オールナイト3本立て
中谷美枝子、桑田孝夫、そしてわたしの3人で新宿をぶらついている。紀伊國屋で立ち読みをしたり、歌舞伎町をただなんとなく歩いてみたりと、とくに目的があるわけでもなく遊びに来ていた。
「けっこう歩き回ったわね。ちょっと休んでいかない?」中谷が提案する。
「おう、いいな。この先にあるマグリットにでも入るか」と桑田は駅の方を指した。
「そこ、レア・チーズケーキある?」わたしは聞く。一番好きなスイーツなのだ。
「マグリットならあるでしょ」中谷はさも当然のように答える。「あんたにはニンジンケーキがおすすめだけどさ」
「ニンジンはちょっと……」
「中谷、むぅにぃにあんま嫌いなもんすすめんなよ。じゃ、行こうぜ」
わたし達は駅に向かって歩き出した。
「マグリット」というだけあって、店構えからシュールリアリズムな雰囲気である。壁面いっぱいに化石化した木が描かれていた。しかも幹から巨大な1枚の葉が広がった不思議な木である。ドアもだまし絵風で、ノブが付いているので手を伸ばしかけると、実は横開きの自動ドアだったりした。
「面白い喫茶店じゃん」わたしはすぐに気に入ってしまう。
「ね、面白いでしょ? 店の中もけっこうなもんよ」愉快そうに説明する中谷。
入ってみると、至る所にマグリットの絵が額に入れられて掛けられていた。正面の壁には畳ほどもある絵が堂々と飾ってあり、大いに目を惹く。
「あ、この絵知ってる。見たことあるよ」思わず声に出た。
「ああ、これな。有名だもんな。えーと、なんてタイトルだっけかな」桑田が頭の後ろをポリポリと搔く。
「『大家族』ね。マグリットの代表的な絵だわ」中谷が助け船を出した。大海原、曇り空の中に青空で抜き取られたハトが翼を大きく広げている絵だ。
テーブルに着くとわたしはさっそくメニューを手に取る。あった、レア・チーズケーキ。バリエーション・コーヒーとセットで680円は安い。
「すいませーん、レア・チーズケーキのセット。ウィンナ・コーヒーでっ」即座に注文をした。
「むぅにぃってば早い。じゃあ、あたしはアールグレイとイチゴ・ショートにしようっと」
「おれはブラックでいくぞ。砂糖は入れるがな。それとカツサンドだ」
まるで競うように、次々とオーダーしていく。若いウエイトレスが慣れた手付きでメモを取り、ニッコリと笑って引き下がった。
「中谷はニンジンケーキじゃなかったの?」わたしは皮肉を言う。
「ばかね、あたしはいいの。いつもちゃんと野菜を摂ってるから。あんたこそ、いい加減にニンジン嫌いを治した方がいいよ」
「おれはニンジンなら平気だが、ピーマンはなあ……」桑田はそれこそピーマンでも囓ったような苦笑いを浮かべた。
「ピーマン、おいしいじゃん。生でも食べられるし」ここぞとばかりに、わたしは煽る。
「そう言えばあたし、ピーマンとパプリカの違いがよくわからないなあ」と中谷。
「色が違うだけだろ?」桑田が意見を述べる。
「きっとあれだよ、ピーマンがもっと熟して黄色や赤になるとパプリカになるんだ」そう知ったかぶるわたし。
「えー、それ絶対違うし」頭ごなしに否定する中谷。
「うん、そいつは違うと思うな」桑田までも中谷の肩を持つ。正直なところ、わたしは今までそう信じていた。実がもっと小さいときは唐辛子で、だんだん膨らんでくると辛さが消えてピーマンになる、とも。こんなとき志茂田ともるがいてくれたら、きっと理路整然と説明してくれたに違いない。
注文が運ばれてきて、わたしはシナモン・スティックでそっとコーヒーをかき回した。甘く爽やかな香りが漂う。
「おれよ、シナモン・スティックって葉巻かと思って火を付けたことがあるんだよな」わたしのウィンナ・コーヒーを見ながら桑田が言った。
「ああ、それわかる。確かに見た目が葉巻だよねえ。でも、さすがに火を付けたなんて人は初めて聞いたわ」中谷がゲラゲラと笑う。
「で、どんな味がしたの?」興味でそう聞いた。
「まあ、シナモンの味だわな。それに火はすぐに消えた」真面目に答える桑田を見て、中谷の笑いのツボはさらに刺激される。
「だいたいあんた、タバコなんて吸わないじゃないの。なんだってそんなことしたわけ?」
「だってよ、せっかく持ってきてくれたんだし、もったいねえじゃねえか」それが桑田の答えだった。
レア・チーズケーキをフォークで切り出しにかかったとき、桑田が唐突に提案をする。
「どうせ新宿に来たんだ。みゆき座でオールナイト観ねえか?」
「オールナイトですって? 今どき名画座なんてあったんだ」中谷が意外そうな顔で聞き返した。
「だけど、まだ夕方の4時だよ。オールナイトっていうんだから、夜中からでしょ?」この日わたしは少々寝不足だった。家に帰って早めに眠りたい気分なのである。
「それがよ、午後6時からなんだよな」わが意を得たりとばかりに桑田は語り出した。「3本立てで、1本4時間もあるやつばかり集めたんだ」
「長いわね。で、どんな映画?」中谷は少しだけ身を乗り出す。
「SFとホラーとオカルトだ。あんま知られてねえ作品だけど、マニアの間じゃ絶賛されてるんだとよ」
「マイナーなのばかりかぁ。しかも、めちゃくちゃ長いのばっかり」わたしはできるだけ不満そうな口ぶりで批判した。けれど、中谷は意外にも乗り気なのである。
「いいわね、それ。どうせ明日は休みだし、たまにはオールナイトのあの雰囲気を味わってみるのも悪くないな。あたし、行ってもいいわ。もちろん、むぅにぃも行くに決まってるし」
え、ちょっとそんな。勝手に決めないでよ、中谷……。
心の中でそうつぶやいたが、とても口に出せるようなムードではない。
「う、うん。たまにはいいかも」そういうのが精一杯だった。