな」

「桑田、真冬でもアイスクリーム食べてたじゃん」わたしは覚えていた。正月明けの寒風の中、新発売という理由だけでアイスを買っていたことを。

「あんときはうちに帰って、コタツで食うつもりだったんだ。うまそうなんで、つい我慢できなくてよ」


 赤羽の廃プラントへと到着した。町外れのためか、人っ子1人いない。クルマ通りからも離れていて、都内なのにしんと静まり返っていた。

「廃墟っつっても、そんなに不気味な感じはしねえな」桑田は周囲を見渡しながら述べる。

「工場なんて、もともと人がうろうろするような場所でもないし、無機的よね。お墓みたいに、お骨が埋まっているとかいうのもないから」中谷も同意した。

「けど、1人で探索しろっていわれたら、絶対に断っちゃうなぁ」わたしは肩をすくめる。


 敷地内はまあまあ広かった。町の区画がそっくり入りそう。ちゃんとクルマの通る道も整備されているし、横断歩道も描かれていた。

 プラントはまだ解体されておらず、稼働時の状態がそのまま残っている。電源さえ入れれば、なんの問題もなく動くのではないかと思えた。

 わたし達はたっぷり1時間ほどかけて隅々まで歩き回った。YouTubeで観たときは気がつかなかったが、ところどころに街灯が立っていて、ライトなしでも不自由しない程度の明るさはある。


 そろそろ帰ろうかというタイミングで、中谷がぼそっと声を洩らした。

「アレはなんなの?」

 指差す方を振り返ると、いま通ってきた通路の向こうに、巨人が立っていた。10メートルはあるだろうか、かろうじて届く街灯の光に照らされて、銀色に反射している。目を凝らすと赤のラインも確認できた。全体に薄汚れていて、プラントの一部のようにも見える。

「どうにも異様ですねえ」志茂田は額ににしわを寄せた。

「なにかの設備かも」わたしは言った。

「っていうか、あれだ。薬局の前に置いてあるヒーローの作り物」


 銀色の巨人はじっと動かない。

「あそこってさ、あたし達が通ってきたところだよね。あんなのなかったじゃないの」

「中谷君の言う通りですよ。確かに何もありませんでした。そうなると、突然現れたということになりますね」志茂田があとを継いだ。

「なんだか気味悪いよ」とわたし。その場を去ろうと向き直ったとき、前方の地面からムクムクと物体がせり上がるのを見る。「あっ、向こうにも!」

 物体はあっという間に10メートルほどの高さとなった。色褪せた銀色の体に赤のラインが入っている。


「ここは引くっきゃないぜ」桑田のリードで脇の路地へと入った。

 敷地の外まで逃げてきたところで、志茂田が言う。

「錯視の一種でしょうか。シャルル・ボネ症候群というのがあるのですよ。そこには存在しないことがわかっているのに、はっきりと見えている、という症例です」

「幻覚だっていうわけ?」納得できないという様子で中谷が聞いた。

「待てよ。幻覚なら、おれ達全員に見えるなんておかしいだろ」桑田も反論する。

「メカニズムはわかりませんが、おそらく転移なのではないでしょうか」

「転移って?」わたしは尋ねた。


「心理学において、ドクターとクライアントの間に生じる、一種の以心伝心ですよ。本来なら、誰か1人が見ているであろう錯視が、何らかの要因でみなさんの目にも映ってしまったのかもしれませんね」

 そんなことを言われても、わたしには理解できなかった。中谷も桑田も同じ気持ちだったようで、一様に首を傾げるばかり。

「まあ、いいわ。少なくとも、あたしは2度とここには来ないつもり。黙って立ってられるだけでもゾッとするのに、あんなのが動き出したら叫んじゃうかもしれないもん」

 わたしは、うんうんとうなずくのだった。

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