南新宿3丁目
JR新宿駅をはさんで高層ビル街とは反対方向へしばらく歩くと、ここが同じ新宿なのかと思えるような下町に入り込んでしまう。
さらに進むとそこは南新宿。わたしは数日前から南新宿3丁目のひなびた旅館に泊まっていた。
「あら、むぅにぃさん。こんな朝早くからお出かけ? 食事の用意はしておきますか」女将が声をかけてくる。
「うーん、どうしよっかなぁ」わたしは頭のてっぺんの髪を指で巻き取るしぐさをしながら考えた。「今日はいいです。散歩しながら、どこか喫茶店にでも入ってみようと思います」
「そう。それなら、出てすぐの角をちょっと行くと、感じのいい喫茶店がありますよ。レアチーズケーキが評判なのよねえ」
「あ、そこいいかも。ありがとうございます。寄ってみますね」
女将に教えてもらった通り、旅館を出た先の角を曲がり喫茶店を探す。戦災をかいくぐってきたような古い平屋建ての民家が並ぶなか、お目当ての喫茶店はすぐに見つかった。
「ここかぁ……」蔦の絡まったレンガ造りの店だ。扉の脇に置かれた看板には「かふぇ ドビュッシー」とある。
わたしはステンドグラスの埋め込まれた扉を引いて中へ入った。
「いらっしゃい……」きちんと刈り込まれた銀髪のマスターが物静かな声で声をかけてくる。歳は60を少し超えたところだろうか。
わたしは軽く会釈をして、通りの見える窓際の席へと着く。立てかけられたメニューを手に取り、パラパラとめくってみた。
「女将さん、レアチーズケーキがお勧めって言ってたっけ」クリームのたっぷり載ったホット・カフェモカの写真も見つけた。添え書きにはアイスもできる、とある。
「すいません。レアチーズケーキとアイス・カフェモカをお願いします」
「はい、わかりました」
窓の外は閑散としていた。たまに人の歩く姿を見かけたが、クルマは通らなかった。そういう時間帯なのかもしれない。
コトン、と音がしてテーブルにレアチーズケーキとアイス・カフェモカが置かれた。「どうぞ、ごゆっくり」
わたしは礼を言うと、ナプキンの上に置かれたフォークでレアチーズケーキをそっと切り分け口に運ぶ。
つるんとした滑らかな口当たりと、ほんのりチーズの香りのする甘みが舌の上に広がった。
アイス・カフェモカのクリームだけをスプーンですくって食べる。軽くまぶしてあったシナモンが、とろけるような甘みと絶妙なまでのハーモニーを奏でるのを感じた。
いつもならさくさくと食べてしまうところを、たっぷり時間をかけて味わう。明日もまた来ようかな、そう思った。
店を出て、さあこれからどこに向かおうかと思案する。確か、途中のタクシーで大きな墓地を見たなあ。あれはこの先だったはず。
なかば当てずっぽうで狭い路地に入ってみた。分かれ道がいくつもあって、勘を頼りに突き進む。
30分ほどさまよっていたが、唐突にひらけた場所に出た。まさしくそこは探していた墓地だ。
「方向音痴だけど、直感だけはいいんだよね」わたしは独りごちる。
うんざりするほど広い墓地だった。広いだけでなく、どの墓石も風変わりである。
キリンやゾウをかたどったもの、クルマ、ヤカンの形をしたもの、実にさまざま。しかも、とんでもなく巨大なのだ。
「お墓1つで、家ほどもあるじゃん。ここって偉い人の眠る霊園なのかも」墓石を見上げながら、わたしは圧倒されてしまう。
巨木に似せて作られた墓石のそばに、ちょうどいい東屋があった。だいぶ歩き回ったので、そこで一休みすることに。
遠くの方に円錐状の墓石がそびえて見えた。距離から測って、10階建てのビルほどはあるに違いない。
その向かいには大理石でできた金剛像が立っていた。こちらも負けず劣らず高い。ほかにも恐竜の墓石、宇宙船の墓石が林立しており、さながら高層ビル群のようだった。
ふいに恐竜が地響きをたてて動き出す。それを阻止するかのように金剛像が剣を振り上げた。
「すごいっ、まるで怪獣映画みたい!」思わず叫んでしまう。
恐竜と金剛像は取っ組み合い、ぶつかり合って戦った。そのたびに飛び散った石のかけらが辺りに降り注ぐ。
わたしは東屋のテーブルの陰に身を潜め、その様子をとっくりと眺め続けた。
力は互角のようで、なかなか勝負が付かない。いつまでも終わらないのではないかと思ったそのとき、始まったとき同様、いきなり終了した。
双方、まるで何事もなかったかのように引き返していき、元の場所で再び沈黙につく。
「なんだったんだろう。いつもこんなことをしてるのかなぁ」わたしは立ち上がって、テーブルに手をついた。もしかしたら幻でも見ていたのかもしれないという気持ちになる。けれど周囲には破片が散らかったままで、確かに現実だったことを認めなければならなかった。
来た道を戻ると、旅館の女将に今さっき見てきたことを報告する。
「ああ、あれねえ。恐竜は昔ここの大地主だった人のお墓で、金剛像はその娘婿のものなんですよ。もう500年以上も昔の話さね。生前からたいそう仲が悪かったそうで、顔を合わせればいがみ合ってばかり。遺言通り、墓石をそれぞれ望んでいたように彫ったものの、いまだにまだねえ……」
なるほど、そんないわれがあったんだ。それにしても、埋葬されてまでケンカしているなんて、つくづく落ち着きのない魂だ。
いっそ、墓所を別々にしてしまえばよかったのに。
わたしは心の中でそうつぶやいた。