人知れずたどり着く最後の場所
桑田孝夫と競馬へ行った帰り道。わたしは桑田の運転するZX14Rの後ろに乗って、国道20号線を南へ向けて走っていた。2人ともほくほくしている。というのも、桑田が大穴を当てて、なんと1千万もの大金を獲得したからだ。
「あとでステーキ奢ってね」ヘルメット越しに大声で叫ぶ。
「あーっ、ステーキだあ?! ばか言ってんじゃねえ。なんでも欲しいものを買ってやらあ」気前よく答える桑田。「1千万だぞ、1千万! これだけありゃあな、たとえ一文無しだったとしたって人生やり直せるってもんよ」
調子にのりすぎていたせいだろうか、桑田ともあろう者が走り慣れた道をうっかり間違えたらしい。
「ねえ、この道っていつもと感じが違わない?」都会の真ん中のはずなのに、妙に景気の悪い町並みが続く。低いビル、古ぼけた平屋、どれも灰色にくすんでいた。
「それな。どうも別の脇道に入っちまったらしい」
「じゃあ、引き返さなくっちゃね」
「おう、スマホで調べてみるか」桑田はバイクを停め、内ポケットからスマホを取り出す。すぐに顔を曇らせた。「ああ、ダメだ。圏外だってよ」
「えーっ、今どき?!」わたしはヘルメットのシールドを跳ね上げ、桑田のスマホを覗き込む。確かに圏外のアイコンが表示されていた。
「慌てなくてもいいって。元来た道を戻りゃあ、いいだけだろ」
「でも、さっきの道って一方通行だったよ」
「そうだったか? 見てなかった。じゃあ、ぐるっと迂回していこう」桑田は再びアクセルに手をかける。わたしは振り落とされないよう、しっかりとつかまった。
ところが走れど走れど、同じような灰色の町並みが続くばかり。いつまでたっても知った道に出ることができなかった。
「もしかして、同じところ走ってない?」ふつふつと湧いてきた疑問をぶつけてみる。
「そんなはずはねえんだけどな……」
「ほら、あの角の閉まった工場、さっきも見たよ」
「そうかあ? 変だな」桑田はまたバイクを停めた。念のためスマホを確認してみるが、依然として圏外のままだった。
「ちょっと歩いて、案内図がないかみてみない?」わたしは提案する。桑田はうなずき、サイドスタンドを下ろした。
わたし達はどこかに町の案内がないか探し回った。奇妙なことに、地図どころか標識も住所も見当たらない。
「まさかさぁ、ここって異世界なんじゃない? 」
「ばかいえ。そうそう入り込んでたまるかって」桑田はばかにするように笑い飛ばした。
「だけど、どう考えても様子がおかしいって」
「東京は広いんだ。こんな町だってあるだろ」
そんな会話を交わしていると、1ブロックほど先をサラリーマンふうの中年男が歩いて行くのが見える。
「あ、人だ……」
「おう、人だな……」
「あの人に道を聞いてみようよ」わたしは先んじて近寄っていった。
ところが、サラリーマンはわたしの呼びかける声にも応じる様子なく、どんどん歩いていってしまう。
「シカトされたな、むぅにぃ」桑田が愉快そうに言った。「まあ見ろよ、行き先は知れてるぞ。あの赤い門の向こうだ。おれ達も入ってみよう」
鉄製の分厚い赤い門は、わたし達が前に立つと勝手に開いた。まるで招き入れられているようだ。
「入ったら出てこられなくならないかなぁ」と怖じけるわたし。
「平気だろ。だって、さっきの人も入ってったじゃねえか」
桑田は動じるでもなく、門をくぐった。1人取り残されるのも不安なので、わたしもあとを追う。
1歩進むと、背後で鉄の扉が閉じる音がした。目の前にはポッカリと空いた岩の入り口が。奥は薄暗く、まるで洞窟のよう。
「地下に続いてるね」おそるおそる口にした。
「地下街だったりしてな」おどけたように言う桑田。「とにかく、人がいることは間違いない。入るぞ、むぅにぃ」
地下へと続く通路はなんと、階段ではなくゆるやかなスロープだ。見渡すと巨大な円筒形をした縦穴で、わたし達は螺旋状に下っていた。底を見下ろすと真っ暗な中、水が溜まっているらしく、ぬらぬらと光を反射させている。
「気味悪い」思わず声が洩れた。「足を滑らせたら、あの中に真っ逆さまだよ」
「むぅにぃ、おまえ、ちゃんと足許見て歩けよ。落ちるんじゃねえぞ」真顔でそう言われると、なんだか自分が間抜けみたいでむっとくる。
螺旋通路のちょうど反対側を、さっきのサラリーマンが肩を落として歩いていた。ここが人生の終着場だといわんばかりである。
「あの人、もうここから帰る気がないんじゃないかって気がするんだけど」
「うーん、おれにもそう見えるな。あの顔ときたら、まるでゾンビのようじゃねえか」
10分ほど下ったところで、ようやく底へと着いた。水だと思ったのは灰色がかった緑色の液体で、妖しく揺れ動いている。かすかに嫌な臭いもした。
サラリーマンは向こう側に立っていた。しばらく水面を見つめていたが、やにわに液体の中へと身を投じてしまう。
「あの人っ、飛び込んだよっ!」わたしは叫んだ。
「おうっ、なんだってんだ!」
緑色の液体は渦巻いて、サラリーマンの体を飲み込んでしまう。
「思うんだがよ」神妙な顔つきで桑田が口を開く。「ここは人生に絶望した連中の行き着く先なんじゃねえかな」
わたしはゾクッとした。はからずしも、わたし達はその現場を目撃してしまったのだ。
「帰るか……」桑田はぼそっとつぶやく。
「うん。こんどは無事に戻れそうな気がする」
「いつもの町に帰ったら、300グラムのステーキを奢ってやるよ」
わたし達は螺旋通路を上り始めた。はるか頭上から洩れる入り口の光が、まるで現世への扉のように思える。