表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
216/234

池袋にて

 古い白黒写真を手に、わたしは池袋の一画に立っていた。写真は45年前のものだというが、今もほとんど変わっていない。

 闇市がどこまでも続き、道端には浮浪者が座り込んでいる。通りの向こうにはサンシャイン60がそびえ立っているが、唯一それだけが写真との違いだった。

 人混みの中から見慣れた顔が現れる。桑田孝夫だ。

「あ、桑田じゃん。こんなところで何してるの?」思わず聞く。

「そういうお前こそどうしてここにいるんだ。闇米でも買いに来たか?」

「お米なら近所のスーパーでコシヒカリを買ってるから大丈夫。今日はただ、ぶらっと散歩に来ただけ」

「ふん、暇なんだな」桑田はばかにしたような目を向けた。「おれはソフトクリームを食いに来たんだ。この近くにすげえうまいソフトがあるんだぞ。むぅにぃ、お前甘い物好きだろ? 一緒に来るか?」

 桑田の言う通り、わたしは超が付くほどの甘党だ。一にもなくうなずいた。

「行く行くっ」


 桑田に案内されてわたしはロマンス通りの脇道へと入っていく。昼なお薄暗く、なんとも言えない妖しい雰囲気を醸し出していた。

「こんなところに入って大丈夫?」ちょっぴり不安になる。

「なあに、心配するこたあねえ。おれがついてる」

 飲み屋や大衆食堂が軒並み連ねていた。看板の脇には決まって男が立っているが、服装といい目つきといい、通りの人々とは明らかに異彩を放っている。関わらないほうがいいたぐいの人種だ。

 1件の店の前で桑田が立ち止まる。お世辞にもきれいとは言えない小さなラーメン屋だった。

「ちと、先に飯を食ってくか」そう言うなり、薄汚れたのれんを手で払いのけて引き戸を開ける。


「へい、らっしゃい」初老の主人が元気に声をかけてきた。

 わたし達はカウンター席に腰掛ける。

「おやっさん、チーズ・ラーメンを頼むよ」と桑田。チーズ・ラーメンとはまた聞き慣れないなぁと思いつつ、もしかしたらおいしいのかもしれないと考え直し、

「じゃあ、もう1つチーズ・ラーメン」と注文した。

「へい、おまちをっ」

 ラーメンが運ばれてくる間、わたしと桑田は近況を報告し合う。

「ぶらっと散歩したというわりには、何か訳ありのようだな」桑田が鋭く突っ込んできた。

「うん、まあ……」わたしはちょっと考えてから、ポケットの中の写真を取り出す。「今朝さ、押し入れの奥を整理してたらおじいちゃんの桐箱が出てきてさぁ。中にこんな写真が入ってたんだよね。裏にほら、池袋5丁目3番地って書いてあるでしょ。それで今はどうなってるんだろうって思って」

「ずいぶんと昔の写真だな。だが、現在とまるで変わっちゃいない。この一画だけ時間が止まっちまってるみてえだな」写真を眺めながら桑田は言った。


 やがておいしそうな匂いと共にラーメンが運ばれてくる。

「おまちどっ!」主人の親指が丼にどっぷりと浸かったチーズ・ラーメンがテーブルの上に置かれた。塩ベースのチャーシュー麺に、これでもかというほどチーズが載っている。

「うまいんだぞ、さあ食え。ここはおれの奢りだ」桑田は割り箸をパキリと2つに分けた。

「ごちそうさま、じゃあいただきます」わたしも橋立てに手を伸ばす。一口食べて、これはピザのラーメン版だという感想を持った。確かに悪くはない。クセになりそうな味だ。

「な、うまいだろ?」

「うん」


 ラーメンを食べながら座敷席を眺める。年寄りや病人が座布団を敷いて、所狭しと横たわっていた。イモの天日干しを連想させる。

「あの人達って何?」凍えて桑田に尋ねた。

「老い先短い年寄り達だろ。天寿を全うしたあとはいいダシになるんだってよ」

「えーっ、じゃあこのラーメンもそのダシ入りってこと?」一瞬箸が止まる。

「いいじゃねえか、うまけりゃ」桑田は平然と麺をすすり続けた。それもそうだと考え直し、わたしは半分沈んだチャーシューを救い出す。

 桑田が先に食べ終わり、さらに10分かけてわたしも完食した。スープまで残さず飲み干す。

「おいしかったね。また来ようよ」口をティッシュで拭いながらわたしは言った。

「おお、行こう。濃縮ハバネロ・ラーメンもうめえぞ。スコヴィル値100万だってよ」

「わあ、それは辛そうっ」


 ラーメン屋を出ると、お目当てのソフトクリーム屋を目指す。脇道を突っ切って、思い出街に出たすぐそこだった。

「あれだ、あれ」桑田の指差す方に駄菓子屋のような佇まいの店が見える。日に焼けて禿げかけたホーロー看板には「屋ムーリクトフソ」とあった。昔からあった店らしい、文字も反対側から書いてある。

「年期がいってるね」思ったままを口にした。

「大正時代からあるらしいぞ」

 店の中はかすかにかび臭い。今どきの店と違って、客が入っても誰1人出ては来なかった。

「ごめんくださーい!」桑田が奥に向かって声をかける。すると引き戸が開いて、インド人の男が現れた。

「ハーイ、イラッシャイ」頭に巻いたターバンは、てっぺんが尖ってソフトクリームそっくり。


「ソフトクリーム2つね」桑田が小銭を数えてインド人に渡す。

「マイドー」インド人はいったん奥へと引っ込むが、すぐにソフトクリームを持って戻ってきた。「ハーイ、ソフトクリーム、デース」

 そっと舐めてみる。辛子明太子の味がした。

「桑田、これおいしいよ! ソフトクリームは甘いものっていう常識を履がえすよね」わたしは心から褒め称える。

「だろう? だから言ったんだ、ここのソフトクリームはうまいってよ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ