池袋にて
古い白黒写真を手に、わたしは池袋の一画に立っていた。写真は45年前のものだというが、今もほとんど変わっていない。
闇市がどこまでも続き、道端には浮浪者が座り込んでいる。通りの向こうにはサンシャイン60がそびえ立っているが、唯一それだけが写真との違いだった。
人混みの中から見慣れた顔が現れる。桑田孝夫だ。
「あ、桑田じゃん。こんなところで何してるの?」思わず聞く。
「そういうお前こそどうしてここにいるんだ。闇米でも買いに来たか?」
「お米なら近所のスーパーでコシヒカリを買ってるから大丈夫。今日はただ、ぶらっと散歩に来ただけ」
「ふん、暇なんだな」桑田はばかにしたような目を向けた。「おれはソフトクリームを食いに来たんだ。この近くにすげえうまいソフトがあるんだぞ。むぅにぃ、お前甘い物好きだろ? 一緒に来るか?」
桑田の言う通り、わたしは超が付くほどの甘党だ。一にもなくうなずいた。
「行く行くっ」
桑田に案内されてわたしはロマンス通りの脇道へと入っていく。昼なお薄暗く、なんとも言えない妖しい雰囲気を醸し出していた。
「こんなところに入って大丈夫?」ちょっぴり不安になる。
「なあに、心配するこたあねえ。おれがついてる」
飲み屋や大衆食堂が軒並み連ねていた。看板の脇には決まって男が立っているが、服装といい目つきといい、通りの人々とは明らかに異彩を放っている。関わらないほうがいいたぐいの人種だ。
1件の店の前で桑田が立ち止まる。お世辞にもきれいとは言えない小さなラーメン屋だった。
「ちと、先に飯を食ってくか」そう言うなり、薄汚れたのれんを手で払いのけて引き戸を開ける。
「へい、らっしゃい」初老の主人が元気に声をかけてきた。
わたし達はカウンター席に腰掛ける。
「おやっさん、チーズ・ラーメンを頼むよ」と桑田。チーズ・ラーメンとはまた聞き慣れないなぁと思いつつ、もしかしたらおいしいのかもしれないと考え直し、
「じゃあ、もう1つチーズ・ラーメン」と注文した。
「へい、おまちをっ」
ラーメンが運ばれてくる間、わたしと桑田は近況を報告し合う。
「ぶらっと散歩したというわりには、何か訳ありのようだな」桑田が鋭く突っ込んできた。
「うん、まあ……」わたしはちょっと考えてから、ポケットの中の写真を取り出す。「今朝さ、押し入れの奥を整理してたらおじいちゃんの桐箱が出てきてさぁ。中にこんな写真が入ってたんだよね。裏にほら、池袋5丁目3番地って書いてあるでしょ。それで今はどうなってるんだろうって思って」
「ずいぶんと昔の写真だな。だが、現在とまるで変わっちゃいない。この一画だけ時間が止まっちまってるみてえだな」写真を眺めながら桑田は言った。
やがておいしそうな匂いと共にラーメンが運ばれてくる。
「おまちどっ!」主人の親指が丼にどっぷりと浸かったチーズ・ラーメンがテーブルの上に置かれた。塩ベースのチャーシュー麺に、これでもかというほどチーズが載っている。
「うまいんだぞ、さあ食え。ここはおれの奢りだ」桑田は割り箸をパキリと2つに分けた。
「ごちそうさま、じゃあいただきます」わたしも橋立てに手を伸ばす。一口食べて、これはピザのラーメン版だという感想を持った。確かに悪くはない。クセになりそうな味だ。
「な、うまいだろ?」
「うん」
ラーメンを食べながら座敷席を眺める。年寄りや病人が座布団を敷いて、所狭しと横たわっていた。イモの天日干しを連想させる。
「あの人達って何?」凍えて桑田に尋ねた。
「老い先短い年寄り達だろ。天寿を全うしたあとはいいダシになるんだってよ」
「えーっ、じゃあこのラーメンもそのダシ入りってこと?」一瞬箸が止まる。
「いいじゃねえか、うまけりゃ」桑田は平然と麺をすすり続けた。それもそうだと考え直し、わたしは半分沈んだチャーシューを救い出す。
桑田が先に食べ終わり、さらに10分かけてわたしも完食した。スープまで残さず飲み干す。
「おいしかったね。また来ようよ」口をティッシュで拭いながらわたしは言った。
「おお、行こう。濃縮ハバネロ・ラーメンもうめえぞ。スコヴィル値100万だってよ」
「わあ、それは辛そうっ」
ラーメン屋を出ると、お目当てのソフトクリーム屋を目指す。脇道を突っ切って、思い出街に出たすぐそこだった。
「あれだ、あれ」桑田の指差す方に駄菓子屋のような佇まいの店が見える。日に焼けて禿げかけたホーロー看板には「屋ムーリクトフソ」とあった。昔からあった店らしい、文字も反対側から書いてある。
「年期がいってるね」思ったままを口にした。
「大正時代からあるらしいぞ」
店の中はかすかにかび臭い。今どきの店と違って、客が入っても誰1人出ては来なかった。
「ごめんくださーい!」桑田が奥に向かって声をかける。すると引き戸が開いて、インド人の男が現れた。
「ハーイ、イラッシャイ」頭に巻いたターバンは、てっぺんが尖ってソフトクリームそっくり。
「ソフトクリーム2つね」桑田が小銭を数えてインド人に渡す。
「マイドー」インド人はいったん奥へと引っ込むが、すぐにソフトクリームを持って戻ってきた。「ハーイ、ソフトクリーム、デース」
そっと舐めてみる。辛子明太子の味がした。
「桑田、これおいしいよ! ソフトクリームは甘いものっていう常識を履がえすよね」わたしは心から褒め称える。
「だろう? だから言ったんだ、ここのソフトクリームはうまいってよ」